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アロハ航空の古き良き時代

2008-04-27 18:23:04 | ハワイに関すること
ーTHE HONOLULU ADVERTISER
アロハ航空10周年の記念ポスター



先月長くハワイで親しまれていたアロハ航空が倒産してしまい
ました。新規参入してきた航空会社Go!との格安運賃戦争や
高騰する燃料費やら倒産の原因はいろいろ言われております。

アロハ航空は創立以来半世紀以上もの長い間ハワイ諸島のひ
とたちの空の足として親しまれてきました。

その歴史のひとこまとして、アロハ航空を利用した有名人の写
真がフォトヒストリーとしてホノルルの新聞に紹介されていまし
た。

ケネディ大統領です。NOW THE TRUMPET SUMMONS US AGAIN
で始まる演説は力強かったですね。キューバ危機を思い出しま
す。ソ連と戦争か? というくらいでしたから。


-THE HONOLULU ADVERTISER

さて、どこかで見たような? すぐにフランク・シナトラと解るひとは
もう結構ご年配では?


-THE HONOLULU ADVERTISER

若いですねえ。

じゃあ、これはどうでしょう?


-THE HONOLULU ADVERTISER

矢島正明が大きな声で「ハワイ、5-0(ファイブ、オー)!」と番組
の頭に紹介する、ハワイの特捜班が活躍するテレビ番組に出て
いたステーブ・マクギャレット(ジャック・ロード)です。
懐かしいですね。

同じようなハワイものでは、ロバート・コンラッドやコニー・スティー
ブンス、トロイ・ドナヒュー等が出演していた「ハワイアン・アイ」の
ほうが印象が強かった気がします。いかにもハワイって感じでした。
こっちのほうが華がありましたねえ。人気者が多くて。

何もアロハ航空に限った話じゃありませんが、いまじゃもう、本当に
古き良き時代の話になっちゃいました。

当時のアメリカテレビ映画は白黒だものね。当初は30分のシリーズ
もの、後になって1時間になりました。最初は西部劇が多かったです。
「シャイアン」「ライフルマン」「拳銃無宿」「バットマスターソン」
「名犬リンチンチン」「アニーよ、銃を取れ」「コルト45」などなど。

時間が経つにつれ、現代モノが増え先ほどの「ハワイアン・アイ」の
ような探偵モノも放送されました。「パパ大好き」とか「家のママは
世界一」「ルーシーショウ」などは現代もののホームドラマですね。

ハリウッド・ブールバードの探偵事務所、「サンセット77」を覚えて
おられるかたも多いでしょう。後にテレビ映画シリーズになった
「FBI」に主演した、エフレム・ジンバリスト・Jr.やDINO’Sの駐
車場係のクーキーことエドワード・バーンズ(こいつがまたカッコ
良くてね、いつも櫛で髪をなでていて)。美人秘書や(名前はたしか
スザンヌ?)、もうひとり相棒の探偵ロジャー・スミスもおりました。
たしかこのひとはアン・マーガレットと結婚したのじゃなかったかな。
情報屋で競馬好きのロスコーとか個性ある面々でした。ジャズが
バックに流れていてアメリカを感じさせる番組でしたねえ。

「サーフサイド6」「ハワイアンアイ」と並びワーナーブラザースの
探偵モノでは人気のある番組でした。

スポンサーは当時の「洋酒の寿屋」です、まだサントリーになる
前のことです。あの頃はタクシーが60円でルノーの頃でしたか。

いやいや懐かしい、洋酒の寿屋。トリスですよ。アンクルトリス!

余談になりすぎてハワイから外れちゃった! OH, DIGRESSING !

じゃあ、このへんで「トリスを飲んでハワイへ行こう!」




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4 コメント

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恐れ入ります。 (光ちゃん)
2008-04-27 21:00:31
エフレム・ジンバリスト・Jrだとか、サミー・デイビス・Jrとかは、Jrが有名ですが、当然親も有名だったんでしょうかねえ、古すぎてわかりませんが。
クーキーなんて今思えば、顔は忘れてしまいましたが髪をなでつける格好だけは真似をしたので覚えています。
地方に住んでいた者には、都会のTV番組が全部観られたわけではありませんが、それでも当時はあまり変わりなく見ています。
ほとんどドラマは海外物の吹き替えで、母のおばさんという人は真面目に「外人は日本語が上手い」といっていましたから、みんなが楽しんだのでしょう。
大都市でTVのチャンネルが多くなったのがいつなのか、よく知りませんがこの当時の番組は変わらなかったのだと思います。
返信する
たまたま記憶しているだけで・・ (nnakazawa)
2008-04-27 22:06:41
当時は確かにアメリカもののテレビ映画が
多かったですね。製作するより買い上げた
ほうが安く上がったのかも知れません。

まだ生放送の頃ですから、NHKの「事件
記者」とか生放送だったと思います。

民放もほとんどが生でした。まだ東京12
チャンネルもなく、今のテレビ朝日、
東京では10チャンネルですが、これも
教育放送が基本ということでやっと許可が下りた
放送局だった記憶があります。

NHKと日本テレビが同時で力道山のプロ
レス中継をしたなんてウソみたいですね。
街頭テレビの頃ですけど。

私見ですが、およそJr.が付くひとの
お父さんのほうも有名だった、というのは
あまり聞かないですね。誰かのJr.と言う
のは「二世」ということで判りますけど、
じゃあ親も有名か、というとそうでもない
気もしますが、どうでしょうね?
名前が違うケースのほうが多い気もします。
親の名前が有名すぎてJr.を名乗るのに
気が引けるのでしょうか。カーク・ダグラス・
Jr.じゃ抵抗があったのかも知れません。

「外人は日本語が上手い」は可笑しいです
ねえ。でも昔なら考えられますよ、人間が
正直な時代ですもの。素直な良い時代だった
のですね。
返信する
名前って不思議ですよね。 (光ちゃん)
2008-04-28 08:19:12
“NHKと日本テレビが同時で力道山のプロレス中継をしたなんてウソみたいですね。”って、本当の話なのですか?
私は小さい頃でして、TVのチャンネル権?は、親父のものですから、何チャンネルで映っていたのか記憶はありません。
三菱のスリーダイヤのロゴだけが印象に残っています。

“Jr.”に関してご意見は正しいと思います。
自分の名前にはそれほどこだわりがありませんが、やはり親父の名前のあとに“Jr.”を、つけるのだけは私は遠慮したいな。

話は変わりますが、田舎では戸籍名と通称名があったことをこの度知りました。
親の後処理のために、戸籍を古いところまでたどる必要があり、戸籍法改正以前の書類を役所で探しました。昔の戸主であった父の兄の名前で書類を申請しましたが、これは長年使われていた通称名で、正式な戸籍名は違っていました。
それを生きている親戚連中の誰もが知らなくて、この名を見つけるのにまた時間を要し困窮しました。
何のためにこの様な必要があったのか、江戸時代さながらのなぞです。
返信する
Sr.の場合はどうでしょう? (nnakazawa)
2008-04-28 17:07:14
昭和29年2月19~21日の3日間、両国の
蔵前国技館でシャープ兄弟と対戦した際、初日だけ
NHK,3日間通しで日本TVが中継しております。
圧倒的多数のひとが街頭テレビで見たはずです。
力道山が日本のプロレスをビジネスとして確立
させた日でもあります。

Sr.の場合はどうなんでしょう、逆に。
単に父親的存在を強調しているように聞こえますね。

戸籍は旧戸籍ですと、戸、すなわち家をひとつの
戸籍にしていましたので、その中に苗字の違う
オバサン、オジサンが同居していても、同じ戸籍で
扱われたというのは聞いたことがありますが、
通称名というのは初めてです。

またひとつ勉強になりました。
返信する

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