limited express NANKI-1号の独り言

折々の話題や国内外の出来事・自身の過去について、語り綴ります。
たまに、写真も掲載中。本日、天気晴朗ナレドモ波高シ

ミスター DB ⑦

2017年12月12日 20時05分57秒 | 日記
何も知らずに「救出」の日はやって来た。当日の朝、DBはいつも同じく「気合と根性の欠如」について私をこき下ろし、意気揚々と朝礼を終えた。「来週から寺で修行に臨め!」と命じただけでなく「明日から6時には出勤して遅れを取り返せ!」とも命じたのだ。私は、言い返す気力も無く茫然自失で打ちのめされているだけで、抜け殻の様に仕事に向かおうとしていた。その時である。部長が、青ざめ顔つきで走り込んで来るのと同時に、I氏とO先生がやって来て私の肩に手をかけた。DBは不審な表情で小走りで部長と共に室外へ出ていった。それを確認したI 氏と O先生は「私物をまとめて帰る支度をして、保健室へ来て下さい」と私に告げた。「今からですか?」と私が問い返すと「もう苦しむ必要は無い。お前は病院へ行かなくてはならない。何の病気かを明らかにするんだ。治療が必要なんだよ!仕事の事は全て忘れて治療に専念するんだ。これは、所長命令なんだ。誰にも気兼ねは要らないんだ。」I氏は決然と言い、こう付け加えた。「今から所長命令で彼を帰宅させる。何人たりとも止める事はまかりならぬ!また、これから先の事について、口を挟む事も許さない!関わりは一切無用とする!」寸暇を置かず、私は保健室へ連れて行かれ O先生から全てを明かされた。「もう、誰もあなたに手出しはさせません。安心して病院へ行き、何の病気なのかを明らかにするのです。紹介状は用意してありますし、有給で休んで構わないのです。DBの事は心配いりません。」I氏も「後は考えなくていい。これからは自分に報告してくれれば、話しは通るから。携帯に電話をかけてくれ。」と言い携帯番号を教えてくれたのだ。「正門まではガードが付い行くから、早々に帰宅して構わん。いや、一刻も早く帰るんだ。これから起こる事は知らない方がいい。」足下から羽根が生えたかの様に、そそくさと退散させられた私は、言われるがままに自宅へ帰った。紹介状と共に渡された書面には、事業所長命令で「3週間の休暇を命ずる。以後、特段の事情が無い限り自宅待機とする。」と書かれていた。今後については、I氏を窓口として随時決定する旨が付記されていた。ようやく、DBの魔手から逃れる事が出来たと思うと、心の底から湧き上がった感情を抑えきれずに、ただただ涙が溢れ出た。
一方、DBは釈明に終始するハメに陥り、私を「取り上げられたのは、不当だ!」と怒り狂ったそうである。部長や事業部長と共に、これまでの「不当行為」について事業所長から説明を求められたものの、アヤフヤな答弁しか出来ずに「自ら首を絞める」場面ばかりで、周囲からもドン引きされただけでなく「上司としての資質」を疑われたのだと言う。まあ、当然のことと言えばそれまでだが、DBの評価は地に堕ちただけでなく、部長や事業部長までもが「監督責任」を問われた上に、処罰の対象とされてしまったと言う。みっちりとアブラを絞られ、意気消沈で帰って見ると私は「保護」されて帰宅した後だ。「ヤツは何処へ行った!」狂った様に問うと同僚から「連れ去られました」の返事。「俺の部下を連れ去ったのは誰だ?!」「事業所長だよ、DB」I氏が現れ、保護に至った経緯と今後の処置について語り出すと、DBは狂気を宿した目で睨みながら激しく噛み付いたと言う。「ヤツは俺の手で公正させる!そのための修行の手配もしてある!ヤツを返せ!」「そうした非論理的思考は棄てるんだDB!これ以上彼に関わるな!これは会社としての命令だ。違背は許さない!さっきから説明されて来たなら分かるだろう。アンタは彼の人生を狂わせた。責任を取れ!」I氏は決然と言い捨てて立ち去り、DBの反論を聞かなかったと言う。ただ、狂気じみた喚きは暫く続いていたと言う。こうして私は「治療への道」にたどり着いた。だが、医師から告げられた病気の症状は「思いも寄らないもの」になるとは、まだ知らなかった。

ミスターDB ⑥

2017年12月03日 18時46分19秒 | 日記
それから数日後、腹をくくったI氏とO先生は事業所長との話し合いに臨んだ。報告を聞いた事業所長は真っ青となり、しばらく言葉を発せられなかったと言う。地元の人間ではなく数年で入れ替わるのが事業所長の「椅子」である。だが、在籍している間に「問題行動」が発生すれば、キャリアに傷が付くだけでは済まない。「違法な労働の強要」と「人1人の命の問題」しかも「上司としてあるまじき行為」のオンパレードである。「まず、何から手を付ける?普通の方法では救えんのだろう?」絞り出すように話し始めた事業所長は天を仰いだそうだ。I氏は、医学的な説明を繰り返してもDBがまったく聞く耳を持たないどころか、非論理的な思考に走り頑なにそれを信じて疑いすら抱かない「危険人物」である事を強調し、私を「速やかに医療機関へ送り込む」為にDBから「隔離」する事を訴えた。O先生からは、DBが私と医療関係者との接触を「極端なまでに嫌っている」事実が伝えられた。実は、O先生からは何度となく「保健室へ来るように」呼び出しがあったのだが、DBは呼び出しを「無視」しただけでなく、O先生が事業所に来る日になると「外回り」を命じて接触を阻んでいたのだ。「治療など必要ではない!お前に必要なのは腐りきった根性・精神を鍛え直す事だ!」とDBは主張してはばからなかった。O先生とDBは、私の居ない場で正面切って渡り合っていたのだが、議論はすべからく「平行線」のまま互いに譲ることは無く、時間だけが空しく過ぎていたのだ。「これ以上の議論の余地はありません。命の問題です。時間は余り残されてはいません!」医師としてO先生も「隔離」を訴えたそうだ。すなわち、事業所内での人事異動を発令して、私を「総務部長付けにしてDBから切り離すしかない」と言うのが両氏の結論であった。「異例中の異例」とは、この人事を事業所長に納得させて実際に実行する事であった。「事業部内での異動では無理なのか?上司を替えれば話は通るのではないか?」事業所長は躊躇いながら両氏に問い返したそうだ。「上が替わっても事業部から替えなければ、内部干渉や圧力で潰されます。DBの手の届かない場所へ遷さなくては根本的な解決は望めません。総務への異動が最善ですし、本人が気兼ねなく治療に専念できる環境が必要なのです!」I氏も必死に食い下がった。「精神論や根性で病気は治りません。このままでは最悪の結末である死が待っているだけです!」O先生も食い下がる。しばらく無言の時が流れた。事業所長は、目を閉じて何かを必死に模索しているようだったそうである。「人事異動にはしばらく猶予を貰わねばならん。」目を開いた事業所長は、決然と話し始めた。「人的保障や事業部の意向もあるだろうが、命の危機の前では問題とはならん事だ。君たちの言う通りに進めよう!有給休暇は残っていると言うか手が付いていないだろうから、明日から彼(私の事)には有給休暇を取らせればいいだろう。私の命令として当面3週間だ。その間に人事案件にメドを付けて隔離策を実行する。この命令は明日にでも当該関係者全員に伝達だ!事業部長とDBには私から直接伝達するから、君たちは彼の救出に行ってくれ!事は急を要するのだから、電光石火に片づける!くれぐれも外部に本件が漏れ出さないように、細心の注意を忘れないように!!」この宣言で事は決した。私をDBから切り離す「救出隔離策」は事業所の方針として決まったのである。だが「救出」に向けては、まだクリアすべき「関門」が残っていた。DBの異常なまでの「執着心」をどうやって封ずるか?である。O先生が「彼を保護した後は?」と問うと事業所長は「私物を全て持ってその場で帰宅させればいい。3週間の休暇は明日からだ!こちらが命令を伝達している間に保健室で説明をしてやってくれ。必要ならば人手を出して保健室をガードさせればいい。先生には病院への紹介状を大至急したためて貰わなくてはならんが、彼と打ち合わせて置くことも宜しく頼む。明日を限りに不当行為上司DBに手出しはさせてはならん。その辺はこちらからも釘は刺して置くが、命令を違えた場合は降格人事だけでは済まない事になるだろう。ナタを振るう以上は徹底的にやるしかあるまい。」事業所長も腹を据えて対処する方針を示した事で、DBの「排除」は決定した。決戦は明日朝から。「異例の処置」はいよいよ始まろうとしていた。