懐かしい面々
いやいや本当に懐かしい。三遊亭園生、桂文樂、春風亭柳朝、
それに桂文治。そうそうたる噺家の面々。
シネマ歌舞伎を見に東劇に行ったら、ついこのポスターに見入って
しまった。ラジオから声が流れてテレビジョンに落語が進出する
時代だったな。まさしく昭和の噺家たちです。あの頃、NHKでは
テレビジョンって呼んでいたんだっけ。あれ? 今でもそうかな。
文樂は国立の小劇場で高座に出たのはいいが、どうしたわけか頭が
白に帰って言葉が口から出て来なくなっちゃった。それでそのまま
「勉強しなおして参ります」とか何とか言って、高座を降りてしまい
結局そのまま二度と高座にあがらずその年の終わりころに亡くなった。
このエピソードは有名だけど、三遊亭薗歌が「中沢家の人々」(この
噺は長くてちゃんとやると一時間以上かかる)のマクラで、「あの
ときはアタシも国立に出ていたんですよ、びっくりしたの何の」なんて
言っていたのを思い出す。実際に国立に出ていたかどうかはチェック
したわけではないけど、噺家の言うことだからそのまま信じましょう。
出家したひとの言うことだから本当だと。
噺家から言葉がスラスラ出ないようだとね、こりゃ深刻でさあね。
高座から降りたくなる気持ちもわかるってもんだよ。
余談が先走ってしまったが、文樂の「明烏」。こいつを聞きたいね、
というか、見てみたいですね。 「明烏」と言えば、まず新内の「明烏
夢泡雪」が頭に浮かぶしね。こいつは江戸時代に実際にあった出来事を
新内節にしたもんでさ、清元でも常磐津でもやる。それがそのまま落語に
なったとされている。黒門町文樂得意の演目。この噺の若旦那になり
たいもんだね。堅物で真面目な若旦那が初めて吉原に行って花魁に
骨抜きにされちゃったりするの。
花魁といえばやはりこのひとの十八番「よかちょろ」も聞きたいな。
同じ若旦那でも「45円でよかちょろ、よかちょろ」なんてね。
三遊亭園正の「首提灯」は最も代表的な演目。このひとは幅の広い
噺家さんでしたね。持ちネタがいっぱいあって長い噺が良かったな。
子供の頃からの根っからの芸人さんだった。
他の2人も味のある噺家だ。春風亭柳朝なんてずいぶんしばらくぶり。
いい味の噺家でね。どことなく江戸情緒のあるひとだったなあ。
たしか新橋あたりの生まれではなかったか。粋な雰囲気のあるひとでね。
江戸噺なんかさせるといいムードで、いかにも、て感じだった。
ずいぶんと遊ばないとあの雰囲気は出ないと思うよ。
このひとと古今亭志ん朝はどこか共通した東京の粋みたいものがある。
志ん朝というと錦松梅と鰻かな。錦松梅のCMしてたからね、鰻は
好物だった。意外と知られてないのがガンマニアだった。朝太時代
にアメ横で見かけたことがあったよ。
桂文治もね、桂伸治という名前のほうが長かったかな。いかにも大工の
棟梁ってな感じのひとで、このひとも東京の生まれだから噺しかたが
東京の下町風でね、あのギョロっとした目で「掛取り」なんか演らせる
と実にいい味出してたもの。一時テレビのコマーシャルで有名になりまし
たね。何故かトロンボーンを持った司会の柳昇と一緒に「お笑いタッグ
マッチ」というテレビ番組に出てました。居るだけでなんとも可笑しな
ひとでした。
人形町にもまだ都電が走っていてね、寄席の末広があった頃の話です。
東京シティーターミナルのところはまだ川があったんだ。
近いから今でもあの辺は歩くけど、東都のれん会の会員でもある刃物の
「うぶけや」さんが健在なのは嬉しい。たしか昔に立川談志がここで
ペーパーナイフか爪やすりか買い物をしている。
ホントはいけないのだけど、仕事の合間に大急ぎで、思い出すまま書いた
から記憶に間違いがあるかも知れない。その辺はご勘弁を。
このシネマ落語上演はまだ先なんだよ。4月だから。今のうちに
前売り券買っとこ。
よ! 待ってました。黒門町! 明烏!
いやいや本当に懐かしい。三遊亭園生、桂文樂、春風亭柳朝、
それに桂文治。そうそうたる噺家の面々。
シネマ歌舞伎を見に東劇に行ったら、ついこのポスターに見入って
しまった。ラジオから声が流れてテレビジョンに落語が進出する
時代だったな。まさしく昭和の噺家たちです。あの頃、NHKでは
テレビジョンって呼んでいたんだっけ。あれ? 今でもそうかな。
文樂は国立の小劇場で高座に出たのはいいが、どうしたわけか頭が
白に帰って言葉が口から出て来なくなっちゃった。それでそのまま
「勉強しなおして参ります」とか何とか言って、高座を降りてしまい
結局そのまま二度と高座にあがらずその年の終わりころに亡くなった。
このエピソードは有名だけど、三遊亭薗歌が「中沢家の人々」(この
噺は長くてちゃんとやると一時間以上かかる)のマクラで、「あの
ときはアタシも国立に出ていたんですよ、びっくりしたの何の」なんて
言っていたのを思い出す。実際に国立に出ていたかどうかはチェック
したわけではないけど、噺家の言うことだからそのまま信じましょう。
出家したひとの言うことだから本当だと。
噺家から言葉がスラスラ出ないようだとね、こりゃ深刻でさあね。
高座から降りたくなる気持ちもわかるってもんだよ。
余談が先走ってしまったが、文樂の「明烏」。こいつを聞きたいね、
というか、見てみたいですね。 「明烏」と言えば、まず新内の「明烏
夢泡雪」が頭に浮かぶしね。こいつは江戸時代に実際にあった出来事を
新内節にしたもんでさ、清元でも常磐津でもやる。それがそのまま落語に
なったとされている。黒門町文樂得意の演目。この噺の若旦那になり
たいもんだね。堅物で真面目な若旦那が初めて吉原に行って花魁に
骨抜きにされちゃったりするの。
花魁といえばやはりこのひとの十八番「よかちょろ」も聞きたいな。
同じ若旦那でも「45円でよかちょろ、よかちょろ」なんてね。
三遊亭園正の「首提灯」は最も代表的な演目。このひとは幅の広い
噺家さんでしたね。持ちネタがいっぱいあって長い噺が良かったな。
子供の頃からの根っからの芸人さんだった。
他の2人も味のある噺家だ。春風亭柳朝なんてずいぶんしばらくぶり。
いい味の噺家でね。どことなく江戸情緒のあるひとだったなあ。
たしか新橋あたりの生まれではなかったか。粋な雰囲気のあるひとでね。
江戸噺なんかさせるといいムードで、いかにも、て感じだった。
ずいぶんと遊ばないとあの雰囲気は出ないと思うよ。
このひとと古今亭志ん朝はどこか共通した東京の粋みたいものがある。
志ん朝というと錦松梅と鰻かな。錦松梅のCMしてたからね、鰻は
好物だった。意外と知られてないのがガンマニアだった。朝太時代
にアメ横で見かけたことがあったよ。
桂文治もね、桂伸治という名前のほうが長かったかな。いかにも大工の
棟梁ってな感じのひとで、このひとも東京の生まれだから噺しかたが
東京の下町風でね、あのギョロっとした目で「掛取り」なんか演らせる
と実にいい味出してたもの。一時テレビのコマーシャルで有名になりまし
たね。何故かトロンボーンを持った司会の柳昇と一緒に「お笑いタッグ
マッチ」というテレビ番組に出てました。居るだけでなんとも可笑しな
ひとでした。
人形町にもまだ都電が走っていてね、寄席の末広があった頃の話です。
東京シティーターミナルのところはまだ川があったんだ。
近いから今でもあの辺は歩くけど、東都のれん会の会員でもある刃物の
「うぶけや」さんが健在なのは嬉しい。たしか昔に立川談志がここで
ペーパーナイフか爪やすりか買い物をしている。
ホントはいけないのだけど、仕事の合間に大急ぎで、思い出すまま書いた
から記憶に間違いがあるかも知れない。その辺はご勘弁を。
このシネマ落語上演はまだ先なんだよ。4月だから。今のうちに
前売り券買っとこ。
よ! 待ってました。黒門町! 明烏!
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