南大東島はさんご礁などが堆積した石灰岩が隆起した島である。石灰岩であることから、雨水がしみ込むと石灰岩が浸食されて鍾乳洞が出来上がる。島には鍾乳洞が120か所あると言われ、戦時中は防空壕に利用されたこともあった。島は米軍による激しい艦砲射撃を受けたが、意外に戦没者が少なかったのは軍民が島内の鍾乳洞に退避していたからであった、と言われている。
島の鍾乳洞で一番大きいのが星野洞で、広さは1千坪、長さは375メートルある。星野さんという人の私有地にあることから、星野洞と名付けられた。入口から地下33メートルまでは防空壕のようなコンクリート製の通路が設えてあり、鍾乳洞内には金属製の階段と照明装置が設置されている。整備には相当な金額がかかったが、その費用は1988年の竹下内閣時代に交付された「ふるさと創世事業」の交付金で賄われた。この交付金は1地方自治体に1億円が交付され、南大東村にも交付された。この交付金を原資にして、星野洞を観光客向けに整備したのであった。当時はバルブ経済の最盛期であり、小さな島にもふんだんな税金が振る舞われた。
なぜ、この小さな鍾乳洞に大金を投じて整備したかと言えば、島にはこの場所以外にこれと言った名所が無いからである。島に観光客を呼び込むためには目玉になるような名所がなければならない。しかし、開拓が始まってから百年の歴史しかない島では、魅力のある名所がない。展望台や海岸などに案内しても、そこで観光客が風景を一望すれば5分でお終いである。しかし、観光客が鍾乳洞を一通り廻れば、小1時間ほどは時間を過ごせる。島に観光客を呼び寄せるには、ある程度の時間を潰せるような名所が必要なのである。このような理由で星野洞には大金が投じられた。
一段目の写真は村道から管理所の方向を写したもので、二段目の写真は新旧の管理所を写したものである。この管理所で大人1名当たり入場料8百円(2024年5月からは千円)を支払うと星野洞に入る鍵を貸してくれる。三段目の写真は星野洞の入口で、借りた鍵で観光客自らドアーを開け、地下の巨大な鍾乳洞を見学できる。私は鍾乳洞には関心が無かったので入場しませんでしたが。
左側にある建物は旧の管理所で、現在は使われていない。右側は新の管理所で、中央には休憩所があり、左側が入場料を徴集する事務室、右側にトイレなどの設備がある。建物前にある駐車場は15台を収容できる広さがあり、立派に整備されていた。建物、駐車場は立派なのですが、ここまで整備する必要があるのか疑問です。年間の来場者数は約2千人程度(2023年度、観光協会調べ)と推測され、観光客の数に比べて設備が豪華過ぎるのです。観光客を乗せた自動車が一度に15台も駐車するとは思われません。離島支援の助成金が余ったので、整備費用に当てたのかもしれません。
私が訪問した時、管理所には中年の女性が1人で留守番していた。年間の来場者が少ないので、もしかすると観光客が来ない日もあるかと思われます。それでも彼女は待ち続けるのです。それは島に職場が少ないからと思われます。役場(観光協会)では職場を作り、島の住人に働く場所を与え、生活できるように支援しているのです。島に住んでいただいて、人口の減少を防いでいるのです。島を守り、国土を確保するには、島に職場を作るのが一番なのです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます