中村吉右衛門扮する長谷川平蔵の「鬼平犯科帳」は人気のある
時代劇ドラマですね。先日もテレビで放映されていました。
播磨屋が颯爽としていて渋くて格好が良いです。播磨屋の人格
からか「鬼」の平蔵という感じはあまりしなくて、人間的な平蔵とし
て描かれている印象を受けますね。脇役陣も個性豊かな役者さん
達が多くドラマを盛り上げています。以前は亡くなった江戸屋猫八
師匠が出ていて飄々とした良い味を出していました。最近味のある
時代劇がないので貴重な番組になっている感じがします。
時代劇はアメリカの西部劇みたいなもので、日本人のアイデンティ
ティーですね。やはりつい見てしまいます。
去年でしたか、寝っころがって「鬼平犯科帳」を見ていたら、ドラマ
の中で、「下手人は深川の××町の裏長屋に住み。。。」と我が家
の現在の住所が出てきてちょっとビックリしたことがありました。
見出し写真は江戸時代の古地図で深川の拙宅の町名が出ているあ
たり。現代とはちょっと位置が違いますが結構古い時代からある町名
です。
長谷川平蔵は実在した人物で、その役職「火付盗賊改め」も実際に
あった職名です。かなり自由が利き、犯罪人に対し機動力を持って
対応できるような印象をテレビからは受けますが、本当のところは
どんな職だったのでしょうか。歴史的事実はどうなんでしょうね
その職は火付や盗賊の捜査でありその捜査にあたる捜査役人が平
蔵だったのは事実ですが、ただし、人を殺めた場合の捜査は町奉
行所が受け持ってますから、それから先の捜査は平蔵の手から離
れてしまい平蔵の仕事とはなりません。その仕事は、読んで字の
ごとく、火付盗賊の改め、つまり捜査なのです。ましてや平蔵が、
人を斬った犯人に向かい、磔や斬首などを直接申し渡すことなど
出来なかったのです。元々が加役ですからそんな大きな権限を貰
えることはありません。些細な犯罪ですら意見を付けて逐一上申
書を書いていたようですから、平蔵自ら罪状を決定できる立場に
ある、とはありえない話です。
一方で、平蔵は軽い犯罪を犯した者を許して世間に放ち、そこから
内密の情報を得ていたとも言われていますが定かではありません。
有り得ないことではないでしょうが、職分の内だとすればそれで
通ったのかも知れません。
通常、町奉行所の権限では磔・獄門などの死罪、あるいは遠島な
どの流罪は決定できず、老中にお伺いを立てなければなりません。
大岡越前や遠山の金さんも同様で、お白洲で下手人とやりとりを
してその場で、「市中引き回しの上、獄門!」なんていうのは有り
得ないのです。テレビの絵としては面白いし颯爽としていて格好良
いですけど。そうしょっちゅう大きな斬り会いや派手な捕り物はな
かったのです。
まあ、交番の警官が犯人を現行犯逮捕し、その場で、懲役何年!
って言うようなものですよ。ちょっと無茶な話です。
老中、主に評定所が犯人の吟味をして、過去の例など参考にし奥祐
筆が適当な量刑を決め判決となし、平蔵がその判決を執行する、とい
う手順になるのだそうで、そういう意味では現代の裁判制度よりもっと
手間がかかり厳密だったとも言えますね。そうなんですよ、その都度
平蔵は上申しなければならず、テレビのように格好良くは行かないん
です、それぞれ仕事範囲が細かく決まっていて簡単には職域を越えて
は動けないようになっていたようです。
話が逸れてしまいましたが、播磨屋は格好よいですね、適役です。
歌舞伎役者さんの中では一番好きですね。「押し」が利いていて、
見栄えも良いし最近は渋くなってきました。よ、播磨屋!
江戸の司法の事については、明治になった後に、江戸時代の証言と
して記録された「江戸幕府役人の証言・旧事諮問録」岩波文庫版に
問答形式で詳しく残されています。
大奥のことや、将軍、奉行所の話など実際の仕事に携わってきた人
たちの証言ですから大変興味深いものがあります。江戸時代の事を
記録し後世に残すために作成されたものでして歴史的事実を知るの
にはもってこいです。今までのイメージが崩れることもありますけど、
事実は事実として知っておかないと。
時代劇ドラマですね。先日もテレビで放映されていました。
播磨屋が颯爽としていて渋くて格好が良いです。播磨屋の人格
からか「鬼」の平蔵という感じはあまりしなくて、人間的な平蔵とし
て描かれている印象を受けますね。脇役陣も個性豊かな役者さん
達が多くドラマを盛り上げています。以前は亡くなった江戸屋猫八
師匠が出ていて飄々とした良い味を出していました。最近味のある
時代劇がないので貴重な番組になっている感じがします。
時代劇はアメリカの西部劇みたいなもので、日本人のアイデンティ
ティーですね。やはりつい見てしまいます。
去年でしたか、寝っころがって「鬼平犯科帳」を見ていたら、ドラマ
の中で、「下手人は深川の××町の裏長屋に住み。。。」と我が家
の現在の住所が出てきてちょっとビックリしたことがありました。
見出し写真は江戸時代の古地図で深川の拙宅の町名が出ているあ
たり。現代とはちょっと位置が違いますが結構古い時代からある町名
です。
長谷川平蔵は実在した人物で、その役職「火付盗賊改め」も実際に
あった職名です。かなり自由が利き、犯罪人に対し機動力を持って
対応できるような印象をテレビからは受けますが、本当のところは
どんな職だったのでしょうか。歴史的事実はどうなんでしょうね
その職は火付や盗賊の捜査でありその捜査にあたる捜査役人が平
蔵だったのは事実ですが、ただし、人を殺めた場合の捜査は町奉
行所が受け持ってますから、それから先の捜査は平蔵の手から離
れてしまい平蔵の仕事とはなりません。その仕事は、読んで字の
ごとく、火付盗賊の改め、つまり捜査なのです。ましてや平蔵が、
人を斬った犯人に向かい、磔や斬首などを直接申し渡すことなど
出来なかったのです。元々が加役ですからそんな大きな権限を貰
えることはありません。些細な犯罪ですら意見を付けて逐一上申
書を書いていたようですから、平蔵自ら罪状を決定できる立場に
ある、とはありえない話です。
一方で、平蔵は軽い犯罪を犯した者を許して世間に放ち、そこから
内密の情報を得ていたとも言われていますが定かではありません。
有り得ないことではないでしょうが、職分の内だとすればそれで
通ったのかも知れません。
通常、町奉行所の権限では磔・獄門などの死罪、あるいは遠島な
どの流罪は決定できず、老中にお伺いを立てなければなりません。
大岡越前や遠山の金さんも同様で、お白洲で下手人とやりとりを
してその場で、「市中引き回しの上、獄門!」なんていうのは有り
得ないのです。テレビの絵としては面白いし颯爽としていて格好良
いですけど。そうしょっちゅう大きな斬り会いや派手な捕り物はな
かったのです。
まあ、交番の警官が犯人を現行犯逮捕し、その場で、懲役何年!
って言うようなものですよ。ちょっと無茶な話です。
老中、主に評定所が犯人の吟味をして、過去の例など参考にし奥祐
筆が適当な量刑を決め判決となし、平蔵がその判決を執行する、とい
う手順になるのだそうで、そういう意味では現代の裁判制度よりもっと
手間がかかり厳密だったとも言えますね。そうなんですよ、その都度
平蔵は上申しなければならず、テレビのように格好良くは行かないん
です、それぞれ仕事範囲が細かく決まっていて簡単には職域を越えて
は動けないようになっていたようです。
話が逸れてしまいましたが、播磨屋は格好よいですね、適役です。
歌舞伎役者さんの中では一番好きですね。「押し」が利いていて、
見栄えも良いし最近は渋くなってきました。よ、播磨屋!
江戸の司法の事については、明治になった後に、江戸時代の証言と
して記録された「江戸幕府役人の証言・旧事諮問録」岩波文庫版に
問答形式で詳しく残されています。
大奥のことや、将軍、奉行所の話など実際の仕事に携わってきた人
たちの証言ですから大変興味深いものがあります。江戸時代の事を
記録し後世に残すために作成されたものでして歴史的事実を知るの
にはもってこいです。今までのイメージが崩れることもありますけど、
事実は事実として知っておかないと。
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