第2章 ~ 高校白書
5月も終わりに近づいた日。快晴に恵まれた朝、僕は自転車で坂を登り切り昇降口であえいで居た。「これで3度目の登頂成功か!」汗だくになりながら息を整える。山の上の高校は、まだ新しく僕らが2期生となる。よくも悪くも“ラブホテル”と間違われる事から“ホテル向陽”と僕等は呼んでいた。校舎も完全には整っておらず、大体育館とプールと部室の建設は継続していた。新設校のいいところは“煩いOBやOGがおらず、伝統もしがらみも無い”事だった。僕等の歩いた道が“伝統”として受け継がれていく。1期生と2期生は特に“開拓者”としての意識が強かった。故に妙な先輩と後輩の上下関係も無く、和気あいあいとした風が吹いていた。「Y、おはよう!ほれ、冷えたジュースだよ」幸子が缶を差し出してくれる。道子と雪枝も一緒だ。野郎共とも打ち解けて来た昨今だが、この3人の女子とも早々に親しくなったのには訳があった。実は、遠い昔に道子と雪枝とは同じ保育園・小学校に通っていた事があったのだ。初めは“どこかで会った記憶ありませんか?”状態だったのだが、道子が古い写真を持って来て「遠い昔は、一緒に遊んでたよね?」と言ってくれて記憶が弾けた。確かにそこには僕と道子と雪枝が映り込んでいた。「凄い偶然だね!こんなことってあるんだ!」幸子が眼を丸くして驚いた。幸子は、県外から転入して来た関係上、ベースになる“同級生”が居なかった。たまたま、席が隣だった僕に最初に話しかけたのがきっかけで、色々とレクチャーと手助けをしている中で、道子と雪枝が加わり4人で話すようになったのである。今では朝の時間と昼の“お茶会”が定番となっている。
女子には“女子の掟”がある。3人の女子と僕の組み合わせは“不信に思われかねない”危険をはらんでいた。野郎が同数なら問題は無いが、僕1人では如何にもバランスが悪いし、女子も気まずい思いをすると察した。そこで、考えたのが生物準備室での“お茶会”の開催だった。担任の中島先生に頼み込んで場所を確保し、理科助手の井口先生に紅茶のおすそ分けを貰って、お昼休みに“お茶会”を開こうと言うと3人は直ぐに乗ってくれて、あれやこれやと話に花が咲いた。クラスの動向を知りたがっていた中島先生の意向にも沿う形になり、生物準備室のお昼は賑やかだった。これなら、女子の圧力に邪魔される事も無く色々な話が繰り広げられるし、情報交換にも支障が無かった。「こう言う奇抜な手を思い付くのは、Yの独壇場だよね。昔から色々な遊びを思い付いてギャイギャイとやってたの覚えてる?」道子が聞いて来る。「策謀だけは自信がある。ビート盤を重ねて浮力を増してバタ足をやったり、音楽室から全員消えて先生をびっくりさせたりしたなー」僕は霞みがかった過去を思い出す。「後、三輪車での坂下り!靴底が擦り切れるまで遊んだけど、あれもYの発案じゃなかった?」雪枝が言う。「確かに。怒られてもめげなかったよな?靴を何足無駄にしたかな?」遠い昔を振り返ると、結構ヤンチャをやってた事を思い出す。「Yは小さい頃からそうなんだ!発想が豊かなのはいい事じゃない?ここだってYが眼を付けて成り立ってるんだし、凄いね」幸子が改めて関心する。「だが、ここも安泰とは行かないぞ!他の女子達に嗅ぎ付けられたらアウトだ!“女子の掟”は厳しいからな」「それは関係ないよ。いつまでも子供じゃないんだし、自由に話して何が悪いの?確かに女子のコネクションも大事だけど、Yと忌憚なく話してるのが楽しいんだから、それでいいじゃん!」道子が毅然として言う。「そうそう、久々の再会だし、またYの悪乗りで遊べるのがいけないとは言わせないよ!」雪枝も同調する。「あたしにしても、ここへ来て初めての友達なんだから、別に関係ないと思うな!」幸子も同意見だった。「だが、笠原千里を中心とするグループに睨まれるのは、避けなくてはならない。既に魔手は伸びてる。女子の集団は剃刀よりも鋭いからな!」僕はあくまでも警戒を怠らなかった。「それは大丈夫だよ。あたし達が上手くやればいい事だし、Yに手出しはさせないから!」道子が自信あり気に言う。「Yは“立ち位置”さえ決めて置けばいい。男子同士の付き合いもあるだろうし、女子とも適度に距離を取っててくれれば、いざと言う時に困らずに済む。自分が動きやすいポジションを確保しな!」雪枝も心配はいらないと言う。「普段は繋ぎ役に徹する。表立っては動かなくても“影では糸を引いてる”そんな感じが最善かな?」幸子が方向を決定づける様に言う。「そして、ワシの望む情報を手に入れる!それがお前さんの役割だ」中島先生がダメを押す。こうして、僕の役割は決められていった。僕が恐れた笠原グループからの圧力はいつの間にか消え失せた。どうやら、道子達が上手く立ち回って“承認”を得たらしい。新たに中島と堀川も加わり、女子5人と僕の“お茶会”グループはクラス内でも公認となった。はっきりした理由は不明だったが、何かしら使い勝手が良かったのだろう。“あそこなら何かしら手を繰り出してくれる”と言う評判が広がり、徐々に依頼も増えていった。
「Y、何処に行ってのよ!次の授業、Yから?あたしから?どっち!?」重子が焦れていた。何故か有賀重子とは、またまた同じクラスになった。名簿順は直ぐ後ろである。「重子からだよ。僕は前回の最後をやったからな」「えー、あたしか!ねえ、どうしたらいい?」ところ構わずに彼女はこっちを掻き回して来る。「出方を伺ってから答えればいい。そんなに難しい話でもないだろう?」「Yには簡単でも、こっちには難題なのよ!援護しなさいよ!」重子はヒスを起こした。「はい、はい、当てられたら援護しますよ」僕はため息交じりに言って前を向くと、隣の幸子を見る。「頼られてるね」と笑って言うが「中学からずっと背後を脅かす存在だからな。腐れ縁も同然さ」と肩をすくめて言う。「でも、邪見にしちゃダメ!こう言うところを女子は見てるからさ」と小声で忠告をくれる。僕は黙して頷いた。「ねえ、Y君。後で顔貸してくれない?」菊地美夏、弁舌が立ち鋭い突っ込みを入れて来る厄介な子だ。「どうしたの?」と聞くと「質問があるの。答えてくれない?」と言う。「分かった。次の休み時間でいいかい?」と言うと「放課後でいいよ。長くなるし」と仰せだ。「はいよ、時間空けとくよ」と言うと「お願いね」と言って席に戻った。「大魔神からの呼び出しか?ロクな事にならんぞ!尻を蹴られる前に引けよ!」野郎達から警告が飛んでくる。彼女に1度ならずとも吊るされた野郎なら皆コリてるし、美夏は男女共に“危険人物”と認識されている。そんな彼女と渡り合えるのは僕か山ちゃん(山岡謙一)ぐらいしか居なかった。必然的にターゲットにされても致し方無い。美夏の話は何なのか?想像は付かなかった。
「国鉄の民営化について、どう思う?」美夏の質問は、極めて政治色の強いものだった。「水面下で囁かれてるヤツか。民営化するにしても“どう言う体制”にするか?からして問題だらけだから、難しい判断になるな。民営化そのものに反対意見もあるし」「あたしは鼻から反対よ!地方の足を奪う改悪は許される筈が無いもの!でも、仮に分割民営化されるとしたら、どうなると思う?」「分割の仕方そのものが難しい上に、ローカル線を多く抱える北海道、東北、中国、九州。路線が少ない四国をどう扱うかも問題だ。東西に2分割するにしても、どこで線を引くか?でまったく変わるから、一概には判断は出来ないね。貨物は独立させる手はあると思うが」「貨物以外を6分割する案があるの。北海道、東日本、東海、西日本、四国、九州の6つよ。これでそれぞれ経営が成り立つと思う?」「新幹線の帰属をどうするか?にもよるが、経営は楽では無いだろうな。特に北海道、四国、九州は赤字解消は無理だろう」「質問を変えるわ。真珠湾攻撃の真意は何?」「連合艦隊司令長官、山本五十六は知っていた。アメリカの工業力の強大さをね。それを承知で日本がアメリカとの戦争に踏み出すとしたら、“短期決戦”しか方策は無かった。だから初戦でアメリカ太平洋艦隊を壊滅させて、アメリカの戦意を挫く手に出るしか無かった。長引けば形勢は不利になるだけだ。その上で早期講和を持ちかける。山本の意はそこにあった」「山本五十六がアメリカの工業力を知り得た根拠は?」「若い頃にワシントンの大使館で駐在武官として過ごした時期がある。それは確かだ」「航空機で艦船を沈める案を考えられた根拠は?」「海軍航空司令官として、航空機開発の指揮を執った時期がある。“大鑑巨砲主義”の海軍に在って、航空機こそ“次の主力”と考えたのはその時期だろう。だから、空母6隻を投入して真珠湾攻撃を命じた。アメリカも“航空機で攻撃して来る”とは読んでいなかったしな」「“ハルノート”を受け入れるとしたら、攻撃部隊はどうするつもりだったの?」「対米交渉に進展があった場合、機動部隊は引き返す事になっていた。だが、交渉は決裂したから攻撃は決定され暗号電報が打たれた」「第3次攻撃が行われなかった理由は?」「対空砲火によって被害が拡大するのを避ける必要があった。実際、第3次攻撃は検討されたし、攻撃目標はまだあった。だが、機動部隊を安全に引き上げる必要もあった。結局は大本営からの指示と南雲司令官の判断で引き揚げた」「攻撃目標はあったって言うけど何?」「石油タンクや造船ドックは無傷だった。ハワイは離島だから、これらを攻撃していたら被害は数倍、いや数十倍になっていたはずだ」「あんたの頭の中はどうなってる訳?あたしの質問にスラスラと答えた男子は、山岡君とY君だけよ!2人共何を学んで来たのよ?」「広く浅く知り得てるに過ぎないよ。菊地さんこそどうしてこんな質問をする訳?」「今まで答えられる子が居なかったからよ。調べるにしても限界はあるし、知っている人に教えを乞うて何か問題があるの?」「無いね。この手の答えを言えるのは山ちゃんか僕ぐらいだろう。他の野郎共に聞いても沈黙するのがオチだ。でも、これだけは言って置くが、この手の質問は相手を選ばないと誤解されるよ。先生か山ちゃんに聞くに留める事だ」僕は質問に終止符を打ちにかかった。「ご忠告感謝します。でも、あんたも対象者に入れとくわ!これだけの見識を持ってる男子は他に居ないから。質問は以上よ。ご協力感謝します」菊地は入念にメモを取っていた。彼女が何の意図を持って質問をして来たのか?その時は分からなかったが、少なくとも彼女を敵に回すのは避けられたと感じた。だが、これは“新たなる騒動”の序章に過ぎなかった。
菊地の質問に答えた影響で、下校が遅くなった僕は猛然と坂道を下った。5人の女子達は坂道の半ばで捕まえられた。「ほーい!」と声をかけてやると「Y!遅い!遅い!」と苦情の嵐が降り注ぐ。駅まで彼女達を“護送”して、電車の時間まで喋るのが僕等の決まりだからだ。「菊地さんに絡まれてたけど、厄介だったの?」幸子が聞いて来る。「政治がらみの質問に四苦八苦だよ。彼女の意図する事は何なんだろう?」「山ちゃんも同じ事を言ってたね。“権力を笠に着る者は許さないって”勢いだったって。彼女、女子の間でも段々と距離を取られてるし、このままだと浮き上がる可能性があるよ!」道子が懸念を示す。「それは彼女の自由だからあれこれと言うのはマズイだろう?男子も“大魔神”って言って敬遠してるし、どの道クラスから浮くのは仕方ないと思うが・・・」「でもさ、万が一に備えて“繋ぎ”だけは保って置いてよ。Yなら何とか出来るでしょう?」雪枝が言う。「そうするか。扱いは要注意だが、孤立させるのは得策ではない。最低限の付き合いはして置かないとマズイな」「Y、頼むよ!」幸子が背中を押す。「Y君、有賀さんとはどんな関係なの?」堀川がオズオズと聞いて来る。「有賀は、中学の3年間常に僕の背後を取り続けた“背後霊”さ。まさか、高校でも背後に居続けるとは思わなかったがね」「付き合ってたの?」「その逆だよ。都合のいい様に使われてただけ。たまには助け舟は出してくれたが、基本彼女は僕を“利用”するだけさ」「でも、気にはなるでしょう?」「掻き回されない様に気は遣うけど、意識はしない様にしてる。深入りするとこっちが危ないからね。このグループを守るためにも用心しなきゃ」「そうなんだ。知らないで見てると、てっきり付き合ってると思ったから」「堀川さん、アイツは悪魔だ。僕にとっては“対象外”でしかない。そう言う話は無しにしてくれない?」僕は堀川の肩に手を置いて“付き合い云々”を否定した。「堀ちゃん!安心しな。Yがそこまで言うなら間違いなく“対象外”として見てるから」雪枝がフォローかどうか微妙な事を言い出す。堀川は微かに顔を赤らめて頷いた。「道子、雪枝、Yの好みの女性ってどんな感じなの?」幸子が悪魔の微笑みを浮かべて言う。「そうだなー、井口先生が一番近いかな?」「髪はロングかセミロング。すらっとしてて明るい元気な子。もしくは、少し陰のある大人しい子かな?」道子も雪枝もにやけて言う。「でもね、あくまでもこれは“Yの理想”であって、実際は誰にでも優しいヤツだよ。親身になって考えて来るし、窮地に陥っても何とかしようと走り回ってくれる。そのために“策謀”を巡らせるのが得意」道子が今度は真面目に言う。「そっかー、見た目で人を判断するんじゃないんだ!」幸子が妙に納得して言う。「心で見てるからね、コイツは。だからあたし達の仲間に引き込んだのよ。有賀さんにしても“対象外”とか言っても手は差し伸べてるでしょう?野郎達に合わせて何だかんだ言ってても、常に全体をキチント見てるのはコイツの得意技。本当は心底優しいのよ。分け隔てなく接するのがコイツのポリシー」雪枝も真面目に返す。「その心は失って欲しくないな。あたし、転校ばかり繰り返して来たから、結構辛い目にも遭ってるし、面と向かって女子の話に付き合ってくれる男子は初めてだから」幸子がポツリと言う。「さち、堀ちゃん、なかじ、Yはみんなに平等に接してくれるよ」「そう、それはあたし達が保証する。昔からそう言うヤツだからさ」道子と雪枝が僕の頭を突きながら言う。いつの間にか駅に到着していた。甲府方面への電車は5分後にやって来る。道子と雪枝と幸子は、手を振りながらホームへ向かった。松本方面への電車は20分後になる。中島と堀川の3人で見送ると「また明日!」と言って3人は電車に乗った。「Y、理想と現実は別物だよね?」中島が真面目に聞いて来る。「そりゃそうだ。理想を追っかけるのもあるが、最後は“この人のためなら”と思えるかどうか?だよ!」「あたし達に対してもそう?」「勿論、分け隔てはしないよ。せっかく仲間になったんだ。心から信頼できる関係を作りたいね」「菊地ちゃんもそう?」「基本的にはね。ただ、彼女が何を考えているのか?がイマイチ読めなくて困ってる。予測不能ってとこかな?」「あたしは、男子の考えてる事が読めなくて困ってるの。どうしても男子と話すのが苦手なんだ。でも、Y君は違うね。あたし達の話にも平然としてるし、真面目に答えてくれる。そう言う素地はどうやって身に着けたの?」堀川が懸命に突っ込んで来る。「僕の事は、Yでいいよ。君付けは止めて。みんなそうしてるし。中学の時にね、担任の“秘書役”を3年間務めたのが大きいかな?学校の中で一番先生達に顔が知れ渡って、事ある毎に色々な事柄に首を突っ込んで来たからね。その中で“中立公平に物事を見ろ!”って言われ続けたし、そうしないと先生の使いは務まらなかったから。後は、小さい頃から腕力は劣ってるけど、作戦を立てるのは得意だったからだろうな。力はあっても“使い方”を知らないヤツは居ただろう?それを正しい方向に生かしてやれば、みんなが助かる事が多い。“暴力”も使い方次第で“正義”に変えられる。悪役がヒーローになれば、いじめられる事も無くなる。そうやって生きて来たのが僕の今を作ってるんだろうよ」「脇役に徹して来たのね。でも、自分を犠牲にして空しくなかったの?」「そう言う事は考えたことは無いな。でもね、主役を務める方が大変だよ!あらゆる所に気を使うし、決断もしなきゃならない。脇から支えてる方が僕の性分に合ってるからだろうな。輝ける舞台に立つより、舞台を用意するのが僕の役目。それでクラスがまとまるなら僕も考える方に生きがいを感じてたし」「Yの境地に立つには、相当の覚悟がいるね。あたしならとっくに投げ出してるよ」中島が返してくれる。「あたしもYの手伝いをしたいな。とてもYの境地に立てるとは思えないけどさ」堀川も返してくれる。少し照れているが。「2人とも頼りにするよ!女子の動向を教えてくれ!まだ、みんな手探り状態だし、これから何があるか分からない。男子の動向は僕が把握するけど、女子の動向や思いは幸子や道子や雪枝に加えて中島と堀川の協力が必ず必要になる。みんなで協調してクラスを支えて行こうよ!」「うん!」「分かった」中島と堀川が笑顔で答えてくれた。電車の時間がやって来た。2人はホームへ向かう。「Y、また明日!」「おう、またなー!」「Y、明日どんなジュースがいい?」堀川が聞いて来る。「任せる!」僕は一任を告げた。「冷えたヤツを持ってくよ。昇降口で待ってて!」堀川が叫ぶ。僕は電車を見送ると家路に着いた。新しい仲間達との高校生活は順調に滑り出した。一抹の不安は菊地だったが、この時点ではまだ表立っての動きは無かった。間もなく梅雨の時期が来る。雨が降ったら僕もバスを使うことになるだろう。「明日はアールグレイをホットで飲むか?」僕はお茶を決めて自転車を漕いで行った。
5月も終わりに近づいた日。快晴に恵まれた朝、僕は自転車で坂を登り切り昇降口であえいで居た。「これで3度目の登頂成功か!」汗だくになりながら息を整える。山の上の高校は、まだ新しく僕らが2期生となる。よくも悪くも“ラブホテル”と間違われる事から“ホテル向陽”と僕等は呼んでいた。校舎も完全には整っておらず、大体育館とプールと部室の建設は継続していた。新設校のいいところは“煩いOBやOGがおらず、伝統もしがらみも無い”事だった。僕等の歩いた道が“伝統”として受け継がれていく。1期生と2期生は特に“開拓者”としての意識が強かった。故に妙な先輩と後輩の上下関係も無く、和気あいあいとした風が吹いていた。「Y、おはよう!ほれ、冷えたジュースだよ」幸子が缶を差し出してくれる。道子と雪枝も一緒だ。野郎共とも打ち解けて来た昨今だが、この3人の女子とも早々に親しくなったのには訳があった。実は、遠い昔に道子と雪枝とは同じ保育園・小学校に通っていた事があったのだ。初めは“どこかで会った記憶ありませんか?”状態だったのだが、道子が古い写真を持って来て「遠い昔は、一緒に遊んでたよね?」と言ってくれて記憶が弾けた。確かにそこには僕と道子と雪枝が映り込んでいた。「凄い偶然だね!こんなことってあるんだ!」幸子が眼を丸くして驚いた。幸子は、県外から転入して来た関係上、ベースになる“同級生”が居なかった。たまたま、席が隣だった僕に最初に話しかけたのがきっかけで、色々とレクチャーと手助けをしている中で、道子と雪枝が加わり4人で話すようになったのである。今では朝の時間と昼の“お茶会”が定番となっている。
女子には“女子の掟”がある。3人の女子と僕の組み合わせは“不信に思われかねない”危険をはらんでいた。野郎が同数なら問題は無いが、僕1人では如何にもバランスが悪いし、女子も気まずい思いをすると察した。そこで、考えたのが生物準備室での“お茶会”の開催だった。担任の中島先生に頼み込んで場所を確保し、理科助手の井口先生に紅茶のおすそ分けを貰って、お昼休みに“お茶会”を開こうと言うと3人は直ぐに乗ってくれて、あれやこれやと話に花が咲いた。クラスの動向を知りたがっていた中島先生の意向にも沿う形になり、生物準備室のお昼は賑やかだった。これなら、女子の圧力に邪魔される事も無く色々な話が繰り広げられるし、情報交換にも支障が無かった。「こう言う奇抜な手を思い付くのは、Yの独壇場だよね。昔から色々な遊びを思い付いてギャイギャイとやってたの覚えてる?」道子が聞いて来る。「策謀だけは自信がある。ビート盤を重ねて浮力を増してバタ足をやったり、音楽室から全員消えて先生をびっくりさせたりしたなー」僕は霞みがかった過去を思い出す。「後、三輪車での坂下り!靴底が擦り切れるまで遊んだけど、あれもYの発案じゃなかった?」雪枝が言う。「確かに。怒られてもめげなかったよな?靴を何足無駄にしたかな?」遠い昔を振り返ると、結構ヤンチャをやってた事を思い出す。「Yは小さい頃からそうなんだ!発想が豊かなのはいい事じゃない?ここだってYが眼を付けて成り立ってるんだし、凄いね」幸子が改めて関心する。「だが、ここも安泰とは行かないぞ!他の女子達に嗅ぎ付けられたらアウトだ!“女子の掟”は厳しいからな」「それは関係ないよ。いつまでも子供じゃないんだし、自由に話して何が悪いの?確かに女子のコネクションも大事だけど、Yと忌憚なく話してるのが楽しいんだから、それでいいじゃん!」道子が毅然として言う。「そうそう、久々の再会だし、またYの悪乗りで遊べるのがいけないとは言わせないよ!」雪枝も同調する。「あたしにしても、ここへ来て初めての友達なんだから、別に関係ないと思うな!」幸子も同意見だった。「だが、笠原千里を中心とするグループに睨まれるのは、避けなくてはならない。既に魔手は伸びてる。女子の集団は剃刀よりも鋭いからな!」僕はあくまでも警戒を怠らなかった。「それは大丈夫だよ。あたし達が上手くやればいい事だし、Yに手出しはさせないから!」道子が自信あり気に言う。「Yは“立ち位置”さえ決めて置けばいい。男子同士の付き合いもあるだろうし、女子とも適度に距離を取っててくれれば、いざと言う時に困らずに済む。自分が動きやすいポジションを確保しな!」雪枝も心配はいらないと言う。「普段は繋ぎ役に徹する。表立っては動かなくても“影では糸を引いてる”そんな感じが最善かな?」幸子が方向を決定づける様に言う。「そして、ワシの望む情報を手に入れる!それがお前さんの役割だ」中島先生がダメを押す。こうして、僕の役割は決められていった。僕が恐れた笠原グループからの圧力はいつの間にか消え失せた。どうやら、道子達が上手く立ち回って“承認”を得たらしい。新たに中島と堀川も加わり、女子5人と僕の“お茶会”グループはクラス内でも公認となった。はっきりした理由は不明だったが、何かしら使い勝手が良かったのだろう。“あそこなら何かしら手を繰り出してくれる”と言う評判が広がり、徐々に依頼も増えていった。
「Y、何処に行ってのよ!次の授業、Yから?あたしから?どっち!?」重子が焦れていた。何故か有賀重子とは、またまた同じクラスになった。名簿順は直ぐ後ろである。「重子からだよ。僕は前回の最後をやったからな」「えー、あたしか!ねえ、どうしたらいい?」ところ構わずに彼女はこっちを掻き回して来る。「出方を伺ってから答えればいい。そんなに難しい話でもないだろう?」「Yには簡単でも、こっちには難題なのよ!援護しなさいよ!」重子はヒスを起こした。「はい、はい、当てられたら援護しますよ」僕はため息交じりに言って前を向くと、隣の幸子を見る。「頼られてるね」と笑って言うが「中学からずっと背後を脅かす存在だからな。腐れ縁も同然さ」と肩をすくめて言う。「でも、邪見にしちゃダメ!こう言うところを女子は見てるからさ」と小声で忠告をくれる。僕は黙して頷いた。「ねえ、Y君。後で顔貸してくれない?」菊地美夏、弁舌が立ち鋭い突っ込みを入れて来る厄介な子だ。「どうしたの?」と聞くと「質問があるの。答えてくれない?」と言う。「分かった。次の休み時間でいいかい?」と言うと「放課後でいいよ。長くなるし」と仰せだ。「はいよ、時間空けとくよ」と言うと「お願いね」と言って席に戻った。「大魔神からの呼び出しか?ロクな事にならんぞ!尻を蹴られる前に引けよ!」野郎達から警告が飛んでくる。彼女に1度ならずとも吊るされた野郎なら皆コリてるし、美夏は男女共に“危険人物”と認識されている。そんな彼女と渡り合えるのは僕か山ちゃん(山岡謙一)ぐらいしか居なかった。必然的にターゲットにされても致し方無い。美夏の話は何なのか?想像は付かなかった。
「国鉄の民営化について、どう思う?」美夏の質問は、極めて政治色の強いものだった。「水面下で囁かれてるヤツか。民営化するにしても“どう言う体制”にするか?からして問題だらけだから、難しい判断になるな。民営化そのものに反対意見もあるし」「あたしは鼻から反対よ!地方の足を奪う改悪は許される筈が無いもの!でも、仮に分割民営化されるとしたら、どうなると思う?」「分割の仕方そのものが難しい上に、ローカル線を多く抱える北海道、東北、中国、九州。路線が少ない四国をどう扱うかも問題だ。東西に2分割するにしても、どこで線を引くか?でまったく変わるから、一概には判断は出来ないね。貨物は独立させる手はあると思うが」「貨物以外を6分割する案があるの。北海道、東日本、東海、西日本、四国、九州の6つよ。これでそれぞれ経営が成り立つと思う?」「新幹線の帰属をどうするか?にもよるが、経営は楽では無いだろうな。特に北海道、四国、九州は赤字解消は無理だろう」「質問を変えるわ。真珠湾攻撃の真意は何?」「連合艦隊司令長官、山本五十六は知っていた。アメリカの工業力の強大さをね。それを承知で日本がアメリカとの戦争に踏み出すとしたら、“短期決戦”しか方策は無かった。だから初戦でアメリカ太平洋艦隊を壊滅させて、アメリカの戦意を挫く手に出るしか無かった。長引けば形勢は不利になるだけだ。その上で早期講和を持ちかける。山本の意はそこにあった」「山本五十六がアメリカの工業力を知り得た根拠は?」「若い頃にワシントンの大使館で駐在武官として過ごした時期がある。それは確かだ」「航空機で艦船を沈める案を考えられた根拠は?」「海軍航空司令官として、航空機開発の指揮を執った時期がある。“大鑑巨砲主義”の海軍に在って、航空機こそ“次の主力”と考えたのはその時期だろう。だから、空母6隻を投入して真珠湾攻撃を命じた。アメリカも“航空機で攻撃して来る”とは読んでいなかったしな」「“ハルノート”を受け入れるとしたら、攻撃部隊はどうするつもりだったの?」「対米交渉に進展があった場合、機動部隊は引き返す事になっていた。だが、交渉は決裂したから攻撃は決定され暗号電報が打たれた」「第3次攻撃が行われなかった理由は?」「対空砲火によって被害が拡大するのを避ける必要があった。実際、第3次攻撃は検討されたし、攻撃目標はまだあった。だが、機動部隊を安全に引き上げる必要もあった。結局は大本営からの指示と南雲司令官の判断で引き揚げた」「攻撃目標はあったって言うけど何?」「石油タンクや造船ドックは無傷だった。ハワイは離島だから、これらを攻撃していたら被害は数倍、いや数十倍になっていたはずだ」「あんたの頭の中はどうなってる訳?あたしの質問にスラスラと答えた男子は、山岡君とY君だけよ!2人共何を学んで来たのよ?」「広く浅く知り得てるに過ぎないよ。菊地さんこそどうしてこんな質問をする訳?」「今まで答えられる子が居なかったからよ。調べるにしても限界はあるし、知っている人に教えを乞うて何か問題があるの?」「無いね。この手の答えを言えるのは山ちゃんか僕ぐらいだろう。他の野郎共に聞いても沈黙するのがオチだ。でも、これだけは言って置くが、この手の質問は相手を選ばないと誤解されるよ。先生か山ちゃんに聞くに留める事だ」僕は質問に終止符を打ちにかかった。「ご忠告感謝します。でも、あんたも対象者に入れとくわ!これだけの見識を持ってる男子は他に居ないから。質問は以上よ。ご協力感謝します」菊地は入念にメモを取っていた。彼女が何の意図を持って質問をして来たのか?その時は分からなかったが、少なくとも彼女を敵に回すのは避けられたと感じた。だが、これは“新たなる騒動”の序章に過ぎなかった。
菊地の質問に答えた影響で、下校が遅くなった僕は猛然と坂道を下った。5人の女子達は坂道の半ばで捕まえられた。「ほーい!」と声をかけてやると「Y!遅い!遅い!」と苦情の嵐が降り注ぐ。駅まで彼女達を“護送”して、電車の時間まで喋るのが僕等の決まりだからだ。「菊地さんに絡まれてたけど、厄介だったの?」幸子が聞いて来る。「政治がらみの質問に四苦八苦だよ。彼女の意図する事は何なんだろう?」「山ちゃんも同じ事を言ってたね。“権力を笠に着る者は許さないって”勢いだったって。彼女、女子の間でも段々と距離を取られてるし、このままだと浮き上がる可能性があるよ!」道子が懸念を示す。「それは彼女の自由だからあれこれと言うのはマズイだろう?男子も“大魔神”って言って敬遠してるし、どの道クラスから浮くのは仕方ないと思うが・・・」「でもさ、万が一に備えて“繋ぎ”だけは保って置いてよ。Yなら何とか出来るでしょう?」雪枝が言う。「そうするか。扱いは要注意だが、孤立させるのは得策ではない。最低限の付き合いはして置かないとマズイな」「Y、頼むよ!」幸子が背中を押す。「Y君、有賀さんとはどんな関係なの?」堀川がオズオズと聞いて来る。「有賀は、中学の3年間常に僕の背後を取り続けた“背後霊”さ。まさか、高校でも背後に居続けるとは思わなかったがね」「付き合ってたの?」「その逆だよ。都合のいい様に使われてただけ。たまには助け舟は出してくれたが、基本彼女は僕を“利用”するだけさ」「でも、気にはなるでしょう?」「掻き回されない様に気は遣うけど、意識はしない様にしてる。深入りするとこっちが危ないからね。このグループを守るためにも用心しなきゃ」「そうなんだ。知らないで見てると、てっきり付き合ってると思ったから」「堀川さん、アイツは悪魔だ。僕にとっては“対象外”でしかない。そう言う話は無しにしてくれない?」僕は堀川の肩に手を置いて“付き合い云々”を否定した。「堀ちゃん!安心しな。Yがそこまで言うなら間違いなく“対象外”として見てるから」雪枝がフォローかどうか微妙な事を言い出す。堀川は微かに顔を赤らめて頷いた。「道子、雪枝、Yの好みの女性ってどんな感じなの?」幸子が悪魔の微笑みを浮かべて言う。「そうだなー、井口先生が一番近いかな?」「髪はロングかセミロング。すらっとしてて明るい元気な子。もしくは、少し陰のある大人しい子かな?」道子も雪枝もにやけて言う。「でもね、あくまでもこれは“Yの理想”であって、実際は誰にでも優しいヤツだよ。親身になって考えて来るし、窮地に陥っても何とかしようと走り回ってくれる。そのために“策謀”を巡らせるのが得意」道子が今度は真面目に言う。「そっかー、見た目で人を判断するんじゃないんだ!」幸子が妙に納得して言う。「心で見てるからね、コイツは。だからあたし達の仲間に引き込んだのよ。有賀さんにしても“対象外”とか言っても手は差し伸べてるでしょう?野郎達に合わせて何だかんだ言ってても、常に全体をキチント見てるのはコイツの得意技。本当は心底優しいのよ。分け隔てなく接するのがコイツのポリシー」雪枝も真面目に返す。「その心は失って欲しくないな。あたし、転校ばかり繰り返して来たから、結構辛い目にも遭ってるし、面と向かって女子の話に付き合ってくれる男子は初めてだから」幸子がポツリと言う。「さち、堀ちゃん、なかじ、Yはみんなに平等に接してくれるよ」「そう、それはあたし達が保証する。昔からそう言うヤツだからさ」道子と雪枝が僕の頭を突きながら言う。いつの間にか駅に到着していた。甲府方面への電車は5分後にやって来る。道子と雪枝と幸子は、手を振りながらホームへ向かった。松本方面への電車は20分後になる。中島と堀川の3人で見送ると「また明日!」と言って3人は電車に乗った。「Y、理想と現実は別物だよね?」中島が真面目に聞いて来る。「そりゃそうだ。理想を追っかけるのもあるが、最後は“この人のためなら”と思えるかどうか?だよ!」「あたし達に対してもそう?」「勿論、分け隔てはしないよ。せっかく仲間になったんだ。心から信頼できる関係を作りたいね」「菊地ちゃんもそう?」「基本的にはね。ただ、彼女が何を考えているのか?がイマイチ読めなくて困ってる。予測不能ってとこかな?」「あたしは、男子の考えてる事が読めなくて困ってるの。どうしても男子と話すのが苦手なんだ。でも、Y君は違うね。あたし達の話にも平然としてるし、真面目に答えてくれる。そう言う素地はどうやって身に着けたの?」堀川が懸命に突っ込んで来る。「僕の事は、Yでいいよ。君付けは止めて。みんなそうしてるし。中学の時にね、担任の“秘書役”を3年間務めたのが大きいかな?学校の中で一番先生達に顔が知れ渡って、事ある毎に色々な事柄に首を突っ込んで来たからね。その中で“中立公平に物事を見ろ!”って言われ続けたし、そうしないと先生の使いは務まらなかったから。後は、小さい頃から腕力は劣ってるけど、作戦を立てるのは得意だったからだろうな。力はあっても“使い方”を知らないヤツは居ただろう?それを正しい方向に生かしてやれば、みんなが助かる事が多い。“暴力”も使い方次第で“正義”に変えられる。悪役がヒーローになれば、いじめられる事も無くなる。そうやって生きて来たのが僕の今を作ってるんだろうよ」「脇役に徹して来たのね。でも、自分を犠牲にして空しくなかったの?」「そう言う事は考えたことは無いな。でもね、主役を務める方が大変だよ!あらゆる所に気を使うし、決断もしなきゃならない。脇から支えてる方が僕の性分に合ってるからだろうな。輝ける舞台に立つより、舞台を用意するのが僕の役目。それでクラスがまとまるなら僕も考える方に生きがいを感じてたし」「Yの境地に立つには、相当の覚悟がいるね。あたしならとっくに投げ出してるよ」中島が返してくれる。「あたしもYの手伝いをしたいな。とてもYの境地に立てるとは思えないけどさ」堀川も返してくれる。少し照れているが。「2人とも頼りにするよ!女子の動向を教えてくれ!まだ、みんな手探り状態だし、これから何があるか分からない。男子の動向は僕が把握するけど、女子の動向や思いは幸子や道子や雪枝に加えて中島と堀川の協力が必ず必要になる。みんなで協調してクラスを支えて行こうよ!」「うん!」「分かった」中島と堀川が笑顔で答えてくれた。電車の時間がやって来た。2人はホームへ向かう。「Y、また明日!」「おう、またなー!」「Y、明日どんなジュースがいい?」堀川が聞いて来る。「任せる!」僕は一任を告げた。「冷えたヤツを持ってくよ。昇降口で待ってて!」堀川が叫ぶ。僕は電車を見送ると家路に着いた。新しい仲間達との高校生活は順調に滑り出した。一抹の不安は菊地だったが、この時点ではまだ表立っての動きは無かった。間もなく梅雨の時期が来る。雨が降ったら僕もバスを使うことになるだろう。「明日はアールグレイをホットで飲むか?」僕はお茶を決めて自転車を漕いで行った。