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「ハワイ最初の日本語新聞を発行した男」

2009-04-21 21:45:05 | ハワイに関すること
以前から気になっていた本です。やっと読むことができました。

作者は坪井みゑ子という女性の方で、ひょんなことからハワイに
渡った一日本人の足取りを追う事になり、ついにはハワイにまで
行き徹底的な調査をします。

本の書き出しはこう始まります。

「昔、ハワイに叔父さんがいた。
小野目文一朗(おのめぶんいちろう)さがしを始めたのは
ほんの気まぐれからだった。

彼がどんな人だったか何も知らなかった。

知っていたのは、母の叔父に小野目文一郎という人がいて、
彼がハワイに住んでいた、ということぐらいだ。

子供のころに聞いたその名前が妙に記憶に残っていた。
それが何十年も経ってから不意によみがえり、気になりだした
のだった」

彼女の「子供の頃」は、国民学校5年生の時で、日本が真珠湾
に奇襲をかけ戦争に突入したことをラジオで聞いた日のことで、
そのときに母親から「私の叔父さんで仙台の小野目文一郎とい
うひとが昔ハワイにいたのだけど、こんなことになってどうしてい
るのだろうかしら」と聞かされていたときのことだ。

その後はこの「叔父さん」のことはすっかり忘れていたが
戦後になり、自分の生活に余裕が出始めこの「叔父さん」が
そもそも何故ハワイなんかに行ったのか気になり始めて、
とうとう何の手がかりもない中で、「文一郎」さがしを始める
のです。1981年のことでした。

それからは親戚の叔母さんの話やら図書館通いで資料探し、
外務省に残されているデータの照会やらとありとあらゆる
手段を通じて「叔父さん」さがしをするのであります。
明治の移民に関することの歴史資料やら、知らないひとに
まで調査依頼の手紙を出すなどまさしく四方八方手を尽く
しての調査でした。

やがてこの小野目文一郎というひとはハワイで初めて
日本語の新聞を発行したひとということが判り、この新聞
が残されてはいないかと思うようになります。そして、ついに
1893年2月6日発行の第参拾五号の小野目文一郎の
週刊新聞「日本週報」を発見するに至るのでした。



移民監督官だった小野目文一郎。優秀な人物でした。

作者は最後に「おばさんのさがしもの」などと言っておられ
ますが、いやいや何十年もかけて調べ物をするというのは
容易なことではありません。執念といっても良いほどの力作
です。その結果として明治のハワイ移民に関わる知られざる
事柄が明らかになったのですから、当時の移民の生活が如何
なるものかを知る上でも本書はとても貴重なデータとなります。



1920年代の元小野目商店。何とハワイ島です。


発売元は朝日新聞社で2000年5月8日発行、定価1800円
です。明治時代のハワイへの日本人移民がどういうものであった
を知る上でも貴重な本だと思います。大変有益な読み物です。

移民たちの劣悪な環境や、崩壊寸前のハワイ王朝の時代背景。
コーヒー栽培、サトウキビ栽培と当地の艱難辛苦を極めた生活の
様子などもリアルで、生々しく伝わってきます。

この本にも明治時代のハワイ島のヒロやホノカアが登場します。
何度も訪れているハワイ島ですが、ちょっと訪れてみたいところ
がこの本によってまたまた増えてしまいました。

こうした日本人移民の大変なご苦労があったからこそ、現在の
ハワイが存在するのだと思います。日本からの観光客が安心して
行けるのも彼ら移民たちの努力のお陰で感謝しなくてはいけません。






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