僕は最近、思うことですが、今の僕たちの生活は満ち足りてその水準も高いと思います。
そして、大概の家は、一家に1台、ないし2台の自家用車を持ち、PCやiPHONEやタブレット等の端末機器を家族全員が所有して様々な情報を好きな時にどこでも取得したり、共有したり、その情報をお得に利用できる
環境の中にいます。本当に便利な世の中です。もう、20年前や30年前にはあり得ないし、もう戻れる環境にはありません。日本の場合、ある意味、他国と比べると国民全体が平均的に生活レベルが上がってきて(収入の
多い、少ないに拘わらず)その水準を維持してゆくために齷齪しているところがあります。
お子さんを持ったご家庭に至っては、よその家はこうなのにうちだけ、それが無いのとか、兎に角、よそとの
兼ね合いで苦しい家計と思いながらも同じ水準に近づこうとしてます。物は本当に満ち足りています。日本経済がバブル期を境に長い間、デフレに突入して国内経済の低迷と国民の収入の減収が、続いてきた理由もある意味、理解できます。物質的に満ち足りた中で国民全体の収入が減り、後は老後の為に備えるしかありません。そんな状況の中で、消費が増えるわけがなかったのです。それぞれの企業は競合他社との価格競争に追われ仕事をとれば、薄利の中で株主と会社と社員に分配してゆく苦しい環境を強いられた訳でありますから、会社収益が上がらず、勿論、株は低落、社内においてはリストラの断行と全てにおいて辛い状況でした。
つまり、国内的には、満ち足りた物質文明の中でそれを維持してゆくことに苦心してきたような思いがします。もう、明日からみんな生活水準を下げてなんでも節約して生きてゆきましょう、というそんなことは無理な現状なのです。次から次と少なくとも今の水準を維持しながら、更に国内経済を安定させるには景気を向上させ、更なる発展が余儀なくされるわけです。豊かになればなっただけ、それを維持するためには、常に経済の発展が必要になってくるわけです。そして、今や世界一を誇る日本の長寿国と言う栄誉は、高齢者が増え、それによるその介護や生活年金の莫大な費用のねん出をこれからどうやって工面してゆくのか、本当に今、大変な時代に来ているような気がしてなりません。前に戻ろうとは言いませんし無理な話です。ただ、僕は時間があるときにふと、立ち止まって、今の自分の姿を客観的に見つめ直すことができれば、今、置かれている状況や何故こんなにもぎくしゃくして生活に追われるのだろうかとか、最低限、必要なものは何なのか、自分にとっての本当の価値観は何なのだろうか、人間として本来、どうあるべきなのだろうか、人に対して本当に真摯に対応できてるのだろうか、少しは何かが見えてきて、もう少し自分の生活に心の潤いが見えてくるかもしれないと思います。
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