片雲の風に誘われて

自転車で行ったところ、ことなどを思いつくままに写真と文で綴る。

5/5 スプリト~トロギール~シベニク~プリトヴィツェ湖群国立公園

2011-05-07 15:05:21 | 4/27-5/11 イタリア・スロベニア

スプリトのホテルの窓から。
先日乗ってきたフェリーが止まっている。

 スプリトの町はローマ皇帝が築いた宮殿の上に造られている。
観光だけの町ではないようで、旧市街も土産物だらけと言うのでもない。
実際に庶民の生活が普通に行われているようだ。
かつての宮殿の上部構造は聖堂などに改築されてしまっているが、その地下はほぼ当時のレイアウトを残している。
ここでも花屋さんたちのコンテストが行われていた。
コンサートなどにも利用しているそうだ。
街の散策だけなら一時間ほどだ。
だんだん、『旧市街』にも食傷してきたようだ。


宮殿地下。


花苗を売っている。
門前には市民生活の為の市場が開かれていて、野菜や肉、魚に混じり、花の苗や切花が並べられている。
来年用にパンジーの種を数種類購入した。

 昼前にスプリトを発ち、トロギールへ向かう。
ここも世界遺産に指定されている。
ギリシャ時代から人が生活している。

トロギール。小さな島の上に出来ている。
遠くに見える城砦はベネチア人が被支配者の反乱を防ぐ為に作った。

この島は観光客が少なく、しっとりした落ち着いた佇まいだ。
路地のレストランで昼食をとった。


石の路地は何処も同じように見える。

 食後はもう一つ世界遺産の街、シベニクにより大聖堂だけ駆け足で覗く。
華美な装飾が施されていない好みの内部だった。

 シベニクからは高速道路で一路プリトヴィツェ湖群国立公園に向かった。
高速道路は出来たばかりのようで、走っている車も少なく、150キロで飛ばす。
途中は昨日と同じような低い林ばかりが続く。
このうねりが大きな山塊にぶつかり千五百メートルほどの高度まで山の斜面を登った。
雄大な眺めが楽しめた。

峠のパーキングからの景色。
後ろには森林限界を超えた石の頂が続く。

夕方7時過ぎ公園内の予約したホテルに着く。
いい所なのでもう一泊追加を申し込むが満員と断られた。
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5/4 ドゥブロヴニク~モスタル~スプリト

2011-05-07 07:35:41 | 4/27-5/11 イタリア・スロベニア

朝日に輝くアドリア海に突き出した城壁。

 朝は陽が射していた。
朝食前に、旧市街の城壁の上を散歩しにでた。
昨日は夕方7時過ぎに上がったが入口で何も言われなかった。
看板には時間が8時~19時と出ていたが、扉も開いていたし、人もいた。
しかし今朝はちゃんとチケットを買わされた。
城壁は大きく高低を繰り返しながら一周している。
幅は、サンマロや万里の長城のように広くはない。
この旧市街も、17世紀の地震で一度壊滅状態になり、また1991年の独立戦争でも相当大きな損壊を受けたそうだ。
所々復旧していないところもあるが、現在はほとんど修復されている。

 スプリトへの道を同じ道を避けて、ボスニア・ヘルチェゴビナのモスタルを回る。
昨日ドゥブロヴニクまでにも一部ボスニア・ヘルチェゴビナ領を横切ったのでパスポートチェックを受けた。
今日は本格的に入国した為か入国のスタンプを押してくれた。 
国境通過と言っても車に乗ったままパスポートを差出、場合によっては表紙を見るだけで済む事もある。

国境の検問所。


モスタルはクロアチアと異なりスラブ色の強い地帯らしく街の雰囲気が異なる。
クロアチアでは見なかったロマの子供達の姿があった。
テレビでも放映されたことのある、飛び込みで有名なネレトビ川に架かるスタル・モスト橋を見た。
この『橋を守る人』と言う意味の橋名がモスタルの起源だそうだ。
これも先の戦争の砲撃で落とされたのを復元したものだ。
町のあちこちに銃撃の痕が多く見られる。

破壊されたまま修復されない建物があちらこちらにある。

ボスニア・ヘルチェゴビナとしてユーゴスラビアからの独立戦争、更にその後、クロアチアへの統合を目指しての戦争など悲惨な時代をやっと抜け出たばかりだ。

スタリ・モスト橋。

 モスタルからスプリトへ抜ける内陸部の道は大きくうねる丘陵地帯を上り下りする道だ。
風景は、ほとんど利用されていないような丈の低い潅木が覆う林が続く。
この林が将に新緑の瑞々しい輝きを見せている。
行き交う車も少ない道を百キロ近いスピードで快調に飛ばす。

相当広い平原が未利用のままのように見える。

 スプリトにも古い旧市街がある。
ここもユネスコの世界遺産に指定されているが我々の印象では他とあまり代わり映えがしない。
夕食は中華料理にした。
本格的な中華だった。
若い女性老板(ラオパン)はセッコウ省のツウチーの出身だった。
つい、拙い中国語で話しかけたくなる。
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5/3 スプリト~ドブロヴニク

2011-05-04 14:10:47 | 4/27-5/11 イタリア・スロベニア

ドブロヴニクは半島の先端に築かれた城砦だ。 

 スプリトに上陸後、ドブロヴニクを目指す前に銀行のATMで現地通貨クーナを入手する。
キャッシュカードを日本と同じく操作すれば直ぐ外国でも現地通貨が入手できる。
便利になったものだ。
走り始めて暫くすると、曇っていた空から雨が降り出した。
まだ高速道路が完成していないので、曲がりくねった海岸沿いの道は走りにくい。
この道を約2百キロ、4時間かけて走る。
ドブロヴニクは城砦に囲まれた中に旧市街が構成されている。
従って、ホテルは少し離れたところに立地しているが、娘のおかげで、入口のピレ門直ぐ前にある高級ホテルに飛び込みで入った。


私だけでは絶対泊まらないだろう高級ホテル。

 昼を少し過ぎていたので、チェックインして直ぐ旧市街に入った。

西の入口ピレ門。

西のピレ門から入って、そのまま町を抜け、東のポンテ門から外の港に出たところにあるシーフードの店に入った。
日本の雑誌に出ていたとの事で娘が選んだ。
レポーターがたまたま入っただけの店をさも色々食べ歩いた結果、ここが一番美味しいと書いただけではなかろうか。
しかし、味はそこそこだった。
ワインが安く飲める。
店員の薦めたグラス一杯150円程度も旨かったし、店では一番高かった300円も変わらず飲めた。

 昼食後は雨も降っていたのですぐホテルに戻り夕方まで休憩。
少し日が射し始めた7時ごろ再度城内に入った。
修道院付属の薬局で秘伝のクリームなどを購入、その後閉まる寸前の城壁に登って高いところから町を眺めた。
夕食は街中の路地の店に入った。
周りにはアメリカ人が多かった。


ピレ門の上から射す夕陽。



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5/2 ボローニャ~アンコーナ

2011-05-03 23:42:28 | 4/27-5/11 イタリア・スロベニア

ボローニャのホテルにチェックイン直後、外が騒がしいので覗いて見ると隣のホテルの二階の窓に女性が立っていた。
飛び降りると叫んでいるらしく、下にはマット、そばにははしご車も来ていた。
この高さなら死ぬこともないだろうと、旧市街見学に出かけたので結果は知らない。


 初めの予定では、ボローニャから北へ上がって、オーストリア国境を掠めて、ボスニアへ入るつもりだった。
しかしこのコースだと往路と復路の多くが重なる。
そこで急遽イタリア半島を南下してアンコーナからフェリーでスプリトに渡ることにした。
ドブロヴニクまでは重なるが、それ以外は重ならない。
朝ネットで夜の船を予約する。
20時30分発でスプリトに翌朝8時に着く。

 午前中はボローニャの街を見学。
前日の喧騒はなくなっていた。
歩き回ってみると、前回趣を感じた古い回廊付きの路地をあちこちに見つけることが出来て、静かな佇まいを味わうことが出来た。

 
ゲーテがイタリア紀行の中で登ったと書いている塔に登った。
中空の内部に、壁から桟のように木を出して階段にしている。
上下の連結はなく壁だけが支えだ。
前回は足がすくむほど恐怖を感じながら登ったが今回は感じなかった。
なぜだろうと理由を考えるがよく分からない。
多分照明が改善されて大分明るくなっている為だろうと結論付けた。


党の上から眺めたイタリアらしさを感じさせる景色。

 アンコーナへ向かう途中に、世界で五番目の小ささの国、サンマリノ共和国を見つけた。
高速道路を途中のリミニで降りて寄り道した。
小高い丘の上に旧市街がある。


リベルタ広場の政庁。
衛兵の交代が行われていた。

街の中には沢山の路地が迷路のようになっているが、何処も土産物屋だ。
多くの店で、日本刀のレプリカを売っているが何でこんなものが売れるのか分からない。


絶壁の上に建てられたチェスタの塔。

 夕方5時ごろアンコーナの港に着いた。
町はありふれた港町で、夕食のために出て行く元気もなかったので、波止場近くのカフェで旨くないサンドイッチで済ませた。


波止場の入口から街を見る。

 船は相当大きく、部屋は二人部屋。
8時半に出航。

 
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5/1 クールマイヨール~ボローニャ

2011-05-03 23:14:37 | 4/27-5/11 イタリア・スロベニア

モンブラン中腹、標高3,462メートルのロープウェイ展望台からモンブランをバックに。

 結婚式翌朝、窓を開くと快晴、山々の頂が白く輝いている。
天気が悪ければそのままボローニャに向けて出発する心算だったが、早々に朝食を済ませモンブランを目指してクールマイヨールへ向かう。
高速道路でアオスタを越え、クールマイヨールまで1時間ほど。
日本出発前はアオスタでのトレッキングも考えていたが、登山道はまだ雪に閉ざされているだろうと計画しなかった。
しかし、周りを高山に囲まれたアオスタで、トレッキングしても見えるのは谷底と山の壁ばかりのように思える。
ローマ時代からの町並みは見てみたかった気もする。
クールマイヨールに着いてインフォメーションに立ち寄り確認してみると、モンブランロープウェイは営業中だとの事。
ロープウェイの出発地ラ・パリューまで車を飛ばす。
標高1,370メートルで気温は零℃近く。


ロープウェイから見るクールマイヨールの町。

フランスまで滑り降りるスキー客が重装備で同乗する。
三回乗り換えて、プンタ・エルブロンネールに着く。
標高3,462メートル。
展望テラスまで登ると空気の薄さを感じる。
時々ガスが遮るが紺碧の空にモンブランが目前にその豊満な姿をさらす。
ここまで登ってもモンブランを実際に望める確率はかなり低いらしいが、我々は大いなる幸運に恵まれたらしい。
10時を過ぎ、下りに乗る頃にはイタリア側からガスが押し寄せてきてその山体を隠すようになってきた。
午前中に登ることが出来たのが幸いした。


グランド・ジョナスも望める。
右の霧の中から頭を出している。


仏・伊の国境が通っている。


 ロープウェイを降りてからは、ひたすら高速道路をボローニャに向かって車を進めた。
約4百キロを5時間走りづめだった。
ボローニャは20数年前の記憶でしっとりした古い町と思っていたが、何かのお祭りなのか、旧市街に近付くと道に溢れる人波で、野外コンサートもあちらこちらで行われていて、全く感興を殺ぐものだった。
早々に買い物を済ませ、簡単な夕食をして宿に戻った。
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