3.11の東日本大震災…そして、その震災に伴って起きてしまった人災の福島第一原発事故。
今も尚、放射性物質による被爆に悩まされ続けながら日本は先行き不安な未来を歩き続けてます。
そして、ここに来て…
いや今だからこそ、震災や放射能汚染に対する考え方が確実に二極化してきました。
特に食品の放射性物質による内部被爆に関しては『危険派』と『安全派』に分かれ、これが大きな波紋を呼んでいます。
果たして、この身近な問題に正解はあるのでしょうか?
国の公な発言から各調査機関の調査結果、そしてマスコミからインターネットの情報と言ったすべての『放射性物質による汚染』の安全性には実は一種のカラクリが存在します。
まずは「危険派」と「安全派」と言う見地から一旦離れて、冷静に考えてみましょう。
現代の科学は技術革新がめまぐるしく進化を遂げてますが、実のところ『被曝と健康の関係』に関しては学問的に未だに判っていない事が大半と言う現実があります。
この裏付けとして、お偉い方々が日々、熱心に研究し続けているにも関わらず、『被曝と健康の関係』には『危険』という論文と『安全』という論文があるのです。
つまり、『危険』と『安全』が共存し続けていると言う事はどちらの論文も当てにならない指標となる訳です。
しかし、世論と言うものはどうしても基礎となる指標(ここでは論文を指します)で物事を考えてしまう傾向にあって、この二つに割れた論文を各々の利害に当てはめて利用してしまいます。
ちなみに『安全だ』というのを強調する人は「自然食品にもカリウムが1キロ100ベクレル含まれているものが多い」と言いますし、『危険だ』という人は「ICRPのレポートでも1日1ベクレルでも危険なほど蓄積する」と言います。
極論として真実は、「よくは判らないが、これまでの経験ではおおよそ食材では1キロ40ベクレル、水では1キロ10ベクレル、子供や身体の弱い人、持病を持ってる方は少し注意。」と言うところなのだと思います...
とにかく、それ以上には判ってないのが現代科学の実態なのです。
この様に是でも非でも無く、冷静に考えれば考える程、『世の中に出回っている情報は当てにならない』と言う事が理解出来るのでは無いでしょうか?
では、私たちは何を信じて、どうすれば良いのか?
その結論は皆さんが私生活で既に行っている決断にあります。
そう、私たちは個人の判断の基に自己責任で食生活を送っていました。
皆さん、振り返ってみて下さい。『放射性物質による汚染』のずっと以前より、食品の安全性には農薬や食品添加物と言った便利さ故に急速に問題化した案件があります。
こちらも『被曝と健康の関係』同様に『危険』と『安全』が共に存在し続けている矛盾の世界が未だに繰り広げられています。
そして、この問題に対して私たちは自己判断で『気にせず、食べる派』と『リスクを避けて食べない派』に二極化しているんです。
ちなみに国の重要な機関である厚生労働省の食品添加物への見解としては、かなり細かな設定が施されていますが、日々進歩する添加物に対してのコメントには
『食品添加物の基準への適合性を確認するため、あるいは一日摂取量調査を行うためには、食品中の食品添加物を高精度かつ効率よく分析するための方法が必要となり、これらについても開発、改良を進めています。今後とも、科学技術の進歩とともに分析法のさらなる開発、改良を進めることとしています。』
と言った内容の文章が盛り込まれていて、つまり極端に例えるなら『これまで判らなかった事だけど、技術の進歩で見つかった発ガン性物質だから、今まで食べて来た分に関しては勘弁してね?』って感じの”逃げ?”的なの文言をチラつかせています。
これを無責任と言うべきか否かの判断は皆さん、様々な考えをお持ちだと思いますが、私個人の意見としては『わからない物には手を出さないこと!!』と言うのがベストな選択だと思います。
これは『放射性物質による被爆』から『食品添加物や農薬問題』、『ワクチンや抗がん剤の隠れた真実』と幅広い分野に渡って言える事です。
もちろん、これらすべての問題に対する『危険派』と『安全派』の選択に正解は存在しません。
私たちは将来の自分のあるべき姿を予想し、自己判断で選んだ道を進むしかないのです。
そして、3.11の東日本大震災以降から1年が過ぎ、私たちの生活環は確実に二極化しました。
今後は被爆による被害が顕著に現れる2018年に注目が集中する事になります。
『危険派』と『安全派』の運命が決まるその日まで、私たちはお互いの信念を尊重し合い、後悔の無い人生を歩む事になるでしょう...
放射能の規制値の比率で、厳し目に見た日本の今後の人口推移試算です。
理想的な未来予想図は
『結局、何も起こらずに笑い話となった…』
という"オチ"なんでしょうが、現実は意外にシビアでもあります…