
(淀姫神社と城山)
古湯の淀姫神社境内に九郎堂がある。
九郎堂は古湯の天河(字姥ケ谷)に建立してあったが、明治9年(1876)の
神社合祀にさいし現在地に移転したものである。
延元元年(1336)、後醍醐天皇を擁した肥後(熊本県)の菊池武敏、
阿蘇大宮司惟直とその弟九郎惟成らは、筑前多々良浜(福岡市東区)に
足利尊氏の軍勢を迎えうったが、戦い利あらず、敗れて、
小城の千葉氏の領内へと逃れた。しかし寝返った千葉氏によって惟直は、
白坂峠(小城、富士町の町境峠)にて戦死をした。
九郎惟成も重傷を負ったが家臣の原隼人に背負われ、命からがら
古湯に逃げ隠れた。惟成の傷は古湯温泉の湯で回復し、
この地に九郎堂を建立して永住したと伝えられる。
原隼人の子孫と伝えられる古湯地区の原姓の人達により
九郎神社の碑の前で九郎さん祭りが行われていた。
阿蘇九郎惟成の落人伝説は富士町のほかに七山村、
浜玉町、厳木町など天山北麓に伝説として残っている。
(富士町史による)
~と前置きが長くなりましたが、七山の樫原湿原から富士町の
城山に登り、ここ淀姫神社にやってきました。
(淀姫神社の九郎堂)
この九郎堂の前にも由来の看板がありました。
天山山頂のお墓(阿蘇惟直)は、登るたびに気になっていたのですが、
こういう事だったのですね。
それに古湯は鎌倉、室町時代には温泉場だったこともわかり、
文字通り古湯なんですね~(納得)
ところで、ここ淀姫神社の横の貝野川右側を登っていけば城山に行けるはずなんですが~
道路崩壊のため、登れないそうです。
城山に登るには、やっぱり車で城山公園下まで行く方が無難のようです。
富士町の城山は、家臣の原隼人が築城したと伝えられています。
城山から見える天山山頂~惟直の弟、惟成は無念の死を遂げた兄惟直の
のことを思いながら、天山山頂を眺めていたのかもしれませんね。
この日見かけた、いろんなもの~
貝野川の川縁に群生していた、シュウカイドウ~
ちょうど見ごろで、生き生きしていました。
これはシュンランの種~花からは想像もできないほど大きい種です。
きのこの種類も多かった~これはかなりでかいシロウロコツルタケ?
アクシバ(ツツジ科スノキ属)には、こんな可愛い実が生っていました。
食べごろですね~
そしてこの花~天使のような姿も見ることができました。
山歩きの訓練にはちょっと物足りないかもしれないけど、
歴史探訪、花いっぱいのS山行になり、皆さんの満足度はかなりのようでした。
(樫原湿原のサワギキョウ)
次回のS山行は、ぜひ山を歩きましょうね~
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