limited express NANKI-1号の独り言

折々の話題や国内外の出来事・自身の過去について、語り綴ります。
たまに、写真も掲載中。本日、天気晴朗ナレドモ波高シ

life 人生雑記帳 - 4

2019年03月29日 16時31分23秒 | 日記
第2章 ~ 高校白書

5月も終わりに近づいた日。快晴に恵まれた朝、僕は自転車で坂を登り切り昇降口であえいで居た。「これで3度目の登頂成功か!」汗だくになりながら息を整える。山の上の高校は、まだ新しく僕らが2期生となる。よくも悪くも“ラブホテル”と間違われる事から“ホテル向陽”と僕等は呼んでいた。校舎も完全には整っておらず、大体育館とプールと部室の建設は継続していた。新設校のいいところは“煩いOBやOGがおらず、伝統もしがらみも無い”事だった。僕等の歩いた道が“伝統”として受け継がれていく。1期生と2期生は特に“開拓者”としての意識が強かった。故に妙な先輩と後輩の上下関係も無く、和気あいあいとした風が吹いていた。「Y、おはよう!ほれ、冷えたジュースだよ」幸子が缶を差し出してくれる。道子と雪枝も一緒だ。野郎共とも打ち解けて来た昨今だが、この3人の女子とも早々に親しくなったのには訳があった。実は、遠い昔に道子と雪枝とは同じ保育園・小学校に通っていた事があったのだ。初めは“どこかで会った記憶ありませんか?”状態だったのだが、道子が古い写真を持って来て「遠い昔は、一緒に遊んでたよね?」と言ってくれて記憶が弾けた。確かにそこには僕と道子と雪枝が映り込んでいた。「凄い偶然だね!こんなことってあるんだ!」幸子が眼を丸くして驚いた。幸子は、県外から転入して来た関係上、ベースになる“同級生”が居なかった。たまたま、席が隣だった僕に最初に話しかけたのがきっかけで、色々とレクチャーと手助けをしている中で、道子と雪枝が加わり4人で話すようになったのである。今では朝の時間と昼の“お茶会”が定番となっている。

女子には“女子の掟”がある。3人の女子と僕の組み合わせは“不信に思われかねない”危険をはらんでいた。野郎が同数なら問題は無いが、僕1人では如何にもバランスが悪いし、女子も気まずい思いをすると察した。そこで、考えたのが生物準備室での“お茶会”の開催だった。担任の中島先生に頼み込んで場所を確保し、理科助手の井口先生に紅茶のおすそ分けを貰って、お昼休みに“お茶会”を開こうと言うと3人は直ぐに乗ってくれて、あれやこれやと話に花が咲いた。クラスの動向を知りたがっていた中島先生の意向にも沿う形になり、生物準備室のお昼は賑やかだった。これなら、女子の圧力に邪魔される事も無く色々な話が繰り広げられるし、情報交換にも支障が無かった。「こう言う奇抜な手を思い付くのは、Yの独壇場だよね。昔から色々な遊びを思い付いてギャイギャイとやってたの覚えてる?」道子が聞いて来る。「策謀だけは自信がある。ビート盤を重ねて浮力を増してバタ足をやったり、音楽室から全員消えて先生をびっくりさせたりしたなー」僕は霞みがかった過去を思い出す。「後、三輪車での坂下り!靴底が擦り切れるまで遊んだけど、あれもYの発案じゃなかった?」雪枝が言う。「確かに。怒られてもめげなかったよな?靴を何足無駄にしたかな?」遠い昔を振り返ると、結構ヤンチャをやってた事を思い出す。「Yは小さい頃からそうなんだ!発想が豊かなのはいい事じゃない?ここだってYが眼を付けて成り立ってるんだし、凄いね」幸子が改めて関心する。「だが、ここも安泰とは行かないぞ!他の女子達に嗅ぎ付けられたらアウトだ!“女子の掟”は厳しいからな」「それは関係ないよ。いつまでも子供じゃないんだし、自由に話して何が悪いの?確かに女子のコネクションも大事だけど、Yと忌憚なく話してるのが楽しいんだから、それでいいじゃん!」道子が毅然として言う。「そうそう、久々の再会だし、またYの悪乗りで遊べるのがいけないとは言わせないよ!」雪枝も同調する。「あたしにしても、ここへ来て初めての友達なんだから、別に関係ないと思うな!」幸子も同意見だった。「だが、笠原千里を中心とするグループに睨まれるのは、避けなくてはならない。既に魔手は伸びてる。女子の集団は剃刀よりも鋭いからな!」僕はあくまでも警戒を怠らなかった。「それは大丈夫だよ。あたし達が上手くやればいい事だし、Yに手出しはさせないから!」道子が自信あり気に言う。「Yは“立ち位置”さえ決めて置けばいい。男子同士の付き合いもあるだろうし、女子とも適度に距離を取っててくれれば、いざと言う時に困らずに済む。自分が動きやすいポジションを確保しな!」雪枝も心配はいらないと言う。「普段は繋ぎ役に徹する。表立っては動かなくても“影では糸を引いてる”そんな感じが最善かな?」幸子が方向を決定づける様に言う。「そして、ワシの望む情報を手に入れる!それがお前さんの役割だ」中島先生がダメを押す。こうして、僕の役割は決められていった。僕が恐れた笠原グループからの圧力はいつの間にか消え失せた。どうやら、道子達が上手く立ち回って“承認”を得たらしい。新たに中島と堀川も加わり、女子5人と僕の“お茶会”グループはクラス内でも公認となった。はっきりした理由は不明だったが、何かしら使い勝手が良かったのだろう。“あそこなら何かしら手を繰り出してくれる”と言う評判が広がり、徐々に依頼も増えていった。

「Y、何処に行ってのよ!次の授業、Yから?あたしから?どっち!?」重子が焦れていた。何故か有賀重子とは、またまた同じクラスになった。名簿順は直ぐ後ろである。「重子からだよ。僕は前回の最後をやったからな」「えー、あたしか!ねえ、どうしたらいい?」ところ構わずに彼女はこっちを掻き回して来る。「出方を伺ってから答えればいい。そんなに難しい話でもないだろう?」「Yには簡単でも、こっちには難題なのよ!援護しなさいよ!」重子はヒスを起こした。「はい、はい、当てられたら援護しますよ」僕はため息交じりに言って前を向くと、隣の幸子を見る。「頼られてるね」と笑って言うが「中学からずっと背後を脅かす存在だからな。腐れ縁も同然さ」と肩をすくめて言う。「でも、邪見にしちゃダメ!こう言うところを女子は見てるからさ」と小声で忠告をくれる。僕は黙して頷いた。「ねえ、Y君。後で顔貸してくれない?」菊地美夏、弁舌が立ち鋭い突っ込みを入れて来る厄介な子だ。「どうしたの?」と聞くと「質問があるの。答えてくれない?」と言う。「分かった。次の休み時間でいいかい?」と言うと「放課後でいいよ。長くなるし」と仰せだ。「はいよ、時間空けとくよ」と言うと「お願いね」と言って席に戻った。「大魔神からの呼び出しか?ロクな事にならんぞ!尻を蹴られる前に引けよ!」野郎達から警告が飛んでくる。彼女に1度ならずとも吊るされた野郎なら皆コリてるし、美夏は男女共に“危険人物”と認識されている。そんな彼女と渡り合えるのは僕か山ちゃん(山岡謙一)ぐらいしか居なかった。必然的にターゲットにされても致し方無い。美夏の話は何なのか?想像は付かなかった。

「国鉄の民営化について、どう思う?」美夏の質問は、極めて政治色の強いものだった。「水面下で囁かれてるヤツか。民営化するにしても“どう言う体制”にするか?からして問題だらけだから、難しい判断になるな。民営化そのものに反対意見もあるし」「あたしは鼻から反対よ!地方の足を奪う改悪は許される筈が無いもの!でも、仮に分割民営化されるとしたら、どうなると思う?」「分割の仕方そのものが難しい上に、ローカル線を多く抱える北海道、東北、中国、九州。路線が少ない四国をどう扱うかも問題だ。東西に2分割するにしても、どこで線を引くか?でまったく変わるから、一概には判断は出来ないね。貨物は独立させる手はあると思うが」「貨物以外を6分割する案があるの。北海道、東日本、東海、西日本、四国、九州の6つよ。これでそれぞれ経営が成り立つと思う?」「新幹線の帰属をどうするか?にもよるが、経営は楽では無いだろうな。特に北海道、四国、九州は赤字解消は無理だろう」「質問を変えるわ。真珠湾攻撃の真意は何?」「連合艦隊司令長官、山本五十六は知っていた。アメリカの工業力の強大さをね。それを承知で日本がアメリカとの戦争に踏み出すとしたら、“短期決戦”しか方策は無かった。だから初戦でアメリカ太平洋艦隊を壊滅させて、アメリカの戦意を挫く手に出るしか無かった。長引けば形勢は不利になるだけだ。その上で早期講和を持ちかける。山本の意はそこにあった」「山本五十六がアメリカの工業力を知り得た根拠は?」「若い頃にワシントンの大使館で駐在武官として過ごした時期がある。それは確かだ」「航空機で艦船を沈める案を考えられた根拠は?」「海軍航空司令官として、航空機開発の指揮を執った時期がある。“大鑑巨砲主義”の海軍に在って、航空機こそ“次の主力”と考えたのはその時期だろう。だから、空母6隻を投入して真珠湾攻撃を命じた。アメリカも“航空機で攻撃して来る”とは読んでいなかったしな」「“ハルノート”を受け入れるとしたら、攻撃部隊はどうするつもりだったの?」「対米交渉に進展があった場合、機動部隊は引き返す事になっていた。だが、交渉は決裂したから攻撃は決定され暗号電報が打たれた」「第3次攻撃が行われなかった理由は?」「対空砲火によって被害が拡大するのを避ける必要があった。実際、第3次攻撃は検討されたし、攻撃目標はまだあった。だが、機動部隊を安全に引き上げる必要もあった。結局は大本営からの指示と南雲司令官の判断で引き揚げた」「攻撃目標はあったって言うけど何?」「石油タンクや造船ドックは無傷だった。ハワイは離島だから、これらを攻撃していたら被害は数倍、いや数十倍になっていたはずだ」「あんたの頭の中はどうなってる訳?あたしの質問にスラスラと答えた男子は、山岡君とY君だけよ!2人共何を学んで来たのよ?」「広く浅く知り得てるに過ぎないよ。菊地さんこそどうしてこんな質問をする訳?」「今まで答えられる子が居なかったからよ。調べるにしても限界はあるし、知っている人に教えを乞うて何か問題があるの?」「無いね。この手の答えを言えるのは山ちゃんか僕ぐらいだろう。他の野郎共に聞いても沈黙するのがオチだ。でも、これだけは言って置くが、この手の質問は相手を選ばないと誤解されるよ。先生か山ちゃんに聞くに留める事だ」僕は質問に終止符を打ちにかかった。「ご忠告感謝します。でも、あんたも対象者に入れとくわ!これだけの見識を持ってる男子は他に居ないから。質問は以上よ。ご協力感謝します」菊地は入念にメモを取っていた。彼女が何の意図を持って質問をして来たのか?その時は分からなかったが、少なくとも彼女を敵に回すのは避けられたと感じた。だが、これは“新たなる騒動”の序章に過ぎなかった。

菊地の質問に答えた影響で、下校が遅くなった僕は猛然と坂道を下った。5人の女子達は坂道の半ばで捕まえられた。「ほーい!」と声をかけてやると「Y!遅い!遅い!」と苦情の嵐が降り注ぐ。駅まで彼女達を“護送”して、電車の時間まで喋るのが僕等の決まりだからだ。「菊地さんに絡まれてたけど、厄介だったの?」幸子が聞いて来る。「政治がらみの質問に四苦八苦だよ。彼女の意図する事は何なんだろう?」「山ちゃんも同じ事を言ってたね。“権力を笠に着る者は許さないって”勢いだったって。彼女、女子の間でも段々と距離を取られてるし、このままだと浮き上がる可能性があるよ!」道子が懸念を示す。「それは彼女の自由だからあれこれと言うのはマズイだろう?男子も“大魔神”って言って敬遠してるし、どの道クラスから浮くのは仕方ないと思うが・・・」「でもさ、万が一に備えて“繋ぎ”だけは保って置いてよ。Yなら何とか出来るでしょう?」雪枝が言う。「そうするか。扱いは要注意だが、孤立させるのは得策ではない。最低限の付き合いはして置かないとマズイな」「Y、頼むよ!」幸子が背中を押す。「Y君、有賀さんとはどんな関係なの?」堀川がオズオズと聞いて来る。「有賀は、中学の3年間常に僕の背後を取り続けた“背後霊”さ。まさか、高校でも背後に居続けるとは思わなかったがね」「付き合ってたの?」「その逆だよ。都合のいい様に使われてただけ。たまには助け舟は出してくれたが、基本彼女は僕を“利用”するだけさ」「でも、気にはなるでしょう?」「掻き回されない様に気は遣うけど、意識はしない様にしてる。深入りするとこっちが危ないからね。このグループを守るためにも用心しなきゃ」「そうなんだ。知らないで見てると、てっきり付き合ってると思ったから」「堀川さん、アイツは悪魔だ。僕にとっては“対象外”でしかない。そう言う話は無しにしてくれない?」僕は堀川の肩に手を置いて“付き合い云々”を否定した。「堀ちゃん!安心しな。Yがそこまで言うなら間違いなく“対象外”として見てるから」雪枝がフォローかどうか微妙な事を言い出す。堀川は微かに顔を赤らめて頷いた。「道子、雪枝、Yの好みの女性ってどんな感じなの?」幸子が悪魔の微笑みを浮かべて言う。「そうだなー、井口先生が一番近いかな?」「髪はロングかセミロング。すらっとしてて明るい元気な子。もしくは、少し陰のある大人しい子かな?」道子も雪枝もにやけて言う。「でもね、あくまでもこれは“Yの理想”であって、実際は誰にでも優しいヤツだよ。親身になって考えて来るし、窮地に陥っても何とかしようと走り回ってくれる。そのために“策謀”を巡らせるのが得意」道子が今度は真面目に言う。「そっかー、見た目で人を判断するんじゃないんだ!」幸子が妙に納得して言う。「心で見てるからね、コイツは。だからあたし達の仲間に引き込んだのよ。有賀さんにしても“対象外”とか言っても手は差し伸べてるでしょう?野郎達に合わせて何だかんだ言ってても、常に全体をキチント見てるのはコイツの得意技。本当は心底優しいのよ。分け隔てなく接するのがコイツのポリシー」雪枝も真面目に返す。「その心は失って欲しくないな。あたし、転校ばかり繰り返して来たから、結構辛い目にも遭ってるし、面と向かって女子の話に付き合ってくれる男子は初めてだから」幸子がポツリと言う。「さち、堀ちゃん、なかじ、Yはみんなに平等に接してくれるよ」「そう、それはあたし達が保証する。昔からそう言うヤツだからさ」道子と雪枝が僕の頭を突きながら言う。いつの間にか駅に到着していた。甲府方面への電車は5分後にやって来る。道子と雪枝と幸子は、手を振りながらホームへ向かった。松本方面への電車は20分後になる。中島と堀川の3人で見送ると「また明日!」と言って3人は電車に乗った。「Y、理想と現実は別物だよね?」中島が真面目に聞いて来る。「そりゃそうだ。理想を追っかけるのもあるが、最後は“この人のためなら”と思えるかどうか?だよ!」「あたし達に対してもそう?」「勿論、分け隔てはしないよ。せっかく仲間になったんだ。心から信頼できる関係を作りたいね」「菊地ちゃんもそう?」「基本的にはね。ただ、彼女が何を考えているのか?がイマイチ読めなくて困ってる。予測不能ってとこかな?」「あたしは、男子の考えてる事が読めなくて困ってるの。どうしても男子と話すのが苦手なんだ。でも、Y君は違うね。あたし達の話にも平然としてるし、真面目に答えてくれる。そう言う素地はどうやって身に着けたの?」堀川が懸命に突っ込んで来る。「僕の事は、Yでいいよ。君付けは止めて。みんなそうしてるし。中学の時にね、担任の“秘書役”を3年間務めたのが大きいかな?学校の中で一番先生達に顔が知れ渡って、事ある毎に色々な事柄に首を突っ込んで来たからね。その中で“中立公平に物事を見ろ!”って言われ続けたし、そうしないと先生の使いは務まらなかったから。後は、小さい頃から腕力は劣ってるけど、作戦を立てるのは得意だったからだろうな。力はあっても“使い方”を知らないヤツは居ただろう?それを正しい方向に生かしてやれば、みんなが助かる事が多い。“暴力”も使い方次第で“正義”に変えられる。悪役がヒーローになれば、いじめられる事も無くなる。そうやって生きて来たのが僕の今を作ってるんだろうよ」「脇役に徹して来たのね。でも、自分を犠牲にして空しくなかったの?」「そう言う事は考えたことは無いな。でもね、主役を務める方が大変だよ!あらゆる所に気を使うし、決断もしなきゃならない。脇から支えてる方が僕の性分に合ってるからだろうな。輝ける舞台に立つより、舞台を用意するのが僕の役目。それでクラスがまとまるなら僕も考える方に生きがいを感じてたし」「Yの境地に立つには、相当の覚悟がいるね。あたしならとっくに投げ出してるよ」中島が返してくれる。「あたしもYの手伝いをしたいな。とてもYの境地に立てるとは思えないけどさ」堀川も返してくれる。少し照れているが。「2人とも頼りにするよ!女子の動向を教えてくれ!まだ、みんな手探り状態だし、これから何があるか分からない。男子の動向は僕が把握するけど、女子の動向や思いは幸子や道子や雪枝に加えて中島と堀川の協力が必ず必要になる。みんなで協調してクラスを支えて行こうよ!」「うん!」「分かった」中島と堀川が笑顔で答えてくれた。電車の時間がやって来た。2人はホームへ向かう。「Y、また明日!」「おう、またなー!」「Y、明日どんなジュースがいい?」堀川が聞いて来る。「任せる!」僕は一任を告げた。「冷えたヤツを持ってくよ。昇降口で待ってて!」堀川が叫ぶ。僕は電車を見送ると家路に着いた。新しい仲間達との高校生活は順調に滑り出した。一抹の不安は菊地だったが、この時点ではまだ表立っての動きは無かった。間もなく梅雨の時期が来る。雨が降ったら僕もバスを使うことになるだろう。「明日はアールグレイをホットで飲むか?」僕はお茶を決めて自転車を漕いで行った。

life 人生雑記帳 - 3

2019年03月28日 09時49分55秒 | 日記
運動会は僕らの黄グループが優勝を飾ったし、続く音楽会でも僕らのクラスは5組を抑えて優秀賞をさらった。内田先生が歯ぎしりをして悔しがったのは言うまでもない。原VS内田の勝負は5組の惨敗に終始した。沼田先生とのバトルも決着し、敏子にも明るい表情が戻った。そして、10月の半ばになると“ストーブ”の据え付けが始まった。進路指導も佳境を迎え、各人が“受験先”を意識し始めた。最後の大勝負である“高校受験”の熾烈な競争の幕が切って落とされたのだ。1時間目が終わった後「Y、何処を受けるのよ?」隣の席には絵里が巡って来て居た。「山の上だよ。絵里は?」「あたしは、S実業。お正月を過ぎたら、みんなと居られる時間も残り少なくなるね」「ああ、それよりも“1発勝負”に全てを賭けるしか無い現実が怖いよ!」「それは大半がそうじゃん!Yの成績はともかく、内申点は高いんじゃない?」「それだけでは“合格”は無理だよ。あー、これまでの“策謀”から抜け出して真面目に授業を受けなくちゃ!」「それは両立させろ!Y、3組の田口先生を捕まえてくれ!あそこの授業が相当遅れてる。このプリントの山を届けるんだ!」原先生が抱えていたプリントの山を僕の机に置く。「田口先生の“ねぐら”は何処だ?彼は中々捕まらん!」先生がぼやくが「旧校舎の奥の奥に隠れてますからね。容易には捕まりませんよ!」と僕が言うと「そこを何とか突き止めろ!このままでは、3組の授業に支障が出る。他の先生達も手を焼いてるんだ!Y、何とか追跡しろ!」僕は絵里の顔を見た。彼女はクスクスと笑っている。「こう言う芸当はお前にしか出来ない!授業に影響が出ない範囲で捜索をして、コイツを押し付けろ!」先生はダメを押す。「分かりました。今日中でいいですか?」「必ず捕縛しろ!これは学年全体の問題になってる。何としても今日中にカタを付けろ!」僕は仕方なく引き受けた。「Y、頑張りな!」絵里は笑っていたが、こっちは笑い事では済まされない。厄介な仕事がまた増えた。ツンツンと鉛筆で僕の背を突くヤツが居た。「あたしが繋ぎを付けてあげようか?」有賀重子だ。以前、僕を追い詰めたのは有賀千洋(ちひろ)で“2人の有賀”の片割れである。この子は何故か常に僕の背後の席を取る妙なクセがあった。3年間、席が固定化していたのは僕と有賀重子だけだった。この後、高校の3年間も彼女は僕の背後を脅かす“背後霊”となる。今は、“購買委員会”の委員長をやっている才女だが、困り事があると“必ず尻拭い”を持ちかけて来る悪魔でもあった。「浩子に言って置くからプリントの山は、田口先生の机に伏せて置いときな!その上で先生を捕まえればいいじゃん!」確かにその方が効率はいい。「悪いけど頼むよ」僕は重子の提案を受け入れた。たまにはこうして僕を助けてくれる事も無くは無いので、最低限の付き合いは常に保っていた。重子の計らいでプリントの山は3組に押し付けたが、肝心要の田口先生の行方は分からない。「何処に潜んでるんだ?」僕は途方に暮れた。

3時間目は国語の授業だったが、原先生の“空腹感”は抑えきれなくなっていた。授業中に「Y、買い出しに行け!いつもの品とタバコも1カートン頼む」と財布を渡された。例に寄っての脱走である。だが、次の言葉に僕は唖然とした。「絵里も同行しろ!絶対に見つかるなよ!」同行者が付くのは初めてだし、しかも絵里を指名するとは思わなかった。しかし、命令は絶対だ。「分かりました。よし、行こう」僕と絵里は教室を抜け出すと、コンビニへ向かった。絵里はピッタリと僕に寄り添って来る。「今日はどう言う風の吹きまわしだ?同行者が居るなんて初めてだよ」「それはね、あたしが先生に直訴したからだよ。“脱走やらせて下さい”って日記に書いたから」「そう言う訳か。先生も思い切った事をやらせるな!」僕らは難なく校外へと抜け出した。絵里は頻りに後ろを振り返る。「大丈夫だ。変にキョロキョロしないで。真っ直ぐに行けばいい。問題は帰り道だよ。どうやって潜り込むか?の方が難しい」「そうか!“証拠物件”を持ってるもんね」「それだよ!遠回りになっても確実に帰らなくては意味が無い。協力して周囲を警戒しないと大変だ!」僕は絵里に言い聞かせた。「あー、日差しが暖かいな!こんな新鮮な空気を吸ってるのか。Yは幸せだね」絵里はリラックスして歩いて来る。買い物自体は何の問題も無く終わった。2人で校舎を目指して歩き出すと「どこから入り込む?」と絵里が聞いて来る。「旧校舎に潜り込んで、様子を見よう。家庭科室に7組と8組の女子が居るはずだ。それをかわして階段へたどり着くのが一番難しい。場合に寄っては職員室の前を走り抜けるしかない」「結構大変だね。Yはいつもどうやって潜り込んでるの?」「ケースによりけりだよ。その場の判断って言うか、本能だね。5分くらい潜んでる事もザラにあるし、一気に走り抜ける場合もある」「見つかった事は無いよね?」「未だかつて失敗した事は無いよ」校門を抜けると最も北側にある旧校舎へ侵入する。古びて埃だらけの教室の窓から校舎を伺う。「やっばりか!家庭科室の前にチョロチョロしてる女子が居る。中条先生も居るな。こっちはダメだよ。リスクは高いが、職員室の前を走り抜けるしかないか!」僕がそう言っていると、絵里はピッタリと僕の背中に貼り付いて来る。「絵里、重たいよ」押しつぶされそうになるので軽く言うと「胸が気になるんでしょ!ペチャパイだけどさ」と絵里は鼻で笑う。「ついでに言うとスラックスのファスナーが半開きだ!ピンクの水玉が・・・」「スケベ!」絵里の拳が降って来る。「Y、それよりどうするのよ?」「女子が布巾を干してるだろう?もう直ぐ家庭科室へ引き上げるはずだ。そうすれば最短距離で抜けられる!もう少し様子を見よう」僕は慎重に気配を伺っていた。「そう言えば絵里もだけど、どうしてスラックスなんだ?スカート履かない訳は何?」僕は真顔で絵里に聞いた。「あたしだけじゃないでしょう?長田も飯田も重子も山本だってそうじゃん。後、阿部だってそう。スカートを履かなきゃいけない規則は無いはずじゃん!でもね、スラックスに慣れるとスカートは寒いのよ。めくられる危険もあるし」「坪井の餌食になってるからか?」「それもあるけど、動きが自由にならないのがネックなのよね。スカート履くと余計な神経を使うし」「絵里は似合うのにもったいないな。進学してもスラックスがあったら履かないのか?」「多分ね。あたしのスカート姿って似合ってた?」「うん、女の子らしかったな」「なによそれ!あたしは男子か?」「セーラー服ならスカートが似合うと僕は思うけど、昔散々めくられた口かなって思ってさ」「トラウマにはなってるね。結構派手にやられたし・・・。何なら明日、スカート履いて来ようか?Yとあたし日直じゃない。ストーブの試運転やるんでしょ?朝早いから特別に見せてやる!」絵里が突然に言い出した。「期待せずに待ってるよ。明日はぐっと冷え込むらしいから。おっと、空間が空いたぜ!絵里、一気に走り抜けよう!」僕は急いで絵里を引っ張って行く。「ちょっと待ってよ!置いてくなよ!」絵里も必死に付いて来る。僕等は無事に教室へ滑り込んだ。

4時間目が始まる前、僕は家庭科準備室へと降りて行った。旧校舎で様子を伺っていた際、準備室に男性らしき陰を見つけたからだ。ぼんやりとしか見えなかったが、田口先生のシルエットに見えたからだ。「失礼します」僕は家庭科準備室のドアを開けた。実習で作ったと思われる団子をほうばっている田口先生と中条先生が居た。「やっと見つけた!」僕が言うと「刑事部長に尻尾を掴まれたか!Y、何事だ?」と田口先生が逃走犯の様に言った。「先生のクラスにプリントの山をお届けしてあります!各教科の遅れを取り戻して下さい!他の先生方はブチ切れる寸前です!」と言い放って睨みつける。そもそも、田口先生のクラスは“放牧状態”もいい所で、授業中に女子がマンガの回し読みをしたり、男子も居眠りや無駄話が絶えないらしい。他教科の先生達もお手上げ状態で、内田先生もサジを投げているくらい状況は悪い。「Y、3組をまともに指導できるのは誰だ?」と事ある毎に先生方がぼやく始末だった。「いやー、済まんな。早速プリントを配布して各先生方へ提出させる。ちなみに、ウチはどの位遅れてるんだ?」田口先生は呑気に聞いて来る。「僕らは教科書の3分の2は終わってますが、3組は半分も終わってません!先生!団子食べてる暇はありませんよ!」僕はここぞとばかりにたたみ掛ける。「えー!それじゃあ・・・」「先生が吊し上げを喰らっても知りませんよ!」僕は追及の手を緩めなかった。中条先生が笑っている。“生徒が教諭を追及している”図が可笑しくてたまらないらしい。「うーん、補習授業は組めないのかな?」田口先生が言うが「先生がやる気にならなきゃ、生徒は着いて来ません!尻を叩くなら早くしないと致命的な結末が待ってますよ!」と僕は脅しをかける。「Y、ようやく“犯人”を逮捕した様だが、ここからは俺達の出番だ!後は任せろ!」と背後から声がかかった。大島先生を筆頭に先生方数名が押し掛けていた。「分かりました。僕の役目は果たしましたので、後はお任せします」と言って家庭科準備室を後にした。教室へ戻ると原先生はまだ残っていた。「田口先生を“逮捕”しました。家庭科準備室へお急ぎください!」と僕が言うと「良くやった!田口は誰と居る」「今、大島先生以下他教科の先生が取り押さえてます」と言うと「俺も急行するか。とにかく捕まってるなら徹底的に言わないとヤツは煮え切らん!」原先生はそそくさと階段を下りて行った。「Y、いつ捕捉したのよ?」絵里が聞いて来る。「さっき旧校舎で様子を伺ってた時に気付いた。呑気に団子を食べてたよ」とため息交じりに言うと「浩子がね、勉強が遅れてて困るってこぼしてた。少しは追いつけるかな?」と重子が噛んで来る。「土曜の午後に目一杯、補習を組まないと難しいと思う。これから巻き返すとしたら、それでもギリギリじゃないかな?分からないところは教えてやったら?」と返すと「そうする。3組は鬼門だね。危機感持ってるのは数人しか居ないらしいのよ」と重子が言う。「担任に田口先生を据えたのが間違いだったと言う事になるね。あのクラスだけじゃないかな?ランニングの目標を達成してないのは?」「そう言えばそうだよ!どうなっちゃうの?3組は?」重子の問いに答える事は出来なかった。

翌日の朝、予報通り今シーズン一番の冷え込みに見舞われた。僕は一番に教室へ入るとストーブの試運転にかかった。予想通りススが出て焦げ臭い匂いが充満する。あわてて窓を少し開けて換気にかかる。そこへ絵里が鼻を真っ赤にして飛び込んで来た。「寒い!」彼女はガタガタと震えていた。そして何とスカート姿で来ていた。「Y、どうよ?あたしのスカート姿は?」と自慢げに言う。「うん、やっぱり似合ってる。本当に履いて来るとは思わなかったよ」と言うと「しかと眼に焼き付けときな!卒業式までは公開しないからさ!」と言うと両肩に手を置いて真顔で言う。「可愛い?」と聞くので「可愛いよ」と返すとそっと抱き付いて来る。しばらくそのままでいると絵里は「初めて言われた。ありがと」と耳元で囁いた。「後ろ向いてて」と言われるのでじっとしていると、絵里はスラックスに履き替えた。「Yだけに見せたかったから、内緒にしてよ!」と言ってスカートを畳んで通学鞄に押し込んだ。「ストーブはどう?」と聞かれるので「ススが逃げてくれれば火力を上げても大丈夫そうだ。少しづづ出力を上げよう」と言って微調整に入る。「絵里、またまたなんだけど、スラックスのファスナー開いてるよ!」と僕が言うと「馬鹿!スケベ!」と絵里は言うが目は怒っていない。逆に笑っていた。絵里はしっかり者だが、時として無防備になるクセがあった。そこが彼女らしいところだったが、男子にすれば“からかい”の対象となって襲われる原因にもなっていた。「坪井に見つかったら事だよ。気を付けな」「そうだね。あたしの唯一の欠点。でも、Yは変な事はしないって知ってるから安心してられる。さあ、ランニングに行こうよ!」絵里が誘う。「よし、行くか!」僕等は校庭へ向かって走り出した。この後、卒業写真の撮影日と卒業式当日の2回、絵里はスカート姿を披露したが、それ以外の日はずっとスラックスで通した。彼女が僕にだけ披露したスカート姿。内心、彼女はどう思っていたのか?遂に聞く機会は訪れなかった。高校2年の正月、絵里に宛てた年賀状が“宛先不明”で戻って来た。何故なのか、何があったのか?知るための術は無かった。ただ、絵里は「Yは、将来途轍もなく精密なモノを作る技術者になるだろうね」と常々言っていた。奇しくもその言葉は当り、僕は精密樹脂部品の加工・量産の技術開発に携わる事となった。絵里が今何処に居るのか?幸せに暮らしているのか?確かめる事が出来ないのがもどかしい。

12月のある晴れた日、僕等クラス全員は、¨バード¨の墓参に向かった。¨羽鳥栄一¨は、1年生の夏に他界してしまったクラスメイトだ。循環器系に爆弾を抱えていた¨バード¨は、クラスマッチの練習中に発作を起こして、そのまま帰らぬ人となってしまった。大勢が見ている中、突然崩れ落ちた¨バード¨。懸命の蘇生処置も虚しく旅立って行った彼の姿は、全員の脳裏に鮮明に焼き付いていた。今日は、月命日でもあったし、全員の¨受験先¨が決まったので報告方々の墓参となった。彼の墓にはクラス全員の名札が納められており、出席番号も¨欠番¨になっていた。これらは、残された僕等が決めて先生達を説得した結果だった。僕のパートナーにして、有能な¨参謀¨だった¨バード¨。よく2人で話したのは「運動神経は悪くても、僕等には¨頭脳戦¨がある。実戦は出来るヤツに任せて、俺達は¨作戦担当者¨として相手の手の内を探ろう!卑屈になる必要性は無い!」運動が出来ない代わりに頭で戦いを有利に導け!彼亡き後、僕はひたすらに作戦を練りクラスに勝利をもたらし続けた。それが¨バード¨の意思だったからだ。実際、彼が倒れる5分前も僕は¨バード¨と作戦を相談していた。全ての体育行事が終わった今、僕は彼に¨作戦成功¨の報告をしに行った。小春日和で風も無く穏やかな光に満ちていた。その帰り道、最後尾を歩いていると、絵里が近寄って来た。「Y、この道を一緒に歩いて通学するのが、あたしの夢だったんだよ!でもね、親が¨簿記¨とか¨会計¨の資格を取らせたいって言って反対された。あたしも¨バード¨も見ているこの上に行きたいよ!」絵里は半泣きになった。「¨バード¨は何処に居ても僕等の心の中に居る。行く道は違うが、僕は絵里を忘れない。絵里だってそうだろう?」「Y、S実に来ない?来れないかな?」「僕も慎重に考えた。先生とも話した。僕は決死の覚悟で受けると決めた。決めた以上、ぶれるのはダメだ。絵里、君もぶれたら落ちる。今は本番に向けて頑張ろう!」僕は絵里と手を繋いで言い聞かせる。「Y、こうやって2人で歩く日またあるかな?」「あるさ。お互い大人になったら、きっとあるさ!」「うん、信じてるからね!」絵里は強く手を握りしめると涙を拭って前を向いた。最後尾を歩く僕と絵里。“2人共頑張れよ”と“バード”が背中を押してくれた様な気がした。

そして3月。クラス全員が現役合格を決めた。それぞれに進む道は別れるが、笑顔で卒業式を迎える事が出来た。式の2日前、僕等は再び“バード”の元へ向かった。「羽鳥、全員志望校に合格した。お前の力添えがあればこそだ。ありがとう!」先生が優しく声をかけ、全員が花を手向け合掌した。“バード、任務完了だよ。これからは、みんなそれぞれの道を歩む。空からみててくれ”僕は心の中でそう報告した。恐らくクラス全員で校外行動するのもこれが最後だろう。それぞれが色々な感慨を持って来た道を引き返して行く。僕と絵里は、この日も最後尾で並んで歩いていた。「Y、今日もいい日だね。4月からはバラバラになっちゃうけど、みんなとの思い出は消えないよね?」「ああ、消えるもんか!生涯忘れることは無いだろうよ!最高の仲間達だったからな」「あたしもそう思う。何処に居てもこの空は繋がっている。通う高校は違っても同じ空の下で、頑張ればいいよね?」絵里がまた手を繋いで来る。「怖いのか?」「不安だらけ。Yの居ない生活は想像が付かない。でも、この瞬間を忘れないで!きっとまた会おうよ!」絵里は笑顔で言った。「必ず会おうぜ!同級会でな!」僕が言うと「20歳の成人式で、あたしを見つけられるかな?きっとYがびっくりするくらい美人になってやる!」と絵里は自信を見せた。「その前にファスナーを閉めるクセを付けろよ!水色の水玉・・・」「馬鹿!スケベ!」絵里が拳で頭を叩くが、眼は悪戯っぽく笑っている。こうして2人ではしゃぐのも当分先までお預けだろうと僕は漠然と思った。卒業後、バラバラになった僕等のクラスには、色々な事が待ち受けていた。絵里の失踪や飯田の10代での結婚、長田の25歳での別れ。彼女はガンで転移も早く、発見された時は手遅れだった。先生もアメリカへ渡り、それぞれが流転の人生を歩む事になる。卒業から25年後に集まった同級生は、3分の1に満たなかった。だが、みんなは必ずや生き抜いているに違いない。故郷を遠く離れてもこの同じ空の下で懸命に歩んでいるだろう。「Y、お前は最高の“秘書官”だった。この3年間は俺の宝になるだろう」原先生が別れ際に行ったこの言葉は、今も僕の胸に響いている。

life 人生雑記帳 - 2

2019年03月25日 18時15分17秒 | 日記
「Y、ちょっと残ってくれ」理科の授業が終わったところで、大島先生が僕を呼び止めた。誘われる様に“理科準備室”へ招かれる。「お前も気付いているだろうが、原先生と沼田先生のバトル。どうにかならんか?」学年主任でもある大島先生がぼやく。「沼田先生の背後には内田先生が居ますよね?犬猿の仲ですからね。両者が譲り合うとは思えません!」僕がそう返すと「やはりそれか!このままではマズイ展開になるのは火を見るより明らかだ。やはり乗り出すしかあるまい。これを原先生に渡してくれ!」大島先生がメモ書きを僕に差し出す。「言うまでも無いが、他言は無用だ!くれぐれも他の先生方に気付かれるなよ!」「はい、お預かりします」僕はメモ書きを内ポケットへ滑り込ませる。「きっかけは何だ?お前は何処まで知っている?」「女子の中の誰かが、沼田先生と直接相談しちゃったのが引き金になったとは聞いてます。そこから事がこじれて行ったのと、内田先生が乗り出して来たのが追い打ちになっています。原先生にしても“引くに引けない”状況でしょう。元々仲は微妙でしたが、沼田先生があちこちに話をばら撒いたのと、内田先生が支持に着いたのが面白くないのは確かです」僕は知り得ている範囲を話す。「分かった。この話は俺もお前から聞いたとは言わん。だが、これ以上事がこじれるのは問題だ!ウイスキーか?日本酒か?」「水割りです。最近はロックでやっている様ですよ!」「分かった。考えて見るか!もういいぞ。確実にメモ書きは手渡してくれ!」大島先生は時計を見る。休み時間は5分を切っていた。「失礼します」と言って“理科準備室”を抜け出すと同校舎3階の“国語準備室”へ急いで登る。ドアをノックして「失礼します」とドアを開けると原先生がタバコを吹かしてプリントの仕分けをしていた。「Y、どうした?」「大島先生からの伝言です」と言ってメモ書きを手渡す。しばらく見入っていた原先生は「水割りかロックと言ってあるな?」と確認を入れる。「はい、そう返事をしてあります」と言うと「よし、久々にタダ酒だ。給食は控えめにするか?丁度いい、このプリントを5組へ届けろ。内田の顔色を窺って来い!」とプリントの束を指す。「分かりました。始業に遅れますがいいですか?」「ああ、ヤツの腹の内を見定めて来い!」「はい」僕はプリントの束を抱えると、北校舎の3階を目指した。5組と6組は体育のはず。内田先生は教室で策略を巡らせているはずだ。さりげなく教室内を見回して変化が無いかも確認をしなくてはならない。運動会が近づいていた。



マンモス校の運動会は大変だ。赤白以外に青と黄の組が縦割りで編成され、総当り戦が組まれる。1年や2年も頑張らなくてはならないが、3年は“大将戦”として勝敗を左右する立場になる。これまでの2年間、5組には負けていないが“最終学年”として各組の担任は成績に拘る。原と内田の両者は“犬猿の仲であり、因縁の対決”に燃える傾向が特に強かった。クラスマッチも運動会も内田の5組は僕らの2組に“惨敗”を続けていた。今回は特に“勝ちに拘る”に違いない。そのためには、禁じ手をも辞さないだろう。現在進行中の先生方のバトルもそうだが、とにかく内田は原先生を“ギャフン”と言わせたくてたまらないのだ!果たしてどう言う手を考え出すのか?それを探るのが今回の任務だ。



案の定、内田先生は教室の机で唸っていた。「失礼します。先生、プリントをお届けに来ました」と僕が言うと「おー、悪いな。持って来い!」と手招きをした。机の上には“体力測定”のデーターと電卓が置かれていた。どうやら、数字を積み上げて勝てる算段を組み立てているのだろう。「原の機嫌はどうだ?つまらん事でグダグダ言いおって、ピアノの音が狂いっぱなしだ!」吹奏楽部の顧問である内田先生の言葉を聞いて、バトルの元凶はどうやらウチの敏子らしいと察しがついた。「お前のとこの戦略は読めている!だが、ウチにも“秘策”はある。“今度こそ2組に勝ってやる”と原に言っとけ!こっちには優秀な1年と2年が付いているしな。ヤツもそこまで計算はしとらんだろう?」「どうでしょう?僕らも全力でやりますから、易々とは負けませんよ」と挑発して見ると「数字は嘘は付かない!前半でリードすればこっちにも勝ち目はあるぞ!お前らがヘトヘトになったところで勝負すればこっちのモノだ!優勝は貰った!」と胸を張った。壁を見るとウチのクラスの個人成績が貼り出されている。各人に意識させるためだろう。「それとだな、これを原に渡してくれないか?」内田先生は封筒を差し出す。「分かりました。お預かりします」と受け取ると「沼田先生からの親書だ。彼女も反省しとる。いい加減に和解しろと原に言っとけ!」と言い放った。あまり長居をすると怪しまれるので、封筒を内ポケットにしまうと「失礼しました」と言って5組の教室を辞した。



自分の教室へ舞い戻ると、運動会の作戦会議が始まっていた。¨指定席¨座ると「Y、内田はどうだ?」と先生が聞いて来る。僕は席を立ち聞いたままを報告して、沼田先生の¨親書¨を差し出す。先生は、¨親書¨に眼を落とすが薄笑いを浮かべると「Y、これは適当に¨始末¨して置け!」と言って封筒を差し出す。つまりは¨いらないから分からない様に処分しろ。中身は一応見て置け¨と言う意味合いだ。「それと、内田の話だがどう思う?」「確かに数字は嘘は付きませんが、心の内まで読んでるとは思えないですね。天候や風向きや心理状態を含めて総合的な判断をしないと、結果だけを求めても勝てるはずはありません。逆にプレッシャーになって散々な成績になるのでは?」「俺もそう思う。ウチと5組の決定的な違いは¨厚み¨だ。先行逃げ切りはこの¨厚み¨があるか無いかで大きく変わる。1年生や2年生は¨飲まれれば¨本来の力は出せないはず。それを内田はどう読んでるか?だが、お前はどう感じた?」「単純に数字を繋ぎ合わせてるだけだと思います。団体競技は作戦は立て易いですが、リレーは数字以上に心理戦です。先行逃げ切りを狙ってるんでしょうが、向こうは¨追われる立場¨を知りませんから、電卓でいくら計算しても数字通りに事が進むはずがありません」「そうだな。内田が知らないのはそこだ。事は思惑通りには運ばんモノだ。精々電卓を叩かせて置くか?」「はい」「よし、いつもの様に¨最強のメンバー¨を集めよう!お前は、作戦担当者として相手の出方を分析して、俺に策を提案しろ!委員長!Yは¨いつもの任務¨に当てるから、なるべく競技から外せ!」「分かりました。どうしても人手が足りないモノだけにします!」こうして僕は運動会の選手選考からは外れ、¨作戦担当者¨として頭脳戦を戦う事になった。体力は無くとも作戦は立てられる。だが、今回は“勝ちに拘る策”を求められる。「瞬時の判断が事を左右しかねない」僕は選考メンバーを見ながら早くも思慮に沈んだ。



給食が終わった直後だった。「Y、ちょっと顔貸してくんない?」女子のお呼び出しだ。Tさんを筆頭に長田、山本、有賀、阿部の5人がずらりと顔を揃えている。嫌な予感が背筋を凍らせるが、行かないと“つるし上げ”を喰らいそうなので、仕方なく教室の隅へ向かう。「あんた、大島先生に呼ばれた後、何処に行ってたのよ?」長田が口火を切った。「それは言えない。先生達からの依頼は、原則話してはいけないんでね」僕が返した途端「沼田先生とのバトルの引き金になったのが、敏子だって気付いてるよね?今、どうなってるのよ!」山本が斬り込んで来る。「それも言えない。ただ、数日中に何らかの変化はあるとは言える」と僕はぼかしてして答える。「守秘義務があるのは知ってるけど、そこを敢えて曲げて答えなさいよ!敏子の命運がかかっているのよ!バトルは終結に向かうの?どうなの?」Tさんも踏み込んで来る。眼つきが怖いが、話していい事と悪い事はハッキリしている。“秘書役”としての責務上、これ以上の“情報開示”はNGだ。「今晩、大島先生が説得工作をやる。その結果如何で流れが変わるかも知れない。これ以上は勘弁して!」僕は逃げに入る。「あんたの口の堅さには、恐れ入るけど風向きが変わりつつあるのは確かなのね?」「敏子と先生が和解する方向に向くかも知れない?そう言う事?」有賀と阿部が出口を塞ぎつつ言う。「これ以上はNoコメント!沼田先生の背後には内田先生が付いてるから、原VS内田の代理戦争になってるのは分かるだろう?これ以上首を突っ込まない方がいい!」僕は必死に脱出口を探す。「あんた、先生から封筒を渡されてたけど、あれは何よ?」長田が尚も突っ込んで来る。「中身は知らない。ただ、後を残さず“始末しろ”って言われたモノだよ。もう、勘弁して!」僕は身を翻して逃げようとするが、女子達5人は中々逃走をさせてくれない。「敏子はどうなるのよ!曖昧に処理されても困るんだけど!」有賀が噛みついて来る。「そこまでは、僕も感知してない!どうするのか?も聞いてない。答えようが無いよ!」いい加減僕も解放されたくて、つい口調が荒くなる。「全ては今晩の説得工作次第って事?そこから先は、あんたも知らない?知らされてない?」Tさんがダメを押しに来る。「そう言う事!僕が知ってるのはそこまでだよ!」僕は悲鳴を上げた。つくづく実感するが、女子の集団は怖い。「悪かった!あんたを責めるつもりは無いよ。ただ、先がまったく見えないからこっちも困ってたのよ。でも、少しは明るい要素はあるんだね?それが分かれば敏子も気持ちが楽になる。もう少し様子を伺っているわ。でも、何か掴んだら話してくれないかな?」長田が言う。「全部は無理だけど、風向きが変わったのを感知したら知らせるよ」僕は止む無く“取引”に応じた。5人の女子はようやく僕を解放してくれた。敏子の席を見ると彼女は打ちのめされた様に座っていた。僕は急いで焼却炉へ向かった。“親書”を燃やす為だ。燃やす前に一応内容を読んだ。切々と謝罪の文言が綴られていた。「もしかすると、これは無くてはならないモノかも知れない」と僕は呟いた。今後の展開によっては、“親書”の存在が命運を左右する可能性もある。僕は独断で“親書”を制服に終い込むと教室へ戻り、通学鞄の底へ押し込んだ。



それから数日後の夕方「Y、例の“親書”はどうした?」学校委員会が終わって帰ろうとしていた僕に原先生が聞いて来た。「“始末”を言われましたので、焼却炉へ投げ込みましたが?」と言うと「ヤバイ事になった。“親書”の存在を問われて窮地に立っている。本当に灰にしちまったか?」先生はお手上げのポーズを取る。「実は・・・、もしやと思いまして、保管しています」と言って僕は通学鞄の底から“親書”を引っ張り出して先生の前に差し出した。「ほう、それは慧眼だ!首の皮1枚で繋がったよ!中身は読んだか?」「いえ、何も知りません」僕はそう言った。「流石だな!食えないヤツだ。知りながら知らないと言う。燃やしたと言いながら、手を回してある。俺の仕込みに100%答えてやがる!やはり、適材適所だったよ」先生はホッとした様に笑った。「敏子の事はちゃんと考えてある。戸口に隠れてる女子達に一言言って置け!それから、コイツの中身は他言無用だぞ!」先生は僕の左肩を軽く叩くと「もう、遅い。帰宅しろ」と言って教室を出て行った。Tさんと長田が雪崩れ込んで来る。「どうだった?」「和解の道筋は付けたって。明日くらいに話があると思う」と言うと「こっちが聞き入って居たの知ってたの?」長田が言うので「気配は察してた。先生も僕も。ちゃんと考えてるよ。先生は」僕が帰り支度をしながら言うと「よかったー、これで敏子もトンネルから脱出出来る!」2人は笑顔になった。「さあ、帰るぜ!早くしないと怒られちまう」「そうだね。ちょっと待ってて、あたし達も支度するからさ。途中まで“護衛”してよ!」Tさんが言う。「あいよ。あまり役には立たないけど」と僕も笑った。



運動会当日、黄の僕らのクラスと赤の5組が真正面から激突した。戦いは5分。一進一退の攻防が続いた。昼食休憩の時「Y、これから後半だが、女子は“騎馬戦”が男子は“棒倒し”がネックになる。何か策は浮かんでいるか?」と先生が問うた。「“棒倒し”は分かりませんが、“騎馬戦”は陣形でほぼ8割が決まります。赤が先に戦う場面にしたいですね。くじ引きの運もありますが。“綱引き”は先手さえ取れれば勝ちは見えてます」と答えた。「今、長田が“騎馬戦”のクジを引きに行ってる。赤の陣形を見定められれば、手はあるんだな?」「はい、恐らく赤は中央に3年生を置いて正面突破を図るでしょう。僕等は2年生を“当て馬”として中央に配置して、1年生を後ろにして3年生と共に左右に翼を広げた様に配置します。そして、1年生に撹乱をさせて3年生が中央を包囲する作戦です」地面に図を描いて説明する。「乱戦に持ち込む訳か!」「確実に3年生を殲滅するにはこれしかありません。大将戦は言うまでも無く勝てますから、僅差でもいいので騎馬を1騎でも多く残せばいいんです。2年生だって善戦はするでしょうし」「包囲されるとは思わないか?だが、次は通用しないぞ!どうする?」「1度見れば向こうも同じ陣形を取って来るでしょうから、2年生を3年生へ置き換えればいいんです。中央を開けて左右から挟み撃ちにすれば向こうも戸惑うでしょう」「うーん、図上ではそうだが、実戦ではどうでるかな?」「展開を有利にするには、赤が全て先に試合をする当り順に持ち込めればいいんですが・・・」と僕が言っていると、長田がガッツポーズで戻って来た。「2戦目を引きました。初戦は赤が青とやります」と言った。「これで作戦が立てやすくなったな。陣形はその都度変えよう!長田!Yからの陣形指示を待って隊列を整えろ!」「はい!Y、初戦の陣形は?」僕は陣形を指示した。「OK、次戦からの指示はその都度出してよ!」「ああ、走り回って行くよ」「おい、“棒倒し”は初戦を引いちまった!Y、作戦は?」M君が聞いて来る。「相手は?」「白だよ」「体力温存でしょ。引き分け狙いで充分。赤とやるまで本気は出さないで!」「まあ、連戦だからな。赤とやるまで戦力は温存でいいな?」「その線で行ってくれ!赤とやる時は攻撃重視で総攻撃だ!」「あいよ!」こうして午後のビッグゲーム2種目の方針は決まった。僕も“棒倒し”には守備要員で出るが、作戦指示は先生がやる。眼鏡を外したら相手の様子は伺えないからだ。その代わりに女子が先生の指示を伝えに来る手筈になっていた。最後の“対抗リレー”は疲れ具合を見て判断するしかなさそうだ。得点が拮抗しているだけに、取れるところで確実に得点を取らなくては最後の“対抗リレー”で突き放すのは難しい。僕はさりげなくグラウンドを1周して、1年生と2年生の疲れ具合を見て回った。特に赤チームは、入念に見入って置いた。前半で飛ばしに飛ばした反動は大きく、1年生と2年生の疲れ具合は他の3チームの比ではないくらい疲れ切っている。ウチは後半勝負と最初から“体力温存”を進めていたので、全学年が元気だ。「どうだ?」先生が聞いて来る。「飛ばした反動が出てますね。かなりへばってます。快晴の天気も影響して、日射病が心配ですよ」「目論見通りだな。こっちはまだまだ行ける状態だ。ヘトヘトになってるのは内田の手駒だけだろう?」「はい、赤の疲労感は相当に出てます。僅差で食い付いてますが、突き放しにかかれば付いて来れないでしょう」僕は見た事を分析して言う。「まず、“綱引き”で力が落ちる。“騎馬戦”“棒倒し”でヘトヘトにすれば、“対抗リレー”では走れない。Y、心理戦では優位に立ってるから、後は作戦次第だ!相手の動きを見逃すな!」「はい、良く観察をしてアメーバの様に策を変えます」いよいよ運動会も後半へ雪崩れ込む。原VS内田の“因縁の戦い”も佳境を迎えている。前半戦で温存した体力を効率よく後半戦に使えば、勝利は転がり込んで来る。内田先生が激を飛ばしているのが遠望されたが、生徒達は既にグロッキー寸前の者も居る。「数字は嘘をつかないだろうが、充分な体力があればこその数字だ。内田先生の算段は崩れたな」「Y、それじゃあ後半戦は楽勝か?」M君が言うが「そこまで甘くは無いよ。でも、長引けば体力は削がれる一方だ。簡単に試合を終わらせないで、引き伸ばせばいい。下級生から脱落者が出るかもね」僕はそう言って座り込んだ。“これからが本番。内田先生には悪いが、そろそろ本気で襲い掛かる算段をするか!”と心の中で呟いて策を考え始めた。運動会は最大の山場に差し掛かって行った。


life 人生雑記帳 - 1

2019年03月22日 12時50分14秒 | 日記
第1章 中学生日記-1

“名簿”と言うのは因果なもので、50音順に作成されるものだ。昭和40年代の終わり頃までは、誕生日順なども存在したが、僕は“や行”であったが故に“わ”で始まる苗字が居ない限り、必然的に「男子のどん尻」に名を連ねる宿命にあった。僕の後ろは「女子の“あ行”」がやって来る。入学式の直後の席順は、大抵“名簿順”に着席させられるが、2~3ヶ月も経つと個々の事情に応じて配席が変わり始める。僕は、小学校3年生から今日まで眼鏡を愛用している。視力は0.01前後なので、外せば黒板の文字を読めなくなる。最初の席替えの際、僕は担任の席の左前へ移動させられ、卒業するまでそこに固定化され続けた。隣に来る女子はコロコロと換わったが、僕は3年間“指定席”をキープし続けた。「目が悪いなら真正面に固定されるのが普通じゃない?」と言う声が聞こえて来そうだが、それには担任の原博教諭の“ある思惑”があったからだ。

北と南の両小学校から通う中学校は、町に1つしかなかった。僕の世代は比較的生徒数が多く、1学年10クラスとなった。上2学年が8クラスだったから全26クラス、総生徒数約1300名のマンモス校であった。講堂に全校が集結するには、幾つもの出入口を経由して集まらないと時間オーバーになってしまう。故に迷路のような順で移動しなくはならないのだが、その道順を真っ先に記憶できたのがたまたま僕だった。同じく校舎内の各教室の配置を覚えたのも僕が最も早かった。原先生はそんな僕を「案内人」に指名して、小学生気分の抜け切らない同級生達の誘導と点呼を取らせた。「適材適所」と良く言うが3ヶ月が経つとこの役目は一応の決着を見たが、僕には次の役目が待ち構えていた。原先生の“秘書役”である。「Y、3年4組の□先生の所からプリントを貰って来い」と命ぜられると北校舎3階の教室へ行き、用件を告げてプリントの束を持ち帰る。こんな事は序の口だ。二日酔いで朝食を抜いて出勤して来ると、午前10時過ぎには空腹感に襲われる。「Y、財布を持ってコンビニへ行け!弁当とお茶を適当に見繕って、タバコ1カートンも買って来い!正し、絶対に見つかるなよ!」授業中に学校から脱走してコンビニへ買い出しに出かけるのだ。勿論、制服は着たままである。当時はタバコの販売もまだまだおおらかで、子供が買って行っても不審には思われない時代だったが、昼日中に制服を着たままの中学生が「弁当とお茶とタバコ1カートン」を買い出しに来るのは、流石に不審に思われても仕方がない。「先生からのお使い?授業はどうしてるの?」店員さんから職質を喰らったが「今は体育の授業中です。急いで帰って合流します」と言って咄嗟に誤魔化しにかけて切り抜ける。その内に顔なじみになると「今日発売の新作のお弁当があるから見ていくといいわ」とお勧めを受ける様になり、すっかりお馴染みの光景になると「いらっしゃい!」と笑顔でお出迎えを受ける様になる。こうなれば“こっちのモノ”である。

コンビニはこれでいいが、一番の問題は“帰り道”である。学校を抜け出すのは比較的簡単だが、帰るのは“証拠物件”を抱えているだけに細心の注意が必要だ。ルートは複数あったが、不意に校内を移動する先生や生徒に見つかるのは絶対に避けなければならない!物陰をすり抜け、廊下や移動教室を伺い、自分の教室へ戻るのは至難の技であった。毎回、予期せぬ事の連続である。その場を切り抜けて帰れるのは僕しか居なかった。後に「不測の事態に瞬時に対応が出来たのはお前だけだった」と原先生は言ったが、一度も逮捕されなかったのは僕だけだったのは事実だ。ある日、罰ゲームで他の同級生が行った時には、校門で見つかり大騒ぎになった事がある。運良く成功しても、先生の“嗜好”を把握していないと怒られたものだ。原先生の好き嫌いを把握している僕だからこそ“腹を満たす弁当”を買って来れたのだ。

また、先生は癇癪持ちで、気に入らない事があるとホームルーム中でも授業中でも席を立って教室から出て行ってしまう。困るのは学級正副委員長だ。何とか揉め事を取り繕い、職員室へ行っても中々先生は帰って来ない。「これではダメだ!もう1度考え直せ!」と突き返されて来る。確か校内委員会の人事案についてだったと思うが、先生の意図する人選とみんなの意見に隔たりがあり、事態は膠着状態に陥った。学級正副委員長が「Y、先生を引っ張り出す手は無いか?」と小声で聞いて来る。「要は清掃委員会と保健委員会の人選と次期学級正副委員長の人事案でしょ?M君を説得して椅子に座ってもらうしか無いでしょ!それから、女子を説得してTさんを副に座らせる。その上で2つの委員会の人選をやり直すしかないよね」僕も小声で言う。「やっぱりその線か!男女に別れて再検討だな」「でも、先生に何て言うの?私達が行っても空手で帰って来るのが関の山よ!」正副委員長の表情は冴えない。「そろそろ籠城して1時間か。さっき言った線でまとめるって話して来れば反応はあるかも」僕は時計を見て言う。副委員長が職員室へ走って帰って来ると「Y君、先生が呼んでるよ!」と告げた。原先生お得意の意固地に見せて考えさせる策略だ!僕は職員室へ走った。「Y、どうだ?」「学級正副委員長はM君とTさんで調整が進んでます。2つの委員会は改めて人選をやり直す方向です」「よし、委員長に言って置け!15分後に戻る。それまでに2人を説得して落とせとな!」「はい」教室へ戻ると正副委員長に事の次第を告げて説得工作を急がせる。

実は前日の給食後に、僕は先生から“腹案”を示されていた。「次期学級委員長はMだ。他は認めない」「でも、クラブ活動を盾に取られたらどうします?」「是が非でもやらせるんだ!余人を置いて他に適材は居ない。どうせ紛糾するだろうが、落としどころで揉めたら俺は一端引くぞ!後は分かってるな?1時間位したら誰かを寄越せ。お前に確認を取ってから戻る。荒療治だがやむを得ない」「長田さんはどうします?」「嫌がるだろうが清掃委員会へ押し込め!ヤツの器でなくては務まらん」「副委員長はTさんでまとまりますかね?」「それも何とかまとめるんだ!塾がどうこうあるだろうが、総力を挙げて落とせ!2人セットでなくては3年生は乗り切れない!何とかこの絵の通りに進行させるんだ」勿論、おおびらにやり取りをした訳ではない。先生の机の周囲を片付けるついでに話をしたに過ぎない。だが、紛糾すると予測した時点で対策を立てて置くのは王道だ。僕は“脚本”を見せられて自分が演ずる役を知りその通りに動いた。さり気なくモノを言い議論が逸れるのを防ぎ、悟られない範囲で先生の絵を描いて行く。しかし、予想通り議論は紛糾して膠着状態に陥った。役者は“脚本”からあまり逸れてはいけない。成り行きに任せて思惑通りに進行させるのも筋だ。僕は動きを見守り繋ぎ役に移った。この辺の呼吸は、先生に徹底して叩き込まれたモノだった。僕は運動は苦手だが、細かい“工作活動”は得意だった。原先生が僕を使いに出したのは、対外情報を集めるためでもあった。わざと使いに出して相手の出方を伺わせる。こうした諜報活動はクラスマッチや運動会などの競技会の際の作戦立案に大きく寄与したのである。

そんな中、中学生生活で¨最大の危機¨が訪れた。3泊4日の修学旅行中の2日目の夜、京都市内のホテルでの事だ。原先生は、夕食が済むとM君とTさんを呼び出し「呑みに出て来るから後は任せるぞ!」と言ってホテルを抜け出した。「何かあったらどうします?」と2人が危惧すると「何も心配は無い。それより抜け出した事を気付かれるなよ!」と逆に念を押されてしまい、2人は黙して頷くしか無かった。

だが、突如として想定外の事態が襲いかかった。章子さんが¨喘息の発作¨を起こしたのである。彼女も無為無策であった訳では無い。頓服を持参していてその時もクスリは服用していた。けれど症状は改善しない。むしろ、徐々に悪くなっていたのだ。医療機関を受診するには、保険証と教師の付き添いが欠かせない!同部屋の女子達は、原先生を探した見付からない。Tさんに一報が入ったのはそんな時だった。「Y、ちょっと顔貸してくれ!」M君に呼ばれ、廊下の隅に4人が集まった。「章子が発作を起こした!先生は抜け出してる!さて、どうする?」僕は「¨壁に耳あり、障子に目あり¨だ!何処か隠れられる場所は?」「そうだな、先生の部屋の鍵は預かってるから、そこへ行こう」M君を先頭に4人は個室へ入り込んだ。正副学級委員と長田さんと僕が座り込み、前後策を話始めた。

「章子は苦しそう!早く病院へ連れて行かないと!沼田先生に相談しようか?」長田さんが言った。「あの副担は¨スピーカー¨だ。騒ぎが拡大するだけだよ。先生だけでなく、僕等も罰を食らうのがオチだろう。みんなは何処まで知ってる?」僕が返すと「部屋の女子とここに居る4人だけよ」とTさんが言った。「Y、ここから抜け出す手はあるか?」とM君が言った。「正面切っては出られない。¨張り込み¨をかわすとしても、戻る手が無い。あるとしたら非常階段からだよ。僕が出て見よう!その間に集めて欲しい物がある。ホテル周辺の観光案内図と、口の固いヤツ等2~3人だ。急いでかかろう!」「人手はもっと必要じゃないかな?」と長田さんは危惧するが「クラス全員を巻き込んだら、収拾が付かないだけじゃなく情報漏れも防げない。最小限で何とかするしか無い」と言って封じ込める。僕は非常階段から外部へ抜け出すルートを探った。闇に紛れて表通りに出られる道を見定めると、素早く先生の部屋へと戻る。

「どうだ?」「紛れて出られるルートは見つかったよ。正面玄関からは見えないだろうな」「問題は先生が何処に居るか?だが、どうやって絞り込む?」M君が核心を指摘した。相談の輪には男子2名と女子1名が加わり、7名での相談になっている。いずれも学級委員経験者だ。「祇園か?新京極か?はたまた別か?」ホテル周辺の地図を睨んで、みんなは必死に思案を巡らす。「土地勘が無い以上、遠くへは行かないだろう。歩いて20~30分の範囲内のはず。そうすれば、新京極が最も可能性は高い。だけど事は簡単じゃない!酒場は星の数程あるんだ!チームを組んでローラー作戦をするしか無いだろうな」僕が切り出すと「お前は、ここに残って貰う必要があるし、抜け出す人数が増えると返って身動きが取れなくなる恐れもある。俺がしらみ潰しに1軒1軒を当たるしかあるまい!」M君が決然と言う。「Yが一番の脱走上手なのにか?」「それは認めよう。だが、Yには是が非でもやって貰わなくちゃならない事がある。他の先生達を誤魔化して時間を稼ぐ事だ。この中で先生達に一番顔が利くのはYだけだ。この際、あらゆる手を使っての誤魔化しを任せられるのはコイツしか居ない。多人数で出るにしても連絡手段が無い。どっちにしても、警察に補導されたらアウトだ!だから、俺がやる!」M君の意見に異論は出なかった。「あたし達は?」女子が聞いて来る。「章子の様子を逐一ここに知らせる事と他の悟られない様に根回しをしてくれ。男子も同じくだ。知ってるのは、ここに居る7人だけにしたい。Tと長田は部屋から内線で連絡を待て。野郎どもは¨打ち合わせ¨って言ってここに待機。湯船に湯を張って待ってると同時に各部屋と先生達を見張れ!Y、直ぐに出よう。案内してくれ!」

全員が頷く中、僕とM君はホテル外へ向かった。「100m先で表通りにぶつかる。後は通りを跨いでから右に200m程進めば自ずと分かるよ。裏路地をしらみ潰しに当たって行けば多分ヒットするはず。戻る時に迷わない様に目印にこれを貼り付けながら行けばいい」と言ってガムテープを手渡す。「お前、何でこれを?」「こう言う場合、役に立つから持って来た。まさか先生を探す羽目になるとは思わなかったけど」「サンキュー!俺も帰りが不安だったが目印があるなら安心だ。何とか章子を持たせてくれ!じゃあ行って来る!」M君は走り出した。僕も先生の部屋へ密かに舞い戻る。

「行ったかい?」「無事に出たよ。さて、コーヒーは無いかな?」僕は室内を物色すると同時にお湯を沸かす。「コーヒーを何に使う?」「喘息の発作を和らげるのさ。彼女から聞いた事があるから時間稼ぎには役に立つ」程なくしてコーヒーのスティックが3つ見つかった。大きめのカップを選んでお湯を注ぐ。内線が鳴った。「コーヒーか?今、Yが用意してる!取りに来てくれ!」「以心伝心ってヤツか?」「前に連絡帳を届けた時に、服に染みが付いてるまま出て来たから¨何だ?¨って聞いたら¨コーヒーを飲むと落ち着く¨って答えたのを思い出したまで。先生に¨些細な事も疎かにするな!¨って言われてるんでね」「お前の観察力には脱帽するしかないな」間もなくTさんがコーヒーを取りに来た。「熱いからゆっくり飲ませてやって。多少は楽になるはず。後は、お湯でタオルを湿らせて乾燥しないようにしよう。首に巻いてやるといい」と言うと「章子もそう言ってる。他に出来る事は?」「バスタオルを湿らせて、部屋の湿度を上げる事くらいだな。病院へ担ぎ込むのが最善だけど、今、僕等に出来るのはここまでだ」「分かった。やれる事は全部やるよ。でも、このまま先生が見つからなかったらどうするの?」彼女の懸念は最もだった。「最悪の場合は、僕が学年主任の大島先生に掛け合いに行くしか無いけど、ギリギリまでは待ちたい。後、2時間は様子見で居たいね。とにかく騒がず落ち着いて待つしか無い」待つのは辛いし長い。だが、それ以外に手は無かった。

Tさんは黙してコーヒーを運んで行った。「さて、こちらも工作を始めよう。いつ、他の先生達が来るか分からない」「何をしてる振りをする?」「明日の班行動の内容を各班毎に追っている振りをしますか?幸い僕以外は全員班長だし」「安全確認か。やらないよりは怪しまれないな」早速、僕等はプロットを始めた。案の定、2人の先生が訪ねて来たが¨明日の班行動の再確認をしているし、先生は風呂からまだ戻って居ない¨と僕が説明して事なきを得た。章子は少し落ち着いた様だが、もしも均衡が崩れたら僕等に手の打ち様は無い。時間は容赦無く過ぎて行った。「そろそろ1時間だ。Y、最悪を想定して置く頃合いじゃないか?」とうとうそんな意見も出始めた。僕もそう考え始めた。「正直に話すしか無いけど、連帯責任は僕等も負わなくてはならない。後、30分だけ待とう!ダメなら僕が大島先生に話に行く。Tさんにも言って置いた方がいいだろう」内線を取り上げると、Tさんに¨後、30分だけ待って戻らなかったら最終手段を取る¨と告げた。「OK、章子は¨まだ頑張れる¨って言ってるけど、ギリギリなのは確かだよ。Y、決断は任せるよ!」同室の女子達も意見は同じの様だ。「女子達も同意見の様だ。30分したら公にしよう!」「その時はお前だけに背負わない。6人揃って自首するぞ!」みんなが腹を括った。

それから10分後、M君が荒い息で転がり込んで来た。原先生も肩で息をしている。「間に合ったか?」2人は声を絞り出す。「後、20分遅かったら公にする覚悟をしてた。まだ、オープンにはしてないし、章子も頑張って待ってる!」僕が言うと「酒を抜かなきゃならん!Y、バスタブに湯を!」と先生が言う。「半分だけ湯は溜まってます!先生!急いで!」他の男子が急かす。内線ではTさんへ“先生確保”の一報が入れられている。「Y、茶色のトランクを開けろ!鍵はこれだ!章子の保険証を引っ張り出せ!」服を脱ぎながら先生が鍵を放り投げて寄越す。M君は水を飲みながら「15軒目でヒットした!時間が心配だったが、ギリギリセーフだったな」と息を整えながら言う。それから間もなく章子は病院へ担ぎ込まれて、事なきを得た。修学旅行から帰った翌週、先生は「慌てず騒がず落ち着いて対処してくれたのが良かった。お互いに油を搾られずに済んだのは大きかったな!」と言って僕らに労いを言った。クラスの大半は何も知らなかった大事件だったが、無事に切り抜けたのは、総合力の高さと先生の確かな鑑識眼があったからだろう。

N DB 外伝 マイちゃんの記憶 ⑩

2019年03月15日 15時49分57秒 | 日記
エピローグ ~ 女神たちの微笑み

SH先生との面談の最後に「少し休みなさい」と言われた僕は、フラフラと病室へ戻った。厳戒令は継続されており、廊下に人影は無かった。しばらくするとU先生が注射セットを持って来た。「何も考えずに眠った方がいいわ。SH先生の指示よ」「はい」僕がベッドに横たわると左腕に注射器が刺された。「ゆっくりしなさい」U先生が静かに言う。間もなく僕は深い眠りの世界へ落ちて行った。気付いた時には外は夕闇に包まれており、SH先生が脈を計っていた。「どうですか?何も考えずに眠って少し落ち着きましたか?」「今、何時ですか?」「午後5時になるところ」「先生、外来は?」「もう、終わりました。体温を測りましょう」脇の下へ体温計を入れると腕には血圧計が巻かれる。「異常はないわ。ゆっくり起き上れる?」僕は上半身を起こしてベッドに座り込む。「師長さんどうぞ」SH先生は師長さんを呼んだ。「失礼します。話しても大丈夫ですか?」「ええ、もう心配いりません。手短にお願いします。後でまた様子を見に来ますから」と言うとSH先生は病室を出て行った。「少し話を聞いてくれる?Aさんのご主人からの伝言。“本当に済みませんでした。1日も早いご回復を祈念致します”って。貴方にとっても辛い経験だったと思うけれど、仕方無かったの。“転院”を告げた途端に錯乱してしまって、短時間では回復が図れなかったの。でも、本人抜きでの話し合いは意味を持たないから、ああ言う形にせざるを得なかったの。出席者全員が心を抉られた気持ちだけど、貴方には結果的に“追い打ち”になってしまったのは謝るわ。でもね、電光石火で事を治めるには、ああするしか無かったのも事実。何より病棟の安全のためには、必要な犠牲だったの。それは理解してもらえるかしら?」「はい、他に道が無いなら切り開くしかありませんよね」「そう、真正面から突破するするしか道は無かったの。でも、また貴方に一身に背負わせたのは、私達の落ち度よ!ごめんなさい。辛いなら、苦しいなら何時でも言ってくれる?先生方とも話したけれど、最優先で貴方のケアに取り組むつもりよ。もう、重荷を背負う必要は無いの。荷を少しでも軽くするのが私達と先生方の使命。遠慮せずに何でも言ってくれる?」「そのつもりです。残念な結果になってしまったのは、僕の頑なな姿勢もあるかも知れませんが・・・」「それは違う!貴方は間違っていない!踏み外したのは彼女の方。自分を責めても何も生まれないの。忘れなさい、忘れるのが一番のクスリになる!もう、彼女はここには居ないから忘れていいの!」師長さんは僕の肩に手を置くと必死に呼びかけてくれた。頬に一筋の涙が伝う。「忘れなさい。もう、心配はいらない。貴方を傷つける人はもう居ないのよ。だから、自身に我がままを許してあげなさい。一緒に治して行きましょう!そのために全力で支えるから!」僕は黙して頷いた。「夕食は運ばせるから、きちんと食べて。今日はもう休んだ方がいいわ。明日から厳戒令は解除します。今晩も注射を要請して置きますから、とにかく何も考えずに休みなさい!明日になれば、また“手強い女の子達”が待ち構えてるわ。長として、あそこをまとめてくれるかしら?」「はい」「頼むわね!彼女達を統率出来るのは貴方しか居ないの。余人を持って治められる場ではないから。さあ、明日から再スタートしましょう!」師長さんはそう言うと僕の手を取ってしっかりと握りしめた。夕食後にはSH先生が再びやって来て「しばらくは、必ず顔を出すから些細な事でもちゃんと話して。大分遠回りをしてしまったけれど、貴方を治す事に全力を尽くしますから。主治医としての責任を持ってケアして行きます」と言ってくれた。「先生、八束先生もU先生もOZ先生も今まで通りですか?」と僕が言うと「最強の布陣に変わりは無いわ。4人でしっかりと支えて行きますよ」と笑顔で答えてくれた。「じゃあ、注射を入れますよ」僕の腕に注射器が刺された。僕は再び眠りの世界へ落ちて行った。

翌朝、曜日で言うと土曜日になるが早朝に僕は覚醒した。時刻は午前4時半、ベッドから降りると思いっきり背伸びをする。ボキボキと音がして体が痛んだ。「鈍ってるなー」と小声で言うと、廊下の様子を伺う。足音を忍ばせてマイちゃんが接近して来る。顔は後ろの方を向いている。僕は素早く彼女の口を塞ぐと、背中から抱き寄せてランドリーの陰に連れ込む。「おはよう。朝から忍者の真似事かい?」と囁くと「○ッシー、昨日はどうしてたのよ?!ずっとカヘーテン引きっぱなしだし、食事にも出てこないし、心配したんだよ!」彼女は僕の胸を拳でドンドン叩いた。やがて顔を埋めると肩が震えた。「心配したんだから・・・」涙声で訴える。「ごめん、SH先生の指示で眠らされてたんだよ。注射を打たれてさ」ひとしきり泣くとマイちゃんは涙を拭って「Aさんが消えちゃったの!○ッシー、何があったのか知ってるよね?」と聞いた。「知ってるよ。だが、そのせいで僕もかなりショックを受けた。だから、昨日は隔離されたんだよ」「何がどうなってるの?」マイちゃんは真剣な眼差しを向けている。「話すと長くなる。だが、“転院”させられたのは事実だ。それも一昨日の夜の内にね」「えっ!じゃあ、有無を言わさずに?!」彼女の顔が強張る。「詳しい話は、朝食の時にするよ。Eちゃんは外泊かい?」「いえ、彼女は居るわ。メンバーの半数は外泊に出てるけど」「なら、まずは3人で話そう。ここではマズイ。見つかる前に病室へ戻って!」「分かった。○ッシー、ちゃんと話して。みんな混乱して収拾が付かないのよ!」「無理もない。電光石火の早業で片づけられたからな。さあ、見つかる前に戻って」僕はマイちゃんの両肩に手を置いて言った。彼女はもう一度胸に飛び込んできた。「○ッシー、○ッシー・・・」幼子のように抱き付いてくる。「大丈夫だ。今日からは厳戒令も解除される。いつもの様に過ごそう」マイちゃんは何度も頷いていた。

午前7時、僕はナースステーションに許可を取りシャワーを浴びた。ヒゲを剃り身づくろいをするとホールへ急ぐ。朝食の配膳は既に始まっていた。「○ッシー、こっちこっち!」マイちゃんとEちゃんが手を振っている。テーブルへ着くと「○ッシー、何があったの?」とEちゃんが急かすように聞いてくる。「病室に戻った後、午後6時過ぎだったか。面談室へ呼び出されてね・・・」僕は2人に子細に事を説明した。2人の顔からどんどん血の気が引いて行く。「錯乱状態か・・・、どうしてそんな事に?」マイちゃんが箸を止めて聞いた。「恐らく、ご主人が来た時点で既に方針は決まっていたんだろうな。それを病室で説明している最中に精神状態が悪化したんだろう。彼女の“最後の緊張の糸”が切れたんだ。それもAさん側には“誤算”があったはずだ」「“誤算”って、なに?!」Eちゃんが聞いてくる。「1つ目は、“謝罪すれば許されて、ここに居られるだろう”って甘い考え!“閉門”ぐらいは覚悟していただろうが、結果は“転院”だった。恐らくこの時点で彼女の心は崩壊し始めただろう。2つ目は“即日転院”って厳しい現実。これは、医局も戸惑っただろうが、看護部の強い意向が働いた結果だろう。今の彼女は病人だが、以前は看護師として働いていた“医療人”でもある。そんな彼女が手を出した以上、看護部は“安全の担保”を理由に“即日転院”を主張したはず。OZ先生達は週明けに“転院”させるつもりだったのだろうが、師長さん達は譲らなかった。結局、OZ先生達が折れてAさん達に伝達せざるを得なかった。だから、全ての希望を奪われた彼女は錯乱した」「そして、○ッシーへの暴言に及んだ」「部屋へ入った瞬間から重い空気に包まれているのは感じた。只ならぬ気配もね。そして、あの“結末”だ。正直、“これは無いだろう!”って言うやるせない思いと“何故、一言言ってくれないんだ!”って言うやり場のない思いが交錯したよ」「何故?何故、そんな“重い十字架”を〇ッシーが背負わなきゃならなかったの?」マイちゃんが半泣きで言う。「一方的に事を進める訳には行かなかったんだよ。当事者としての責務だな。形式的にしても“謝罪を受け入れます”と当人が言わなければ、Aさん側への説得工作に支障が出るし看護部の懸念も拭えない。先生達も師長さんも“覚悟の上”で僕を連れ込んだ。そして既に“謝罪”してくれてる。確かに重かったが、他に誰が背負える?誰も背負えないし、他に適任者は居ないのだから僕が引き受けるしか無かった。あの日、あの場合、全てが“仕方なかった”んだよ!」「でもさ、余りにも酷過ぎない?」Eちゃんも半泣きになっている。「“酷”だと分かっていてもやらなきゃならない事はあるさ。Aさんに“引導”を渡すには他に術が無かった。僕が引き受ける事で“即日転院”の同意を取り付けたんだから、価値ある犠牲だったのさ。今となっては、そう考えなくては平静を保つ事は無理だよ」僕は箸を置いて2人の涙を拭いて顔を上げさせる。「結末は寂しいしやるせないが、事は片付いたんだ。もう、心配はいらない」僕は2人の眼を交互に見てはっきりと言った。「“転院”先は?」「トップシークレットだが、2人には言って置こう。“S西の閉鎖病棟”だよ。勿論、他言は無用だ!」「じゃあ、また振り出しから?」「それは分からない。恐らく外来受診も切られたと思うから、症状が落ち着いたら考えるだろう。その辺はもう感知しない方がいい」「Aさん、看護師だった経験を逆手に取られて、どう思ったかな?」マイちゃんが再び箸を取りながら聞く。「感情に溺れた時点で正常な判断が下せたのかも怪しいし、本来は溺れてはいけなかったのは事実だ。医療に携わっていた者ならば、越えてはいけない一線を認識出来たはずだが、彼女にはそれが欠落したかの様になってしまった。看護部としては“悪しき者”に堕ちた彼女に義理立てする様な真似はできなかったんだろう。最終的には常軌を逸したのは彼女だ。悔しかっただろうが、取り返しは不可能だと悟るのが遅すぎた。同情の余地は無いと思うよ」僕も箸を持ち直して言う。「〇ッシーは、これで良かったと思う?」Eちゃんも箸を取る。「他に道は無かった。活路を開くには、自分を納得させるにはこれしか無かったと思うよ。恐らくあの席に居た全員がそう思ってるだろう」「〇ッシー、こんな悲劇もうたくさんだよね」「ああ、2度と起きて欲しくない事だよ。僕らも気を付けないと」3人は黙して食事を終えた。そして、月曜日には外泊から戻った女の子達に事実を告げた。1人も泣かなかった子は居なかった。全員が悲嘆にくれたし“2度とこんな事は起きて欲しくない“との思いを共有した。

水曜日になると、病棟もみんなも一応の平静を取り戻し、いつもの日常が回り出した。U先生は午後になると相変わらず一通りのチェックをしに来るし、SH先生は“外勤”の時以外は朝か夕方に必ず顔を見に来る様になった。看護師さん達の検温も厳格を極め、僅かでも異常を察知すると騒ぎ出す始末だった。「〇ッシー、些か過敏過ぎない?」マイちゃんが閉口しつつ言う。余りにも関係各所への対応が多いので、僕が指定席を空ける事が増えた事による不満だ。「まあ、もうじき静かになるさ。いくら調べても異常は無い。ただ、突然ブッ倒れる事が無いか監視体制を強化されてはいるがね」「“祝賀会”は明日なのよ!主役が居ないんじゃ興ざめじゃない!」彼女はご機嫌斜めだ。そう、明日はOちゃんの“退院祝賀会”を“しれっと”やる事になっている。Oちゃんはまだ何も知らないが、水面下で準備は整っている。午後3時を期して決行する手筈になっているのだが、僕がちょくちょく居なくなるので、マイちゃんは面白くないのだ。「その点については、僕が居なくならない時間に設定したんだから問題は無いだろう?」「あたしは・・・、その・・・、〇ッシーを“取り返す”一世一代の舞台にキズを付けられたくないの!やっと“所有権”を取り戻すんだから!」珍しく彼女はムキになる。「“所有権”云々もだけど、僕は不動産かい?」「そう!あたし専属の男子よ!もう、貸し出したり手放したりしないから!」姫君のご機嫌は嵐の如く悪い!「マイちゃん、〇ッシー、ちょいと宜しゅう御座いますか?」Eちゃんがやって来た。「どうした?トラブルかい?」「いえ、1ホールのケーキなんですが、どうやって切り分けます?」「あっ!その手を考えて無かった!〇ッシーどうしよう?」マイちゃんが嵐の中から引き返して来る。「それを考えて無かったなー、まさかナースステーションから借りる訳にも行くまい。スプーンとかはどうなってる?」僕も盲点を突かれて慌てる。「スプーンやフォークは貰えるんですよ。あらかじめ切って貰いますか?」Eちゃんも想定外の事態に唇を噛んでいる。「それじゃあカッコ付かないだろう。うーん、仕方ないホール毎突くか?」「各自豪快にやるって言うの?」「だって、切り分けられないならそれしかあるまい。それか、糸があれば切れなくも無いが・・・」「糸ならあるよ!あたし携帯用裁縫セット隠し持ってるから。そうだね!糸なら行けるかも知れない!」Eちゃんの眼が輝く。「なるべく細いヤツがいい。長さは30cmぐらいだな」「何とかなると思う。あたし以外にも携帯用裁縫セット隠し持ってる子も居るから聞いて見るね!」「はい、よし、よし、よし、その線で行こう!刃物がご法度なんだから代用品で切り抜けるよ!」僕は膝を打った。「〇ッシー、相変わらず何かしらの手を考え付くね!」マイちゃんが頭を撫でる。「プランAがためならプランBを捻り出すまでですよ。何処かに必ず手掛かりはある!Eちゃん、糸を手に入れといて!」「了解!」彼女は勇んで糸を手に入れに行く。「マイちゃん、〇ッシー、ちょっといい?」Eちゃんと入れ替わる様にOちゃんがやって来た。手には“写ルンです”を持っている。「記念撮影か。1m以上離れて撮ってるよね?」僕が確認すると「大丈夫!教えてもらった通りにやってる!」と笑顔で返して来た。Aさんの1件で最もショックを受けたのがOちゃんだが、彼女の立ち直りは早かった。やはり“新たなる旅立ち”を前にして、へこんでばかりは居られない。気持ちの整理を1番最初に付けたのが彼女だった。「どうする?3人並んで納まる?」マイちゃんが言うが「1人づつ、2ショットで!」とOちゃんが主張し、抱き合って納まる事になった。まず、マイちゃんとのカットは僕がシャッターを切った。僕とのカットは肩を抱いてやり笑顔でフレームに納まり、マイちゃんがシャッターを切った。「後、何枚残ってる?」僕が聞くと「2~3枚、結構色んな人と撮ったから」と返して来た。「ピンボケじゃないよね?」とマイちゃんが心配すると「〇ッシーに距離感を教えてもらってるから、それは無いと思う。いよいよここともお別れかー、自分でも信じられないけど・・・」Oちゃんは感慨深げに言う。「誰にもいつか必ず退院の日は来る。遅いか早いかの差はあるが。そして、一般社会に戻って自由を謳歌する。好きなモノを食べて、見たいTVを観て、夜更かしもする。辛い事もあるかも知れないが、それ以上に得られるモノは大きい。僕は当分先だが、1人でも多くの子達を見送ってから最後に出るのが夢。4人の主治医がOKを出すのがいつになるかな?」「あたしだってあの“ダメダメ石頭”から逃げたいけど、まだ無理みたい。〇ッシー、主治医分けてよ!」マイちゃんがゴネる。「U先生を派遣するよ。今日の午後に交渉してみるか?」「2人共、大変そうだけどあたしは1歩先に進むよ!千葉で思う存分人生を謳歌する!」Oちゃんは力強く宣言した。「そうだな、みんなが僕を追い越して行ってくれればいい。1日でも早くな!」僕はそう答えた。「〇ッシー、いつかまた会えるよね?どこかで・・・」Oちゃんが真剣な眼差しで聞く。「勿論!この国は、探すのはいささか苦労するが、偶然逢えるくらいには狭いところだ!」「マイちゃん、〇ッシー、出会えてよかったわ!」Oちゃんはしみじみと言った。「じゃあ、残りのコマを撮りに行くね!」彼女は勇んで席を立った。「〇ッシー、Oちゃん強くなったね」「ああ、人に対して不信感を抱いていた頃が嘘の様だ」「あの様子なら“別の〇ッシー”を見つけられる!きっと!」マイちゃんが確信を込めて言う。「そうだな、今の彼女なら容易い事かも知れないな。どうやら、雛鳥は巣立つようですよ!これで安心した?」「〇ッシー、悩みが1つ減ったね?!」「お互いにな!」僕とマイちゃんは顔を見合わせて笑った。久々に心が軽かった。

そして週末、Oちゃんの退院の日がやって来た。いよいよ、午前10時半に彼女は千葉に向けて旅立つ。検温も早々にメンバーの子達は喫煙所前に集結していた。「〇ッシー、まだなの?」病室の前でマイちゃんが言うが、Mさんは中々検温を終えない。「やっと落ち着いて来たばかりですから、慎重の上にも慎重に!」脈を計り細かく検査を続行する。「そろそろ解放して下さい!見送りに間に合わない!」僕は悲鳴を上げるが、Mさんは意に介す風が無い。「今日も異常なしか。大人しくしてるんですよ!まだ、完璧に体調が戻って無いんですから!」Mさんは釘を刺すのを忘れなかった。「はーい」と僕は答えると病室を急いで飛び出した。「〇ッシー、もう全員が揃ってるよ!」「手筈通りにかい?」「うん!」僕は指定席へ急いだ。「〇ッシー、遅い!遅い!」「すまん!中々解放してくれなくて・・・」僕は慌てて配置に着いた。Oちゃんが荷物をまとめて出て来る3分前だった。やがて、拍手が鳴りだした。主役のご登場である。荷物を運ぶ手助けをする子達と共にOちゃんが喫煙所の前にやって来た。「〇ッシー、マイちゃん、みんな、ありがとう。本日を持って退院します」Oちゃんはペコリと頭を下げる。全員から拍手が送られる。「遠くに行くけど、この病棟での事は忘れません!一生の宝にします!だから、みんなも元気に退院して、〇ッシーを置いてけぼりにしてあげて下さい!」Oちゃんの言葉に笑いが起こる。「ナースステーションで手続きして来るといい。カートを用意するよ」僕は苦笑いを浮かべて言った。彼女は手続きへ向かう。「みんな、湿っぽいのは無しだ!笑顔で送り出そう!」僕は改めて言った。「了解!」みんなが返して来る。カートが用意され荷物が積み込まれた。僕は残念ながら病棟の出口までしか見送れない。代わりにマイちゃん達が正面玄関のタクシー乗り場まで随行してくれる手筈になっていた。「〇ッシー、いよいよだね」「ああ、どんな結末が待っていても今日は許してくれ」僕とマイちゃんは小声で話した。手続きが終わった。Oちゃんが戻って来る。「それにしても、大量の薬剤だね」薬袋の束を指して僕が言うと「千葉の病院に行けるまで余裕を持って過ごせる様にだって。八束先生のお節介だね」彼女は微笑みながら言う。「元気でな!僕は出口までしか行けないけど」「〇ッシー、最後のお願い!」「何だい?」彼女は思いっ切り抱き着いて来た。胸に顔を埋めて来る。僕はそっと抱きしめると「いい男を見つけろ!僕なんかよりカッコイイ男をな!」と言った。彼女は何度も頷くと、目じりに涙を溜めながら「バイバイ、〇ッシー!みんなを頼んだよ!」と言って背中を叩いた。「時間だから行くね」Oちゃんは歩き出す。病棟から出た瞬間から彼女は自由に大空に羽ばたいて行く。「Oちゃん!goodlac!いつの日かまた会おう!」僕が声をかけると彼女は振り向いて手を振った。病棟の出口で僕は立ち止まり、彼女の笑顔を眼に焼き付けた。それが彼女との別れになった。今、彼女が何処で何をしているのか知る術はない。病棟にクリスマスリースが飾られた日だった。

それから数日後、僕は主治医面談に望んだ。SH先生とOZ先生と八束先生の4人で話し合ったが、想定外の事態に陥るハメになった。“残念ですが、年末年始の一時帰宅を見送り病棟で過ごして下さい”との仰せである。「帰れないとは・・・、何処まで警戒してるんだ?」僕は呟いた。ウジウジしていても仕方無いので、盤と駒を持ち出して新聞の棋譜を並べる。マイちゃんもT先生に呼び出されていて不在だった。棋譜は一気に終盤戦を迎えていた。「1つの悪手で一気に“詰めろ”が来るな!」局面は微妙に動いていた。思慮に沈んでいると、いきなり眼鏡を剥ぎ取られる。「相変わらず脳トレですか?」マイちゃんが浮かぬ顔で立っていた。「どうした?何かあったな!T先生と何をやり合った?」僕が眼鏡を掛け直して言うと「お話にもならないのよ!お正月も帰れないって!完全に缶詰にするつもりよ!」彼女は怒り心頭だった。「それはそれは、お仲間が居てくれて嬉しいよ!こっちも年末年始も缶詰だよ」と言うと「えっ!嘘!〇ッシーも帰れないの?」とマイちゃんの声が裏返る。「さっき申し渡されたばっかり。お雑煮はここで食べる事になってるよ!」「よかったー!あたしと他数名だって聞いてたから、寂しく過ごすつもりだったけど〇ッシーも居てくれるなら安心だー!紅白見て、お雑煮食べて2人で過ごせるね!」マイちゃんが左腕に抱き着いて来る。心底不安だったのだろう。離すまいとして必死にしがみ付いて来る。「さすがに派手な真似は出来ないが、ありとあらゆる場所が専用スペースになる。さて、何をして過ごす?」僕が聞くと「うーん、一杯あり過ぎて思い付かない!まだ時間はあるから念を入れて考えなきゃ!」彼女は無邪気にはしゃぐ。「それより、クリスマスに何か出来ないか?って話聞いてる?」僕が聞くと「そう言う話は出てるね。でも、〇ッシーに対する警戒がこうも厳重じゃあ、手も足も出なくない?」「それがネックなんだよな!余程の援軍がなけりゃ動きようが無いし、外はもう寒いから脱走にも無理がある。だが、何か手は無いかな?」僕は思いを巡らせる。そこへEちゃんがやって来た。「〇ッシー、マイちゃん、I子がまた見舞いに来るらしいけど、明後日空いてる?」「それは構わないけど、I子ちゃんどうやって来るんだい?」「雪が降る前に車で乗り付けるらしいのよ。母親の車をレンタルするみたい」Eちゃんが携帯を見ながら言う。「ふむ、これはチャンス到来かも知れない!I子ちゃんが乗ってくれれば手はあるな!」僕の中で計画が練りあがった。「〇ッシー、何を思い付いたの?」「とんでもない計画だ!」僕は2人に小声で話し始めた。「えー!それって・・・」「I子ちゃんが乗ってくれればの話だけどね!」「I子なら乗るよ!この手の冒険なら喜んで!」Eちゃんが悪戯っぽく笑う。「〇ッシー、やってくれるねー、誰も思いつかないよ!こんな手は!」マイちゃんもノリノリになって来た。「じゃあ、やるか?」僕が言うと「やってやろうじゃない!」と2人が言う。「じゃあ、決まりだ!早速手配にかかろう!」僕らは水面下で動き出した。

午後になるとU先生の代わりにKさんが検診にやって来た。「久しぶりだね。U先生の手があかないから代わりに診に来たの。大分戻って来たみたいだね」と言うと体温計を差し出して腕に血圧計を巻く。「三角関係も解消したし顔の傷も癒えたし、表面上は順調そうに見えるけど、身体は正直だね!ちょっと血圧が低いなー。朝起きる時にクラクラしない?」Kさんがさりげなく言う。「目眩とかは無いですよ。でも、今でも思うんですが“電光石火”で片付ける必要はあったんですか?」僕もさりげなく返す。「あったのよ。OZ先生達は週明けまで待つつもりだったけれど、私達は貴方以外に危害が及ぶのが怖かったの。もし、女の子が襲われていたら精神的なショックは貴方以上に深刻なモノになったはず。貴方だから何とか持ち堪えたけれど、踏ん張るにしても素地が無くては無理。師長さんも私達も相当悩んだけれど、安全には代えられないから強行論を言うしかなかったの」とKさんは言った。「でもね、結果論になっちゃうけれど、“医療に携わった者”なら貴方の言ってた事がどれだけ大事か分かって当然なのよ。彼女にはそれが“欠落”したかの様に抜け落ちてた。初めから彼女は“自滅”する事になっていたのかも知れないわ!」「鼻から明暗は別れていたと?」「そう、感情に溺れた時点で既に彼女を救う手立ては無かったって事になるわね」「退院によって、三角関係も解消しましたが、あれは僕が仕向けた訳じゃありませんよ!」「それは分かってるわ。これも結果論だけど、マイちゃんだけに集中できる環境に戻ってくれたのは幸いよ。他の子にも眼を配りつつ、喫煙所に集う女の子達をコントロール出来るのは貴方しか居ない。大役だけどこれからも宜しく頼むわね!」「ふー、彼女達とは今後も付き合って行くつもりですが、代役が居ないのは辛いなー。こうして、検診を受けてる時間が長いって不満も出てますよ!何時まで午後の検温は続くんです?」「ふふふ、マイちゃんの機嫌が悪いのはこれが理由?」「そうですよ!何とかして下さい!」「残念だけどそれは無理。SH先生からの厳命なの。相当堪えたらしいわよSH先生。“私の至らなさで傷を負わせてしまった”って悔やんで、嘆いて、落ち込んで大変だったの。だから先生必ず来るでしょう?貴方を治す事が“罪滅ぼしになる”って全力を挙げてるのよ。だから4人の主治医体制は揺るがないの!当分付き合って頂戴!それと、来週から学生が来るの。ゼミの学生が病棟へ入って実習をするの。貴方も対象になってるから、雛鳥の“お世話”に付き合ってね!」「えー!聞いてない!そんな罠に落とすんですか?」「夕方、SH先生に聞いたら?今晩は当直だから。心配しないで、女学生が来るからさ!血圧以外は異常なし!」Kさんが記録を書き込む。「男子学生になりませんか?」「主治医の判断です。女の子の扱いは慣れてるでしょう?」Kさんが止めを刺す。「でもね、みんな貴方を頼りにしてるのよ。女学生を付けるのも信頼の証。貴方なら間違った事はしないし、格好の患者として先生方が捕り合いをした程なんだから!」「喜んでいいのか?嘆くべきか?どっちにしても決まった事は覆らない。あきらめますよ」僕は敢え無く撃沈の憂き目にあった。「まあまあ、そう落ち込まないで!ほら、姫君がお待ちよ!」Kさんが病室の入り口を指さす。「〇ッシー、まだなの?」マイちゃんはご機嫌斜めだ。「はい!今終わりましたよ!今日は点滴は無し。さあ、行って来なさい!」Kさんが笑顔で僕の背を押す。ご機嫌が悪い姫君は「女の子が来るんでしょ?」と言って下を向く。「学生さんだよ。SH先生の指示らしいが」「〇ッシー、また忙しくなるね」と言うと後ろを向いて歩き出す。指定席に座ると左腕をしっかりと掴んでピッタリと寄り添って来る。「〇ッシー、置いてかないでよ!どこにも行かないでよ!あたしの傍に居てよ!」彼女は半泣きで言う。「置いてった事がある?退院は当分は先だ。何時になるかも分からない。マイちゃんの傍から居なくなったりしないよ」涙を右手で拭いてやると右手を握って「絶対だよ!」と鳴き声で言う。ガラス細工の心はちょっとした事で砕け散るかも知れない。不安だったり、焦燥感だったり、ヤキモチだったり、常に彼女は揺れ動いている。果てない揺れを少しでも小さくするには、日々の支えが欠かせない。しばらく彼女は泣きじゃくり、やがて眠ってしまった。僕は静かに座り続けた。マイちゃんが眠っている間、Eちゃんを筆頭にメンバーの子達が集まり始めた。僕が静かにする様に促したので、みんなはそっと着席して見守っていた。「眠り姫だね」Eちゃんが言う。「〇ッシー、泣き跡があるけど、さては姫を泣かせたな!」みんなが僕の頭を小突く。「この、不埒者め!」攻撃は次から次へと押し寄せる。だが、みんな怒っている訳でなく微笑みを浮かべている。優しい女神たちが僕とマイちゃんの周囲に居る。「きっといい夢を見てるね」みんなはマイちゃんの寝顔を見て口々に言う。「〇ッシー、ベッド代わりご苦労様」「何にでも化けるからな」僕も小声で言って笑う。

僕とマイちゃんが最も輝いてた時間。
残念だけれど、ここで、この思い出旅行を終わりにしようと思う。マイちゃんが、元気で、ヤンチャで、最も輝き、僕も輝いていた時間。マイちゃんのあの声で締めくくりたい。

「ねえ、○ッシー、今度は何を企んでるの?朝食、一緒に食べようよ!」

今でも、この彼女の独特な言い回しを忘れた事は無い。マイちゃん。元気ですか?僕はもう少し生きてみるよ!必ず行くから待っててくれよ。大空から見ていて!

マイちゃんの記憶 fin