新・南大東島・沖縄の旅情・離島での生活・絶海の孤島では 2023年

2023年、11年振りに南大東島を再訪しました。その間、島の社会・生活がどのように変わっていったかを観察しました。

コロナによる島の影響

2023-09-20 12:47:02 | 旅行

 

 最初の訪問から丁度10年目の2022年に南大東島を再度訪問することに決めたが、これがとんでもなく困難なものであった。それは新型コロナウイルスの蔓延による影響であった。
 ご承知のように、2019年末に中国でコロナウイルスが発生し、またたく間に世界に拡散していった。日本政府は、2020年1月より感染予防のために数多くの対策を立案し、実施することになった。コロナウイルスの感染は感染者からの咳による空気感染であるため、人との接触を避けなければならない。このため、国民の行動を制限する方針を打ち立て、人が密集するような会合、会議は避け、マスクを外して飲食する外食や飲み会は自粛するように指示が出た。仕事では、出勤せずに自宅で作業をするリモートワークやウエブ会議が主流となり、飲食店、居酒屋には休業の要請がなされた。このため、通勤電車はがら空きとなり、夜の繁華街では飲食店の多くが店頭の電気を消したため街全体が暗くなった。このような急激な社会変化は、日本の歴史においては極めて珍しい出来事で、その後の社会構造に大きな変革を与えることになった。
 では、人口が千数百人程度の小さな南大東島で、コロナウイルスが拡散したらどのようになるであろうか。大変なパニックになったであろう。島には診療所が一か所しかなく、駐在している医師は一名、看護師は一名であり診療体制は脆弱である。コロナウイルスに感染した重症患者を救うためのエクモも無く、こんな体制でコロナウイルス患者が発生したらどうなるであろうか。治療はできず、島中にコロナウイルスが伝搬し、患者が溢れることが目に見えている。
 実際、南大東島では過去に感染症の発生で悲惨な事件が発生した。1913年12月にパラチブス患者が発生したが、医師がインフルエンザと誤診したため島内にパラチブスが蔓延した。そのため、島民2千5百名の内1千5百名が発病し、内2百名が死亡するという大惨事となった。また、1920年にはハシカが蔓延し、5か月間に小児120名が死亡するという痛ましい事件もあった(南大東村誌より)。
 このような過去の体験から、狭い島内でコロナウイルスが蔓延したらどのようになるかは十分に予想できた。このため、島を挙げてコロナウイルスの感染を防ぐことになった。南大東島でコロナウイルスの感染を防ぐために採用した手段は何と「鎖国」であった。村の役場を公務で訪れる公務員、公共工事などに関連した作業員などの身元のハッキリした人だけを入島させ、不要不急な観光客の入島を断るのである。島外から見知らぬ人を入島させなければ感染は防止することができる。当時の南大東島のホームページには、「ワクチン接種をされ、発熱していないことを確認してからご来島下さい。体調不良の方は来島を延期され、改めてご来島下さい」という意味の掲示が出されていた。
 幸いな事に、島への移動手段は飛行機か定期船だけである。渡航方法が限定されているため、感染者のチェックは容易である。また、観光客の入島を制限(遮断)するために、全宿泊施設は一致協力して観光客の宿泊予約を中止することに決定した。どこのホテルに予約の電話をかけても「受け付けていません」と冷たい返事であった。ただ、表向きは全宿泊施設が休業したことになっていたが、公用や島の産業に関わる人達の予約は受け付けていたらしい。こうしたコロナウイルス対策の影響で宿屋の予約ができず、2022年の渡航は断念せざるをえなかった。
 しかし、2023年5月になって、厚生労働省はコロナウイルスの位置付けを5類感染症に移行し、外出自粛要請を緩和することになった。この発表により、島内の宿泊施設は宿泊予約の受け付けを再開することになった。こうして、私は11年振りに南大東島に渡航することが可能になった。

 



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