Noriko

しあわせさがし、穏やかで心豊かなライフスタイルを求めて・・・ささやかなブログです。

被災地を訪れて I had a 3-day trip to where the places the big earthquake and tsunam damaged.i

2012-07-24 05:22:54 | エッセイ

I visited the northern main island where huge earthquakes and tsunami hit on March 11 last year.  My heart was broken to see all the temporary houses and the open area where all the houses were washed away.  It made me remember the time when I lived in Kobe for 16 years. I was in Kobe when the great Hanshin-Awaji Earthquake hit in 1995.  Then, I was teaching at Kobe University, Kobe Shoin Girls' University, Kohnan University etc.

Lots of my students passed away and and friends' houses were torn down and got fire because it was in the morning breakfast time.

I took a train that was rebuild lately at Miyako in Iwate Prefecture. There were a heao if rubble of the houses washed away.....I was all in tears to see them.

先日、2泊3日で、被災地の岩手の三陸宮古や宮城県に行って来ました。 多くの仮設住宅が立ち並んでいました。 津波で流された土地は、雑草がはえ、とても寂しかったです。震災復興列車に乗りました。 私は、阪神淡路大震災が1995年の3月に会った時、神戸に住んでいました。その頃は、神戸大学、神戸松蔭女子大学、甲南大学で教えていました。 

その前、1993年頃甲子園で優勝した、男子校の育英高等学校でも、英語を教えていました。育英高等学校の校舎は、避難所になり、教職員が一生懸命、避難者のお世話をしていました。その教職員の中にも、家が焼けおちたり、家族を亡くした方々が沢山いました。 私が教えていた大学の学生で、阪神沿線に住んでいた地方からの学生の中にも亡くなったり、家族を亡くした学生、両親をなくした子どもたちが長田区の小学校などに避難していました。幸い、私の住んでいた阪急沿線は山側だったので、水道や電気の復旧もはやく、被災したお友達に来て頂いて、お風呂など入ってもらいました。 地震が起きたのが早朝で、朝ごはんの支度時期だったので、中宅の板宿商店街や、靴の製造工場など、一気に火の気が広がり、火の海となりました。

当時、4歳と12歳の息子たちの寝ている所に行き、二人を両脇に川の字になり、「もうすぐ明るくなるまで、動かないでいるのよ。」と、いったい何が起こっているのか、テレビもラジオも報道がありませんでした。 携帯電話はまったく繋がらず、公衆電話なら何とか繋がると、公衆電話に長い列ができました。

家の中は、台所の食器やグラスは全て割れ、テレビやパソコンなども2m位吹っ飛んでいました。 地震が起きた時、私はベッドから転げ落ちました。部屋のドアが曲がって、夫が力尽くで開けました。

今回、三陸地域をバスで回り、被災地のところどころに、仮設の店舗があり、一生懸命商売を開催していました。 仙台の松島の辺りのお土産屋さんは、全て被災しましたが、立て直し営業を開始していました。笹かまぼこ、ずんだもち、牛タンなど売っていました。 中尊寺も行きました。 杉の木が倒れている所も沢山ありました。被災地 を歩いたり、地元のガイドさんの説明などを伺い、17年前の神戸の地震を思い出し、涙がでました。 でも、アジサイやつつじの花は綺麗に咲いていました。それが、私の心を癒してくれました。

写真を2度クリックすると拡大で観れます。 旅館、中尊寺、松島などで撮った写真です。 再建して、営業を再開した、旅館の方々は、笑顔で一生懸命、私たちを美味しいお食事などでもてなして下さいました。 バスガイドさんや、被災地で津波を録画したホテルの社長さんが、いらして、「これからも、頑張ります。又来て下さいね。」と笑顔でおっしゃっていました。 復興の為に、日本政府や地方の都道府県の、より一層の支援が必要とされていると、実感しました。

 



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