鎌倉街道は信濃、越後、陸奥方面から鎌倉へ通じた道で鎌倉幕府の御家人らが鎌倉へ向かう道として発展したが、今では道路改修・圃場整備・宅地造成など様々な事業で往時の姿が残っているところは少ないそうだ。
鎌倉から上州へ向かう上道(カミミチ・カミツミチ、上の道)、下野へ向かう中道(中の道)、常陸へ向かう下道(下の道)が有名であるが、我が上州から鎌倉への上道を歩いてみることにした。『いざ鎌倉へ!』
【2日目 埼玉県】 2023年2月28日(火)快晴
歩行距離:丹荘駅~寄居駅 27.9km(累計54.7km)
行 程:自宅4:30===5:50寄居駅コインP6:09==6:30丹荘駅06:32--6:52出雲神社---7:44日枝神社---熊野神社---8:35塙保己一旧宅---9:15長福寺---並木神社---09:29競進社模範蚕室09:34---09:40玉蓮寺09:43---09:46東石清水八幡神社09:54----10:03法養寺---龍體稲荷神社---10:20身馴川---10:50摩訶池11:02---11:05瓺𦼆神社11:05---11:28広木庚申塔群11:29---11:54中里雷電神社11:55---12:16普門寺12:18---12:43諏訪神社---13:25常光寺---八幡神社---13:40秩父鉄道踏切---14]06岩崎地蔵---14:16西念寺14:17---14:22寄居駅
駐車料金330円、寄居・丹荘運賃330円
寄居駅から高崎駅行きの始発に乗り丹荘駅に
丹荘駅 こじんまりとかわいい駅だ
ここから、前回来た神流川の群馬県側の対岸へ
八高線の踏切から白く浅間山が良く見える。中ほどで白いのは本白根
今日も快晴。年金生活者、金は無いが暇はある
天気の良い日を選んで出かけられるのが良い
中肥土集落の出雲神社
神社前の馬頭観音・庚申塔・如意輪観音などの石塔石仏群
神流川右岸(埼玉側)から対岸を望む
川幅は広く渡渉は困難そうだ
振り返れば「海洋センター」なるものがある
海の無い埼玉県に海洋センターとはこれ如何に?
土手を下りると古びた石仏があり、このあたりが街道だったのかもしれない
上肥土集落の不動尊
ここで急に本「鎌倉街道を歩く」を見て「ほたる池」を探したが見つからなかった
後ほど地図を見るともう少し南だった様だった
植竹集落の日枝神社 創建は1130年とあり鎌倉街道沿線の神社だった様だ
屋根付き鳥居の形が独特の山王鳥居
天台宗とかかわりがあるらしい
吉祥山長慶寺(天台宗)
明治の神仏分離までは日枝神社の別当寺
境内の石塔・石仏
境内の義民田村圭之助翁顕彰碑
江戸時代中期の人で、賀美郡植竹村(現神川町植竹)の人。江戸時代で最大級の農民行動といわれる「伝馬騒動(明和の大一揆)の首謀者の一人。当時70歳であった杢之助は、騒動の発火点となった十条河原(現美里町)の決起集会において幕府に直訴するよう訴え大集団の行動を方向付けた。しかし、騒動の首謀者として処罰を受け獄死した。
群馬にも義人(義民)茂左衛門とい人がいて、御堂が建てられたり郷土かるた「上毛かるた」で「天下の義人 茂左衛門」として読み継がれている。
再び八高線を横断し北側を線路に沿って南下する
熊野神社
平安時代の延喜式にも載っている由緒ある神社
群馬県の彫刻師の彫り物が本殿にあるそうだがガラスに囲まれて見ることができない
塙保己一旧宅を訪ねようと三たび八高線を横断
旧宅前に地蔵堂があった
児玉町保木野の「見守り地蔵」享保5年(1720)建之
鎌倉街道の時期には無かった地蔵堂
塙保己一(1746~1821)旧宅 江戸中期の全盲の国学者の生家
全盲でありながら古代から江戸時代初期までに成った史書や文学作品、計1273種を収めた「群書類従」を刊行したり、国学を学ぶ「和学講談所」を設立した偉人
一帯の田園風景
女彫川にかかる「雀の宮橋」
もちろん鎌倉時代のものではないが、趣のある橋で名前が振るっている
橋を渡ると児玉町の市街地へ
長福寺 新しい山門の前に鎌倉街道と書いた石標がある
境内には立派な庚申塔がある
街中の隘路は嘗ての鎌倉街道らしい
並木神社 すぐ裏手に新しい道が出来ており見逃してしまいそうな位置にある
「競進社模範蚕室」
養蚕技術の改良に一生をかけた木村九蔵なる人物が「一派温暖育」と称する蚕育法を考案。この実践のために建てたもので全国に広められ養蚕業の発展に大きく貢献した産業構造遺構。
本庄市には各所にこのような看板があり名所旧跡が判りやすい
競進社模範蚕室の裏手にある 日蓮宗東光山玉蓮寺
鎌倉幕府により佐渡送りとなった日蓮上人が佐渡へ向かう途中、赦免され鎌倉へ帰る途中に宿泊した寺
日蓮が足を洗った井戸がある
東石清水八幡神社
珍しい銅製の鳥居は佐野の鋳物師に造らせたとある。彫り物も豪華
鎌倉街道沿いの佐野は群馬だが、鋳物は野州(栃木)佐野の天明鋳物だろう
龍體稲荷神社
祭神が龍なのか判らないが変わった名前の神社だ
龍體稲荷神社から法養寺に向かう道にある子育地蔵尊
白雉山法養寺(真言宗豊山派) 鐘楼を兼ねた山門が素敵だ
六角堂(不空羂索観音堂)
メモ:六道を救う六観音、人間道を救うのは天台宗では不空羂索観音、真言宗では准胝観音と聞くがこのお寺は真言宗?
山門左手にある庚申塔と二十二夜塔
左から四番目の青面金剛は左手にショケラ(女人像)を下げているというがよく分からない
メモ:ショケラとは
なんだかヒョウキンな石碑があった
児玉33霊場を拓いた人らしい
10:20 丹荘駅から歩くこと13.9km 約4時間
身馴川(小山川)に行きつく、流れがないので堰の上を対岸に渡る
渡って対岸を見返す
渡った先にある細道を進む
左は聖徳太子。右は判読不能
広木の一里塚
植えられていた樹齢400年のエノキは枯れて小公園になっているが荒れている
向かいは「ガリガリ君」の赤城乳業の工場で石碑周りもきれいになっている
魔訶池
10:15 丹荘駅から約4時間16kmほど歩き腹も減ったので
ここの東屋で持ってきた弁当で昼食とした
鎌倉街道では旧道沿いが多くコンビニや食堂等が沿線に少なく行動色が必要!
魔訶池は常福寺住職により開設されたが昭和58年圃場整備事業で今の形になった
湖畔はこの池に打ち込むゴルフ練習場になっている
浮島の様に板が浮かべてありグリーンになっているのかしらん
瓺𦼆(みか)神社
「みか」は酒を造る甕のこと
参道を進むと「芭蕉句碑」(右)がある。「麦刈て 桑の木ばかり 残りけり」
群馬県と並んで養蚕の盛んな土地だった様子がわかる
参道脇の農地に設置された太陽光発電
発電設備の下に苗木?が植わっている
パネルの下に作物を植えれば農地転用が必要ないという奇手・妙手??を打ち出した農業施策
みか神社参道入口
さらし井・常福寺、真足女遺跡分岐
駒衣の石塔
手前には弁財天と庚申塔
奥の高い石板には「北口? 登山 三十三拝大願成就」と書かれている。富士登山記念碑?
真ん中に彩色された如意輪観音
姿形が良いのか二十二夜塔以外にも如意輪観音は人気なのかもしれない
大仏集落の庚申塔・馬頭観音・二十二夜塔
上の石塔群から200m程の三叉路にある「如意輪観音」、左から来た
こうしたところに石仏があると目印になる
更に200m程行くと標柱、右から来た
雷電神社裏の道祖神
境内の左「浅間大神」 右「富士登山40度」記念碑
雷電神社
雷電神社先の庚申塔
梵字だがこれも庚申塔?
裏面に寛政十二(1800)庚申歳 大呂?正月と読める
12時15分 丹荘駅から約20km
普門寺
「四十九院本尊石仏」というのがある、寝釈迦を中央に49の石仏が並ぶ
この石仏は足利の行道山と普門寺にしか無いそうだ
そういえば以前に見た気がする
「四十九院」とは弥勒菩薩の住む弥勒浄土にある宮殿のことだそうだが
コチラのブログ「石仏散歩」に詳しく書いてある
用土4区公民館前の石塔
これらも道路整備などにより周辺から集められてきた物だろうか
下の写真右端の「馬頭大士」という石塔もあるが馬頭観音は馬頭大士・馬頭明王などとも言うらしい
公民館から400m程先にある用土諏訪神社
神社から300m行って用土5区公民館敷地にある道路原標
八高線の線路わきにある氏神様
奥に同じようなものが90度向きを変えてある
400m先にある如意輪観音・馬頭観音
右端の石塔には「信州善光寺 南無阿弥陀仏」と書いてある
道標と石塔石仏群
大きい石柱には「脇往還 川越道 用土邑」と刻まれており
江戸時代には川越から上州に抜ける、中山道の脇往還としても使用されていた
法雲山 常光寺(真言宗智山派)
境内におおきな達磨
常光寺に隣り合う、原宿八幡神社
八幡神社近くの鎌倉街道上道解説版 各所にあったり分かりやすいが修理が必要だろう
秩父鉄道小前田駅西の踏切
13:40 丹荘駅から約27km7時間余り、本日の鎌倉街道はこの先県道296号線まで
そこから寄居駅に向かう
寄居駅への道は鎌倉街道では無いが路傍には数多くの石塔石仏があった
庚申塔と100観音供養塔
庚申塔・青面金剛・地蔵・二十二夜塔
庚申・弁財天・大黒天・如意輪観音
富士御岳大神 このあたり富士山信仰が盛ん?
岩崎延命地蔵尊
鶉澤山 寂仙院 西念寺(浄土宗)
寄居駅
ここまで、27.9km 7時間50分 累積標高+20m -8m
鎌倉街道上道の旅は上州から武州へ
埼玉県北部はまだかなり田園風景も残ってますが
田畑の圃場整備、道路の開設改修、宅地や工業団地などの開発は進んでいました
江戸幕府による五街道整備で廃れた所もあったようですが
明治以降の鉄道事業などの影響も大きく、消滅或いは不明な地点も多いようです
毎日が日曜日なので、実家を含め家庭の事情が許せば天気の良い日を選んで出かかられるのですが
本日は歩いているうちに花粉症が悪化、思わぬ障害に出会ってしまいました
目のかゆみやクシャミが気になり目的物を見逃したり道迷いをしたりの行程でした
せっかく時間の余裕をいただいた恵まれた状況ですので有効に使いたいと思う今日この頃です
↓そんな訳で 押していただくとたすかります
地図
次の資料を参考にしました
鎌倉街道を歩く(保存と活用のいま) 高橋光幸著 さきたま出版会:鎌倉街道上道の案内書
旧鎌倉街道探索の旅 Ⅰ 上道・山ノ道編 芳賀善次郎著 さきたま出版会:鎌倉街道のバイブル
五街道の旅:五街道はじめ脇往還・歴史街道など地図付きで詳しいホームページ
「隠居の思ひつ記」:迷道院高崎(めいどいんたかさき)さんの軽快で詳細なブログ
上野国交替実録帳を読む(千年前の県政白書) 前澤和之著 みやま文庫:群馬を知る事典みやま文庫から
鎌倉から上州へ向かう上道(カミミチ・カミツミチ、上の道)、下野へ向かう中道(中の道)、常陸へ向かう下道(下の道)が有名であるが、我が上州から鎌倉への上道を歩いてみることにした。『いざ鎌倉へ!』
【2日目 埼玉県】 2023年2月28日(火)快晴
歩行距離:丹荘駅~寄居駅 27.9km(累計54.7km)
行 程:自宅4:30===5:50寄居駅コインP6:09==6:30丹荘駅06:32--6:52出雲神社---7:44日枝神社---熊野神社---8:35塙保己一旧宅---9:15長福寺---並木神社---09:29競進社模範蚕室09:34---09:40玉蓮寺09:43---09:46東石清水八幡神社09:54----10:03法養寺---龍體稲荷神社---10:20身馴川---10:50摩訶池11:02---11:05瓺𦼆神社11:05---11:28広木庚申塔群11:29---11:54中里雷電神社11:55---12:16普門寺12:18---12:43諏訪神社---13:25常光寺---八幡神社---13:40秩父鉄道踏切---14]06岩崎地蔵---14:16西念寺14:17---14:22寄居駅
駐車料金330円、寄居・丹荘運賃330円
寄居駅から高崎駅行きの始発に乗り丹荘駅に
丹荘駅 こじんまりとかわいい駅だ
ここから、前回来た神流川の群馬県側の対岸へ
八高線の踏切から白く浅間山が良く見える。中ほどで白いのは本白根
今日も快晴。年金生活者、金は無いが暇はある
天気の良い日を選んで出かけられるのが良い
中肥土集落の出雲神社
神社前の馬頭観音・庚申塔・如意輪観音などの石塔石仏群
神流川右岸(埼玉側)から対岸を望む
川幅は広く渡渉は困難そうだ
振り返れば「海洋センター」なるものがある
海の無い埼玉県に海洋センターとはこれ如何に?
土手を下りると古びた石仏があり、このあたりが街道だったのかもしれない
上肥土集落の不動尊
ここで急に本「鎌倉街道を歩く」を見て「ほたる池」を探したが見つからなかった
後ほど地図を見るともう少し南だった様だった
植竹集落の日枝神社 創建は1130年とあり鎌倉街道沿線の神社だった様だ
屋根付き鳥居の形が独特の山王鳥居
天台宗とかかわりがあるらしい
吉祥山長慶寺(天台宗)
明治の神仏分離までは日枝神社の別当寺
境内の石塔・石仏
境内の義民田村圭之助翁顕彰碑
江戸時代中期の人で、賀美郡植竹村(現神川町植竹)の人。江戸時代で最大級の農民行動といわれる「伝馬騒動(明和の大一揆)の首謀者の一人。当時70歳であった杢之助は、騒動の発火点となった十条河原(現美里町)の決起集会において幕府に直訴するよう訴え大集団の行動を方向付けた。しかし、騒動の首謀者として処罰を受け獄死した。
群馬にも義人(義民)茂左衛門とい人がいて、御堂が建てられたり郷土かるた「上毛かるた」で「天下の義人 茂左衛門」として読み継がれている。
再び八高線を横断し北側を線路に沿って南下する
熊野神社
平安時代の延喜式にも載っている由緒ある神社
群馬県の彫刻師の彫り物が本殿にあるそうだがガラスに囲まれて見ることができない
塙保己一旧宅を訪ねようと三たび八高線を横断
旧宅前に地蔵堂があった
児玉町保木野の「見守り地蔵」享保5年(1720)建之
鎌倉街道の時期には無かった地蔵堂
塙保己一(1746~1821)旧宅 江戸中期の全盲の国学者の生家
全盲でありながら古代から江戸時代初期までに成った史書や文学作品、計1273種を収めた「群書類従」を刊行したり、国学を学ぶ「和学講談所」を設立した偉人
一帯の田園風景
女彫川にかかる「雀の宮橋」
もちろん鎌倉時代のものではないが、趣のある橋で名前が振るっている
橋を渡ると児玉町の市街地へ
長福寺 新しい山門の前に鎌倉街道と書いた石標がある
境内には立派な庚申塔がある
街中の隘路は嘗ての鎌倉街道らしい
並木神社 すぐ裏手に新しい道が出来ており見逃してしまいそうな位置にある
「競進社模範蚕室」
養蚕技術の改良に一生をかけた木村九蔵なる人物が「一派温暖育」と称する蚕育法を考案。この実践のために建てたもので全国に広められ養蚕業の発展に大きく貢献した産業構造遺構。
本庄市には各所にこのような看板があり名所旧跡が判りやすい
競進社模範蚕室の裏手にある 日蓮宗東光山玉蓮寺
鎌倉幕府により佐渡送りとなった日蓮上人が佐渡へ向かう途中、赦免され鎌倉へ帰る途中に宿泊した寺
日蓮が足を洗った井戸がある
東石清水八幡神社
珍しい銅製の鳥居は佐野の鋳物師に造らせたとある。彫り物も豪華
鎌倉街道沿いの佐野は群馬だが、鋳物は野州(栃木)佐野の天明鋳物だろう
龍體稲荷神社
祭神が龍なのか判らないが変わった名前の神社だ
龍體稲荷神社から法養寺に向かう道にある子育地蔵尊
白雉山法養寺(真言宗豊山派) 鐘楼を兼ねた山門が素敵だ
六角堂(不空羂索観音堂)
メモ:六道を救う六観音、人間道を救うのは天台宗では不空羂索観音、真言宗では准胝観音と聞くがこのお寺は真言宗?
山門左手にある庚申塔と二十二夜塔
左から四番目の青面金剛は左手にショケラ(女人像)を下げているというがよく分からない
メモ:ショケラとは
なんだかヒョウキンな石碑があった
児玉33霊場を拓いた人らしい
10:20 丹荘駅から歩くこと13.9km 約4時間
身馴川(小山川)に行きつく、流れがないので堰の上を対岸に渡る
渡って対岸を見返す
渡った先にある細道を進む
左は聖徳太子。右は判読不能
広木の一里塚
植えられていた樹齢400年のエノキは枯れて小公園になっているが荒れている
向かいは「ガリガリ君」の赤城乳業の工場で石碑周りもきれいになっている
魔訶池
10:15 丹荘駅から約4時間16kmほど歩き腹も減ったので
ここの東屋で持ってきた弁当で昼食とした
鎌倉街道では旧道沿いが多くコンビニや食堂等が沿線に少なく行動色が必要!
魔訶池は常福寺住職により開設されたが昭和58年圃場整備事業で今の形になった
湖畔はこの池に打ち込むゴルフ練習場になっている
浮島の様に板が浮かべてありグリーンになっているのかしらん
瓺𦼆(みか)神社
「みか」は酒を造る甕のこと
参道を進むと「芭蕉句碑」(右)がある。「麦刈て 桑の木ばかり 残りけり」
群馬県と並んで養蚕の盛んな土地だった様子がわかる
参道脇の農地に設置された太陽光発電
発電設備の下に苗木?が植わっている
パネルの下に作物を植えれば農地転用が必要ないという奇手・妙手??を打ち出した農業施策
みか神社参道入口
さらし井・常福寺、真足女遺跡分岐
駒衣の石塔
手前には弁財天と庚申塔
奥の高い石板には「北口? 登山 三十三拝大願成就」と書かれている。富士登山記念碑?
真ん中に彩色された如意輪観音
姿形が良いのか二十二夜塔以外にも如意輪観音は人気なのかもしれない
大仏集落の庚申塔・馬頭観音・二十二夜塔
上の石塔群から200m程の三叉路にある「如意輪観音」、左から来た
こうしたところに石仏があると目印になる
更に200m程行くと標柱、右から来た
雷電神社裏の道祖神
境内の左「浅間大神」 右「富士登山40度」記念碑
雷電神社
雷電神社先の庚申塔
梵字だがこれも庚申塔?
裏面に寛政十二(1800)庚申歳 大呂?正月と読める
12時15分 丹荘駅から約20km
普門寺
「四十九院本尊石仏」というのがある、寝釈迦を中央に49の石仏が並ぶ
この石仏は足利の行道山と普門寺にしか無いそうだ
そういえば以前に見た気がする
「四十九院」とは弥勒菩薩の住む弥勒浄土にある宮殿のことだそうだが
コチラのブログ「石仏散歩」に詳しく書いてある
用土4区公民館前の石塔
これらも道路整備などにより周辺から集められてきた物だろうか
下の写真右端の「馬頭大士」という石塔もあるが馬頭観音は馬頭大士・馬頭明王などとも言うらしい
公民館から400m程先にある用土諏訪神社
神社から300m行って用土5区公民館敷地にある道路原標
八高線の線路わきにある氏神様
奥に同じようなものが90度向きを変えてある
400m先にある如意輪観音・馬頭観音
右端の石塔には「信州善光寺 南無阿弥陀仏」と書いてある
道標と石塔石仏群
大きい石柱には「脇往還 川越道 用土邑」と刻まれており
江戸時代には川越から上州に抜ける、中山道の脇往還としても使用されていた
法雲山 常光寺(真言宗智山派)
境内におおきな達磨
常光寺に隣り合う、原宿八幡神社
八幡神社近くの鎌倉街道上道解説版 各所にあったり分かりやすいが修理が必要だろう
秩父鉄道小前田駅西の踏切
13:40 丹荘駅から約27km7時間余り、本日の鎌倉街道はこの先県道296号線まで
そこから寄居駅に向かう
寄居駅への道は鎌倉街道では無いが路傍には数多くの石塔石仏があった
庚申塔と100観音供養塔
庚申塔・青面金剛・地蔵・二十二夜塔
庚申・弁財天・大黒天・如意輪観音
富士御岳大神 このあたり富士山信仰が盛ん?
岩崎延命地蔵尊
鶉澤山 寂仙院 西念寺(浄土宗)
寄居駅
ここまで、27.9km 7時間50分 累積標高+20m -8m
鎌倉街道上道の旅は上州から武州へ
埼玉県北部はまだかなり田園風景も残ってますが
田畑の圃場整備、道路の開設改修、宅地や工業団地などの開発は進んでいました
江戸幕府による五街道整備で廃れた所もあったようですが
明治以降の鉄道事業などの影響も大きく、消滅或いは不明な地点も多いようです
毎日が日曜日なので、実家を含め家庭の事情が許せば天気の良い日を選んで出かかられるのですが
本日は歩いているうちに花粉症が悪化、思わぬ障害に出会ってしまいました
目のかゆみやクシャミが気になり目的物を見逃したり道迷いをしたりの行程でした
せっかく時間の余裕をいただいた恵まれた状況ですので有効に使いたいと思う今日この頃です
↓そんな訳で 押していただくとたすかります
地図
次の資料を参考にしました
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旧鎌倉街道探索の旅 Ⅰ 上道・山ノ道編 芳賀善次郎著 さきたま出版会:鎌倉街道のバイブル
五街道の旅:五街道はじめ脇往還・歴史街道など地図付きで詳しいホームページ
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上野国交替実録帳を読む(千年前の県政白書) 前澤和之著 みやま文庫:群馬を知る事典みやま文庫から
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