ここのところ、日本橋を中心にしたようなことばかり書いて
いるので、家のどこかに長谷川時雨の「旧聞日本橋」の文
庫版がしまってある筈だと、気にはかけていたのだけれど、
探し始めたら押入れを始め、あっちこっちひっくり返す羽目
になるので、そのままにしておいた。
きちんと整理をして、何処に何があるか判るようにしておけ
ば良いのだけど、しまったきり忘れて、後でどこやったっけ、
となる。記憶のあるうちはこれでも良いが、これから先は記
憶力など落ちる一方だから、何か対策をたてておかなけれ
ば、と反省することしきり。
紛失してはいけない、としっかりとしまうのだけど、今度は
安心してしまった場所を忘れてしまう。本など一ヶ所にして
おけば良いのだが、何せそこは狭い拙宅のことつい何処か
に置きっ放しにしてしまい忘れてしまう。狭いんだから忘れ
るわけがない、と思ってもやはり忘れてしまう。
まあ良いさ、人間は憶えていることより忘れることの方が多
いのだ、ということにしておこう。
「旧聞日本橋」は明治12年に日本橋は通油町に生まれた作
者の長谷川時雨が幼少時代の事を思い起こして書いたもので、
江戸時代の雰囲気、名残り、風俗が口語体でそのまま語られ
ている本です。彼女の父親は後には弁護士のようなことを仕
事にしていたが、明治になる前はお玉ヶ池の千葉道場へ通う
侍だった。こういう江戸時代の世界がまだまだ残る日本橋地
区で、一市井人として一般の人々の生活を女ながらの観察眼
で綴った、明治から大正にかけての普段の生活を色彩色溢れ
て描き出した、江戸情緒あふれる回想録です。
実はひょんなことからこの岩波文庫版の「旧聞日本橋」を手に
入れました。家の中をひっくり返すのも嫌だから、神田の古本
屋に行けばまだまだ店頭にあるだろうと思いながらも、億劫か
ら出かけないままにしておいた。
実のところ、行けば行ったで、散々歩き回り余計なものまで購
入して来るのが関の山で、それじゃなくてもあの本屋にあるあ
の古書がいまだに欲しいだの、この本屋にはこの全集が揃って
いるだの、垂涎モノがいっぱいある。うっかり行けば散財して
しまうのが目に見えている。それで行かないままにしておいた
のだ。
それで、先日赤坂見附に用事がありその帰りに新橋へ出た。
新橋の和菓子屋「小萩堂」で切り山椒を買うつもりでいたのだ。
しかし、なんと、あろうことか目指す店が無い。どうやらたたん
で閉めてしまったらしい。また「お気に入り」が消えてしまった。
何と、がっかり。
ところが運のよいこともある。駅前の広場で古本市が開かれて
いたのである。ここは定期的に古本市が開かれるのだがその日
がまさしくそうで偶然にも開催日に新橋へ出てきたというわけ
だ。そこで早速めぼしい本を探すことにした。
通常の本屋さんと違い、乱雑に置いてあるからその中から興味
あるモノを探す。時間がかかるが楽しみといえば楽しみでもある。
骨董市や蚤の市と同じで何か掘り出しモノは無いか、と探すとき
の気分が良い。一般的には大した価値が無くても、そのひとにと
っては金に代えがたいもの、ってのを見つけたときが一番嬉しい
んだな、こういう出物ってのは。
何軒か回ったら岩波文庫版の「旧聞日本橋」があった。
裏表紙をひっくり返すと「1983年8月16日 第一刷発行 定価
550円」とある。パラパラ、とページを捲り、破れや書き込みなど
無いか軽く調べると、折癖もないし、ただ古めいているだけで傷
などない。上等である。これで充分。売値は350円だと言う。
神田へ行く電車賃より安い。市場に出て来ない貴重な本、という
ほどのものでもないし、再刷もあるかも知れない。入手は楽な本
だと思うけど結構得をした気分になった。第一、あの気の重くなる
ような家捜しをこれでしないで済む、と思うとどんなにかホッとする
ことか。
ついでに、ひとに貸したまま返って来ない本も売りに出ていたから
これまた即座に購入した。
和菓子が買えなかったのは残念だが何だか得をした一日だった。
いるので、家のどこかに長谷川時雨の「旧聞日本橋」の文
庫版がしまってある筈だと、気にはかけていたのだけれど、
探し始めたら押入れを始め、あっちこっちひっくり返す羽目
になるので、そのままにしておいた。
きちんと整理をして、何処に何があるか判るようにしておけ
ば良いのだけど、しまったきり忘れて、後でどこやったっけ、
となる。記憶のあるうちはこれでも良いが、これから先は記
憶力など落ちる一方だから、何か対策をたてておかなけれ
ば、と反省することしきり。
紛失してはいけない、としっかりとしまうのだけど、今度は
安心してしまった場所を忘れてしまう。本など一ヶ所にして
おけば良いのだが、何せそこは狭い拙宅のことつい何処か
に置きっ放しにしてしまい忘れてしまう。狭いんだから忘れ
るわけがない、と思ってもやはり忘れてしまう。
まあ良いさ、人間は憶えていることより忘れることの方が多
いのだ、ということにしておこう。
「旧聞日本橋」は明治12年に日本橋は通油町に生まれた作
者の長谷川時雨が幼少時代の事を思い起こして書いたもので、
江戸時代の雰囲気、名残り、風俗が口語体でそのまま語られ
ている本です。彼女の父親は後には弁護士のようなことを仕
事にしていたが、明治になる前はお玉ヶ池の千葉道場へ通う
侍だった。こういう江戸時代の世界がまだまだ残る日本橋地
区で、一市井人として一般の人々の生活を女ながらの観察眼
で綴った、明治から大正にかけての普段の生活を色彩色溢れ
て描き出した、江戸情緒あふれる回想録です。
実はひょんなことからこの岩波文庫版の「旧聞日本橋」を手に
入れました。家の中をひっくり返すのも嫌だから、神田の古本
屋に行けばまだまだ店頭にあるだろうと思いながらも、億劫か
ら出かけないままにしておいた。
実のところ、行けば行ったで、散々歩き回り余計なものまで購
入して来るのが関の山で、それじゃなくてもあの本屋にあるあ
の古書がいまだに欲しいだの、この本屋にはこの全集が揃って
いるだの、垂涎モノがいっぱいある。うっかり行けば散財して
しまうのが目に見えている。それで行かないままにしておいた
のだ。
それで、先日赤坂見附に用事がありその帰りに新橋へ出た。
新橋の和菓子屋「小萩堂」で切り山椒を買うつもりでいたのだ。
しかし、なんと、あろうことか目指す店が無い。どうやらたたん
で閉めてしまったらしい。また「お気に入り」が消えてしまった。
何と、がっかり。
ところが運のよいこともある。駅前の広場で古本市が開かれて
いたのである。ここは定期的に古本市が開かれるのだがその日
がまさしくそうで偶然にも開催日に新橋へ出てきたというわけ
だ。そこで早速めぼしい本を探すことにした。
通常の本屋さんと違い、乱雑に置いてあるからその中から興味
あるモノを探す。時間がかかるが楽しみといえば楽しみでもある。
骨董市や蚤の市と同じで何か掘り出しモノは無いか、と探すとき
の気分が良い。一般的には大した価値が無くても、そのひとにと
っては金に代えがたいもの、ってのを見つけたときが一番嬉しい
んだな、こういう出物ってのは。
何軒か回ったら岩波文庫版の「旧聞日本橋」があった。
裏表紙をひっくり返すと「1983年8月16日 第一刷発行 定価
550円」とある。パラパラ、とページを捲り、破れや書き込みなど
無いか軽く調べると、折癖もないし、ただ古めいているだけで傷
などない。上等である。これで充分。売値は350円だと言う。
神田へ行く電車賃より安い。市場に出て来ない貴重な本、という
ほどのものでもないし、再刷もあるかも知れない。入手は楽な本
だと思うけど結構得をした気分になった。第一、あの気の重くなる
ような家捜しをこれでしないで済む、と思うとどんなにかホッとする
ことか。
ついでに、ひとに貸したまま返って来ない本も売りに出ていたから
これまた即座に購入した。
和菓子が買えなかったのは残念だが何だか得をした一日だった。
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