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ラテントピック一語一絵 その15

2021-03-14 08:55:22 | ラテントピック・一語一絵
Carmen Amaya

カルメン・アマーヤ

スペイン人。フラメンコ界の伝説。
アマーヤと表記されることが多いが個人的にはアマージャの
発音が耳に馴染む。

1913年生まれ。ロマ。親がフラメンコのギター演奏をしてい
たから子供の頃から踊りに親しむ環境にあった。歌手でもある。
父親はチノという通り名で呼ばれていた。

詳しいことは省くが、カルメン・アマーヤの踊りはスペイン
やパリ、ヨーロッパで好評だった。スペイン内乱のため初め
はポルトガルへ行き後にアメリカに移り好評を得ている。
ハリウッドでは映画にも出演。ホワイトハウスでも踊りルー
ズベルト大統領にも会っている。約11年アメリカに滞在した。

ギターのアグスティン・サビーカスと共に中南米を訪問して
1947年頃にはスペインに戻っている。凱旋帰国のようなものだ。

サビーカスも定評のあるギタリストであの時代ならカルロス
・モントーヤと共にフラメンコギターで名前が上がるひとりだ。
カルロス・モントーヤはラモン・モントーヤの甥にあたる。
サビーカスはスペインからメキシコに移りアメリカに長く
住んだ。子供が三人くらいいた筈だ。確か亡くなったのは
ニュー・ヨークだと思う。超絶技巧のギターだった。

サビーカスもロマ系の血を引いているしカルメン・アマーヤと
は年も近いからウマがあったのだろう。愛人関係にあったとも
言われている。ほとんどを海外で過ごした。二回来日している。
1957年頃のカルメン・アマーヤと録音したレコードがあるが
たしなCD化されているはず。

カルメン・アマーヤはかなりの本数の映画にも出演しているが、
1967年頃だったか東京か横浜で「バルセロナ物語」を見たよ。
衝撃だったね。もの凄い速さのしかも狂気じみたサパテアードに
圧倒された。

ストーリーは仲の悪い二つの家族の娘と息子が恋仲になるが認め
られずに殺されてしまうと言う悲劇、言わばロマ、つまりジプシー
版のロメオとジュリエットだ。ジプシーは明らかに一般社会からは
違いかけ離れた位置にいる。スペイン人は、彼らはヒターノスだから、
と言う。その発言の裏には良くも悪くも人種の違いの意識がある。
今はそうでもないだろうが当時はジプシーを下に見る風潮が強かった。
着古した粗末な服を着て金をせびるヒターノの子供たちをマドリッドで
見たことがある。顔立ちはやはり普通のスペイン人とは違いあきらかに
ヒターノのそれだった。モロッコなら物乞いは珍しくなかったが、彼ら
の歴史を考えると複雑な感情になった。と思いながらもスペイン人の
知り合いの奥方はヒターナで割と裕福な暮らし振りをしていたことを
思い出した。 
南部に行けはアラブの血が濃くなりモロッコ人も多い。良く言えば
民族の融合だが言葉で表すのが難しい。

カルメン・アマーヤはこの映画のクランクアップ後の1963年11月に
50才の若さで死んでしまう。体調のすぐれないまま撮影に臨みかなり
無理をしていたと言われている。早死にだった。

この映画には若き日のアントニオ・ガデスも出演している。まだ20代
後半だった。アントニオ・ガデスはフラメンコ界では知らない人はい
ない。大御所だった。自分自身の舞踊団でも活躍し一度引退したが、
後年設立されたスペイン国立舞踊団を率いることになるとは想像しても
いなかっただろう。カルメン・アマーヤとは親と子ほど年が違ったが
日本のフラメンコファンの間では知る人ぞ知る存在だった。

ガデスにはスペインの歌手で女優のマリソルとの間に三人の娘がいる。
4年間の結婚生活の後に離婚しているがそれ以前からのマリソルとの
関係は公然の秘密だった。

マリソルねえ。そんなに美人でもない。何でかな、という気もするね。
メディアなどには良く登場してた。「マリソルの初恋」とか言う映画を
見た記憶があるが内容は忘れてしまった。
当時なら、個人的にはマリトリニかな。美人だし歌が上手かった。
まあね、人間は顔じゃないしさ、色々と事情があるのだろうね。

フラメンコもタンゴと同じで狂信的なファンが多い。今はフラメンコを
専門に教えるスタジオも多いが昔は少なかった。ましてやワインを飲み
ながらフラメンコを見られるところは僅かで新宿のエルフラメンコは早
くからの開業で良く見に行ったものだが残念ながら辞めてしまった。

今や日本人のフラメンコダンサーがスペインのコンクールで優勝する
時代だし、カンテホンドが上手い日本人だって珍しくない。勿論フラ
メンコギターの演奏だって日本人は繊細で妥協しない。スペインへ
ギター留学に行くひとも多くなった。

半世紀近く前にマドリッドのコラル・デ・ラ・モレリーアで、確か
エンリケ・エル・コッホだったか、フラメンコを見た。あの頃には
今日の日本のフラメンコの人気の高さは想像すら出来ないことだった。
隔世の感があるねえ。あの時代はペセータ、今はユーロ。

ところで、河上鈴子さんの名前を知っている人はいるだろうか? 
日本のフラメンコの先駆者だ。スペインの次にフラメンコの人気が
あるのは日本だそうだが、もしも河上鈴子さんがいなければ現在の
このフラメンコ人気は無かっただろうね。

不思議なことにアントニオ・ガデスの墓はキューバにあるのですよ。
何故かはネットで調べられるので興味あるかたはどうぞ。

コロンビアの歌姫、Maria Cristina Plataがキューバ訪問時に
ハバナ市内のカテドラル広場で歌っているのがYoutubeで
見られる。歌の最後の方に、柱に寄り掛かったアントニオ・ガデス
の胸像が背景に映り込んでいる。拙ブログのMaria Cristina
PlataでもYoutubeは見られます。



カルメン・アマーヤの顔はなかなか綺麗な写真が少ない。描きにくい
のばかり。一番シンプルなのにしたが正面からの写真で平坦の多いの
は描きにくいのだ。美人に写っているのを探してみよう。
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