私が穏やかな入院生活を送っていた陰で、新たなる「反乱」が勃発していたのを知り得たのは、随分時間が経ってからの事だった。その話を教えてくれたのは、他ならぬ「ミスターJ」である。私が会社へ復職を果たした際、同僚として彼は私にこっそりと語ってくれたのである。その話は私を驚愕させるに十分であった。
Kが自ら「辞表」を奉呈して会社を去った事は前述したが、実はある「秘密工作」のための辞任であったと言うのだ。もう、分かるとは思うがそれは「DB復帰作戦」に他ならない。Y副社長はKの辞任を「おかしい・怪しい」と感じ取っていた。裏で何をしでかすか分からないし、何もしないと言う保証もない。そこでY副社長は、ミスターJに「密命」を依頼した。それは、Kの動向を監視して何か動きがあれば「密かに通報」する事だった。社員では無くなったKを「監視」するのは容易ではないとお思いだろうが、ミスターJの属する「組織」を持ってすれば、決して不可能ではなかった。Y副社長は「遅くとも半年以内、早ければ3か月以内にKは動く」と予測した。DBの置かれている状況を考えれば、それほどの時間を待たずに「なんらかのアクション」があると読んだのである。ミスターJは、即座に「鉄のタガ」を張り巡らせた。盗聴などの派手な真似は出来ないが、Kの旧部下達動向や、息のかかっている「取引先」の下請け会社などでの情報収集を始めたのである。すると、さして時間も経ていない頃から「おかしな動き」の情報が続々と集まって来た。
Kは、まず複数の「取引先の顧問」になり始め、「品質についての助言」を出し始めた。同じくして、旧部下達の一部が「Kの助言を受けた取引先の品質は高く問題は無い」として受入検査の簡略化を言い出したのである。加えて、これらの「取引先」との折衝にはKが同席する様になり、会社への出入りも頻繁になっていった。辞めたKが立場を変えて会社への「侵攻作戦」を行い始めたのだ。品質を「盾」にしての頭ごなしのゴリ押しは、次第に露骨になり、旧部下達も「ある情報」を求めて奔走し始めた。言うまでもなくその「情報」とは「私の居場所」の特定であり、Kによる「私の捕縛作戦」への援護に他ならなかった。DBが手も足も出ないとなれば、Kが指揮を執るしかない。しかも「時間と手間はいくらでもある」のだ。会社組織に属さずに自由を得たKならではの策ではあったが、彼らの「動き」はミスターJによってY副社長に「逐一かつ細大漏らさず」に通報されていた。そんな事とは露知らぬKは、旧部下達に「計画」を示した。まず、「私を入院先で捕縛」して人質とする。次に顧問である「取引先」に手を回して、部品や資材の供給を絞り生産計画を狂わせる。そしてY副社長に「DBの復権を訴える」と言うものであった。人質と生産計画の遅延をセットにしての揺さぶり攻撃だったのだが、当然の事ながら「Y副社長に通じる」はずが無かった。ミスターJからの情報のウラを取り、私の身の安全が担保されている事を確認した上で、Y副社長はDBを呼び出した。そして「君に新たな仕事に就いてもらう。韓国の工場の品質管理責任者だ。今週中に韓国へ向かってくれ。任期は当面の間とする」と告げたのである。DBは驚愕してY副社長に「何故なんですか?」と聞いたと言う。Y副社長は眉一つ動かさずに「それは、Kに聞いて見ればいい」と言ったとそうだ。DBはKに携帯で「韓国に行く羽目になったが、何が起こっているのか?」と声を震わせて問うたらしい。Kは「しまった」と叫んだらしいが、後の祭りである。Y副社長が「当面」と言った以上、余程の事がない限り帰国は叶わない。そしてKの為に動いた旧部下達の命運も尽きた事を悟らねばならなかった。処断は厳格を極め、降格・減俸・出社停止などの罰条が課せられた。Kは無念を味わうだけでなく、人心をも失い全ての顧問を降りたそうだ。以後、蟄居・謹慎同様の生活を送ることになったと言う。
これが「ミスターJ」が語ってくれた「反乱」の全貌である。Kは再起不能となり、DBは異国での「配流生活」に落とされた。連座させられたモノは数十名に上ったと言う。今、振り返っても身の毛もよだつ恐ろしい計画があったとは・・・。「今だから、何の気兼ねも無く話せるが」と言っていたミスターJとY副社長には感謝しかなかった。Kとは二度と対面する事はなかったが、DBとは後に再び相まみえる事になる。「復活のDB」はまだ随分と先になるが、蛇の様に狡猾になったヤツとの対決は熾烈な戦いとなる。
Kが自ら「辞表」を奉呈して会社を去った事は前述したが、実はある「秘密工作」のための辞任であったと言うのだ。もう、分かるとは思うがそれは「DB復帰作戦」に他ならない。Y副社長はKの辞任を「おかしい・怪しい」と感じ取っていた。裏で何をしでかすか分からないし、何もしないと言う保証もない。そこでY副社長は、ミスターJに「密命」を依頼した。それは、Kの動向を監視して何か動きがあれば「密かに通報」する事だった。社員では無くなったKを「監視」するのは容易ではないとお思いだろうが、ミスターJの属する「組織」を持ってすれば、決して不可能ではなかった。Y副社長は「遅くとも半年以内、早ければ3か月以内にKは動く」と予測した。DBの置かれている状況を考えれば、それほどの時間を待たずに「なんらかのアクション」があると読んだのである。ミスターJは、即座に「鉄のタガ」を張り巡らせた。盗聴などの派手な真似は出来ないが、Kの旧部下達動向や、息のかかっている「取引先」の下請け会社などでの情報収集を始めたのである。すると、さして時間も経ていない頃から「おかしな動き」の情報が続々と集まって来た。
Kは、まず複数の「取引先の顧問」になり始め、「品質についての助言」を出し始めた。同じくして、旧部下達の一部が「Kの助言を受けた取引先の品質は高く問題は無い」として受入検査の簡略化を言い出したのである。加えて、これらの「取引先」との折衝にはKが同席する様になり、会社への出入りも頻繁になっていった。辞めたKが立場を変えて会社への「侵攻作戦」を行い始めたのだ。品質を「盾」にしての頭ごなしのゴリ押しは、次第に露骨になり、旧部下達も「ある情報」を求めて奔走し始めた。言うまでもなくその「情報」とは「私の居場所」の特定であり、Kによる「私の捕縛作戦」への援護に他ならなかった。DBが手も足も出ないとなれば、Kが指揮を執るしかない。しかも「時間と手間はいくらでもある」のだ。会社組織に属さずに自由を得たKならではの策ではあったが、彼らの「動き」はミスターJによってY副社長に「逐一かつ細大漏らさず」に通報されていた。そんな事とは露知らぬKは、旧部下達に「計画」を示した。まず、「私を入院先で捕縛」して人質とする。次に顧問である「取引先」に手を回して、部品や資材の供給を絞り生産計画を狂わせる。そしてY副社長に「DBの復権を訴える」と言うものであった。人質と生産計画の遅延をセットにしての揺さぶり攻撃だったのだが、当然の事ながら「Y副社長に通じる」はずが無かった。ミスターJからの情報のウラを取り、私の身の安全が担保されている事を確認した上で、Y副社長はDBを呼び出した。そして「君に新たな仕事に就いてもらう。韓国の工場の品質管理責任者だ。今週中に韓国へ向かってくれ。任期は当面の間とする」と告げたのである。DBは驚愕してY副社長に「何故なんですか?」と聞いたと言う。Y副社長は眉一つ動かさずに「それは、Kに聞いて見ればいい」と言ったとそうだ。DBはKに携帯で「韓国に行く羽目になったが、何が起こっているのか?」と声を震わせて問うたらしい。Kは「しまった」と叫んだらしいが、後の祭りである。Y副社長が「当面」と言った以上、余程の事がない限り帰国は叶わない。そしてKの為に動いた旧部下達の命運も尽きた事を悟らねばならなかった。処断は厳格を極め、降格・減俸・出社停止などの罰条が課せられた。Kは無念を味わうだけでなく、人心をも失い全ての顧問を降りたそうだ。以後、蟄居・謹慎同様の生活を送ることになったと言う。
これが「ミスターJ」が語ってくれた「反乱」の全貌である。Kは再起不能となり、DBは異国での「配流生活」に落とされた。連座させられたモノは数十名に上ったと言う。今、振り返っても身の毛もよだつ恐ろしい計画があったとは・・・。「今だから、何の気兼ねも無く話せるが」と言っていたミスターJとY副社長には感謝しかなかった。Kとは二度と対面する事はなかったが、DBとは後に再び相まみえる事になる。「復活のDB」はまだ随分と先になるが、蛇の様に狡猾になったヤツとの対決は熾烈な戦いとなる。