F坊は夢を見ていた。その光景は10年くらい前、ミセスAに“保護”されたN坊とF坊は、「共同生活」を始めていた。その頃は、N坊とF坊が職業訓練学校へ通い始めた時期で、毎朝ミセスAに叩き起こされていたものだった。N坊は、ミセスAに鼻を摘ままれて起こされていたが、F坊は殊更に寝起きが悪くミセスAも散々手を焼いていた。そこでミセスAが取った「最終手段」が、ガチで行う“ディープキス”だった。スヤスヤと眠るF坊の唇にミセスAの唇が迫る。そんな光景をF坊は外から見ていた。「こうやって、起こされてたよなー・・・」F坊は懐かしい思い出に浸っていた。唇が重なった瞬間、温かさを感じた。「あれ?!夢なのに実感がある?!何故だ?!なんなんだ?!」瞬時にF坊は目覚めた。ガチで“ディープキス”されている自分が居た。当然お相手は、ミセスA!「しまった!俺は疲れて眠っちまったんだ!だから・・・」思考が弾けたものの、身動きは叶わない。ミセスAはF坊の上にガッチリと体をのしかけている。ミセスAはたっぷりとF坊の唇を吸った。「F坊、お・は・よ・う!あー、久しぶり!甘―いのを思いっきり出来たから、あたしも、し・あ・わ・せ!」ミセスAは、F坊の前ではしゃいで身をくねらせた。「いいんですか?他人に見られても」F坊は立ち上がり、伸びをして眠気を振り払った。隣の社員も疲れたのか爆睡中だ。「その点は、問題ないわ。御覧なさい。もう午後4時を回ったわ」F坊がフロアを見回すと、人影も少なくなり窓口は閉院作業が佳境に入っていた。こちらを見ている人影は見当たらなかった。ミセスAは、爆睡中の社員をやさしく揺り起こしている。「はい、これ飲みなさい」ミセスAは2人に栄養ドリンクの瓶を手渡した。2人がゆっくりと栄養ドリンクを流し込んでいると「待たせて悪かったわ。思った以上に手間取ってしまったの。これが手土産のテープ。私とKとDBの会話が全て入っているわ」F坊は瓶と引き換えにテープを受け取った。「確かに、お預かりします。KとDBは何をしたんですか?」「面会を要求したの。でも、今日は無理だ、明後日の午後3時にもう一度来いって突っぱねたの。病院としても体制を作る時間が必要だから、時間を稼いだ訳よ」ミセスAが答えた。「ヤツらはとりあえず納得して帰ったけど、一つ気になる事があるの。当初の計画を変更した気配が感じられるの!私達が掴んでいない何か別の手を使うかも知れないわ。何かは断定出来ないけれど・・・」「確かKは“偉大なる勝利は・・・”とか言っていた。何を意味するのかは分からないが、手を変えるとしたら何をするつもりだ?ヤツらの部屋は既に調べられてるはず。何か異変があれば、俺達にも知らせが来るはずだ。だが、そんな連絡はまだ何も入っていない。可能性が残っているとすれば、・・・車か!車内に別の手が隠されているとしたら、部屋のガサ入れだけでは見つけられっこない!」F坊は必死に推理を巡らした。「その可能性は否定できないわ!切り札が車内に隠されているとしたら、車を洗う必要があるわね!」ミセスAも同じ意見だった。「確か、KとDBは“祝杯を挙げる”と言ってましたね」社員が瓶を差し出しながら言った。「ああ、場所は分からないが、確かにそう言っていた。ホテルへ引き上げてから出かけるのか?部屋でやるのか?そっちはN坊達が追っている。俺達も急いで引き上げてミスターJに情報を届けなくてはならない。ミセスA、これを返しますね」F坊はPHSと空き瓶をミセスAに差し出すと、テープを慎重にカバン中へ押し込んだ。「時間がない!俺達もKとDBを追いかけよう。まずはN坊達とコンタクトを取る必要がある。ミセスA!ミスターJに繋ぎを付けて貰えますか?俺達がテープと図面を持ってZ病院を出た事、N坊達が先行してKとDBを追いかけている事」「ええ、直ぐに伝えておくわ。2人共急ぎなさい!一刻を争う事態よ。無事にミスターJへ情報を届けてちょうだい!」「分かってます。じゃあミセスA!失礼します」F坊達もZ病院を飛び出して行った。N坊達に遅れる事30分。夕暮れが迫っていた。バス停へ走りながら、F坊は携帯の電源を入れてメールをチェックして見た。N坊からのメールが1件入っていた。「KとDBは、Pホテルへ引き揚げる模様。今の所、寄り道する気配なし」内容を確認すると、F坊はバスが来る前に返信を打った。「今、Z病院を出た。KとDBは、当初の計画を変更する可能性あり。ミセスAより、ミスターJに繋ぎを入れた。至急Pホテルへ戻る。KとDBが道草を食わない事を祈る!」F坊達はバスが来るのを待った。
Pホテルの5階。「司令部」では、ミスターJを中心に情報の精査が行われていた。撮影された写真の分析に始まり、スキャンした文書をプリントアウトしての確認作業。1時間はあっと言う間に過ぎ去った。「情報はこれで全部か?」ミスターJは顔を挙げてリーダーの男に尋ねた。「はい、これで全てです」「妙だな?」ミスターJは首を捻った。「入院中の“彼”を捕縛するならば、装備が足りなさ過ぎる。相手はZ病院だ。これでは、KとDBも捕らえられてしまう。このNPO法人へ“修行”へ送るのは無理だ」ミスターJはNPO法人への入信届を指しながら言った。「しかし、室内にはこれ以上の装備や文書は見当たりませんでした。秘書課長さん。どこか探し忘れた個所はありましたか?」リーダーの男は確認を入れる。「いや、全てひっくり返しましたよ。目の届かない箇所は無いと思います」一緒に潜入した秘書課長も漏れはないと言った。「我々は何かを見落とした訳ではないと言うのだな?だとすれば、Kはまだ何かを隠していると言う事になる」ミスターJは宙を仰ぎながら続けた。「Z病院の精神科病棟は、閉鎖病棟だ。患者さんも含め、関係者の出入りは厳しく監視されている。しかも、病院全体が“要塞”の様に堅固にガードされている。KとDBがのこのこと行って、“彼”を捕縛して帰って来られる場所ではないのだ。リーダー。KとDBを追跡して、Z病院へ行ったのは誰だ?」「NとF、秘書課長さんの部下が2名です」「NとFか・・・、Aの子供達なら分かるはずだ。脱出が如何に困難なものか。Z病院が要塞の様に堅固で、簡単には攻略出来ない事をな。彼らもきっと同じ考えに至るだろう」ミスターJはカップを持って窓際へと移動した。下の通りを見ながら暫く考えを巡らせる。「司令部」は沈黙に包まれた。だが、1人だけそわそわしている人物が居た。秘書課長は、NPO法人の文書を見ながら、必死に何かを思い出そうとしていた。彼には、このNPO法人の名称に見覚えがあった。つい最近の事だ。確かあれは酒を飲みながら実弟と話していた時だ。酔った実弟が「つい口走った」話の中にヒントがあった。「トリプルゼット(ZZZ)か!」秘書課長が口走った瞬間、ミスターJとリーダーが顔色を変えた。「秘書課長さん!どこでZZZの事を聞いたんです!」リーダーが物凄い剣幕で聞き返した。「いや、その・・・、酒の席で偶然聞いてしまった事なので、確かではないんですが・・・」「確かでなくても、聞かせて頂きたい!どなたに聞いたんです?!」ミスターJも真顔で尋ねた。「私から情報が漏れるとマズイのですが、お話ししましょう。実は、実弟が神奈川県警におりまして、先日久しぶりに実弟の自宅飲んだ時、何の弾みかNPO法人の話になりまして、実弟が“NPO法人にもピンからキリまである。NPOの名を隠れ蓑にしてZZZを密輸している奴らもいるんだ”と言ったんです。そのNPO法人がここなんです。“元々は宗教法人だったが、今は青竜会の手に実権が渡っている”とも言ってました」秘書課長は神妙に言ったが、ミスターJとリーダー男は強い衝撃を受けたようだった。「ZZZを青竜会が手にしたと言うのは、裏の世界では公然の秘密です!」「私も聞いている。しかも、ここは青竜会の縄張り。情報が県警から出たとなると、青竜会は既にZZZを闇で売りさばいている可能性が高い!ネットの裏サイトでも出回っていると見て間違いないな!」ミスターJとリーダー男は青ざめた顔で話している。秘書課長は恐る恐る「実弟の話がKとDBに関係があるのですか?」と聞いて見た。ミスターJは腕組みをしながら「大ありですよ!」と言った。「これから話す事は、Y副社長にもまだ伝えていない事です。しかし、確証が高い話が秘書課長さんから出た以上、報告する必要があります。秘書課長さん。Y副社長への報告書にこれから話す事を追記して下さい。新情報です!」秘書課長はすかさずパソコンの前に移動して、タイプの用意をした。その時、ミスターJの携帯が鳴った。「追跡部隊のNからだ。“KとDBは、Z病院を出た。ヤツらは今晩「祝杯を挙げる」といい、上機嫌だった。我々追跡部隊は、2手に分かれFがZ病院に残り、Aからの手土産を待っている。今の所、KとDBに新たな動きは無く、このままPホテルへ戻るものと思われる”と言って来た。どうやら、Kは別の手を隠しているな!ヤツらが帰れば“耳”で聴けるだろうて。では、秘書課長さん」ミスターJは静かに、ゆっくりと話し始めた。「私達はKが出発するまで間、自宅を密かに包囲して24時間体制で監視を続けてきました。人の出入り、宅配便の有無まで殆ど全てに渡って監視しました。出発の3日前、ヤツの手元に宅配便が届きました。中身は不明でしたが、誰が発送したのか?は突き止めてあります。ここ、横浜市内の青竜会系列の物産会社からでした。その翌日、Kは宅配便で送られて来た箱をある場所に持ち込んでいます。地元の清涼飲料水販売会社です。そこでKは10本の500mmペットボトルを手に入れています。それらは、丁寧に包装され、のし札が貼られていました。これらの事実と先程の秘書課長さんの証言を照らし合わせると、ある結論に達します。Kは恐らく“ZZZ”を混入した清涼飲料水を作り、車内に隠し持っていると思われるのです。ヤツは捕縛出来ない場合に備えて、毒物で“彼”を始末する用意があると考えられるのです。“ZZZ”は新種の合成麻薬の一種で、非常に毒性が強く南北米大陸では、大量の犠牲者を生んでいる悪魔の薬物です。もし“彼”がこの清涼飲料水を飲めば、取り返しのつかない事態に陥ることは確実でしょう。秘書課長さんよろしいですかな?」「はい、大丈夫です」秘書課長の顔は真っ青だ。「“ZZZ”の使用と青竜会の関与が疑われる以上、私達の組織では対処が難しい。どうしても、警察の手が必要だ。誘拐未遂ならまだしも、麻薬取締法違反に殺人未遂が加わるとなれば、KとDBを逮捕してもらうしかない。法に則って裁きを受けさせなければならん。計画では、Kは警察の手に引き渡し、DBは社内処分で裁く予定だったが、両名とも警察に引き渡すしかあるまい。この点もY副社長への報告書へ追記して下さい」秘書課長は強張った表情でミスターJの問いかけに頷いた。「このままでは、“彼”は薬殺されてしまう。どうするんです?ミスターJ?」リーダーの声は暗い。「青竜会を向こうに回して、やり合うなんて無理です!」「ああ、我々の手には負えないよ。下手に動けば全滅だ。だから、神奈川県警を動かすしかない!それが唯一の道だ」ミスターJも心なしか声が暗い。その時、ミスターJの携帯がまた鳴った。「もしもし、Aか。FがZ病院を出発したのか。ああ、分かった。A、君とFの推理は当たっているよ。Kが“ZZZ”を手に入れた確証が浮かんだんだ。青竜会ルートでな。KとDBは明後日、面会に再来院するのか。午後3時だな。了解した。少しは時間があるな。病院側はもう動いているんだな?なに?!警察も打ち合わせには来ているのか。分かった。そっちは予定通り動いてくれればいい。後は私達の番だ。そうか、宜しく頼む。じゃあ」ミスターJは電話を切った。「F達がZ病院を出たそうだ。後、1時間で戻るだろう。Z病院でのKとDBのやり取りと、詳細な院内図面と写真が揃うまでもう少しだ。先にKとDBが戻るだろうから、“耳”でヤツらの会話を聴きながら待つとしよう」ミスターJはコーヒーを淹れて“耳”の前に陣取った。秘書課長はミスターJの向かい側へ座ると「私達はどうすればいいんですか?殺人を防ぐ手立てなどどこにあると言うのです?」と真剣に問いかけた。「秘書課長さん。Y副社長の知り合いが、神奈川県警にいらっしゃるのをご存知でしょう?」ミスターJは静かに言った。「ええ、大学の後輩が県警のかなり上の方に居ると聞いたことがあります」秘書課長は記憶を手繰った。確か、中枢に近い地位に居るとY副社長から聞いたことがあった。「今回の件、Y副社長へ報告書を出されれば、必ず県警は動きます。と言うか動かさざるを得ないんです。Kがこれ程の非道に走った以上、会社レベルで終息させるのは困難です。Y副社長もそうお考えになるでしょう。貴方方は、私達と集めた情報を細大漏らさずにY副社長へ報告されればいい。後は、私の組織と警察で始末します。間もなく最後の情報が届くし、KとDBも“耳”を通じて喋り始めるでしょう。もう少し待って下さい。KとDBが“祝杯”とやらを挙げに行けば、部下の皆さんと帰れますよ。今少し、我々に付き合って下さい」ミスターJはゆっくりと落ち着いて話した。秘書課長は黙って頷き、報告書を見直し始めた。「さて、これから裏を取らねばならん。時間は限られているが、何とか間に合わせるしかあるまい」ミスターJはぬるくなったコーヒーを飲みながら、これからの動きを考え始めていた。「Kのパソコンを手に入れる必要があるな。さて、どうする?」
KとDBは、Pホテルに戻るとラウンジに座り、コーヒーを注文した。慎重に周囲を伺い、尾行されていないかを確認する。N坊達は危うく引っ掛かりそうになり、慌ててホテルを通り過ぎて難を逃れた。「おっと、ヤツら警戒してやがる。正面からは戻れないと来たか。ならば、こっちは潜るしかない」N坊達は地下駐車場への階段へ迂回して行った。KとDBはコーヒーを飲みながら、祝杯をどこで挙げるかを呑気に相談していた。「おい、DB!中華街へ繰り出すか?」「それもいいな。どこの店にする?」DBはKの意向を聞いた。「△珍楼当りはどうだ?派手にやっても構わんぞ!軍資金はたんまりとある」Kは財布を取り出して札束を数えた。「明後日に向けて精を付けるか?!」DBも札束を数えた。「明日は特に動く必要はない。ゆっくりと起きればいい。休息も大事だ。偉大なる勝利の前に英気を養う必要がある!」Kは完全に陶酔していた。「では、K様。部屋へ戻ってから、祝いの席へ向かわれますかな?」DBも緩み切っていた。「そうしよう。まずは着替えだ。冷や汗の連続だったから、気持ちが悪い。シャワーを浴びてリフレッシュしよう!」KとDBはコーヒーを飲み干すと、エレベーターへ向かった。KとDBはまったく気づかなかったが、N坊達は背後で2人の会話を聴きとっていた。「△珍楼か。ジミー・フォンの店じゃないか!料理はそこそこだが、ロケーションとしてはこっちに分がある。さあ、俺達も司令部へ帰還しよう」時間差を作り出し、N坊達もエレベーターに乗った。後はF坊達が無事に帰れば、追跡任務は完了する。「一休みしたら、また次が待ってる。忙しくなるぞ!」N坊は気を引き締めていた。N坊の予感は奇しくも当り、此の夜の内に「大返し」をする事になる。次の任務は、時間との闘いだった。
Pホテルの5階。「司令部」では、ミスターJを中心に情報の精査が行われていた。撮影された写真の分析に始まり、スキャンした文書をプリントアウトしての確認作業。1時間はあっと言う間に過ぎ去った。「情報はこれで全部か?」ミスターJは顔を挙げてリーダーの男に尋ねた。「はい、これで全てです」「妙だな?」ミスターJは首を捻った。「入院中の“彼”を捕縛するならば、装備が足りなさ過ぎる。相手はZ病院だ。これでは、KとDBも捕らえられてしまう。このNPO法人へ“修行”へ送るのは無理だ」ミスターJはNPO法人への入信届を指しながら言った。「しかし、室内にはこれ以上の装備や文書は見当たりませんでした。秘書課長さん。どこか探し忘れた個所はありましたか?」リーダーの男は確認を入れる。「いや、全てひっくり返しましたよ。目の届かない箇所は無いと思います」一緒に潜入した秘書課長も漏れはないと言った。「我々は何かを見落とした訳ではないと言うのだな?だとすれば、Kはまだ何かを隠していると言う事になる」ミスターJは宙を仰ぎながら続けた。「Z病院の精神科病棟は、閉鎖病棟だ。患者さんも含め、関係者の出入りは厳しく監視されている。しかも、病院全体が“要塞”の様に堅固にガードされている。KとDBがのこのこと行って、“彼”を捕縛して帰って来られる場所ではないのだ。リーダー。KとDBを追跡して、Z病院へ行ったのは誰だ?」「NとF、秘書課長さんの部下が2名です」「NとFか・・・、Aの子供達なら分かるはずだ。脱出が如何に困難なものか。Z病院が要塞の様に堅固で、簡単には攻略出来ない事をな。彼らもきっと同じ考えに至るだろう」ミスターJはカップを持って窓際へと移動した。下の通りを見ながら暫く考えを巡らせる。「司令部」は沈黙に包まれた。だが、1人だけそわそわしている人物が居た。秘書課長は、NPO法人の文書を見ながら、必死に何かを思い出そうとしていた。彼には、このNPO法人の名称に見覚えがあった。つい最近の事だ。確かあれは酒を飲みながら実弟と話していた時だ。酔った実弟が「つい口走った」話の中にヒントがあった。「トリプルゼット(ZZZ)か!」秘書課長が口走った瞬間、ミスターJとリーダーが顔色を変えた。「秘書課長さん!どこでZZZの事を聞いたんです!」リーダーが物凄い剣幕で聞き返した。「いや、その・・・、酒の席で偶然聞いてしまった事なので、確かではないんですが・・・」「確かでなくても、聞かせて頂きたい!どなたに聞いたんです?!」ミスターJも真顔で尋ねた。「私から情報が漏れるとマズイのですが、お話ししましょう。実は、実弟が神奈川県警におりまして、先日久しぶりに実弟の自宅飲んだ時、何の弾みかNPO法人の話になりまして、実弟が“NPO法人にもピンからキリまである。NPOの名を隠れ蓑にしてZZZを密輸している奴らもいるんだ”と言ったんです。そのNPO法人がここなんです。“元々は宗教法人だったが、今は青竜会の手に実権が渡っている”とも言ってました」秘書課長は神妙に言ったが、ミスターJとリーダー男は強い衝撃を受けたようだった。「ZZZを青竜会が手にしたと言うのは、裏の世界では公然の秘密です!」「私も聞いている。しかも、ここは青竜会の縄張り。情報が県警から出たとなると、青竜会は既にZZZを闇で売りさばいている可能性が高い!ネットの裏サイトでも出回っていると見て間違いないな!」ミスターJとリーダー男は青ざめた顔で話している。秘書課長は恐る恐る「実弟の話がKとDBに関係があるのですか?」と聞いて見た。ミスターJは腕組みをしながら「大ありですよ!」と言った。「これから話す事は、Y副社長にもまだ伝えていない事です。しかし、確証が高い話が秘書課長さんから出た以上、報告する必要があります。秘書課長さん。Y副社長への報告書にこれから話す事を追記して下さい。新情報です!」秘書課長はすかさずパソコンの前に移動して、タイプの用意をした。その時、ミスターJの携帯が鳴った。「追跡部隊のNからだ。“KとDBは、Z病院を出た。ヤツらは今晩「祝杯を挙げる」といい、上機嫌だった。我々追跡部隊は、2手に分かれFがZ病院に残り、Aからの手土産を待っている。今の所、KとDBに新たな動きは無く、このままPホテルへ戻るものと思われる”と言って来た。どうやら、Kは別の手を隠しているな!ヤツらが帰れば“耳”で聴けるだろうて。では、秘書課長さん」ミスターJは静かに、ゆっくりと話し始めた。「私達はKが出発するまで間、自宅を密かに包囲して24時間体制で監視を続けてきました。人の出入り、宅配便の有無まで殆ど全てに渡って監視しました。出発の3日前、ヤツの手元に宅配便が届きました。中身は不明でしたが、誰が発送したのか?は突き止めてあります。ここ、横浜市内の青竜会系列の物産会社からでした。その翌日、Kは宅配便で送られて来た箱をある場所に持ち込んでいます。地元の清涼飲料水販売会社です。そこでKは10本の500mmペットボトルを手に入れています。それらは、丁寧に包装され、のし札が貼られていました。これらの事実と先程の秘書課長さんの証言を照らし合わせると、ある結論に達します。Kは恐らく“ZZZ”を混入した清涼飲料水を作り、車内に隠し持っていると思われるのです。ヤツは捕縛出来ない場合に備えて、毒物で“彼”を始末する用意があると考えられるのです。“ZZZ”は新種の合成麻薬の一種で、非常に毒性が強く南北米大陸では、大量の犠牲者を生んでいる悪魔の薬物です。もし“彼”がこの清涼飲料水を飲めば、取り返しのつかない事態に陥ることは確実でしょう。秘書課長さんよろしいですかな?」「はい、大丈夫です」秘書課長の顔は真っ青だ。「“ZZZ”の使用と青竜会の関与が疑われる以上、私達の組織では対処が難しい。どうしても、警察の手が必要だ。誘拐未遂ならまだしも、麻薬取締法違反に殺人未遂が加わるとなれば、KとDBを逮捕してもらうしかない。法に則って裁きを受けさせなければならん。計画では、Kは警察の手に引き渡し、DBは社内処分で裁く予定だったが、両名とも警察に引き渡すしかあるまい。この点もY副社長への報告書へ追記して下さい」秘書課長は強張った表情でミスターJの問いかけに頷いた。「このままでは、“彼”は薬殺されてしまう。どうするんです?ミスターJ?」リーダーの声は暗い。「青竜会を向こうに回して、やり合うなんて無理です!」「ああ、我々の手には負えないよ。下手に動けば全滅だ。だから、神奈川県警を動かすしかない!それが唯一の道だ」ミスターJも心なしか声が暗い。その時、ミスターJの携帯がまた鳴った。「もしもし、Aか。FがZ病院を出発したのか。ああ、分かった。A、君とFの推理は当たっているよ。Kが“ZZZ”を手に入れた確証が浮かんだんだ。青竜会ルートでな。KとDBは明後日、面会に再来院するのか。午後3時だな。了解した。少しは時間があるな。病院側はもう動いているんだな?なに?!警察も打ち合わせには来ているのか。分かった。そっちは予定通り動いてくれればいい。後は私達の番だ。そうか、宜しく頼む。じゃあ」ミスターJは電話を切った。「F達がZ病院を出たそうだ。後、1時間で戻るだろう。Z病院でのKとDBのやり取りと、詳細な院内図面と写真が揃うまでもう少しだ。先にKとDBが戻るだろうから、“耳”でヤツらの会話を聴きながら待つとしよう」ミスターJはコーヒーを淹れて“耳”の前に陣取った。秘書課長はミスターJの向かい側へ座ると「私達はどうすればいいんですか?殺人を防ぐ手立てなどどこにあると言うのです?」と真剣に問いかけた。「秘書課長さん。Y副社長の知り合いが、神奈川県警にいらっしゃるのをご存知でしょう?」ミスターJは静かに言った。「ええ、大学の後輩が県警のかなり上の方に居ると聞いたことがあります」秘書課長は記憶を手繰った。確か、中枢に近い地位に居るとY副社長から聞いたことがあった。「今回の件、Y副社長へ報告書を出されれば、必ず県警は動きます。と言うか動かさざるを得ないんです。Kがこれ程の非道に走った以上、会社レベルで終息させるのは困難です。Y副社長もそうお考えになるでしょう。貴方方は、私達と集めた情報を細大漏らさずにY副社長へ報告されればいい。後は、私の組織と警察で始末します。間もなく最後の情報が届くし、KとDBも“耳”を通じて喋り始めるでしょう。もう少し待って下さい。KとDBが“祝杯”とやらを挙げに行けば、部下の皆さんと帰れますよ。今少し、我々に付き合って下さい」ミスターJはゆっくりと落ち着いて話した。秘書課長は黙って頷き、報告書を見直し始めた。「さて、これから裏を取らねばならん。時間は限られているが、何とか間に合わせるしかあるまい」ミスターJはぬるくなったコーヒーを飲みながら、これからの動きを考え始めていた。「Kのパソコンを手に入れる必要があるな。さて、どうする?」
KとDBは、Pホテルに戻るとラウンジに座り、コーヒーを注文した。慎重に周囲を伺い、尾行されていないかを確認する。N坊達は危うく引っ掛かりそうになり、慌ててホテルを通り過ぎて難を逃れた。「おっと、ヤツら警戒してやがる。正面からは戻れないと来たか。ならば、こっちは潜るしかない」N坊達は地下駐車場への階段へ迂回して行った。KとDBはコーヒーを飲みながら、祝杯をどこで挙げるかを呑気に相談していた。「おい、DB!中華街へ繰り出すか?」「それもいいな。どこの店にする?」DBはKの意向を聞いた。「△珍楼当りはどうだ?派手にやっても構わんぞ!軍資金はたんまりとある」Kは財布を取り出して札束を数えた。「明後日に向けて精を付けるか?!」DBも札束を数えた。「明日は特に動く必要はない。ゆっくりと起きればいい。休息も大事だ。偉大なる勝利の前に英気を養う必要がある!」Kは完全に陶酔していた。「では、K様。部屋へ戻ってから、祝いの席へ向かわれますかな?」DBも緩み切っていた。「そうしよう。まずは着替えだ。冷や汗の連続だったから、気持ちが悪い。シャワーを浴びてリフレッシュしよう!」KとDBはコーヒーを飲み干すと、エレベーターへ向かった。KとDBはまったく気づかなかったが、N坊達は背後で2人の会話を聴きとっていた。「△珍楼か。ジミー・フォンの店じゃないか!料理はそこそこだが、ロケーションとしてはこっちに分がある。さあ、俺達も司令部へ帰還しよう」時間差を作り出し、N坊達もエレベーターに乗った。後はF坊達が無事に帰れば、追跡任務は完了する。「一休みしたら、また次が待ってる。忙しくなるぞ!」N坊は気を引き締めていた。N坊の予感は奇しくも当り、此の夜の内に「大返し」をする事になる。次の任務は、時間との闘いだった。