不登校問題を考える・子ども応援センターTomorrow 

不登校問題への提言・問題提起/不登校の親の会「こぶしの会」/不登校・ひきこもりの人たちの居場所「水曜塾」の活動紹介

新しい不登校対策「COCOLOプラン」の正体

2024-07-19 08:59:32 | レポート

 新しい不登校対策「COCOLOプラン」の正体

            学びの保障という名の子ども切り捨て・・・不登校者の隔離こそ,その実体

1.本レポートの問題意識

 「学びの多様化学校」に関するニュースをよく耳にする。「学びの多様化学校」とは「不登校特例校」の呼び方を変えたもので、不登校に特化した学校である。

2023年3月31日、2022年度の最終日に文科省は新しい不登校対策「誰一人取り残されない学びの保障に向けた不登校対策」(COCOLOプラン)を発表した。「学びの多様化学校」はその柱であり、2028年までに全国に300校設置するという。

新しい不登校対策は、「不登校特例校」を「学びの多様化学校」に呼び方を変え、予算を増やし、「COCOLOプラン」として看板を付け替えたものである。だが、中身は従来の対症療法的な不登校対策のままである。

文科省が多額の予算を付け、設置を働きかければ、それなりの効果は表れるものである。(〇「学びの多様化学校」は、令和5年度は20自治体を想定、1自治体あたり500万円の補助、設置後の補助も検討中  〇校内教育支援センターの設置促進に29億円、ICT環境整備に6億円、SC・SSW配置に7億円、補助割合国が1/3) その結果、2024年には大分県、宮崎県、東京都、岡山県、大阪府などで「学びの多様化学校」が新たに14校開設され、35校になった。

「不登校により学びにアクセスできない子供たちをゼロにすることを目指します」と文科大臣が言うように(2022年3月31日、永岡文科大臣)、「COCOLOプラン」は不登校を是認した上での対策でしかない。

不登校が30万人を数える今、必要なのは、不登校を生み出さないための抜本的な取り組みである。なのに、なぜ、装いを新たにしてまで「COCOLOプラン」を行うのか。その実態は如何。検討してみよう。

 

2.「COCOLOプナン」とは何か

 「COCOLOプラン」を文科省の資料から概観してみる。

《誰一人取り残されない学びの保障に向けた不登校対策(COCOLOプラン)》

《文科省HP 誰一人取り残されない学びの保障に向けた不登校対策(COCOLOプラン)参照》

(1)目指す姿

 1)不登校の児童生徒全ての学びの場を確保し、学びたいと思った時に学べる環境を整えます。

 2)心の小さなSOSを見逃さず、「チーム学校」で支援します。

 3)学校の風土の「見える化」を通して、学校を「みんなが安心して学べる」場所にします。

(2)具体的な対策

 1)「学びの多様化学校(不登校特例校)」の増設

 2)校内教育支援センター(スペシャルサポートルーム等)、教育支援センター等の強化

 3)一人一台端末の利用

 4)「チーム学校」(教師・スクールカウンセラー・スクールソーシャルワーカー・養護教諭・学校医等)での支援

 5)学校と地域・関係機関との連携・協働

 6)学校を「みんなが安心して学べる」場所に(一人一台端末の利用・いじめへのき然とした対応等)

以上が「COCOLOプラン」の概要である。

 

3.「COCOROプラン」は有効か?

 これまでの不登校対策が不登校を無くすための効果がなかったことは不登校30万人が証明している。また、不登校の子どもたちの多くが不登校対策・施策を利用していないことは、文科省の「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」(以降、「問題行動等調査」と言う)を見れば明らかである。(文科省HP・「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」参照)

 「学びの多様化学校」(不登校特例校)に関しては、2016年1月の時点で小学校1校、中学校6校、高校2校の9校が開設されていて、その利用者は726人であった。1校当たり80人の利用である。

また、2024年、「学びの多様化学校」として設置されている京都市の2つの中学校の在籍者は33人と37人の計70人である。京都市の2022年度の不登校者数は1119人で、その内、中学生は889人だった。「学びの多様化学校」の利用者は13人に1人である(不登校者の1割にも満たない)。

確かに「学びの多様化学校」は不登校の子どもたちの学びの場となっている。しかし、その利用は限りがあるようだ。「COCOLOプラン」では「学びの多様化学校」を全国で300校まで増やすとしているが、不登校30万人の内、何人が利用できるだろうか。            

「COCOLOプラン」のもう一つの柱である校内教育支援センター(いわゆる別室)の利用者もそんなに多くはない。(「問題行動等調査」参照)

 いくら予算を増額し、各自治体に働き掛けても「COCOLO プラン」が効果を発揮するとは思えない。2028年度まで効果のない対策を進めていくというのが「COCOLOプラン」である。つまり、この5年間は不登校問題の解決(解消)はないと宣言しているようなものである。

 

4.なぜ、「COCOLOプラン」に固執するのか?

子どもの教育を受ける権利を保障するための義務教育の学校に、30万人の子どもたちが行けないという状況は、明らかに重大な社会問題である。不登校問題の解決(解消)は、日本の学校教育上の喫緊の課題である。にもかかわらず、それほど効果が期待できない旧態依然の不登校対策「COCOLOプラン」に文科省は執着するのだろうか。

 

 2022年の「不登校に関する調査研究協力者会議(以降、協力者会議と言う)」で、一人の委員が不登校の要因に関する発言をした。文科省が提出した「問題行動等調査」と「実態調査」の2つの調査結果の乖離があったからである。「問題行動等調査」では本人の無気力が主な要因になっているが、不登校当事者を対象に行った「実態調査」では、「いじめ」や「先生との関係」、「勉強が分からない」などが主な要因となっていたからである。委員はこの乖離について発言し、議論を求めたのである。しかし、この時、座長は取り合わず、議論させなかった(文科省HP・「不登校に関する調査研究協力者会議」の議事録を参照)。

「問題行動等調査」と「実態調査」では回答者が異なる。前者は教師であり、後者は不登校の当事者である。文科省の不登校対策は「問題行動等調査」を基にしている。不登校の要因を前者は本人や家庭にあるとし後者は先生や勉強、友人関係にあるとして、全く相反している。

「実態調査」での当事者の言い分を認めることは、本人や家庭に原因があるとして進めて来た不登校対策の根拠を失い、自らが推し進めてきた不登校対策の誤りを認めることになる。ひいては学校教育そのものが不登校を生み出していることを認めることとなり、国家(政府・文科省)の教育政策つまり公教育の誤謬を認めることになる。

文科省の威信にかけてそんなことはできないし、しないだろう。だから、あくまで本人の無気力や家庭に不登校の原因があるとしたこれまでの不登校対策に固執するのだろう。だから、「COCOLOプラン」と看板を付け替え、目を晦まそうとしているのである。

 

  • 有識者会議(不登校に関する調査研究協力者会議)の役割

 不登校対策はどこで、誰が考えているのだろうか。有識者会議ではないことは次の資料を見ればわかる。

【中央教育審議会答申「『令和の日本型学校教育』の構築を目指して」】(2021年1月16日)

・・・第Ⅱ部各論から・・・

義務教育を全ての児童生徒に実質的に保障するための方策

  • 不登校児童生徒への対応

*SC・SSWの配置時間等の充実による相談体制の整備、教育支援センターの機能強化、不登校特例校の設置促進、教育委員会・学校とフリースクール等の民間の団体とが連携した取組の充実、自宅等でのICT活用等多様な教育機会のなど、学校内外において、様々な状況に応じた段階的な支援。

 *児童生徒の支援ニーズの早期把握、校内別室おける相談・指導体制の充実等の調査研究

 ②義務教育未修了の学齢を経過した者等への対応

 *すべての都道府県・政令指定都市における夜間中学校の設置促進

 *専門人材の配置促進による夜間中学の教育活動の充実や受入生徒の拡大

(文科省HP 中央教育審議会答申「『令和の日本型学校教育』の構築を目指して」参照)

【「次期教育振興基本計画」策定に向けた提言  経団連】(2022年10月11日)

・・・優先的に取り組むべき教育政策の施策 から・・・

5.子どもの才能を伸ばす多様な教育機会の提供

 特定分野に特異な才能を持つ子どもに限らず、幅広い子どもの個性・才能を伸ばす教育を学校外で実践していく必要がある。特に学校になじめず、不登校傾向にある子どもが増加傾向にある中で、不登校の子どもたちの学びを保障することは喫緊の課題である。地方自治体は、学びを保障する観点から不登校児童生徒など学校教育になじめない子どもたちがオルタナティブ教育を受けられる環境を整備すべきである。国も質の高いオルタナティブ教育への支援を検討する必要がある。(経団連HP 「次期教育振興基本計画』策定に向けた提言 2022年 参照」)

 

これらは、文科省が有識者会議「不登校に関する調査研究協力者会議(協力者会議)」を設ける前に作成されたものである。有識者会議に諮るよりも前に文科省の不登校対策が方向づけられていることが分かる。有識者会議は、単に事例を補充しているだけである。そして、予め方向づけられている政策を、あたかも有識者会議で議論し決定(報告書の作成)しているように見せかけるために設けられていることが、文科省のHPにある議事録を読めばわかる(報告書の作成は文部官僚が行っている)。

更に言えば、有識者会議のメンバーは文科省の考えに同調するものが選ばれているようである。つまり、有識者会議は、政策決定の手続き上設置されたもので、予め決まっていることを後追い承認するためのものだということがわかる。実際には、日本の教育の基本方針を審議する中教審や国の諸政策に影響力を持つ経団連が不登校対策を方向付けているのである。

 

  • 不登校対策の背景にある思想(考え方)

 2022年、不登校の数は30万人を数えた。実に小学生の31人に1人、中学生の16人に1人が不登校である。日本財団の調査によれば、子どもの11人に1人(8・9%)が不登校傾向にあるそうだ。(不登校傾向にある子どもたちの実態調/日本財団.2018年 参照)

 この子どもたちの状況を、中教審は「子供たちの多様化」と言い、経団連は「学校教育になじめない子どもたち」と言う。そして、必要な対策は「学びの多様化学校」であり、「オルタナティブ教育」だという。「学びの多様化学校」とは「通常学校」や「特別支援学校」ではない不登校に特化した第3の学校であり、「オルタナティブ教育」とは学校に替わる教育のことである。つまり、学校になじめない子どもたちは学校以外の場所(例えば、学びの多様化学校、教育支援センター、校内教育支援センター、居場所、フリースクール⦅塾⦆、家庭⦅家⦆)で勉強すればいいと言っているのである。

 これが、この国の教育に責任ある立場にある中教審や国の政策に影響力のある経団連の不登校に対する認識である。

 「COCOLOプラン」はそのような認識で策定されたことが分かる。「COCOLOプラン」とは、

学校になじめない君たち、不登校の君たちの為に、「学びの多様化学校」や校内教育支援センターなどが用意してあるよ。それに、フリースクールもあるから、いつか勉強する気になったら、やる気が出たら、いつでもいいから勉強を始めるといい。

と言っているのである。

 

  • 日本の教育の真実(本当の姿)

中教審は「『令和の日本型学校教育』の構築を目指して」の中で、日本の学校教育を諸外国から高い評価を受けていると自負している。そんな優れた国で、不登校30万人である。

不登校の子どもが30万人、学校になじめない多くの子どもがいても、日本の学校教育は素晴らしいと誇っているのが中教審である。学校になじめない子、不登校の子がいても気にならないらしい。なぜ、そんなに平気でいられるのか。それには理由がある。

〇国立政策研究所研究員(1980年代)

 (教育課程や学習内容の基準を決めている)学習指導要領の内容は3割の子どもが理解で

きればいい。

〇三浦朱門氏(教育課程審議会会長・1990年代)

 *国際比較をすれば、アメリカやヨーロッパの点数は低いけれど、すごいリーダーが出てくる。日本もそういう先進国になっていかなければいけません。それが”ゆとり教育“の本当の目的。エリート教育とは言いにくい時代だから、回りくどく言っただけの話だ。

 *できん者はできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていいきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです。

〇野依良治(教育再生会議座長・2006年)

 *1000人に1人のエリートを育てる。

 そして、2006(平成18)年の教育基本法改訂によって「人材育成」が教育の目的とな

った。エリート育成、人材育成が日本の教育の根底にある考え方なのだ。そして、現に、三浦

朱門氏が言ったことが実際の教育の場で行われているのである。

 

 日本の教育、教育制度に関して、日本政府は国連から度々是正の勧告を受けている。

〇国連・子どもの権利委員会からの勧告(1998年・2004年・2010年)

 *過度に競争主義的な環境による否定的な結果を避けることを目的として学校制度および学力に関する仕組みを再検討すること

 *教育について、教育制度が「高度に競争主義的」であるとし、「いじめ、精神的障害、不登校・登校拒否、中退および自殺」につながることを懸念する

〇国連・障害者権利委員会からの勧告(2022年)

 *インクルーシブ教育の権利を保障すべき

  インクルーシブ教育とは、「多様な子どもがいることを前提とし、その多様な子どもたち(排除されやすい子どもたちを含む)の教育を受ける権利を地域の学校で保障するために改革していくプロセス」のことをいう。

などである。しかし、日本政府はこれらの勧告を受け入れておらず、状況は変わっていない。

1980年代以降日本の学校教育は大きく変化して行った。それとともにいじめ・不登校が深

刻化していったと言える。その行き着いた先が不登校30万人である。この状況は、国の教育

政策によって生み出されたものであると言える。

そして、今、不登校対策の名のもとに「学びの多様化学校」という新たな学校を作り、学校に

なじめない子どもたちを分け隔て、分離、隔離することが「COCOLOプラン」の実体である。

 

  • では、私たちはどうするか?!

 いじめ、不登校、貧困、自死 等々 子どもを取り巻く状況は深刻である。国民主権や基本的人権の尊重を謳う日本国憲法があるからといって、子どもたちの権利が保障されているわけではない。現に、この国は、不登校対策の名の下に、学校になじめない子ども・不登校の子どもを見捨てようとしている。

 国家や社会に役立つ人づくりのために国が定めたレール(学習指導要領など)の上で子どもたちを競い合わせる教育が行われている。その非人間性に抗い、自らの尊厳を守るための行為が登校拒否であり不登校である。

不登校を無くす=不登校問題を解決するには、不登校の要因を取り除くことが必要である。つまり、子どもたち一人ひとりが大切にされ、成長・発達が保障される場に学校を作り直すことである。しかし、今の政府、文科省にはその気持ちも能力ない。また、不登校問題の本質を究明し、事態を変えようとする社会的な動向も見られない。このような状況で希望を持つことは難しい。(私は、昨年3月、不登校問題を解決(解消)するためには教育内容と制度の改革が必要だと、文科省、各政党、新聞社等に訴えたがどこからも返事や反応はなかった。市井の一国民の声を蔑ろにする人たちに国の改革はできないし、期待することもできない、と私は判断した。)

不登校や貧困、格差をはじめこの国の抱えている諸課題を解決していくには、一握りの資本家や金持ちのためではなく、市井の一人ひとりの国民(一人ひとりの子ども)を大切にする真の民主主義社会を実現することが肝要である。いずれの日か、そのような真の民主主義社会が到来するのを待ちたい。

ただ、じっと我慢していることはない。国や自治体が何もしないのなら、この課題を認識し、向き合い、乗り越えようとする一人ひとりが、道を切り開いて行けばいい。これまで多くの不登校を経験してきた人々がやって来たように。そして、その労苦が、きっと、次の時代へとつながっていくだろう。

私たちは、不登校問題を通して学んだことを教訓化し、そして、日々、人間らしく、自分らしく生活し、実践していこう。

 

 不登校問題から学んだこと

〇不登校を経験しても、なんの支援も受けていない子どもたちが多くいる。にもかかわらず、子ど

もたちはそれぞれ、自らの進路を切り開いている。学校に行かなくても子どもは成長している。

これが、子どもたち本来持っている可能性である。

〇不登校の子どもたちへの支援とは、そのような子どもたちに寄り添い、見守り、そっと後押しす

ることである。

〇子どもは、安心できる環境と寄り添う人がいれば、必ず、自らの道を切り開いていける。

 

そのために、

〇子どもの主体性を尊重しよう。

〇子どもの意思を大切にしよう。

〇子どもが伸び伸びと過ごせる環境を作ろう。

〇子どもを丸ごと受け止めよう

そして、家族の一員として、生活者として認め合おう。 気長に気長に・・・・

 

9.レポート余話 その1 ・・・ 誰一人取り残されない???

「誰一人取り残されない学びの保障に向けた不登校対策」(COCOLOプラン)と言うやさしい表現から、子どもに寄り添っている、子どもを大切にしている、という印象を持った人もいるでしょう。これは今はやりの国連で採択された「持続可能な開発目標(SDGs)」の原則「誰一人取り残さない」から引用されたものである。

「誰一人取り残されない」という表現は、NPO法人「あなたのいばしょ」理事長の大空幸星さんが、「ほんとうに助けが必要な、取り残されている側の目線に立った言葉であるべきだと思う。」 だから、「誰一人取り残さない」ではなく「誰一人取り残されない」を使うほうがいい主張されていた。

「誰一人取り残されない学びの保障に向けた不登校対策(COCOLOプラン)」は、やさしい印象を与えるのだろう。しかし、その名称はSDGsや大西幸星氏の、中身は従来のコピー。そして、実体は子ども切り捨てだ。 

2024年7月19日 Nonaka


レポート 新しい不登校対策「COCOLOプラン」の批判的検討    No10

2024-06-09 10:06:40 | レポート

レポート 新しい不登校対策「COCOLOプラン」の批判的検討    No10

10.レポート余談

〇多様な学びの支援??

最近の自治体首長選挙で、多様な学びを支援等の公約が見られる。例えば、校内教育支援センターの設置やフリースクールの授業料の助成などである。自治体の工夫の一つである。しかし、限度があることを認識した上で進めることだ。

 多様な学びは、不登校になった子どもや親が苦境の中で切り開き、取り組んできたものである。それを「多様な学び」で一括りしないで、不登校の子どもたちがやっているさまざまな学び方に対して全面的な支援を行うことが大事ではないか。例えば、パソコンの購入やWi-Fiの設置、学習図書やアプリの購入、塾やフリースクールの授業料、交通費など「多様な学び」に対する支援である。「学びの多様化学校」という枠を設けるのではなく、個々の具体的な多様な学びへの支援をすればよい。このような「多様な学び」への支援なら私も賛成である。

〇学ぶとは何か

日本の教育は「人材育成」のための教育であって、子どもを競い合わせることを手段としている。それは子どもの発達・成長を保障するためのものではない。日本財団の調査によれば、不登校を含はじめ学校になじめない子どもが6人に1人いるそうだ。OECDの学力調査で日本の学力は良いそうだ。しかし、勉強嫌いも結構多い。“勉強は良くできるが勉強は嫌い”、そんな子どもが育っているようだ。

「“強いて勉める”と書いて勉強だ。勉強は強いられてするものだ。いやでもするものだ。」と言う先生がいた。また、ある校長は、「学校教育に必要なのは“忍耐”と“協調”である。」と言った。こんな日本の学校教育を端的に言い表している。

「なぜ、勉強するのかと問われた時、何と答えるか。」ある先生たちの研究会で質問が出た。一人の先生が「人間の尊厳を守るため」と言ったが、場はシーンとなった。私が「水曜塾」に来ている子に、「何のために勉強がしたいの?」と尋ねたら、その子は「騙されないためです。」と言った。ある子がいじめで学校に行けかった時、「僕も勉強がしたい」と言っので一緒に勉強する時があった。その子は中学を卒業した後働き出したが、10年経って通信制高校に入って勉強を始めた。高卒資格が欲しかったそうだ。

なぜ勉強するかは一人ひとりが考えればいいのだ。人それぞれに学びの意義がある。

 学びて 時にこれを習う また楽しからずや。(学んだことを実践できることは楽しいことだ 下村湖人「論語物語」)

 学とは 誠実を胸に刻むこと

 教えるとは 希望を語ること  (フランスの詩人 ルイ・アラゴン)

〇雑感(子ども 教育などなど)

法学者の浅井清信氏は「日本の民主主義は、人民が血と汗を流して勝ち取ったものではない。」と言った。だから、日本には民主主義が根を下ろしていない。今日の政治・経済・社会の状況を見ればわかる。

灰谷健次郎は、「日本の学校は水俣の海だ」と批判し教職を辞した。そして、作家としてまた幼児教育者として自らの思いを実践し表現していった。氏の作品には障害のある子どもが周りのみんなと一緒に活動する姿が描かれている。また、林竹二さんと共に取り組んだ尼工高での「人間について」の素晴らしい実践の記録も残している。

武者小路実篤は「人生論」の中で「子ども、教育についてはルソーの『エミール』、下村湖人の「次郎物語」を読むのがいい」と進めている。子どもがどのように成長していくかが描かれている。(初めて子どもを成長の主体として見出したのがルソーである。)

また、吉田松陰は、「18歳までは自由に学び、進路を考える時間であればいい」と言った。松陰は、「人が3人居たら学校ができる。」と「野山獄」で学校をはじめた。「松下村塾」を始める前のことである。

灰谷健次郎は、「日本の学校は水俣の海だ」と批判し教職を辞した。そして、作家としてまた幼児教育者として自らの思いを実践し表現していった。氏の作品には障害のある子どもが周りのみんなと一緒に活動する姿が描かれている。また、林竹二さんと共に取り組んだ尼工高での「人間について」の素晴らしい実践の記録も残している。

その他、「綴り方教育運動」や「自主的民主的同和教育運動」などわが国には優れた教育実践があった。

しかし、今や、この国の教育は、教育の主体であるはずの子どもや教師が疲弊しきっている状況にある。まさに、灰谷健次郎が言った「水俣の海」そのもののようだ。

毎日5時間や6時間授業が行われ、毎日宿題があり、テストがある、これって、日本の学校では当たり前のこと。学校の授業以外にも塾で勉強するのも日本では当たり前。髪型や靴下の色、服装まできめられているのも日本では当たり前。でも、世界に目を向けると、こんなことは珍しい。先生は忙しい。子どもも忙しい。起きてから寝るまで、学校のことで振り回されている。ゆっくり休み間もないほど忙しい。

教師は教師でマル付けや提出物の作成、事務的手続きに時間をとられて、教材研究や授業準備がおろそかになっている。

なぜなんだろう。子どもとは何か、成長とは何かが分かっていないから。「人材育成」が教育の目的だから、どんどんどんどん子どもを追い立てる。社会に役立つ、国に役立つ、会社に役立つ「人材」を育てる=作るために教育がやられているから。

本気で、子どもって何かを考えたらどうだろう。「子どもの権利条約(1989年)ができて、もう35年にもなるのに、不登校が30万人って、おかしくないだろうか。

 

*レポート「新しい不登校対策「COCOLOプラン」の批判的検討」を終わります。


レポート 新しい不登校対策「COCOLOプラン」の批判的検討 No9

2024-06-04 14:06:02 | レポート

レポート 新しい不登校対策「COCOLOプラン」の批判的検討     No9

9.この国で、私たちはどう生きるか?!

 子どもの貧困、いじめの蔓延、不登校の増加、これらを一括りに「子どもの多様化」

として済ませてしまう国に私たちは生きている。本レポートで指摘したように、「新しい不登校対策(COCOLOプラン)」は、「学校とは別の場を準備するから、やる気が出たらそこでやりなさい」というものである。自らの政策で不登校を生み出しながら、政策を改めようとせず、不登校の子どもたちを置き去りにしてしまう国に私たちは生きている。

 そのような国で、私たちはどう生きていけばいいのだろう。

 さまざまな不登校対策が行われているが、なんの支援も受けていない子どももたくさんいる。

私の近くにこんな子がいた。小学校2年生で学校に行かなくなった。両親は働いていて、昼間は一人で過ごす毎日だった。家族は、彼のすることを何も言わずに見守っていた。テレビを見たりビデオを観たり、漫画を読んだりゲームをしたりする毎日だった。そんな日々を過ごしながら、本を読んだり、運動したり、家事を手伝ったり、勉強したり、時間の過ごし方が変化して行った。映画の影響か、5年生になって英語の辞書を買ってもらった。そして、独学で英語の勉強を始めた。6年生の終わりになって、「やりたいことができたので、中学校は行こう」と決めた。小学校を卒業する時期に「学校に行かなかった僕を、誰も責めなかった。ありがとう。」と文集に綴っていた。その後、中学、高校へ行き、大学では外国語の勉強をした。今は、「日本語学校」を支援する仕事をしている。小学校に行かなくても、家で1人過ごしても、安心して居られる場所があり、伸び伸び過ごせるところであれば、そして、子どもに寄り添う人がいれば、子どもは伸びていくのだと、この子は教えてくれている。

また、ある子は、小学5年生の時に、先生に詰られて教室を飛び出し2Kmの道を家まで駆け戻った。その時から彼は家に閉じこもった。15年間、彼は誰にも心を開かなかった。為す術もなく、ただ待ち続けた家族がいた。15年間の彼のこと、家族のことを簡単には語れないが、今、彼は高卒認定試験に取り組んでいる。昨年、英語の試験に合格し、今年は数学と国語を頑張っている。どんなに困難な状況に合っても、長い間引きこもっていても、生きているんだ。生きようとしているんだ。これが人間の底力なんだと思わずにはいられない。

子どもは様々な可能性を持っている。安心し伸び伸び過ごせる環境の中で、友だちと遊んだり学んだりし、失敗や過ちを繰り返し、悩んだり苦しんだりしながら成長していくものだろう。だから、不登校を生み出すような、子どもを切り捨てるような教育を、教育政策を私は許せない。

しかし、私たちはそんな国に生きているのだ。自らが問題を生じさせながら、あたかも救いの手を差し伸べるような「新しい不登校対策(COCOLOプラン)」。まるで、マッチポンプである。そんな偽善に付き合う必要はない。

子どもは、安心できる環境と寄り添う人がいれば、必ず、自らの道を切り開いて行く力を持っている。

せっかく不登校になったのだから、ゆっくり休ませてあげましょう。

登校を拒否することは、自立への第一歩です。

子どもの思うようにさせてやりましょう。マンガだって、ゲームだって、なんだって

一緒に食事をし、一緒に話しましょう。いっしょに遊び、いっしょに笑いましょう。

まずは、お父さんから、お母さんから始めましょう。そして、家族から仲間へと広げていきましょう。不安でしょうが、何も心配いりません。これまで、何万、何十万の子どもたちが自らの道を切り開いて行っているのですから。


レポート 新しい不登校対策「COCOLOプラン」の批判的検討 No8

2024-06-01 10:19:56 | レポート

レポート 新しい不登校対策「COCOLOプラン」の批判的検討     No8

8.教育とは何か(日本の教育の本当の姿)

 「7.不登校対策の背景 その2」では、中教審や経団連の考え方を述べた。中教審は日本型学校教育が諸外国から高い評価を得ていると自負しているが、日本の学校教育は、ほんとうにそのような素晴らしいものだろうか。

 そもそも日本の学校教育は、お国の為に役立つ人づくりから始まった(1872年)。それは侵略戦争をするための道具でもあった。第2次世界大戦の敗北によって挫折し、「日本国憲法」によって否定された(1947年)。(1972~1947・・・75年間)

 「日本国憲法」は、この国の歴史上はじめて国民の教育権を保障した。それから77年が経過するが、子どもの発達を保障するものであっただろうか(就学免除されていた障害児が義務教育の対象とされたのは1997年である)。

教育内容を決める教育審議会の会長や教育再生会議の座長の次のような発言がある。今日の教育の本質の一端を伺い知ることができる。

〇国立政策研究所研究員(1980年代)

学習指導要領(教育課程や学習内容の基準を決めている)の内容は3割の子どもが理 

解できればいい。

〇三浦朱門(教育課程審議会会長・1990年代)

・国際比較をすれば、アメリカやヨーロッパの点数は低いけれど、すごいリーダーも出

てくる。日本もそういう先進国になっていかなければいけません。それが“ゆとり教

育”の本当の目的。エリート教育とは言いにくい時代だから、回りくどくいっただけ

の話だ。

・できん者はできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり

注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、

やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実

直な精神だけを養っておいてもらえればいいんです。

〇野依良治(教育再生会議座長・2006年)

・1000人に1人のエリートを育てる

などなど。(斎藤貴男さんの「機械不平等」参照)

そして、2006(平成18)年の教育基本法改訂によって「人材育成」が教育の目的となった。 

 エリート育成、人材育成が日本の教育の根底にある考え方なのです。

 日本政府は教育に関して国連から勧告を受けている。

〇国連・子どもの権利委員会からの勧告(1998年・2004年・2010年・・)

・過度に競争主義的な環境による否定的な結果を避けることを目的として学校制度  

 および学力に関する仕組みを再検討すること

・教育について、教育制度が「高度に競争主義的」であるとし、「いじめ、精神的障

害、不登校・登校拒否、中退および自殺」につながることを懸念すると述べている。

〇国連・障害者権利委員会からの勧告(2022年)

・インクルーシブ教育の権利を保障すべき

  インクルーシブ教育とは、「多様な子どもがいることを前提とし、その多様な子ど

  もたち(排除されやすい子どもたちを含む)の教育を受ける権利を地域の学校で保

  障するために改革していくプロセス」のことをいう。

などである。

 日本政府はこれらの勧告を受け入れておらず、状況は変わっていない。

 1980年代以降日本の教育は大きく変化して行った。それとともにいじめ・不登校が深刻化していったと言える。その行き着いた先が不登校30万人である。この状況は、国の教育政策によって生み出されたものである。

 そして、今、不登校対策の名のもとに不登校に特化した新たな学校「学びの多様化学校」が作られようとしている。本レポート 「新しい不登校対策「COCOLOプラン」の批判的検討」で見て来たように、「新しい不登校対策」は不登校問題を解決するものではなく、学びの保障を名目とした新たな選別教育を推し進めるものと言えるだろう。

 


レポート 新しい不登校対策「COCOLOプラン」の批判的検討 No7

2024-05-26 11:08:07 | レポート

レポート 新しい不登校対策「COCOLOプラン」の批判的検討     No7

7.不登校対策の背景 その2 (中教審・経団連の不登校認識)

 日本の教育の基本方針を審議する中教審や国の諸政策に影響力を持ち、多くの提言を行っている資本家団体・経団連は、不登校に対してどのような認識を持ち、どのような提言をしているかを、それぞれが公表している資料から見てみる。

中教審=「令和の日本型学校教育」の構築を目指して(2022年1月26日答申)

経団連=「優先的に取り組むべき教育政策の施策」(2022年)

 

中教審は日本型学校教育を、

「学校が学習指導のみならず、生徒指導の面でも主要な役割を担い、児童生徒の状況

を総合的に把握して教師が指導を行うことで、子供たちの知・徳・体を一体で育む

日本型学校教育は、諸外国から高い評価」を受けているとし、日本の学校教育の優秀さを自負している。その上で、日本型学校の直面する課題として、

「子供たちの多様化」(特別支援教育を受ける児童生徒や外国人児童生徒等の増加、貧困、いじめの重大事態や不登校児童生徒数の増加等)

など7つの課題を列挙している。

 

経団連は、文科省の第4期「教育振興基本計画」策定に向けた提言において「優先的に取り組むべき教育政策の施策」として、

 5.子どもの才能を伸ばす多様な教育機会の提供

 特定分野に特異な才能を持つ子どもに限らず、幅広い子どもの個性・才能を伸ばす教育を学校外で実践していく必要がある。特に学校になじめず、不登校傾向にある子どもが増加傾向にある中で、不登校の子どもたちの学びを保障することは喫緊の課題である。地方自治体は、学びを保障する観点から不登校児童生徒など学校教育になじめない子どもたちがオルタナティブ教育を受けられる環境を整備すべきである。国も質の高いオルタナティブ教育への支援を検討する必要がある。

と述べている。

 2022年、不登校の数は30万人を数えた。実に小学生の31人に1人、中学生の16人に1人が不登校である。この状態を、中教審は「子供たちの多様化」、経団連は「学校教育になじめない子どもたち」という。

 そして、必要な対策は「学びの多様化学校」であり、オルタナティブ教育だという。

「学びの多様化学校」とは、「通常学校」や「特別支援学校」ではない不登校に特化した学校であり、「オルタナティブ教育」とは学校に替わる教育のことをいう。

つまり、学校になじめない子どもたちは、勉強したくなったら、学校以外の自分に合ったところで勉強すればいい、ということである。諸外国から高い評価を受けている優れた日本の学校教育になじめずに不登校となった子どもは、学校以外で勉強すれば良い、と言いているのである。

これが、この国の教育に責任のある立場にある中教審や影響力のある経団連の不登校に対する認識である。

そうした考えを背景に、新しい不登校対策「誰一人取り残されない学びの保障に向けた不登校対策(COCOLOプラン)」が作られていることを、私たちは知っておかなければならない。