2日間、息子の家族と会って会食をして別れた後、バスに乗って、”対馬丸記念館”を見に行った。”波の上神宮” の近くの公園の中にある。 なぜか波の上神宮の前には、観光バスが何台も停まっていて、中国系のひとでごったがえしていた。パワースポットらしい。
対馬丸は学童疎開の船で、アメリカの魚雷に沈められた。犠牲者1500人ほどもでた貨物船の名前で、この事故のことは、口外しないように言われていたため、長いこと表沙汰にならなかったらしい。
私も数年前に知った。1944年、戦争がはげしくなるにつれ、足手まといになる子供たちを連れ出すため、食料を確保するため、危険な海域を九州に向かったという。悪石島のあたりでアメリカ船の魚雷に沈められた。近くにいた漁船に助けられたり、流れ着いて奄美大島にたどり着いた人たちもいたが、ほとんどは助からなかった。
そのアメリカ船は、原爆を広島・長崎に投下したエノラ・ゲイとともに博物館に展示してあるらしい。
波の上ビーチという市民ビーチが近くにあって、素晴らしく水がきれいだった。白人の人たちが何人も海に入ったり、砂浜に寝そべったりしていた。日本人で泳いでいる人は見かけなかった。身近にこんなきれいなビーチがあって、在日の白人は太陽と海を満喫しているのに、人目を気にする日本人特有の事情が、楽しむのをためらうんだろうか。
波の上ビーチの隣は公園になっているが、数人のホームレスらしき人たちも見かけた。
公園を通り抜けると、びっくりするほど大きなクルーズ船が止まっているのが見えた。ここにクルーズターミナルがあるのを知った。
先ほど波の上神宮に来ていた観光バスは、このクルーズ船で来た人たちなのかもしれない。このあたりには、孔子廟などもあり、中国と関係の深い地域らしい。
最終日は、ホテルをチェックアウトした後、空港にトランクを運んでチェックインの手続きをした。那覇空港はチェックインの手続きも、手荷物の検査もすべて機械で、自らしなければいけなくなっていた。
そんなに戸惑うこともなく手続きが出来て、飛行機は午後の便なので、モノレールで街まで戻り、お昼を食べることにする。小禄で降りて、”うるかそば” をさがして歩いた。
少し遠かったが、探し当て、念願の沖縄そばを食べた。
ここの沖縄そばは、さっぱり系で、肉もほろほろとくずれる柔らかい肉が私好み。
これで、今回の沖縄旅行のしめくくりだった。