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ラテントピック一語一絵 その17

2021-03-27 10:02:59 | ラテントピック・一語一絵


Juan D'arienzo

フアン ダリエンソ 

1900年生まれ。ダリエンソ楽団の指揮者。
日本でも昔から人気がある。リズムの王様と言われた。

ガルデル亡き後のタンゴを支えたのがダリエンソだ。小気味良い切れ味で
統制と規律の取れた楽団を登場させて評判になった。僕の世代の父親なら
ダリエンソ好きが多いだろう。一回り下ならゴルドのトロイロかな。

ダリエンソ楽団の血筋であるファクンド・ラサリの指揮するラ・フアン・
ダリエンソが2022年に来日公演の予定だ。強烈で若いエネルギーに溢れる
パワータンゴ楽団だ。2015年に来日しているから7年ぶりになるのかな。

フアン・ダリエンソ楽団を支えた、バンドネオン奏者だったカルロス・ラサ
リの孫になるフォクンドのバンドネオンの刻みが凄い。ザッザッザッザッ
の間にまた刻みが入り強烈に迫る。リズムが鋭角だ。

本家フアン・ダリエンソ指揮のタンゴはスタッカートの強いタンゴと言われ
た。早いタンゴだ。次に来る音符までのタメをどう作るのだろうか。瞬間の
音をどう耐えるのか、はたまた無音をもて遊ぶのか何とも不思議な感覚にな
る。前のめりになりそうだ。
スタッカート自体は珍しくはない。かなり前からクラシック音楽には良く見
られる。音の一拍より無音の一拍はのめるしその逆はレガートだがこちらも
流れが見事でこれまた打ちのめされる。スタッカートと言っても曲で異なる
だろうから作曲家の意図が反映される。モーツァルトだってスタッカートは
好きだったしベートーベンは逆にレガートが綺麗だ。ヨアヒムもスタッカー
ート好きだ。が、それぞれ時代の流れと個人の意図がある。これはどうでも
よいや。ともかくも乱暴に言えばダリエンソ以前のタンゴがスローであった
とも言える。時代が忙しくなると短くなる方が受ける。

すべての曲がそうではないが、ダリエンソの指揮はパワーに溢れながらも繊
細。ここまで力を入れてやるかと思うぐらいパワフルで、バンドネオンも指
揮者も肉体労働者のようだ。バンドネオンが刻んで刻んで高めておいていき
なり止めるとピアノがスッと入って来る。バイオリンが前へ出て来てこれで
もかとばかりに高める。そこをもっと刻めとばかりにダリエンソが背中を曲
げ両手をふり催促する。またピアノが割り込む。しかしエレガンスは残す。
やや引っ掛け気味に入ってきて4ビートになる。こいつを更に割って8ビー
ト感覚になり前へ、前へとノリを出す。言えばこういう感じだろうか。
アンサンブルが綺麗だが行進曲のようでもある。踊るにはウケる。

眉間に皺をよせて弾くバンドネオンは、見ているこちらも眉間に皺がよる。
刻む方も大変だろうが聞く方も疲れるな、タンゴは。

これで受けないはずはないよね。酔ってしまう。タンゴに悪酔いするよ。感
覚とは不思議なもので聞いているひとが全員同じように感じることはないだ
ろうが、ひとたび想い入れが重なると後は頭の中に余韻が残り拍を刻み酔う。
飲んでもいないのね。困ったものだ。

ファクンドはダリエンソの伝統も引き継ぎながら異次元な斬新さも見せる。
ダイナミックだ。来日予定のメンバーの中にはファビオ・ハーゲルの日本公
演の際に来たメンバーも含まれているようだ。

あーだこーだと言うつまらない能書きなんかどうでも良い。タンゴは理屈よ
りもどう感じるかが大切なのだ。ダリエンソもピアソラも多くの辛辣な批判
を招いたが結局は時代が演奏に追いつかなかった。ファクンドも匠の道を歩
むのか。

ブラジルの楽器でカバキーニョと言うウクレレに似た弦楽器があるが、曲弾
きで首の後ろで弾いて見せることがある。同様にバンドネオンだって頭の上
で弾いて見せた時代もあるのだ。本来楽器だから使い方は自由だろう。そも
そもアコーディオンを元にバンドと言うひとが製作したのが初めと言うが、
それならバンドニオンではないか、とも思うけどね。元をたどれば蛇腹のコ
ンサーテイーナ系なのだから抱えて踊るのだってありだよ。既成の概念を打
ち破るのもまたタンゴだ。クラシックだろうがロックだろうが演奏すれば 
良い。固定観念でやることはないよね。ピアソラだってそうだった。
そうねえ、確かにアルゼンチンでタンゴ人気が低迷してた頃に、ピアソラが
目立って来て初めは異端児扱いだったものね。そう、出る杭は打たれる
けれど一度出たら打たれない。それまでが大変だけと。日本はアンチ・ピア
ソラの時代が長すぎたよ。やはり日本人は保守を好みがちかな。
また話しがずれた。

かつて昔の18世紀末にアルゼンチンの港で移民の労働者たちが夜な夜な集ま
って歌い嘆き、やがて男も女もバンドネオンに身を委ね狂ったように踊った
タンゴはかくの如きでは無かったかとも思わせるファクンドの演奏は見事に
ワイルドで野趣に富む。

1900年、つまりフアン・ダリエンソが生まれた年、明治32年はパリ万博が
開催された年だ。パリの街は淑女紳士に溢れて飛行船や映画など最先端の
文化を誇り最も進んだ都市で、ロンドンへ留学予定の夏目漱石がこのパリ
万博を見物している。
またロンドンの大英博物館にいた南方熊楠は7年間の在英滞在を切り上げて
いる。フランスやイギリスがまだまだ華やかだった頃で南米に夢や期待を
寄せていた。特にイギリスが鉄道を始め最大の海外投資の対象としていた
のがアルゼンチンだった。また羊毛など輸出でアルゼンチン経済が活気尽き、
イタリア、特に貧しかった南部からアルゼンチンへ大量の移民が始まり
アルゼンチンはイタリア系移民の国になって行く。
アニメでも有名な「母を訪ねて三千里」はこの時代の設定だ。イタリアから
アルゼンチンまでマルコが母を訪ねる物語で、イタリアからアルゼンチンへ
大量移民があったことが背景になっている。ついでながらマルコが母に巡り
会えたのは「トゥクマンの月」で有名なトゥクマンでだった。
大雑把だがこう言う時代背景だったことを付け足しておくかな。そうだ、
サンパウロもイタリアからの移民が多いね。イタリア人地区もある。

悲しみを吐露し涙を刻み情が燃える。そこにあるのは貴族や王様の前で見せ
るタンゴではない、暮らしが滲む、アフリカやヨーロッパにルーツを持つ多
面的な音楽のタンゴだ。。

汗。痛み。悲しみ。苦悩。官能。陶酔。身体から湧き上がる全てがタンゴと
なり表れる。

蘇る電撃のタンゴ。

ファクンドのラ・フアン・ダリエンソは民音のHPで紹介されているし現在シ
ョートライブとして配信されている。来日公演はコロナ禍で2022年に延期に
なったようだが、今年新任の在日アルゼンチン大使がラ・フアン・ダリエンソ
をオンラインで紹介している。このひともタンゴ好きなのか、タンゴ愛好者
のことをアマンテデルタンゴと表現していた。これは昔から言う表現だ。
久々に聞いた。これで思い出したが昔銀座のコリドー街にアマンテというバー
があって名前が気に入って良く通った。静かな雰囲気が良かった。あの頃の
のコリドー街は雰囲気があった。ま、これはどうでも良いや。

1954年にタンゴ楽団として初めて来日したフアン・カナロの紹介を当時のアル
ゼンチン大使が書いている。1954年は書面、2021年はオンエアー紹介。時代の
差を感じるね。



フアン・ダリエンソ楽団の専属歌手アルベルト・エチャグエ。
この人も忘れてはいけない存在だ。

ついでに書き加えておくけど、日本のタンゴ楽団だってかなりなもので、ビクターで
「タンゴエンハポン」と題するレコードが販売されている。早川晋平、岡本昭とか
西塔辰之助などなど当時の代表的なオルケスタが録音されている。今はこんなことは
出来ないだろう。昔は日本だってダンスホールでバンドネオンを弾いている時代も
あったのだ。今よりダンモだ。やはり楽器弾きは現場の埃が身に染みついてないと
ダメなんだよね。耳の肥えてるお客の前で場数をこなすのが一番だよ。


フアン・ダリエンソとファクンド・ラサリが一緒くたになってしまった。
長たらしい文ばかりになったが、まずまずの絵になったからまあ良いか。

追記 2022年1月から予定されていたラ・フアン・ダリエンソ日本公演は
コロナ禍のため中止されました。

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