ユニコムかつしかつれづれ日記

NPO法人ユニコムかつしかのパソコン教室活動などのよしなしごとを、そこはかとなくゆるりと書きしるしてまいります

人生、違っていたかな・・・

2016-10-05 | 日記

 

昨日の気温、東京の10月としては‘79年に次ぐ高さだそうです。

といっても‘79年には東京を離れていたので、その時の暑さは未体験。

新潟の支店勤務の時代でしたが、やはり暑かった・・・かどうかは記憶にありません。

 

30代後半、今思えば仕事がもっとも面白かった時期でした。

技術課長という肩書でしたが、実際にやったことは新規顧客の開拓。

主に金融機関相手に、コンピュータのシステムを売り込む仕事でした。

 

最初の1年間は、県内の地銀・相銀・信金・信組・信連などを隈なく訪問。

狙いは基幹システムの受注ですが、更改のタイミングがあって難しい。

対外システムとの中継コンピュータや残高照会などの音声応答システムの売り込みが主でした。

 

時代はちょうどデジタル化を迎え、ニューメディアブームが起きた頃。

地元企業の若手経営者が集まって、都市型CATVやパソコン通信などの事業会社を設立。

そこにキャプテンというシステムを売り込むことも仕事に加わりました。

 

キャプテンは、現在のインターネットの前身のようなもの。

情報センターにある情報をアナログ回線を通じてテレビ型の端末で検索するシステムです。

双方向通信ができ、ショッピング、座席予約、電子掲示板などにも利用されました。

 

そのローカル版キャプテン、前記のニューメディア会社からめでたく受注。

営業マン?として日参した甲斐があったいうものです。

3年間の地方勤務のうち、後半の1年半は殆どその会社の社員同様の生活でした。

 

どうせならウチへ来て、全部の事業の面倒見てくれない?

何度かのお誘いに、ずいぶんと心を揺り動かされたのですが・・・。

でも、結局は転職の決断ができず・・・もし、あの時、と今でも時折思うことがあります。

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今朝はお休みします

2016-10-04 | 日記

 

今朝のブログはおやすみします。また明朝。

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プールより海で泳ぎたい

2016-10-03 | 日記

 

最後に泳いだのは30くらいの頃でしょうか。

友人と二人で、代々木のプールで泳いだのが、たぶん、最後・・・。

いや、40くらいの頃、支店の旅行で日本海で泳いだのが最後かも。

 

思い出して見たら、プールで泳いだ経験はそう多くはありません。

なぜかというと、波のある海に比べて、泳ぐことそのものの楽しさが少ないから。

いいですよ、高く襲ってくる波をめがけて泳ぎ、波の山を昇り降りする快感は。

 

なんで泳ぎの話なんか?

何ででしょう。空気とか水とかの話を書いたので、波が出てきたか。

それとも台風の影響で、高波がたつ海の映像をみたせいでしょうか。

 

波風を立てないことは必ずしもいいことではありません。

時には大波、荒波を立てて、底に澱んだものを拡散してあげないと、ね。

どこまでやれるかはともかく。

 

米国の保守系メディアが、自陣の候補を叩き始めました。

ということは、よほどの危機感を抱いているのでしょう。

あるいは、自浄能力みたいなものが動き始めたのかもしれません。

 

海のこちら側の国はいたって波静か。

と言うかやりたい放題が常態になってしまって、苦くないコーヒー状態。

東京湾では、おばさんが波立てようと頑張っていますが、どこまでの波になるか・・・。

 

沖縄も福島も安保法制も大きな波にはなりませんでした。

長いものにはまかれろ、ということなのでしょうか。

穏やかな海でプカプカ、もいいですが、あえて荒波、高波に突っ込むことも時に必要かと。

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やはり空気には水を

2016-10-02 | 日記

 

サッシ改修工事が始まってひと月、昨日で完了しました。

他のマンションでは、ウチはやらない、と言い出すところが何軒か出るのが通例のようです。

ここでも、3戸ほどゴネていましたが、最終的に全戸完了で、やれやれ。

 

夕方、行商の魚屋さんが来たので、小型トラックの脇で立ち話。

どうなりそうです? 豊洲は。

「今日も朝から、その話で持ちきりでしたよ、仲間うちで」

 

「でも、結局はウヤムヤになって、移転時期をずらすだけで終わるんじゃないですかね」

なんとなく、そんな感じもするけど。

「推進派の某が、すごい力を持っていて、あちこちにカオが利くらしんですよ」

 

調査報告では、いつ、誰が、は不明のまま。

どうやら「空気」が結論を出したようで、相変わらずの無責任体制。

とはいっても、稟議書というのがあるはずなんだけど。

 

その決裁者を調べれば、誰が承認したかわかるはず。

でも、誰も本気で調べようという気がないのでしょう。黙っていようね。

決済者の欄には、マルの中に空の文字の印鑑が押してあるとか。

 

もう一つ、五輪の費用が3兆円に膨らんでいる話。

うち民間資金は5千億程度というから、残りは公金を注ぎ込むしかない。

当初予算の7千5百億円がすでに4倍・・・家賃に年額4億払うとはナニゴトだ。

 

3つの会場を新設せずに他の会場利用を。

その報告書に、サメが額に青筋を立てて怒り狂ったといいます。

そうか、脳はなくても、青筋は立つんだ・・・ともかく、空気には水を差すのがいちばん。

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プログラマー失格でした

2016-10-01 | 日記

 

昨日はプログラミング講座のことを書きました。

そのプログラミングですが、わたしがその言葉を知ったのは半世紀近く前。

就職した会社で、時折、プログラマー募集というポスターを見かけました。

 

コンピュータという言葉も馴染みがなく、電子計算機とか電算機とか呼んでいた時代。

会社の中の電算部門がプログラマーを社内募集していたのです。

グラマーには興味がありましたが、プロのグラマーって? いったいどんな仕事をするんだ?

 

はじめは、みんなそんなものなのです。

そのうちコンピュータ事業部門に配属され、やれアセンブラだ、フォートランだ、コボルだ・・・。

といっても職種がシステム設計職でしたから、プログラミングは本業ではありません。

 

ただ、プログラム言語の知識も必要ですから、最初は研修を受けさせられます。

で、課題のプログラミングに取り組んだのですが、早々と、これはわたしには向かない仕事だ。

なぜかというと、几帳面さと根気と粘り強さが要求されるので。

 

アバウトで淡白で移り気なわたしには、とてもつとまりません。

課長、部長といえども年に1000行程度のプログラムを作ること。

そういう内規めいたものもありましたが、以来、会社を辞めるまで無視ひとすじ。

 

小学生からプログラミングを必須にするという流れがあります。

論理的思考を育てる、というのが理由ですが、それがプログラミングである必要はありません。

要は、何を教えるかではなくて、どう教えるかの問題。

 

とはいえ、IT人材を増やすこともこれからの社会では不可欠でしょう。

その意味では、適性があるかないかを判断することが目的の早期教育ならありなのかも。

適性が無いと思われた子どもには、早々に別の選択肢を与えることも含めて。

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