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ビング・クロスビー

2009-04-18 12:01:17 | 音楽
ビング・クロスビーです。ダニー・ケイとかエド・サリバンとか
懐かしい名前のひとつ。

彼のハワイアンソングのアルバム。低い声に甘いルックス。
お気に入りのアロハシャツ。


「ブルー・ハワイ」といえば、エルビス・プレスリーなんです。
我々の世代は。だけど、アロハシャツの歴史を調べていったら
ちょくちょくビング・クロスビーが登場して来る。このひとは、
もちろんエルビスよりずっと前のひとだけど、全米の人気者で
エンターテイナーでした。どうもハワイの音楽をいち早くアメリカ
本土に紹介していたらしい。なかなか商売人でビング・クロスビ
ーの名前を入れたアロハシャツなんかも売っている。

映画にもたくさん出ているが、なかでもハワイを舞台にした
「ワイキキ結婚」が大ヒットした。1930年代後半の映画です。
ここまで古いと流石にリアルタイムでは見ていない。もし見て
いたら今や80才を越えたジイサンだよ。(この映画にはあの
「その男ゾルバ」のアンソニークインも出ている!)

プレスリーよりもずっと前にハワイアンソングを出していて、
「ブルーハワイ」を低い声で甘いムードの中で歌っています。

エルビスとはまた一味違う。こちらのほうが本家本元みたい。
エルビスの方も映画「ブルーハワイ」がヒットしたからね。
さらに歌も大ヒットしました。声もムードも時代も違うから
それはそれでまた良し、というところ。「ブルーハワイ」
ったら普通はプレスリーだよね。ビングクロスビーが最初に
歌ったなんて今や誰も知らないんじゃない。

ビングクロスビーがハワイアンソングを売り出した頃の時代
背景は、戦争も終わりこれから経済発展をしていく矢先だか
ら、上昇気流にのってドンドン景気が良くなり、庶民も余裕
が出て、ハワイという当時まだエキゾチックな雰囲気を持つ
離島に行って見ようか、というワクワクした気分の高揚する
下地があったと思う。ハワイへの定期便のマトソンラインが
就航するとリッチな連中で大繁盛したと言う。当初はまだ
ハワイは夢の島で、マトソンラインの船旅など高値の花だった。
そういう時にハワイの歌やアロハシャツをプロモートするのは
やはりビジネスのセンスがありましたね、ビングクロスビーは。

因みに彼のヒット曲と言えば一番有名なのは「ホワイトクリスマス」
です、何と言っても。全世界的大ヒットでした。リメークも作られて
もはや年末の定番ソングになっています。



時代的には戦争が終わる前から後のひとです。無論戦後も
ずっとトップレベルの歌手、映画俳優、エンターテイナーでした。

古き良き時代のスーパースターです。あの頃はフランクシナトラ、
レッドスケルトン、フレッドアステア、ボブホープなどなど今は
懐かしい面々がいっぱい。ついでにシナトラファミリーのディーン
マーティンも出しちゃお。

話はちょいとそれましたが、ともかくこのビングクロスビーは
一世を風靡した全米クラスのエンターテイナーでした。
超有名人でしたよ。え!知らないって? ウーム、若いひとは
知らんかもね。ロイジェームスとかジョージルイカーとかさ、
日本で有名だった人もいるんだけど・・あ、止めとこ。

ハワイのローカルシャツであったアロハシャツに自分の名前を
載せハワイアンソングのアルバムと一緒にしっかりとビジネスに
するところなどかなりの先見能力がありました。ビングクロスビー
とアロハシャツなんて結びつかないものね。そういう意味じゃ
ハワイの観光発展に一役買っているのだね。

日本じゃ初めに「ビング」と紹介されてしまったせいか、「ビング」
で通っていますが、本来は「ビン」と聞こえるんでしょうねえ。
まして後にCRで続く「クロスビー」がありますから、Gの音を
感じさせながらすぐにCRの音を出すのは煩わしく、なおさら
「ビン」ではないかと。カタカナならどちらでもよいことですけど。

卓球のことを「ピングポング」とは呼ばないものね。やはり「ピン
ポン」でしょ。 正解! ピンポーン!



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