夜中から今朝にかけてかなり雨が降りました。
拙宅の猫の額ほどの小さな庭は、雨に打たれながらもアヤメが花盛りです。
4月からウォーキングを再開、一日一万歩を目標としてますが一万歩も出ない日もあって、
だいたい8000歩から13000歩の間で無理しないよう歩いてます。
コース道中、手向山(タムケヤマ)の木があります。
このタムケヤマ は、細長くのびた葉に深い切れ込みがあり糸で編み込んだ繊細なレース飾りのような葉姿。葉っぱは変化します。
春の新葉は赤茶色・夏は緑色・晩秋に再び紅葉します。開花期は4月~5月で、花後にプロペラ状の実をつけます。
植物とっては当たり前の営みですが、私たちにとっては不思議な気持ちにさせてくれます。
<論語>
昔、中国に孔子という偉い人がいました。論語は、孔子と高弟の言葉や行いをその弟子たちが記録したものといわれています。
私は浅学もの、いろんな本で読みかじっただけの知識しかありません。
最近、父の衰弱で気もそぞろであれこれ思うことがたくさんありましたが、この論語により助けられた一編があります。
「死生命あり 富貴天にあり」(しせいめいあり ふうきてんにあり)
孔子の弟子に司馬牛と子夏いう人がいました。あるとき司馬牛が「他の人には兄弟がいるのに自分にはいない」と悩んでいました。
すると、子夏は「死ぬも生きるも、富むも貴きも、すべて天命によるもので、人力ではどうにもならない。君に兄弟がいないのも天命だろう」
と言いました。
これは、
死ぬことも生きることも自分では決められない。またお金持ちも身分も神様が決めることで、自分の力ではどうにもならない。
つまり今いる場でできることを一所懸命することが大切で、悩んでもどうしようもないことは悩まない。がんばった後のことは天に任せなさい。
そんな意味あいだそうです。
これを読んで、張っていた気持ちがスーッと軽くなり、楽になりました。
論語はすばらしい教訓が詰まった書物だとあらためて感じた次第です。