新型コロナウイルスの複合危機における貨幣使用の中止 ―緊急時における究極の経済対策―
和洋女子大学・山下景秋
現在世界は、新型コロナウイルスという感染症と経済危機の双方による複合危機に直面している。この未曽有の危機に対する究極的な対策というのはあるのだろうか。
1.究極の経済対策
提案
新型コロナウイルスが蔓延する現在、人々は外出せず家にこもることが感染症の最大の対策となる。そうなると仕事ができない。だから収入が入らない。その結果、生活が苦しくなるということで多くの人が悩んでいる。
しかし、一部の人達を除いて大部分の人達は仕事をする必要はないし、しなくてもよい。人々が、このような緊急時には、医療サービスを受けることができ食と住さえ確保して、生き延びることができればそれでいいと考えることができるならば、ほとんどの仕事は不要だからである。政府が、医療サービスと食を人々に提供すればよいだけである。
私がここで提案しようとすることは、危機が最悪のレベルに到達した場合、その危機の期間だけ、人々が最低限の生活に耐えるという条件で、貨幣の使用を禁じるというものである。
仕事中止の要求・命令
世界経済が大混乱に陥っている現在、世界各国の政府の対策は結局、人々が仕事を止めることを強いる政策であるといえる。
その経過を簡単にまとめると次のようになる。
政府は、仕事の中止を要求する(あるいは命ずる)。
仕事をしないということは、経営者なら労働サービスを買う(つまり労働者を雇う)ことを止め、材料や部品などのモノを仕入れることを止めるということである。生産・営業活動を止めるということだから、収入が入ってこない。したがって、労働者に賃金を支払うことや仕入れのための費用を支払うことができないし、家賃を支払うこともできない。その結果、企業や商店の経営が苦しくなってくる。なかには倒産する企業・商店も現れる。
労働者は賃金を減らされたり、雇用されなくなって失業する可能性もでてくる。
以上の結果、株が売られ、株価が大きく下がる。
こうなると、経営者も労働者も経済的に苦しくなる。モノやサービスの流れを止めるが、カネの流れは止まらないからである。こうして経済状態が悪化した企業や個人に対して、政府が救済資金を供給することが必要になってくる。しかし、国民の多くがその対象者になると、巨額の財政支出が求められるので、政府はその支給をためらう。
その結果、企業や個人は仕事を止められず、外出せざるをえないので、感染症の拡大を阻止することができない。
貨幣の使用停止の命令
政府がまず仕事の中止を国民に要求する(あるいは命ずる)のではなく、発想を変えて、政府がまず最初に貨幣の流れを止めることを国民に要求してみたらどうなるだろうか。ただし、貨幣の流れを止めるのは、危機の期間だけである。
貨幣の流れを止めるということは、誰も貨幣を支払わないし、貨幣を受け取ることもしないということである。
その手順は以下の通りである。
①、政府は国民に対して、診療・治療を無料で受けることができること、また農産物が無料で自宅に送られてくることを保証する。
これ以外に、最低限のサービスとして、政府は国民に対して、介護・育児サービス、電気・ガス・水道サービス、配送サービス、情報提供・管理サービスを無料で提供する。
これらの仕事に従事する人達の労働の対価としての報酬は、危機期間後に政府が彼らに支払う。
②、①を前提に、政府は国民に対して貨幣の支払いと受け取りを禁じることを告げる。
③、各個人は貨幣を獲得することはなくなるし、貨幣を支払うこともないから貨幣を獲得する必要もなくなる。
④、貨幣を支払い・受け取る必要がないということは、仕事をする必要がないということなので、人々は仕事を止める。
⑤、④により、経営者は雇用や仕入れの必要がなくなる。ただし、貨幣を支払わないから雇用を減らす必要はない(解雇の必要はない)。(危機期間終了後、経済が復活する時、雇用し続けていた労働者を再び使い、仕入れを再開することによって操業・営業を再開する)
⑥、④により労働者は労働サービスを提供する必要がなくなるので、危機期間中、自宅にいるしかない。
⑦、経営者や個人の家賃の支払いは、危機期間終了後、家主に支払う。(危機期間後に、政府がこの家賃を全額あるいは一部補助してもよい)
結局
最低限、医療が受けられ食と住が確保される、そしてその他の最低限のサービスも受けられるから、危機により国民が生活を維持できないという問題は解消される。
2.その他
ローンの返済
貨幣の支払いはできないから、危機期間中のローンの返済はない。返済の支払いは中断され、危機期間後に延期される。
株価
貨幣の支払い・受け取りができないので、株を売買することができない。その結果、株価が変動することはなくなり、株価が下がるという問題は解消される。
3.財政負担
財政支出
政府の財政支出は大きく減少する可能性がある。
政府は、企業や労働者に救済資金の給付をする必要がない。企業や商店は操業・営業しないから経営が悪化するということはないし、したがって労働者は企業や商店で労働をしなくても解雇される心配はないからである。
政府は、医療従事者と農業生産者、配送者、情報管理者などに対して、彼らが期間中に提供したモノやサービスに対する対価の金額を期間終了後に支払えばよいだけである。政府が経営の悪化する企業や、収入が低下する労働者、失業者に資金の支援をする金額よりも、この対価の金額の方が少なくてすむだろう。しかも、この期間中はその対価を支払う必要はなく、期間終了後に支払えばよいのである。
政府のこの負担は、期間終了後、経済が回復した時点の税収で賄うという選択肢もある。
復活税
危機期間後、国民が収入を得るようになってから、政府は国民から復活税という税金(期間中の医療と農産物供給などに対応する税額のみ)を徴収するという選択肢がある。勿論、この税金は必ずしも徴収する必要はなく、政府が負担するという選択肢もある。
4.結論
貨幣
そもそも貨幣というのは、多種多様なモノやサービスを獲得するのに便利な存在である。
しかし、危機の期間は、多種多様なモノやサービスを獲得することはできない。
政府による医療サービスの提供と農産物の供給が中心の経済というのは、医療従事者と農業生産者から一方的にサービスとモノが移動することである。経営者・労働者・消費者などの各経済主体の間でモノやサービスの移動(交換)はないから、このような究極のシンプルな経済では(モノやサービスの移動の対価としての)貨幣は不要になる。
生き延びるために貨幣が必要なのではなく、むしろ逆に、生き延びるために貨幣を捨てなくてはならない(もちろん、実際に捨てることではない)。だから政府が行うべきことは、人々に貨幣を給付することではなく、貨幣の存在をなくすことなのである。
貨幣が必要であるという思い込みもまた捨てなくてはならない。
(ただし、この期間中にも経済主体間のサービスの移動がある。その主たるものは、居住サービスの提供である。居住サービス提供の対価としての家賃の支払いは必要である[前述のように、危機終了後、支払う])
複合危機の克服
医療、食・住が確保される条件下で、貨幣の使用中止により仕事を中止するため、外出の必要がなくなるので感染症対策になる。
また、貨幣の使用中止により、賃金や仕入れ費用の支払いが不要になりローンの返済がないので倒産が避けられる。企業は賃金を支払う必要がないため労働者を解雇しないので失業もない。倒産や失業がないので政府の救済金の給付による財政支出が不要になる。
こうして、最悪期において国民が最低限の窮乏を覚悟するなら、貨幣の使用中止により、感染症と経済危機の双方による複合危機を克服できるのではないだろうか。
[(注)早稲田大学講師の土屋彰久氏と私がほぼ同時期に、双方全く独立に類似した内容を考えていたようである。土屋氏の文章「今こそ「社会的冬眠」を…」
https://withnews.jp/article/f0200408000qq000000000000000G00110301qq000020859A参照。
これに対応する私の文章「新型コロナウイルスと究極的な経済対策―貨幣の廃止―」は、私のこのブログ「逍遥日記 山下景秋」(2020年4月12日)に掲載している(「貨幣の廃止」ではなく、「貨幣の使用中止」が正確な表現でした)。
「冬眠」というのは内容を適切に表現する言い方である。私が同様の内容を「貨幣の使用中止」から考え始めたこと、貨幣を中心に考えたところが、土屋氏と異なるところである。
なお、カンボジアのポルポト政権時代に、貨幣を禁止したことがある。貨幣の保有者は労働せずとも貸し出すことにより富を蓄積するので、不当な格差が生まれるとポルポトが考えたからだろう。彼の思想は、極端であまりにも偏ったものだったので、非常に多くの者が彼の政権によって殺されることになった。私自身、プノンペンで元学校だったトゥール・スレン虐殺犯罪博物館を見学したことがあるが、寒気を感じたことがある。私が本稿で主張する貨幣の中止の目的と意味は、もちろんポルポトの貨幣廃止の目的と意味とは全く異なるものである。
私は、今回のような大変な危機の時にはこの危機を克服するために、貨幣の使用を中断するという選択肢も検討する必要があるのではないかと主張するものである]
以上、私のこのブログ「逍遥日記 山下景秋」において、「新型コロナウイルスと経済対策」(1)から(3)によって、初期・中期の今回の複合危機における経済対策を述べてきました。
そしてこのブログによって、危機の最終段階での極端な経済対策を述べました。
この対策は極限での期間を定めた対策なのですが、期間が長くなれば、人々が窮乏生活に耐えられるかどうか(しかし、感染症の被害が深刻ならば耐えなくてはならない)、また財政支出もその分増える(それでも倒産・失業が増えることに任せる場合より少ない可能性がある)ことには注意しなくてはなりません。
内容に思い違いや誤りの部分があるかもしれません。もしあれば、ご指摘いただければ幸いです。
次に、「新型コロナウイルスとマスク問題」についての文章をこのブログに近く掲載する予定です。マスクだけでなく、消毒剤、トイレットペーパー、食品などが、買い急ぎ、買い占め、転売、売り惜しみによって、棚から消え、かつそれらの価格が高騰している問題について述べます。
和洋女子大学・山下景秋
現在世界は、新型コロナウイルスという感染症と経済危機の双方による複合危機に直面している。この未曽有の危機に対する究極的な対策というのはあるのだろうか。
1.究極の経済対策
提案
新型コロナウイルスが蔓延する現在、人々は外出せず家にこもることが感染症の最大の対策となる。そうなると仕事ができない。だから収入が入らない。その結果、生活が苦しくなるということで多くの人が悩んでいる。
しかし、一部の人達を除いて大部分の人達は仕事をする必要はないし、しなくてもよい。人々が、このような緊急時には、医療サービスを受けることができ食と住さえ確保して、生き延びることができればそれでいいと考えることができるならば、ほとんどの仕事は不要だからである。政府が、医療サービスと食を人々に提供すればよいだけである。
私がここで提案しようとすることは、危機が最悪のレベルに到達した場合、その危機の期間だけ、人々が最低限の生活に耐えるという条件で、貨幣の使用を禁じるというものである。
仕事中止の要求・命令
世界経済が大混乱に陥っている現在、世界各国の政府の対策は結局、人々が仕事を止めることを強いる政策であるといえる。
その経過を簡単にまとめると次のようになる。
政府は、仕事の中止を要求する(あるいは命ずる)。
仕事をしないということは、経営者なら労働サービスを買う(つまり労働者を雇う)ことを止め、材料や部品などのモノを仕入れることを止めるということである。生産・営業活動を止めるということだから、収入が入ってこない。したがって、労働者に賃金を支払うことや仕入れのための費用を支払うことができないし、家賃を支払うこともできない。その結果、企業や商店の経営が苦しくなってくる。なかには倒産する企業・商店も現れる。
労働者は賃金を減らされたり、雇用されなくなって失業する可能性もでてくる。
以上の結果、株が売られ、株価が大きく下がる。
こうなると、経営者も労働者も経済的に苦しくなる。モノやサービスの流れを止めるが、カネの流れは止まらないからである。こうして経済状態が悪化した企業や個人に対して、政府が救済資金を供給することが必要になってくる。しかし、国民の多くがその対象者になると、巨額の財政支出が求められるので、政府はその支給をためらう。
その結果、企業や個人は仕事を止められず、外出せざるをえないので、感染症の拡大を阻止することができない。
貨幣の使用停止の命令
政府がまず仕事の中止を国民に要求する(あるいは命ずる)のではなく、発想を変えて、政府がまず最初に貨幣の流れを止めることを国民に要求してみたらどうなるだろうか。ただし、貨幣の流れを止めるのは、危機の期間だけである。
貨幣の流れを止めるということは、誰も貨幣を支払わないし、貨幣を受け取ることもしないということである。
その手順は以下の通りである。
①、政府は国民に対して、診療・治療を無料で受けることができること、また農産物が無料で自宅に送られてくることを保証する。
これ以外に、最低限のサービスとして、政府は国民に対して、介護・育児サービス、電気・ガス・水道サービス、配送サービス、情報提供・管理サービスを無料で提供する。
これらの仕事に従事する人達の労働の対価としての報酬は、危機期間後に政府が彼らに支払う。
②、①を前提に、政府は国民に対して貨幣の支払いと受け取りを禁じることを告げる。
③、各個人は貨幣を獲得することはなくなるし、貨幣を支払うこともないから貨幣を獲得する必要もなくなる。
④、貨幣を支払い・受け取る必要がないということは、仕事をする必要がないということなので、人々は仕事を止める。
⑤、④により、経営者は雇用や仕入れの必要がなくなる。ただし、貨幣を支払わないから雇用を減らす必要はない(解雇の必要はない)。(危機期間終了後、経済が復活する時、雇用し続けていた労働者を再び使い、仕入れを再開することによって操業・営業を再開する)
⑥、④により労働者は労働サービスを提供する必要がなくなるので、危機期間中、自宅にいるしかない。
⑦、経営者や個人の家賃の支払いは、危機期間終了後、家主に支払う。(危機期間後に、政府がこの家賃を全額あるいは一部補助してもよい)
結局
最低限、医療が受けられ食と住が確保される、そしてその他の最低限のサービスも受けられるから、危機により国民が生活を維持できないという問題は解消される。
2.その他
ローンの返済
貨幣の支払いはできないから、危機期間中のローンの返済はない。返済の支払いは中断され、危機期間後に延期される。
株価
貨幣の支払い・受け取りができないので、株を売買することができない。その結果、株価が変動することはなくなり、株価が下がるという問題は解消される。
3.財政負担
財政支出
政府の財政支出は大きく減少する可能性がある。
政府は、企業や労働者に救済資金の給付をする必要がない。企業や商店は操業・営業しないから経営が悪化するということはないし、したがって労働者は企業や商店で労働をしなくても解雇される心配はないからである。
政府は、医療従事者と農業生産者、配送者、情報管理者などに対して、彼らが期間中に提供したモノやサービスに対する対価の金額を期間終了後に支払えばよいだけである。政府が経営の悪化する企業や、収入が低下する労働者、失業者に資金の支援をする金額よりも、この対価の金額の方が少なくてすむだろう。しかも、この期間中はその対価を支払う必要はなく、期間終了後に支払えばよいのである。
政府のこの負担は、期間終了後、経済が回復した時点の税収で賄うという選択肢もある。
復活税
危機期間後、国民が収入を得るようになってから、政府は国民から復活税という税金(期間中の医療と農産物供給などに対応する税額のみ)を徴収するという選択肢がある。勿論、この税金は必ずしも徴収する必要はなく、政府が負担するという選択肢もある。
4.結論
貨幣
そもそも貨幣というのは、多種多様なモノやサービスを獲得するのに便利な存在である。
しかし、危機の期間は、多種多様なモノやサービスを獲得することはできない。
政府による医療サービスの提供と農産物の供給が中心の経済というのは、医療従事者と農業生産者から一方的にサービスとモノが移動することである。経営者・労働者・消費者などの各経済主体の間でモノやサービスの移動(交換)はないから、このような究極のシンプルな経済では(モノやサービスの移動の対価としての)貨幣は不要になる。
生き延びるために貨幣が必要なのではなく、むしろ逆に、生き延びるために貨幣を捨てなくてはならない(もちろん、実際に捨てることではない)。だから政府が行うべきことは、人々に貨幣を給付することではなく、貨幣の存在をなくすことなのである。
貨幣が必要であるという思い込みもまた捨てなくてはならない。
(ただし、この期間中にも経済主体間のサービスの移動がある。その主たるものは、居住サービスの提供である。居住サービス提供の対価としての家賃の支払いは必要である[前述のように、危機終了後、支払う])
複合危機の克服
医療、食・住が確保される条件下で、貨幣の使用中止により仕事を中止するため、外出の必要がなくなるので感染症対策になる。
また、貨幣の使用中止により、賃金や仕入れ費用の支払いが不要になりローンの返済がないので倒産が避けられる。企業は賃金を支払う必要がないため労働者を解雇しないので失業もない。倒産や失業がないので政府の救済金の給付による財政支出が不要になる。
こうして、最悪期において国民が最低限の窮乏を覚悟するなら、貨幣の使用中止により、感染症と経済危機の双方による複合危機を克服できるのではないだろうか。
[(注)早稲田大学講師の土屋彰久氏と私がほぼ同時期に、双方全く独立に類似した内容を考えていたようである。土屋氏の文章「今こそ「社会的冬眠」を…」
https://withnews.jp/article/f0200408000qq000000000000000G00110301qq000020859A参照。
これに対応する私の文章「新型コロナウイルスと究極的な経済対策―貨幣の廃止―」は、私のこのブログ「逍遥日記 山下景秋」(2020年4月12日)に掲載している(「貨幣の廃止」ではなく、「貨幣の使用中止」が正確な表現でした)。
「冬眠」というのは内容を適切に表現する言い方である。私が同様の内容を「貨幣の使用中止」から考え始めたこと、貨幣を中心に考えたところが、土屋氏と異なるところである。
なお、カンボジアのポルポト政権時代に、貨幣を禁止したことがある。貨幣の保有者は労働せずとも貸し出すことにより富を蓄積するので、不当な格差が生まれるとポルポトが考えたからだろう。彼の思想は、極端であまりにも偏ったものだったので、非常に多くの者が彼の政権によって殺されることになった。私自身、プノンペンで元学校だったトゥール・スレン虐殺犯罪博物館を見学したことがあるが、寒気を感じたことがある。私が本稿で主張する貨幣の中止の目的と意味は、もちろんポルポトの貨幣廃止の目的と意味とは全く異なるものである。
私は、今回のような大変な危機の時にはこの危機を克服するために、貨幣の使用を中断するという選択肢も検討する必要があるのではないかと主張するものである]
以上、私のこのブログ「逍遥日記 山下景秋」において、「新型コロナウイルスと経済対策」(1)から(3)によって、初期・中期の今回の複合危機における経済対策を述べてきました。
そしてこのブログによって、危機の最終段階での極端な経済対策を述べました。
この対策は極限での期間を定めた対策なのですが、期間が長くなれば、人々が窮乏生活に耐えられるかどうか(しかし、感染症の被害が深刻ならば耐えなくてはならない)、また財政支出もその分増える(それでも倒産・失業が増えることに任せる場合より少ない可能性がある)ことには注意しなくてはなりません。
内容に思い違いや誤りの部分があるかもしれません。もしあれば、ご指摘いただければ幸いです。
次に、「新型コロナウイルスとマスク問題」についての文章をこのブログに近く掲載する予定です。マスクだけでなく、消毒剤、トイレットペーパー、食品などが、買い急ぎ、買い占め、転売、売り惜しみによって、棚から消え、かつそれらの価格が高騰している問題について述べます。