アマルフィのドゥオーモ内を、天国の回廊から十字架上のキリストの聖堂へと入り、博物館となっている内部を見学した後、いよいよドゥオーモの核心部ともいえるエリアへと進みます。
十字架上のキリストの聖堂から続いている階段を下った先には、密やかな雰囲気の漂う地下礼拝堂が広がっていました。
<アマルフィ>
<アマルフィ(Wikipedia)>
十字架上のキリストの聖堂(Basilica del Crocifisso)から繋がっている階段を下りると、そこは密やかな空気に包まれた地下礼拝堂でした。
天井には、美しい装飾と共にフレスコ画が描かれていて、神秘的な雰囲気を醸し出していました。
アマルフィのドゥオーモ(Duomo di Amalfi)の地下礼拝堂は、このドゥオーモの名称(聖アンドレア大聖堂 / Cattedrale di Sant'Andrea)にもなっている、アマルフィ(Amalfi)の守護聖人で、イエスの使徒の一人でもある、聖アンドレア(Sant'Andrea Apostoro)の聖遺物を納めるクリプタ(Cripta)です。
ちょうど、東欧から訪れたと思しき一団が、祈りを捧げていました(祈りの言葉がスラブ系の言葉でした)。
聖アンドレアはロシアの守護聖人でもあり(その他、ルーマニア、ギリシャ、スコットランドでも守護聖人)、そうした縁で、聖アンドレアの聖遺物が安置されている、このアマルフィのドゥオーモへと巡礼して来たのでしょう。
大理石の荘重な祭壇。
カトリックではない身でも、その素晴らしさに目を奪われずにはいられません。
筋骨隆々とした、逞しげな聖アンドレアの彫像。
この像は、かのミケランジェロ(Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni)の弟子であった、ナッケリーノ・ミケランジェロ(Michelangelo Naccherino)という彫刻家により、1604年に彫られた作品です。
アーチ方の天井に描かれたフレスコ画も、敬虔な祈りを捧げる巡礼者達を祝福しているようにも思えました。
聖職者の方は、非常に長い時間、祈りの言葉を唱えられていました。
朗々と巡礼者の名前を、一名ずつ読み上げているようでした。
祭壇の背後の天井は、このようなドーム状となっていました。
非常に精緻な装飾が彫られていて、照明に照らされることで生じた影により、浮き上がるような立体感が見事です!
この地下礼拝堂は13世紀に造られて、1208年5月8日に聖アンドレアの遺体を迎えたとのことです。
今日の地下礼拝堂は、1600年にスペイン王フェリペⅢ世(Filippo III di Spagna)によって、バロック様式で修復されたものです。
祭壇の真後ろに安置してある、聖アンドレアの聖遺物を納めた入れ物。
しばらくすると、祭壇の前での礼拝を終えた巡礼者達が、聖職者の方に先導されてこの箱の前に集まりました。
聖職者の方は、再び祈りの言葉を唱えながら、何とこの箱の扉を開け始めました!
引き出された、聖アンドレアの聖遺物。
後頭部の骨です。
偶然にも、直接目にすることが叶った瞬間です。
特別な時にしか表へ出されないと聞いていたので、まさかこのような状況に遭遇できるとは思いもよらず、舞い上がってしまいました。。。
後頭部以外の骨は、祭壇の真下に安置されています。
巡礼者達は、一人一人この聖遺物に近寄って口づけをしていました。
異なる振興でも、こうした篤い祈りを捧げている情景は、心に訴えかけてくるものがあります。
順路上の、地下礼拝堂からの出口にあたる戸口には、聖アンドレアの名の装飾が施されていました。
地下礼拝堂の華麗な天井をバックに、その名が良く浮き出ていた、素晴らしいコントラストの組み合わせでした。
地下礼拝堂を出ると、再び階段となり、大聖堂へと至ります。
十字架に架けられたイエスの像に見守られつつ、一歩一歩踏みしめて階段を上ります。
階段を上りきった正面を右へ曲がると、大聖堂です。
十字架上のキリストの聖堂から続いている階段を下った先には、密やかな雰囲気の漂う地下礼拝堂が広がっていました。
<アマルフィ>
<アマルフィ(Wikipedia)>
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十字架上のキリストの聖堂(Basilica del Crocifisso)から繋がっている階段を下りると、そこは密やかな空気に包まれた地下礼拝堂でした。
天井には、美しい装飾と共にフレスコ画が描かれていて、神秘的な雰囲気を醸し出していました。
アマルフィのドゥオーモ(Duomo di Amalfi)の地下礼拝堂は、このドゥオーモの名称(聖アンドレア大聖堂 / Cattedrale di Sant'Andrea)にもなっている、アマルフィ(Amalfi)の守護聖人で、イエスの使徒の一人でもある、聖アンドレア(Sant'Andrea Apostoro)の聖遺物を納めるクリプタ(Cripta)です。
ちょうど、東欧から訪れたと思しき一団が、祈りを捧げていました(祈りの言葉がスラブ系の言葉でした)。
聖アンドレアはロシアの守護聖人でもあり(その他、ルーマニア、ギリシャ、スコットランドでも守護聖人)、そうした縁で、聖アンドレアの聖遺物が安置されている、このアマルフィのドゥオーモへと巡礼して来たのでしょう。
大理石の荘重な祭壇。
カトリックではない身でも、その素晴らしさに目を奪われずにはいられません。
筋骨隆々とした、逞しげな聖アンドレアの彫像。
この像は、かのミケランジェロ(Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni)の弟子であった、ナッケリーノ・ミケランジェロ(Michelangelo Naccherino)という彫刻家により、1604年に彫られた作品です。
アーチ方の天井に描かれたフレスコ画も、敬虔な祈りを捧げる巡礼者達を祝福しているようにも思えました。
聖職者の方は、非常に長い時間、祈りの言葉を唱えられていました。
朗々と巡礼者の名前を、一名ずつ読み上げているようでした。
祭壇の背後の天井は、このようなドーム状となっていました。
非常に精緻な装飾が彫られていて、照明に照らされることで生じた影により、浮き上がるような立体感が見事です!
この地下礼拝堂は13世紀に造られて、1208年5月8日に聖アンドレアの遺体を迎えたとのことです。
今日の地下礼拝堂は、1600年にスペイン王フェリペⅢ世(Filippo III di Spagna)によって、バロック様式で修復されたものです。
祭壇の真後ろに安置してある、聖アンドレアの聖遺物を納めた入れ物。
しばらくすると、祭壇の前での礼拝を終えた巡礼者達が、聖職者の方に先導されてこの箱の前に集まりました。
聖職者の方は、再び祈りの言葉を唱えながら、何とこの箱の扉を開け始めました!
引き出された、聖アンドレアの聖遺物。
後頭部の骨です。
偶然にも、直接目にすることが叶った瞬間です。
特別な時にしか表へ出されないと聞いていたので、まさかこのような状況に遭遇できるとは思いもよらず、舞い上がってしまいました。。。
後頭部以外の骨は、祭壇の真下に安置されています。
巡礼者達は、一人一人この聖遺物に近寄って口づけをしていました。
異なる振興でも、こうした篤い祈りを捧げている情景は、心に訴えかけてくるものがあります。
順路上の、地下礼拝堂からの出口にあたる戸口には、聖アンドレアの名の装飾が施されていました。
地下礼拝堂の華麗な天井をバックに、その名が良く浮き出ていた、素晴らしいコントラストの組み合わせでした。
地下礼拝堂を出ると、再び階段となり、大聖堂へと至ります。
十字架に架けられたイエスの像に見守られつつ、一歩一歩踏みしめて階段を上ります。
階段を上りきった正面を右へ曲がると、大聖堂です。
聖アンドレアの聖遺物が拝見できてとても良かったですね。
下の記事にもありました教会のシマシマの壁模様、南につれてやはりアラブ様式も入ってくるのでしょうか?エジプトのツタンカーメンのシマシマも同じ系統なのでしょうかね?
それにしてもこの礼拝堂は本当に素敵!!
私も特定の信仰を持つ訳ではないので、聖書も当然未読であり、教会のステンドグラスや絵画彫刻にある故事の説明は聞き流しているだけですが、教会内部の厳かな空気に感化される何かを感じるのは、そこが敬虔な祈りの場として、多くの真摯な思いが長きにわたり込められてきたからなのだと思います。
まさか聖アンドレアの聖遺物を直接拝見できるとは思ってもいなかったので、本当に幸運でした!
アマルフィは中世の早い時期に海洋国家として栄え、特に中近東との交流も盛んであったとのこと。
繁栄の時代の忘れ形見でもあるドゥオーモに、オリエンタルな装飾が施されたのも、自然な成行きであったのでしょうね。