上野村 胡桃平地区
群馬県南西部 神流川流域御荷鉾山系
中腹にあるいくつかの集落を某大学N教授のお伴で訪ねた
目的は山村集落の現況調査
高齢化と人口減少が始まった日本
山村集落は過疎・高齢化の先進地でもある
この地域の集落は70歳以上の人が殆どで
ご夫婦又は独居老人世帯
燃料が薪炭から石油・ガスに変わる昭和30年代以前は
養蚕・こんにゃく・炭焼き等で比較的豊かな生活があった
東京方面を向いた南斜面の集落ではテレビなどの
電化製品の普及も早く現天皇の御成婚(S33)をテレビ見た人も多い
(上野村 胡桃平地区)
二段になった屋根は養蚕のための暖房の煙突役
以前裏山は尾根まで蒟蒻や桑畑だった
燃料革命が起こり、交通機関が自動車中心になると
日当たりの良い山腹に点在する集落は
生活と交通手段を失って取り残されていく
神流町 持倉地区
車社会が訪れる以前は牛馬により峠を越えて物資が運ばれた
各地に残こる「塩」の付く地名は
生活必需品である「塩」を運んだ「塩の道」の名残
ここにも「塩ノ沢峠」や「塩沢峠」などの地名がある
その時代 これらの集落は峠越えの中継基地としても栄えた
集落の歴史は鎌倉時代以前にもさかのぼる
神流町 八倉地区 養蚕農家の建物(空家)
かつては尾根までコンニャクや桑畑であったのだが
今は自家用の野菜などを栽培する畑が点在するだけになっている
その僅かばかりの畑もシカ・サル・イノシシの被害に遭い
周りをトタン板や電気柵で囲まれ
人間が動物園の檻の中に居るようになってしまった所もある
藤岡市 露久保地区(旧鬼石町)
耕作を止めた畑にはスギやヒノキが植えられ
次第次第に集落は森に飲み込まれるようになった
藤岡市 法久地区(旧鬼石町)H20.2撮影
某集落の区長さんの話は印象深かった
「子供たちは小学校高学年から寄宿生活
高校は高崎や富岡方面に下宿
もう家には戻らなくても良いように
学校だけは出してやりたかった
子供達は結婚して家も建て
一緒に生活しようと呼んでくれるが
元気なうちは ここで生活したい
病気になっても子供には迷惑は掛けたくない」
「伸び伸びる 床突き抜けて孟宗の
人去りし廃屋(いえ) むら絶えし山村(やま)」大野晃
(区長さんに話を聞くN教授とゼミ生)
自分たちの代でこの集落は無くなってしまうと
思っている人が多い
やがて消滅するだろう集落を「限界集落」(大野晃)と呼ぶ
そして 緩和措置を講じながら安楽に終末を迎えさせるかという
「むらおさめ」(作野広和)という考えがある
しかし
住んでいる人は「限界集落」と呼ばれ心地良いはずはない
山村振興を真面目に一所懸命考えた末の結論が「むらおさめ」
で良いのだろうか
名誉ある撤退を余儀なくされた山村地域の実情は深刻だ
大好きな山歩き
山村が荒廃すれば登山口さえ解らなくなってしまう
それどころか、登山道は言うに及ばず
山自体が崩壊してしまうことだってありそうだ
人がそこに住み続けるためには
そこで稼げることが第一
少しでもお役に立てることは
宿泊やお土産などを通じて
少しでもそこでお金を使うこと位だろうか
ブログ通信簿 主義主張が足りないとの御指摘
少しばかりの意見陳述です
気に入って頂けたら ボタンを押して下さい
群馬県南西部 神流川流域御荷鉾山系
中腹にあるいくつかの集落を某大学N教授のお伴で訪ねた
目的は山村集落の現況調査
高齢化と人口減少が始まった日本
山村集落は過疎・高齢化の先進地でもある
この地域の集落は70歳以上の人が殆どで
ご夫婦又は独居老人世帯
燃料が薪炭から石油・ガスに変わる昭和30年代以前は
養蚕・こんにゃく・炭焼き等で比較的豊かな生活があった
東京方面を向いた南斜面の集落ではテレビなどの
電化製品の普及も早く現天皇の御成婚(S33)をテレビ見た人も多い
(上野村 胡桃平地区)
二段になった屋根は養蚕のための暖房の煙突役
以前裏山は尾根まで蒟蒻や桑畑だった
燃料革命が起こり、交通機関が自動車中心になると
日当たりの良い山腹に点在する集落は
生活と交通手段を失って取り残されていく
神流町 持倉地区
車社会が訪れる以前は牛馬により峠を越えて物資が運ばれた
各地に残こる「塩」の付く地名は
生活必需品である「塩」を運んだ「塩の道」の名残
ここにも「塩ノ沢峠」や「塩沢峠」などの地名がある
その時代 これらの集落は峠越えの中継基地としても栄えた
集落の歴史は鎌倉時代以前にもさかのぼる
神流町 八倉地区 養蚕農家の建物(空家)
かつては尾根までコンニャクや桑畑であったのだが
今は自家用の野菜などを栽培する畑が点在するだけになっている
その僅かばかりの畑もシカ・サル・イノシシの被害に遭い
周りをトタン板や電気柵で囲まれ
人間が動物園の檻の中に居るようになってしまった所もある
藤岡市 露久保地区(旧鬼石町)
耕作を止めた畑にはスギやヒノキが植えられ
次第次第に集落は森に飲み込まれるようになった
藤岡市 法久地区(旧鬼石町)H20.2撮影
某集落の区長さんの話は印象深かった
「子供たちは小学校高学年から寄宿生活
高校は高崎や富岡方面に下宿
もう家には戻らなくても良いように
学校だけは出してやりたかった
子供達は結婚して家も建て
一緒に生活しようと呼んでくれるが
元気なうちは ここで生活したい
病気になっても子供には迷惑は掛けたくない」
「伸び伸びる 床突き抜けて孟宗の
人去りし廃屋(いえ) むら絶えし山村(やま)」大野晃
(区長さんに話を聞くN教授とゼミ生)
自分たちの代でこの集落は無くなってしまうと
思っている人が多い
やがて消滅するだろう集落を「限界集落」(大野晃)と呼ぶ
そして 緩和措置を講じながら安楽に終末を迎えさせるかという
「むらおさめ」(作野広和)という考えがある
しかし
住んでいる人は「限界集落」と呼ばれ心地良いはずはない
山村振興を真面目に一所懸命考えた末の結論が「むらおさめ」
で良いのだろうか
名誉ある撤退を余儀なくされた山村地域の実情は深刻だ
大好きな山歩き
山村が荒廃すれば登山口さえ解らなくなってしまう
それどころか、登山道は言うに及ばず
山自体が崩壊してしまうことだってありそうだ
人がそこに住み続けるためには
そこで稼げることが第一
少しでもお役に立てることは
宿泊やお土産などを通じて
少しでもそこでお金を使うこと位だろうか
ブログ通信簿 主義主張が足りないとの御指摘
少しばかりの意見陳述です
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そんな問題があるとは・・・
確かに良く見かける風景です。
ちょっと寂しく感じますね(*ノ-;*)エーン
これからまた
西上州いい季節になります。
出来るだけ多く足を運びたいなって思いました(*^^*)
少し深刻に書きすぎました
深田久弥のエッセー「神流川を遡って」には
この地を「桃源郷」の様だと言っております
実際 そこで生活している人は生活に不満は感じていないのですが、若い人が居ないことに漠然とした不安を感じ入るようです
山奥=過疎=気の毒 見たいな固定観念で見るのも的が外れている様です
多くの人が山村の魅力を解ることが大切と思います
山の斜面に建ってる家。
こういう風景って好きです!
散歩しているお婆さんは、
親しげに挨拶、声を掛けて来てくれるし(^^)
けれど、若い人やっぱり見かけませんね~
若い人が生活していくには、
仕事がないのでしょうか?
僕も段々と歳をとって来たので、
何故かこういうところに住みたい!
なんて思うようになったりしてます。
人ごみは嫌だぁ
もう40年以上も前の記憶ですが、神流川で遊び三波石の上を飛びはね、桑の実を食べた思い出は、まだまだ私の中で息づいています。
お祭りの華やかな屋台の上で太鼓を叩きましたが、まだお祭りはあるのでしょうか?
私の自然を好きな原点はこの町にあると思っているのですが・・・
上州は人情味豊かなところです
上野村は発電所があるため村財政は豊かで光ケーブルによる通信網は早くから整備されており、小中学生全員1度は海外に行ける(1学年数名しかいませんが)等少人数だからこそ出来る、ある意味恵まれた環境にもあります
子供の通学の心配など無ければ、住むのには良いところです
週末 台風が心配ですが 久しぶりで出かけようと思っております
鬼石町のお祭りまだやっています
そして今年は桜山の100年祭りも開催されるソウです
しかし、旧鬼石町役場が売りに出されそうだとの噂もあり、藤岡市との合併以後取り残されてしまった感も否めません
行政の効率化は大切ですが、非効率な過疎の地域はどうなるのでしょう・・・
「むらおさめ」は確かに私が言い出したことです。その言葉の響きから,あまり良くない評価も頂いております。しかし,noyamaさんは当方が意図するところもご認識なさっていらっしゃると拝察しました。私も仕事柄,全国の様々な集落に参り,調査と称して集落住民の皆さんの暮らしぶりをヒアリングしたりしています。「研究」や「科学」の名の下に,集落住民の皆様の暮らしや誇りを踏みにじっては本末転倒だと常日頃考えております。文字で何を記してもむなしく響くのですが,私の集落に対する思いもnoyamaさんと同じだと考えております。勝手ながら・・・・
「むらおさめ」以降,連日のようにマスコミから取材を受けますが,その都度複雑な思いで事実と向き合っております。本当にどうしたらいいのか,私自身も悩みつつ,集落の皆様が慎ましくも力強く暮らしていらっしゃるのと同様に,私も私に与えられた環境で研究に専念することが歩むべき道なのではないかと考えております。
意を尽くしませんが,現在の私自身の心境をお知らせしたく,筆をとりました。
ご意見など頂ければ幸いです。
島根大学教育学部
作野広和(さくのひろかず)
こんな愚ブログにコメント頂き光栄です
先生が中山間地域の活性化のため調査研究だけでなく、実践的な活動をなさっていることは良く存じ上げております
行政による永年に亘る過疎・山村対策は効果を得ず益々寂れていく現状を見るに付け空しい気持ちになります
そして、今生活している人が安寧に暮らせるようにすることが残された唯一の手立てだと思うことも正直あり、それで良いのかとの思いもありますが 何も出来ないのが現実です
このブログの読者は少ないですが、趣味で山歩きをする人が見ていてくれるようです
都市に住む人が山歩きに出かけたときに、少しでも山村が抱える問題について考えてもらえればと思い今回書きましたが的はずれな所があるかも知れません
中途半端な知識で書くブログが御迷惑をかけなければと思います
また ご助言頂ければ幸甚です
先般投稿させて頂きました,島根大学教育学部の作野です。noyamaさまより,ご丁寧なお返事を頂き,恐縮しております。noyamaさまのお考えに私も同感です。そして,政策の無力さに対して,「なんとかしたい」という思いも共通していると考えております。
我々,研究者にできることは研究自体を進めることはもちろんですが,霞ヶ関の連中にどれだけ説得力ある説明をしていくかが重要だと考えております。空き家改修・解体への助成(国土交通省),集落支援員制度(総務省),農山漁村支援事業(農林水産省)はいずれも今年度できた新しい制度ですが,我々の研究成果と進言が少なからず認識されている制度設計となっております。
先日も農林水産省の課長補佐および係長がおいでになり,1泊2日でディスカッションと現地視察を行いました。彼らの特徴は親身になって話は聞くけど,係などによってラインができあがっており,歯車に過ぎない点です。まあ,おいでになっただけでも,評価したいと考えておりますが・・・
「少しずつ」ではありますが,課題の解決に向けて取り組んで参りたいと思います。
失礼しました。
島根大学教育学部
作野広和
私もあらゆる施策が縦割りそして全国一律なのは問題と考えています
(例えば 稲作を前提としたような直接支払制度は水田の一枚も無い奥多野地域には合わないのです
同じ地域を対象としながら農業と林業の交付金が別々である点も?)
国や県は縦割りで地域振興計画の様なソフト部門は総務系統、ハード部門は農・林・土木系統と言うように別れており
極論すれば山村振興のために何が必要かという視点では無く、ハード部門はそれぞれの立場で地元要望により基盤整備をし
ソフト部門は各部門で実施された山村振興に関係する施策をとりまとめているに過ぎないように見えます
今更、制度の不備を嘆いても仕方がないことなので地元の人が既存の制度をどう上手に利用し
コーディネートしていくかが大切と考えます
宮本常一は
「予算がきたから仕事をするのではなく自分たちが問題を見つけていってそれが予算化されることによって初めて島が良くなるということを、私は嫌と言うほど教えられています」
(炉辺夜話「離島振興のために」河出書房新社)と言っています が
地元住民に意欲のある方がいれば一番良いのですが、それは期待できないのが現状だと思います
その役割を果たせるのが役場の職員か意識のある外部の人では無いかと思っています
(得てして役場の職員は灯台下暗しで問題の深刻さに気づいてない様にも感じられますが)
「限界集落」や「むらおさめ」と言った言葉により
山村集落が世間の注目を浴びるようになり多くの人に理解されやすい環境は出来つつあると思います
生意気なことを言って申し訳ありません
好きな山歩きを続けるためにも
自分なりに山村になにができるか考えたいと思っております
先生の研究成果が国の施策に反映されて少しでも良くなればと願っております