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3月14日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)
人間疎外は人間が生む
現代文明における、科学技術の発達によって人間が軽視され、忘れられているということが問題になっています。そういった人間疎外をなくすためには、常に人間の幸せということが前提にされなくてはなりません。「なぜこういう新しい機械を造るか」「それは人間の幸せのためである」ということがいつも考えられ、それに基づく配慮がなされるならば、どんな機械が生み出され使われても人間疎外は起こらないと思います。
現実に人間疎外のような観を呈しているのは、機械が人間を疎外しているのではなく、人間自身が人間を大事にせず、人間疎外を生んでいるものではないでしょうか。
【コラム】筆洗
2014年3月13日東京新聞TOKYOWeb
▼ケラ、オケラ。無一文の意味ではなく、コオロギに似た昆虫である。やなせたかしさん作詞の歌「手のひらを太陽に」(一九六一年)にも登場する。「みみずだって/おけらだって/あめんぼだって」
▼一九七一年、少年科学誌に「オケラはすごい」という特集記事が掲載されたのを覚えている。その昔は子どもに人気だった
▼オケラは足が速い。飛ぶ。泳ぐ。掘る。鳴く。「おケラの七芸」は「器用貧乏」と同じで良い意味ではないというが、万能選手のオケラはクワガタムシ、カブトムシと並んで愛されたものだ
▼オケラを見なくなった。水田の減少が原因という。物事を途中でやめるという意味の「おけらの水渡り」。『辞書から消えたことわざ』(時田昌瑞(まさみず)著)の中に見つけた。オケラが消えれば、それにちなむ言葉も消えていく
▼『螢三七子(ほたるみなこ)』という懐かしい漫画の題名を三日付夕刊の中で見た。地方都市。製紙工場の建設による環境破壊を描いた。主人公はホタルにこだわっている。「少年マガジン」の掲載は七二年の夏だった
▼読み返して悲しかったのは作品のせいではない。四十年余経過したが、環境よりも経済成長、カネという現実は変わらない。作品はハッピーエンドを思わせるものの、ホタル、オケラどころか、人間の生命よりもカネの時代に三七子の姿がどうしても思い描けない。その現実に途方に暮れる。
☆ 今朝の地震で被害が無いことを祈ります。今日も皆様にとって良い一日で有りますように ☆
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