眼鏡橋から路面電車で長崎の街を移動、中華街を抜けて、オランダ坂へとやって来ました。
オランダ坂界隈は、「東山手」と呼ばれる、かつての外国人居留地。
安政六年(1859年)に開港した長崎で、最も早い時期に居留地となったとのことです。
沿道に数多く保存されている、洋風建築の風情を楽しみながら坂を上り下りして、大浦天主堂までの道程を、のんびり散策しました。
<オランダ坂>
<大浦天主堂>
眼鏡橋近くの電停から路面電車で再び、もと来た道を引き返します。
この停留所の直前で軌道が分岐していて、「こちらへ来るかな?」と思っていた電車が目の前で分岐した軌道の方へ入ってしまうのを見ると、ちょっと悔しくなってしまいますね(^^;)
築町(つきまち)という電停で路面電車を下車して、引き続き散策を開始。
すぐ近くにある、長崎新地中華街を通り抜けます。
ちょうどお昼時であったのですが、6年前(平成21年/2009年)の私は、食よりも散策を選択したようですw
6年後の私では、あり得ない選択です(爆)
中華街を抜けて、一本道のような通り(オランダ通り)伝いに歩を進めていくと、「オランダ坂」の碑が建つ、石畳風の道との交差点に行き当たりました。
この辺りは、幕末期の開港後、長崎でも最初に外国人のための居留地が築かれた、「東山手」というエリア。
坂の入口から、既に異国情緒を醸し出している景色を眺めることができました。
長崎では、鎖国時代も出島に出入りを許されていたオランダ人の影響からか、西洋人を「オランダさん」と呼んでいたことから、居留地にある坂を、「オランダ坂」と呼んでいたとのことです。
瓦屋根の美しい、洋風建築を横目に見ながら、登り坂を進んでいきます。
綺麗に晴れ上がった昼下がり、冬とはいえ、陽光の暖かさが心地良い散策となりました♪
右手に見えている守衛室のある門は、「活水(かっすい)女子大学」のものです。
坂は、かなりの急勾配;
グングン高度を稼ぎます!
時の流れを感じる、古びた煉瓦塀越しには、やはり洋風の建築物が顔を覗かせています。
かつては、この高台に建つ家から、海も望むことができたのでしょうね。
画像左上端の辺りに、目指す大浦天主堂の姿も見えています。
坂を上ると、しばらくは平坦な道が続くようになります。
ここまで、結構フウフウ息を切らせながら上ってきたので、内心ホッと安堵してw、ゆっくりと歩いていました。
落ち着いた風情が素敵な散策路でした。
やがて、展望が開けてきました!
「東山手洋風住宅群の屋根の連なりにも、目を引かれます。
正面に見える小高い丘の右端近くに、大浦天主堂も小さく見えていました。
この辺りから、再び坂道となるようです。
こちら側も、凄い勾配の坂道でした;
先程正面に見えていた丘との谷間の市街地へと、オランダ坂は続いていきます。
その、反対側の丘を上り下りする、斜行エレベーターが見えています。
坂を見上げると、急な勾配が一層強調されますね!
こちら側にも、「オランダ坂」の石碑が建っていました。
東山手洋風住宅群が正面に、聳えるように建っています。
塀は、和風のようですね。。。
オランダ坂を出て、斜行エレベーターで反対側の丘を上りました。
斜行エレベーターを降りたら、出迎えてくれたお方。
ポカポカ陽気に誘われたのか、目を細めながらもゴキゲンなご様子^^
お仲間若しくはライバル?!もお寛ぎ中。
のんびり毛繕いなどをされていました。
こちらの丘の小路は、密やかな雰囲気が魅力的♪
生い茂る木々の間からは、海を望むこともできました。
石畳は、情緒がありますね。
大浦天主堂のすぐ脇へと出てきました。
尖塔の上に掲げられている、十字架の繊細な装飾が、日の光を浴びて輝いている様子が、印象的でした。
坂道の散策も、そろそろゴールとなります。
日向ぼっこの特等席にて、ご満悦のお方。
このまま、爆睡へと堕ちていきそうな、気持ち良さげな表情に和まされますね^^
大浦天主堂。
我が国に現存する、最古のキリスト教の教会で(元治二年/1865年に建立)、国宝に指定されています。
散策の〆に、すっきりとした清楚な雰囲気を纏う天主堂を拝んでから、路面電車の通る通りへと下り路面電車に乗車(流石に疲れたので;)、中華街へと戻りました。
オランダ坂界隈は、「東山手」と呼ばれる、かつての外国人居留地。
安政六年(1859年)に開港した長崎で、最も早い時期に居留地となったとのことです。
沿道に数多く保存されている、洋風建築の風情を楽しみながら坂を上り下りして、大浦天主堂までの道程を、のんびり散策しました。
<オランダ坂>
<大浦天主堂>
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眼鏡橋近くの電停から路面電車で再び、もと来た道を引き返します。
この停留所の直前で軌道が分岐していて、「こちらへ来るかな?」と思っていた電車が目の前で分岐した軌道の方へ入ってしまうのを見ると、ちょっと悔しくなってしまいますね(^^;)
築町(つきまち)という電停で路面電車を下車して、引き続き散策を開始。
すぐ近くにある、長崎新地中華街を通り抜けます。
ちょうどお昼時であったのですが、6年前(平成21年/2009年)の私は、食よりも散策を選択したようですw
6年後の私では、あり得ない選択です(爆)
中華街を抜けて、一本道のような通り(オランダ通り)伝いに歩を進めていくと、「オランダ坂」の碑が建つ、石畳風の道との交差点に行き当たりました。
この辺りは、幕末期の開港後、長崎でも最初に外国人のための居留地が築かれた、「東山手」というエリア。
坂の入口から、既に異国情緒を醸し出している景色を眺めることができました。
長崎では、鎖国時代も出島に出入りを許されていたオランダ人の影響からか、西洋人を「オランダさん」と呼んでいたことから、居留地にある坂を、「オランダ坂」と呼んでいたとのことです。
瓦屋根の美しい、洋風建築を横目に見ながら、登り坂を進んでいきます。
綺麗に晴れ上がった昼下がり、冬とはいえ、陽光の暖かさが心地良い散策となりました♪
右手に見えている守衛室のある門は、「活水(かっすい)女子大学」のものです。
坂は、かなりの急勾配;
グングン高度を稼ぎます!
時の流れを感じる、古びた煉瓦塀越しには、やはり洋風の建築物が顔を覗かせています。
かつては、この高台に建つ家から、海も望むことができたのでしょうね。
画像左上端の辺りに、目指す大浦天主堂の姿も見えています。
坂を上ると、しばらくは平坦な道が続くようになります。
ここまで、結構フウフウ息を切らせながら上ってきたので、内心ホッと安堵してw、ゆっくりと歩いていました。
落ち着いた風情が素敵な散策路でした。
やがて、展望が開けてきました!
「東山手洋風住宅群の屋根の連なりにも、目を引かれます。
正面に見える小高い丘の右端近くに、大浦天主堂も小さく見えていました。
この辺りから、再び坂道となるようです。
こちら側も、凄い勾配の坂道でした;
先程正面に見えていた丘との谷間の市街地へと、オランダ坂は続いていきます。
その、反対側の丘を上り下りする、斜行エレベーターが見えています。
坂を見上げると、急な勾配が一層強調されますね!
こちら側にも、「オランダ坂」の石碑が建っていました。
東山手洋風住宅群が正面に、聳えるように建っています。
塀は、和風のようですね。。。
オランダ坂を出て、斜行エレベーターで反対側の丘を上りました。
斜行エレベーターを降りたら、出迎えてくれたお方。
ポカポカ陽気に誘われたのか、目を細めながらもゴキゲンなご様子^^
お仲間若しくはライバル?!もお寛ぎ中。
のんびり毛繕いなどをされていました。
こちらの丘の小路は、密やかな雰囲気が魅力的♪
生い茂る木々の間からは、海を望むこともできました。
石畳は、情緒がありますね。
大浦天主堂のすぐ脇へと出てきました。
尖塔の上に掲げられている、十字架の繊細な装飾が、日の光を浴びて輝いている様子が、印象的でした。
坂道の散策も、そろそろゴールとなります。
日向ぼっこの特等席にて、ご満悦のお方。
このまま、爆睡へと堕ちていきそうな、気持ち良さげな表情に和まされますね^^
大浦天主堂。
我が国に現存する、最古のキリスト教の教会で(元治二年/1865年に建立)、国宝に指定されています。
散策の〆に、すっきりとした清楚な雰囲気を纏う天主堂を拝んでから、路面電車の通る通りへと下り路面電車に乗車(流石に疲れたので;)、中華街へと戻りました。
新たな時代の先駆けとなる情熱も込めて建築されたからこそ、その熱意に後世の人々が感銘を受けるのだと思います。
和洋中の要素が渾然一体となって、一つの建築物となっているところに、独特のエキゾチックさを感じますよね。
やはり、多少の無理がきく若いうちに、身体は鍛えられるだけ鍛えておくのが、後々のためにも重要ということを、日々痛感しています;
大浦天主堂、シンプルで清楚な佇まいが、何度眺めても飽きが来ない、素敵な教会です。
坂が多いのに、恰幅よいネコの多い長崎…余程食生活が充実しているのでしょうね?!
坂が多くてよく身体を動かすので、ご飯が美味しすぎて、食べ過ぎてしまうのかもw
沖縄の同様、漆喰を使った屋根、洋館の屋根が日本風ではなく、中国風なのが面白い。
私も4年間丘の上にある大学にせっせと通ったおかげで、今のところ、足腰は丈夫。
今上ってみると、よく毎日こんな坂を上ったなぁ(それもハイヒールで!)と感心するぐらいキツイ坂です。
大浦天主堂、いつまでも歴史の証人として、この凛々しい姿を保ってほしいですね。
それにしても長崎の猫は皆恰幅がいい。
坂が多いと、逆にあまり動かなくなってしまうのかしら?