上州からの山旅

凡人noyamaの山旅の記録

甲州道中四十四次を歩く その2(国領宿・調布駅~八王子駅)

2024年10月16日 | 街道を歩く

 



【2日目 武蔵国】 令和6年(2024)10月12日(土)晴

歩行距離:調布駅~八王子駅 25.2km 
行  程:調布駅06:35 --6:45小島の一里塚--8:39常久の一里塚-- 08:44 東府中駅 -- 09:55府中宿本陣門 - 10:48 谷保天満宮 10:53 - 11:40スエヒロ館12:30--12:39 立日橋(日野の渡し跡)--12:50東野地蔵--13:33西の地蔵--14:08日野台の一里塚--15:05竹鼻の一里塚-- 15:15 八王子駅15:39===18:31前橋駅

 



【布田五ケ宿】

調布駅前
多摩川で晒した「布」を税金「調」として納めていたことに由来する


布田天神社参道
式内社で布田五宿の総鎮守




小島一里塚 日本橋より6里  6:45 調布駅より0.5km
樹齢約200年のエノキがあったが、危険防止のため昭和40年に伐採された




臨済宗建長寺派金剛山源正寺
参道口の祠内に六地蔵、庚申塔、如意輪観音等
「大乗妙典日本廻国供養塔」は天明三年(1783)の建立



街中には新選組局長 近藤勇 の幟




ゆかりの西光寺前の近藤勇座像 *西光寺と近藤勇の関係を詳述した解説板
近藤勇は多摩郡上石原村(現調布市)の生まれ



 * *
西光寺の仁王門と梵鐘
仁王門2階の梵鐘は享保2年(1717)下野国天明(栃木県佐野市)で造られた
鮮やかな色彩の仁王像も素敵だ




飛田給薬師堂
仙台藩典医であった松前意仙が貞享年間(1684~1687)が彫った「石造瑠璃光薬師如来立像」は市指定文化財



常夜燈
嘉永五年(1852)建立、秋葉山大権現、諏訪大明神、稲荷大明神と刻まれている




天台宗神明山金剛寺観音院
山門前に享保三年(1718)建立の庚申塔、宝永七年(1710)造立の地蔵尊、文政四年(1821)建立の馬頭観音等



神明社 創建は弘長年間(1261-63) 8:00 調布駅から3.4km
多摩川で麻布を染めた染殿にゆかりのある神社といわれている



庚申塔 風化が進んでいる
後ろは西部多摩川線の踏切 白糸台駅



染屋不動尊
本尊の金銅製阿弥陀如来立像は碑文には「国宝299」とある

如来像は元は上州八幡にあったが新田義貞が鎌倉を攻めた際の陣中守護仏とした



境内に上染屋の謂れが彫られた新しい石碑があるが読みにくい
「地名の起こりは、俗説として調布(てづくりぬの)を染めた所とか、鎌倉時代に染殿のあった所とかいわれ、染屋の名は南北朝時代の資料にも見えています。」



染屋不動尊前にある草生した観音菩薩



江戸初期の甲州道中は現在「品川街道」になっている



常久(つねひさ)の一里塚(しながわの一里塚) 日本橋より7里 8:39  調布駅から5.4km



八幡宿(はちまんしゅく)碑
花崗岩に彫った字は、なんとも読みにくい
「地名の起こりは、この地に国府八幡宮が鎮座していることによります。国府八幡宮は、由緒深いお宮で、聖武天皇(在位724-749)が一国一社の八幡宮として創立したものと伝えられています。」



武蔵国府八幡宮



【府中宿】 9:12  調布駅から7.4km


鍋屋横丁入口
「鍋屋横丁(なべやよこちょう)の名は 旧甲州街道からこの道に入る角の家(佐藤家)の屋号 “ 鍋屋 ” に由来します。同じ鍋屋の屋号のついた「鍋屋道」が北の方にあります。」


府中新宿(しんしゅく)の碑と新宿公園




明治天皇行在所跡碑 (柏屋脇本陣跡)





大國魂神社


武蔵国の一之宮から六之宮までを合わせて祀るため、「六所宮」とも呼ばれ、武蔵国の総社
境内地はかつての武蔵国の国府跡にあたり、国の史跡に指定されている



*
高札場
甲州道中と鎌倉街道が交差する所から札の辻と呼ばれた
ここは以前鎌倉街道上道を歩いたときに横切っているが記憶に無い



問屋場跡の中久本店
安政6年(1859)の府中宿本町の大火を機に蔓延2年(1861)に中久本店の店蔵を防火建築物として再建した。




番場宿碑
番場町は府中三ヵ町(八幡宿・本宿)の1つの番場宿であり、脇本陣があった



府中宿矢島本陣門   9:55  調布駅から9.7km
かって旧本宿村の名主を務めた内藤家の門。この門は幕末期の府中宿の本陣であった番場宿の矢島家の門を移したものと云われている



*
寛政の常夜燈
火伏の神様、秋葉大権現の常夜燈で寛政4年(1792)建立




熊野神社 本宿村の鎮守
熊野神社の裏手に国史跡武蔵府中熊野神社古墳があり、表には古墳の玄室が再現されている




府中市のマンホールは、市の木「ケヤキ」と市の鳥「ヒバリ」



 *
江戸時代名主を務めた「本田家」 復元工事中



秋葉山常夜燈 文久三年(1863)建立  10:38 調布駅から歩行距離11.7km




関家かなどこ跡
関家は鋳物三家(矢澤、森窪)のひとつ




谷保(やぼ)天満宮  養和元年(1181)遷座
 湯島天神、亀戸天神と並び関東三天神
 御宇多天皇勅額 「天満宮」 一面 (国指定重要文化財)
 村上天皇寄進 狛犬一対 (国指定重要美術品)
 



元上谷保村の常夜灯 寛政六年(1794)建立 
奥に千手観音供養塔 享和二年(1802)建立
この常夜灯は、市内に残る三つの常夜灯のうちの一つで、塔身には 「秋葉大権現」、「寛政六甲寅年四月上谷保村」、「天満宮」、「榛名大権現」 と彫られている。

 



五智如来
 毎年12月12日には地元の人たちが集まり念仏をあげている



元青柳村の常夜灯 寛政十一年(1799)建立
「秋葉大権現」、「正一位稲荷大明神」、「榛名大権現」、「寛政十一年九月 施主村中」と刻まれている



日野橋手前で国立市から立川市へ入る

日野市の花 コブシ のデザイン



ここで昼食タイム 「スエヒロ館」立川日野橋店 11:40~12:30  調布駅から歩行距離15.3km
プレミアムハンバーグセット(1243円)  国産牛肉ハンバーグは美味しかった



旧甲州街道の道路標示と桜並木

せっかくの解説版であるが、読みにくいものが多い



日野の渡碑  12:35 歩行距離16.1km
慶安年間(1648~51)上流側の青柳村~万願寺間の万願寺の渡しが開設されたが、貞享元年(1684)上流側に日野の渡しが新設された。大正十五年(1926)日野橋の架橋で渡し場は廃止された




立川と日野を結ぶ立日(たっぴ)橋
頭上には多摩都市モノレール


多摩川は山梨、埼玉の県境に位置する笠取山に源流がある
遠くに見える山は何だろう


【日野宿】 12:27  調布駅より歩行距離17.5km


日野市のマンホールは市の鳥 カワセミのデザイン



日野宿の江戸口にある 東の地蔵 享和九年(1809)の造立
手前の馬頭観音は 文化八年(1811)




有山家の建物
明治30年以降の建物で大正から昭和初期に改築されているとのこと
この他に 「中嶋家(屋号「嶋屋」)」、古谷家(屋号「油屋」)、土方家(「土屋」) などが連なっていた。



高幡不動道標 明治十七年(1884)建立
高幡不動尊金剛寺は新選組副長土方歳三の菩提寺
近藤勇は現在の調布の生まれ、多摩地区は新選組所縁の地だ





日野宿本陣
正徳六年(1716)脇本陣と定められ、幕末に本陣となった
文久三年(1863)築の本陣建物は都内に現存する唯一の本陣
東京都教育委員会の解説版には、「日野宿脇本陣跡」とあり、日野市教育委員会のそれには「日野本陣」とある



日野図書館前に甲州街道日野宿問屋場高札場跡碑がある





西の地蔵 日野宿の西口
徳三年(1713)造立の坂下地蔵と呼ばれる銅像地蔵菩薩坐像が安置されている
地蔵堂先の道中は中央本線の敷設で通行不可なので日野駅方面へ引き返す



日野自動車工場 正門



日野台の一里塚 日本橋より十里  14:08 調布駅より歩行距離21.1km
国道沿いに延々と続く日野自動車工場の西の外れの敷地内にあり分かりづらい



コニカミノルタ工場を過ぎると八王子市に入る



八王子市のマンホールは八王子車人形・演目三番叟のデザイン
複雑で色がついてないとわかりにくい



高倉神社 享保三年(1718)の創建


高倉町珈琲
すかいらーく創業者の一人である横川竟が、すかいらーく社長退任後に八王子市高倉町に一号店を開業




浅川 浅川は陣馬山や堂所山に源を発し、流末は多摩川に合流する
*八王子は昭和二十年(1945)八月二日未明に米空軍のB29爆撃機の空襲を受け、四百五十名が亡くなり、旧市街地の約八割が焼失しました、多くの市民は大和田橋の下に避難し難を逃れました、大和田橋の歩道上には焼夷弾の着弾位置十七ケ所が色タイル等で示されています。



竹の鼻の一里塚 江戸日本橋より十一里目  15:05 歩行距離24.7km



**
永福稲荷神社
境内には、当地出身の力士で宝暦六年(1756)永福稲荷神社を再建し、落慶の日に相撲を奉納した八光山権五郎像がある。
社殿裏には享保八年(1723)建立の青面金剛像庚申塔等



【八王子宿】  15:20  調布駅より歩行距離 25.2km


新町の桝形

 


市守大鳥神社
神社前が八王子宿の江戸口で木戸があった

  
 時間にもなったが、疲れもしたので本日はここまでとし八王子駅に向かう。

 





 都心を離れ多摩地区に入ると神社仏閣や歴史的な物が残されて雰囲気は違ってくる
 野暮天の語源となったいわれている谷保神社、歴史のある大國魂神社、新選組所縁の地など
 いよいよ、甲州道中も面白くなって来そうですが
 諸事情により続きは冬になりそうです
 中山道の様に峠越えは雪景色とならなければと願う今日このごろであります

 ↓そんな訳で 押していただくとたすかります





 地図

参考1:「ちゃんと歩ける甲州街道 甲州道中四十四次」 八木牧夫著 山と渓谷社
参考2:五街道ウオーク:上記本の著者八木牧夫さんのホームページ
参考3:電子足跡:GPSログがとても参考になります
参考4: きままに歩く:現地解説版など詳細な写真が豊富
参考5:街道歩き旅:写真と文章がコンパクトにまとまって分かりやすい
参考6:「日本史 小辞典」(改訂版) 山川出版社
参考7::レファレンス協同データベース(レファ協)国立国会図書館が全国の図書館等と協同で構築している、レファレンス(調べものの相談)のデータベース

 



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