ふらふら日記

物足りない日常にふらふら、怪しい読書にふらふら、激しい映画にふらふら、美味いメシにふらふら、そんな感じの自己満足日記。

読書覚書2017 #4

2017年03月11日 18時15分00秒 | 読書めらめら

「若きサムライのために」
著者 三島由紀夫
めらめら度★★☆☆☆
20170204SAT-20170220MON

十代の頃から興味があったんだけど、なーんか苦手意識が強くって敬遠し続けていた三島由紀夫に初挑戦。つーても、エッセイと対談をまとめたもので小説ではない。三島由紀夫の小説は、二十代の時に数ページで挫折したんだよなァ。三島由紀夫のイメージは、ガッチガチでギッスギス。押しつけがましいストイックに息が詰まりそうな雰囲気だ。先入観で嫌っているのに、妙に気になる存在で…。

三島由紀夫と言えば、自殺した作家である。そして、自殺した作家と言えば、太宰治。この二人が、なぜか俺の中で重なっているんだよねェ。三島由紀夫は、信念を貫いて割腹した。太宰治は、情念に溺れて心中した。禁欲と堕落の果ての自殺…。どっちも俺には理解できないが、なんとなく美しい完結だったように思うのだ。石原慎太郎みたいに老醜を晒すより、死んでカリスマになる方が良い。

俺も41歳になって、少しぐらい三島由紀夫を理解できるかと思ったが、正直、よく解らなかった。この人は、一体、何に怒っていたのか? 結局、何が気に入らなかったのか? 戦前に生まれ、戦争に青春を抑制され、戦後にバリバリ働いた人だから、やっぱり、時代が違うのか…。思っていたより柔軟な主張で、共感できる部分もあった。しかし、書いてあることの殆どが俺の意識を素通りした。

ウィキペディアで俄かに調べてみても、やっぱり三島由紀夫という人物がよく解らない。俺は、サムライではないようだ。サムライになれなかった臆病者から見ると、三島由紀夫という存在は、日本の戦後そのものって感じがする。三島由紀夫の死が日本の戦後を終わらせたような気がするのだ。理解できないなりに、ちょっとだけ好きになったので、そのうち小説の方も再挑戦してみよう。そのうち…。


文藝春秋 「若きサムライのために」550円

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