いそがしのトトロ

きたぐにのせいかつ日記。 

沖縄へ行ってきた その3

2024-12-06 16:34:45 | 旅行

2日間、息子の家族と会って会食をして別れた後、バスに乗って、”対馬丸記念館”を見に行った。”波の上神宮” の近くの公園の中にある。 なぜか波の上神宮の前には、観光バスが何台も停まっていて、中国系のひとでごったがえしていた。パワースポットらしい。

対馬丸は学童疎開の船で、アメリカの魚雷に沈められた。犠牲者1500人ほどもでた貨物船の名前で、この事故のことは、口外しないように言われていたため、長いこと表沙汰にならなかったらしい。

私も数年前に知った。1944年、戦争がはげしくなるにつれ、足手まといになる子供たちを連れ出すため、食料を確保するため、危険な海域を九州に向かったという。悪石島のあたりでアメリカ船の魚雷に沈められた。近くにいた漁船に助けられたり、流れ着いて奄美大島にたどり着いた人たちもいたが、ほとんどは助からなかった。

そのアメリカ船は、原爆を広島・長崎に投下したエノラ・ゲイとともに博物館に展示してあるらしい。

波の上ビーチという市民ビーチが近くにあって、素晴らしく水がきれいだった。白人の人たちが何人も海に入ったり、砂浜に寝そべったりしていた。日本人で泳いでいる人は見かけなかった。身近にこんなきれいなビーチがあって、在日の白人は太陽と海を満喫しているのに、人目を気にする日本人特有の事情が、楽しむのをためらうんだろうか。

波の上ビーチの隣は公園になっているが、数人のホームレスらしき人たちも見かけた。

公園を通り抜けると、びっくりするほど大きなクルーズ船が止まっているのが見えた。ここにクルーズターミナルがあるのを知った。

先ほど波の上神宮に来ていた観光バスは、このクルーズ船で来た人たちなのかもしれない。このあたりには、孔子廟などもあり、中国と関係の深い地域らしい。

 

最終日は、ホテルをチェックアウトした後、空港にトランクを運んでチェックインの手続きをした。那覇空港はチェックインの手続きも、手荷物の検査もすべて機械で、自らしなければいけなくなっていた。

そんなに戸惑うこともなく手続きが出来て、飛行機は午後の便なので、モノレールで街まで戻り、お昼を食べることにする。小禄で降りて、”うるかそば” をさがして歩いた。

少し遠かったが、探し当て、念願の沖縄そばを食べた。

ここの沖縄そばは、さっぱり系で、肉もほろほろとくずれる柔らかい肉が私好み。

これで、今回の沖縄旅行のしめくくりだった。

 

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沖縄へ行ってきた その2

2024-12-06 15:51:24 | 旅行

次の日は、モノレールで旭橋駅から終点のてだこ浦西まで行った。2年前来た時、モノレールが延長したのを知って終点まで乗ってみた。てだこ浦西駅の周辺は、まだ空き地で、造成中の何もないところだった。

今は、バス乗り場もできて、イオンのスーパーや、JINSなどの店舗が駅周辺にできて、近くには、マンションも建設中だった。でもあいかわらず、空き地が多く、降りる人はほとんどいない。またモノレールに乗って、首里にもどり、孫の高校を見に歩いて行った。20分ぐらいかかった。途中、民家の庭に黄色いパパイヤがなっていた。

モノレールで県庁前まで戻り、リウボウの中にある ”楽園”カフェでお昼を食べた。夫はカレー、私はサラダランチ。

外に出たら、雨が降りそうなので、リウボウ前からバスでホテルに戻った。

夕ご飯は、“ジャッキーステーキ”へ。席の予約はできないというので、4時45分頃に行って待った。わりとすんなり座れた。10年ぐらい前の、値段は倍ぐらいになっていた。

でも、肉はじゅうじゅうと熱い焼きたてのが運ばれてきて、脂身のほとんどない柔らかい肉だった。ミルクのスープもおいしかった。夫は200g、私は150gのをたのんだ。

これで、このたびの旅行で食べたかったもののひとつを食べることができた。

 

 

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沖縄へ行ってきた その1

2024-11-30 15:38:03 | 旅行

今年は、3月に夫の心臓手術があったので、どこにも旅行はしなかった。暑かった夏を乗り越えて、体調もだいぶ落ち着いてきたので、息子の住む沖縄を訪ねてみようかと、ネットで前もって予約していた、6日間の旅行にでかけてきた。

私たちは同じホテルに5連泊して、息子ファミリーも連休を2泊、同じホテルで合流する日程だった。

到着した日は、夕食を、牧志の市場が建て直したと聞いていたので、市場の2階の食堂で食べてみようと、ホテル前のバス亭からバスで向かった。平日の夕方とあって、交通渋滞がひどかった。

国際道りに面して、以前はあった牧志市場は見あたらず、ドン・キホーテが建っていた。

うろうろしても探せなくて、呼び込みをしていたおじさんに尋ねたら、市場道りの奥に建て替えたビルの中だという。

到着したのは7時ごろで、1階の店舗はほとんど閉まっていた。2階の食堂は8時までだと言う。エスカレーターが中央にあり、片側の店舗数件は閑散としていて、もう片側は混雑している。迷わず、賑わっているほうに行って、とりあえず座った。

雰囲気は、以前と同じ。おさしみは終わったと言われたので、そうめんチャンプルーと、魚のからあげを注文し、オリオンビールをたのんだ。

どちらもおいしかった!

しかし、食堂が8時までだとは思わなかった。早朝からやっているので、そうなのかもしれない。

國際道り前からバスでホテルに戻った。今回の旅行は、なるべく交通手段にバスとモノレールを使うつもり。”OKICA”カードが便利だ。バス停はホテルに近いし、モノレール駅も歩ける距離だ。

 

 

 

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鹿児島へひとり旅 パート2

2023-10-10 09:33:01 | 旅行

ひとり旅4日目。

指宿から鹿児島中央まで”たまてばこ”という列車が走っている。帰りはその列車に乗ってみた。全指定で乗車券のほかに、指定席券2300円。

列車が真ん中で白と黒に塗り分けられている。海側が白、山側は黒。当然海側の席に集中する。車両の真ん中に、ベンチ式の展望席があるので、写真を撮ったりするのに移動してもいい。グッズや食べ物の車内販売があり、前の席のファミリーはサイダーをのんでいた。プリンを食べてみた。

豪華列車ではなく、まあまあかな。

鹿児島では時間があったので、鹿児島市内を循環している「シティービュー」バスに乗った。朝8時30分から夕方5時30分まで駅前のバス停から30分おきにでている。一周80分ぐらいで、仙巌園までいって駅にもどる。190円。乗り放題の1日パスは600円だ。帰る時、鹿児島で1泊するので、まず市内1周でどんなところか見るには便利だ。仙厳園は見てみたいと思ったが、ずいぶん広い。今回は無理かもしれないと思った。

鹿児島中央から霧島温泉には日豊本線で霧島神宮駅までいき、そこからバスに乗る。錦江湾のむこうに桜島がきれいに見えた。錦江湾には養殖をしているいけすがたくさんあり、ぶり・うなぎ・カンパチの養殖生産量は日本一らしい。

霧島神宮駅前から霧島温泉行のバスは少ないが、特急に接続していると書いてあった。神宮駅前には足湯があり、3人位いた。

20分ぐらい待ってバスが来たので乗る。私と白人の若者と2人だけだった。集落を通り、杉の木の茂る山道をくねくねと走った。霧島神宮まえで大きなトランクを持った観光客数人が乗りこんできた。

温泉街の入り口の“丸尾”で降りて、ホテルまで歩いた。大きな白いホテルだった。

宿泊客は結構多かった。お風呂はすごく大きい。露天風呂は白濁湯だ。食事会場もすごく広い。

夕食はバイキング。品ぞろえはいい。満足。でも広い会場で一人食事をするのは、やはり少し寂しいと思った。一人で食事をしている人も数人は見かけたが。

一日目

2日目

朝食

次の日は、何といっても霧島神宮に行ってみなければと思い、ホテル前のバス停から霧島神宮へ向かった。大きなトランクを持った観光客が何組か乗り込んできた。日本の観光客はほとんど車で移動しているので、こういったおおきなトランクを持っているのは外国客である。

バス料金の支払いに、苦労していた。

杉の並木がきれいだった。

霧島神宮はパワースポットとして人気があるというが、私にはあまり感じられなかった(個人的感想)

また温泉まで戻り、霧島周遊バスに乗った。どんなところか知るためには一通り見られる周遊バスが魅力的だ。バスの待合所の前に「温泉市場」があって、足湯や土産物屋、おそばなどの飲食店もある。温泉蒸しという、たまご・とうもろこし・さつまいも・まんじゅう・ソーセージを蒸したものを売っている。これが一番繁盛していた。

霧島周遊バスに乗ったのは私ひとりだった。1時間半ぐらいで出発地に戻る。

とにかくバスは数えるほどしかない。ホテル前の時刻表はこんな感じである。

道はくねくねと曲がり、対向車と道をゆずりあわなければならないような鬱蒼とした木立の中を行く。”えびの高原”に着くと開けた高原の雰囲気になった。

ここから新燃岳が噴煙をなびかせているのがみえた。ここで折り返した。”高千穂河原”というところで、2人乗ってきた。ここは霧島連山の登山口らしい。キャンプ場のようなところで青年たちが山のぼりの準備をしていた。

同じ道をもどって、「温泉市場」で降りたのは最終的に2人だった。この周遊バスは景色がずうっと同じという感じ。変化のないところが面白くない。こんなに乗る人がいないんでは大赤字だろう。運転手にも気の毒であった。

次の日は霧島温泉駅までバスで行き、肥薩線の霧島温泉駅から隼人まで列車。隼人で乗り換えて鹿児島中央まで日豊本線でいく。肥薩線は、吉松から八代までは豪雨の被害が大きかったため、不通になっている。

案の定、乗ったバスは終点まで私ひとりだった。

肥薩線の列車は空いていたが、まあまあ乗っていた。隼人からは特急で鹿児島中央にもどった。やはり特急列車は快適だった。乗車券500円 特急券660円でも仕方ないか?

鹿児島では、半日あったので、まず歩いて”維新ふるさと館”に行ってみた。

明治維新を寸劇にしたようなシアターの上映をみた。西郷隆盛・大久保利通・小松帯刀(?)のロボットが登場する。西郷隆盛はセリフに合わせて表情も動くし、身振りもリアルで驚いた。

西郷が鹿児島に戻って学校を作り、結局その仲間の求めに応じて明治政府と対立することになる西南戦争に突入してしまうというのがよく理解できない。

また今回はじめて山形の庄内藩と西郷のエピソードを知ったが、私のふるさと山形には西郷の像があるらしい。庄内藩には寛大だったらしい。会津藩をあんなに徹底的に追い詰めて、慶喜は生き延びたのに、それもよくわからない。

”維新ふるさと館”はすべて教えてくれて納得できるところではなかったが、あとは私が学んで行かなければいけないんだわ。

それからまた地図をみながら歩いて、天文館という繁華街に行った。調べておいた鹿児島ラーメンの店とうなぎ屋を探した。ラーメン屋とうなぎ屋は近所で、ラーメンも食べたかったが、おなかが空いてなかったので、夕食用にウナギ弁当を買った。3200円。

天文館から駅までは市電に乗った。観光客で満員だった。170円。

鹿児島中央駅直結の同じホテルにチェックインした。前より広い、ダブルの部屋をとってくれた。やはりここはいごこちがいい。

旅行最終日。駅でかるかんのお土産を買い、博多行きの新幹線に乗った。乗車率は30%ぐらいか。熊本で結構席が埋まった。新幹線が新大阪終点だとは知らなかった。

飛行機の出発まで2時間ぐらいあるので、博多から地下鉄で空港に行って、トランクをあづけてしまい、身軽になってまた博多までもどり、いろいろ買い物をした。今日の夕食に、阪急デパート地下で、お弁当を買った。

ここのお弁当はレべルが高い! 1000円~1200円。

出かける時はわくわくしたが、家に戻ってほっとした。

帰れるから旅は楽しいのだ  寺山修司(正確ではないかもしれない)

 

 

 

 

 

 

 

 

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鹿児島へひとり旅

2023-10-08 15:13:07 | 旅行

6月に夫と稚内へ旅行した。その時、最北の駅という立て札を見たとき、いつか最南端の駅に行ってみたいと思っていた。

 

9月は私の誕生月。そうだ! 最南端に行ってみよう! ことしはず~っと暑かった。9月末頃だったら暑さも収まっているだろうと、夫の了解を得て、誕生日プレゼントにひとり旅を計画した。3年前、夫と鹿児島に行った。鹿児島駅でレンタカーを借りて、知覧の特攻隊記念館や武家屋敷を回った。それはそれで良かったが、鉄道に乗ってもっと先っぽまで行ってみたいと思う。枕崎とはどんなところだろう。

とても非効率な旅行だが、文句を言う人もいないのが一人旅の良さで、余裕をもって計画した。仙台~福岡は飛行機。福岡~鹿児島は新幹線にした。枕崎まで行くには指宿に2泊。あと霧島に2泊することにした。余裕をもって、行きと帰りに鹿児島に1泊づつすることにした。

福岡空港は、市街地の中にある。博多駅から鹿児島まで1時間半ぐらいだ。鹿児島駅直結のJRのホテルに泊まる。便利。ここは以前も泊まったことがある。その時はまだ駅が建設中だった。すっかりできあがって、ビッグカメラや店舗がはいり、大きな駅となっていた。

いま、どこの駅も同じようで面白くなくなったと思う。ショッピングビルがあるのもどこも似ている。

夕食はホテルの近くのプロ○トで一人で食べた。これで2800円はちょっと高いんじゃないか?

レモンサワーとつくねは美味しかった。

次の日、今回の目的、JR最南端の駅西大山駅で下車、また次の列車で枕崎まで行ってもどり、指宿に泊まる。指宿枕崎線は本数が少ないので、これで1日がかりだ。

誰も乗っていない。あ、一人いたか。

 

鹿児島中央駅に入ってきた列車のきたなさにはあきれた。窓ガラスはよごれているし、さびている。このような列車が走っているのに最近はお目にかからない。”鹿児島”から”坂の上”までは結構な人数の若者が乗っていたが、それから先はガラガラだった。

西大山駅でおりた。バンザイ! ついにJR最南端に到着した! 降りたのは私ひとりだった。開聞岳は上に少し雲がかかっていたが、なるほど開放感のある絶景の駅だった。 駅前に売店があり、いろいろ売っている。鹿児島の漬物やイモけんぴ、サイダーなどを買い、絵葉書を購入して友達と娘にしたため、黄色いポストに投函した。西大山駅には何人も来るが、みんな車だ。 観光バスが来て中国語を話す20人ほどが下りた。こんなところまで観光しているとは驚きだ。

西大山駅からまた列車で枕崎へ。覆いかぶさる線路わきの樹木に、列車は打ち付けられながら進む。きっと傷だらけだろう。たまに薩摩らしい家の景色も見られるが、大部分深い森という感じだ。トンネルを抜けると、枕崎は開けた大きな町だった。駅舎がすてきだった。折り返しの列車まで1時間ぐらいあったので駅の近くのスーパーに行った。

ピカピカの生きのいい魚が並んでいたが、残念ながら買うことはできない。しかし、夕ご飯を調達して帰りの列車に乗った。

かつおのたたき250円

鳥めしとだし巻き卵のお弁当350円

ピーナッツどうふ160円

どれもおいしかった。安かった。

指宿のホテルは、海辺の、露天風呂から開聞岳が見えるこじんまりしたホテルだった。ゆっくりした。朝食もおいしかった。

1日目朝食

2日目朝食

前の海のむこうに屋久島があると書いてあったので、フロントで聞くと、うんと空気の澄んだ日、屋久島に雲がかかっていない時(ほとんどは雲がかかっている)、「このように見えます」と写真をみせてくれた。めったに見えないらしい。

指宿では砂蒸し温泉に行った。ホテルで送迎してくれる。暑い日だったのでどうなのかなと思ったが、砂をかけられた体はどくどくと脈打つようにあったかいが、顔は潮風にあたって涼しかった。10分はあっという間におわり、物足りなく感じた。

指宿は昔、新婚旅行で賑わったらしい。今駅前の商店街はシャッター街であった。

明日は霧島温泉記を書いてみたい。

 

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