この寺は高野山で切腹させられた秀次と秀次一族が三条の鴨川の中州で処刑され39名の子女が穴を掘り埋められ塚とし上に秀次の首が入った石びつを置き三条大橋を通る人々に見せしめにしたこの地に角倉了以が高瀬川の開削の時荒廃したその塚を拝み秀次一族を弔うために墓地と一寺をこの地に建立したものです。
左上は山門
右上は本堂、本尊は阿弥陀如来
左下は秀次公の墓と36名の子女の墓石
下は秀次と一族を弔うために1740年に建立され「伏して祈る 願わくばこの塔の功徳を以ってこの世の中のすべての人々が苦しみから平等に救われますように!」と刻まれています。