limited express NANKI-1号の独り言

折々の話題や国内外の出来事・自身の過去について、語り綴ります。
たまに、写真も掲載中。本日、天気晴朗ナレドモ波高シ

New Mr DB ②

2018年11月29日 12時56分26秒 | 日記
覚醒には猛烈な吐き気と頭痛が伴った。意識を取り戻しつつあったDBは、いつ収まるとも知れない吐き気と頭痛に悶え苦しんだ。“ドクター”が調合した睡眠薬は、副作用は一切考慮せず持続時間のみを最優先としたからだった。虚ろに開かれたDBの目にはボヤケタ世界が広がっていた。「眼鏡は・・・、どこだ?」ベッドの周囲を手あたり次第に探るが、眼鏡は何処にもなかった。どの位時間が経過したかも分からず、副作用と戦ったDBは次第に意識を取り戻した。おぼろげながらにも見えてきたのは、恐ろしく高い天井と正面に広がる黒い壁。他の3面はコンクリートが剥き出しだった。恐る恐る触れて見ると、僅かに暖かい。地下空間である事は分かりつつあった。ベッドから起き上がると頭を痛みが突き抜ける。懸命に堪えて周囲を見ると、机と丸い背もたれの無い椅子が見えた。よろめきながら机を探ると、ようやく眼鏡を探し当てた。視力を取り戻したDBは、改めて自分が居る部屋を見渡した。粗末なベッド、机、椅子、剥き出しの便器とシャワーらしき蛇口。高い天井の真ん中にはエアコンの吹き出し口が見えた。天井は恐ろしく高い。正面の黒い壁には小さな鏡がはめ込まれていた。実はこれはマジックミラーで、外からはDBの姿を確認できる様に作られていた。わずかに見える切れ目はドアの様だった。「ここはどこだ?!」DBが呟くと「警告、スグニ壁カラハナレロ!30秒ゴニレーザー攻撃ヲカイシスル!」と奇妙な声が響いた。合成ボイスらしかった。「30秒後に・・・レーザー攻撃だと?コケ脅しにな・・・ど乗らんぞ!」DBは壁を子細に見ようと懸命に目を凝らした。そこへ攻撃が来た。左肩に焼け付く様な痛みと、焦げるような匂いを嗅いだ。シャツに穴が開き、肩には火傷を負った。「ひぇー!ギャーあぁ・・・!」驚きと恐怖でDBはベッド脇へ這い進んだ。もう一度天井をよく見ると、6台の監視カメラがDBを捕捉する様に動いていた。不気味に光るのはレーザーの発射口だろう。「警告、ツギニ従ワナイ場合ニハ、レーザーの出力ヲアゲル」合成ボイスが流れた。「なんて事だ。俺をなぶり殺しにするつもりか?」DBは机の下に潜り込んだ。だが、それが無駄な行為だと思い知らされた。机も椅子もダンボールで組み立てられたものだった!レーザーの盾には使えない!「ここはどこだ?・・・今は何時だ?・・・誰か助けてくれ!」レーザーに焼かれた肩の痛みも加わり、DBは七転八倒した。「ソレヲ知ル必要ハナイ。オ前ハ、オトナシク命令ニ従ッテイレバヨイノダ。間モナク食事ヲ与エル。レーザー出力低下完了。追跡攻撃モード解除」薄暗い室内に無機質な合成ボイスが響いた。

Kが収監されて1ヶ月経った頃、Xは1通の葉書を受け取った。差出人はKで“みんな元気で社業に励んでいるか?”と書かれていた。一見すると何の変哲もない葉書であったが、Xには閃くモノがあった。“どこかに何かが潜んでいる!暗号か何かだろう!”収監されている以上、検閲を通らなくては外部との連絡は絶たれる。XはKの意図を読み解こうと必死になった。だが、容易には読み解けなかった。Kが残したあらゆる暗号符号と突き合わせても“隠された意図”は見えてこなかった。「うーん、分からない。何を伝えようとしているんだ?」瞬く間に1週間が過ぎた。もう、目を瞑っても文面が浮かんでくるくらいに葉書は調べつくした。だが、見えて来ないのだ。「ただの時節の挨拶か?!」書斎のデスクの明かり越しに葉書を透かしたその時だった。「えっ!何か見えるぞ!」Xは葉書を明かりに透かして見直してみた。「あぶり出しか?!」柑橘類の汁で文字を書けば乾くと見えなくなる。だが、熱をかけると文字が浮かぶ!Xはドライヤーを持って来ると葉書を熱して見た。「見えた!やはりあった!」Xにの目の前に“DBを探して救出せよ!”と言う文面が浮かび出た。「そう言えば、DBの噂が一向に流れてこないな!起訴猶予になって釈放された後、足取りも情報も皆無だ。これは何か裏があるに違いない!」Xは呟いた。だが、探すにはツテが無くてはならない。DBは本体の社員ではなく子会社の社員になっている。「そうなると、頼りは組合。しかも本部にツテを求めるしかあるまい」Xの頭中にはある図面が描かれていった。同じ職場には、支部の“福利厚生部長”が居る。彼女を通じて組合本部から、本社人事部・秘書課へ手を回す。役員なら、DBの居所を知り得ている可能性はゼロではない。ただ、これは極めて危険な賭けになる。折角取り戻した地位と名声を捨ててまでやるべきか?否か?Xは悩んだ。仕事も家庭も順調なのは、Y副社長のお陰であり、Kと絶縁した事で許された経緯は忘れてはいない。社内には必ず“壁に耳あり、障子に目あり”で悟られてしまうだろう。服役中のKからの葉書は、内儀に知られずに回収出来たが、今後も隠し通せるか自信は無かった。“福利厚生部長”の彼女は、結婚を控えていて、任期満了と共に退社する予定だった。「巻き込むわけにはいかない!いや、そもそもこの葉書そのものを手にしている事が“悪の片棒を担ぐ”行為ではないか?!俺はKと絶縁したはずだろう?!」Xは自問自答を繰り返し悩みぬいた。時計は午後11時を回った。「俺はどうしたらいいんだ?分からない。あの人に聞いて見るか・・・」Xは携帯を取るとI氏へ電話をかけた。深夜なので迷惑だろうが、他に当ては無い。Xは悩みぬいた末に“正しい行い”に辿り着こうとしていた。

時間は少し戻って、XがI氏へ電話をかけようとしていた3日前。Kの元へ“美貌の弁護人”R女史が接見を申し入れに刑務所へ出向いていた。Kは素直に了承して、R女史と対面した。「その頭はどう言うこと?」R女史がKに聞いた。「いや、世捨て人の証ですよ。大意はない」Kは顔を赤らめて下を向いた。「今日は貴方に聞きたい事があるの。DBを探しているのだけれど、どこにも見当たらないの。彼の居場所に心当たりはない?」「さあ、見当も付きません。だが、彼の身に何かが起こったのは間違いないでしょう」「どういう事?」「起訴猶予となり、釈放されたとは言えども“大罪の片棒”を担いだ身です。会社が黙って受け入れる筈が無い。特にYのヤツは我々を恨みぬいてましたから」「Yって社長の?」「ええ、ヤツは如何なる非情な手も辞さないつもりでしょう。当面は“謹慎処分”の名目で捕らえるでしょうが、下手をすると幽閉同然の扱いを受けている恐れもある」Kは悲痛な表情で訴えた。「会社が社員を正当な理由なく幽閉するなんてあり得る訳?」「Yならやるでしょう。私はこうして安全に収監されてますが、DBは訴追されなかった分、酷い扱いを受けている可能性はあり得る。先生、DBを捜索して安全に暮らせる様にはできませんか?」「不当に拘束されているなら、法的には救出に動ける確率は高いわ。問題は彼がどこで何をされているかよ!心当たりはない?」「さあ、見当も付け用がありませんが、国内ではないとなると、中国かベトナム当りの現地工場に閉じ込められているのかも知れません」「新しいのはどっちなの?」「ベトナムだ。開設されて2年目のはずです」R女史の目が鋭く光った。「分かったわ。手掛かりはベトナムと見ていいわ。まず、地裁に閲覧請求をして、DBの件を洗い直す。同時に成田を調べて、不審な搭乗者が居たフライトを洗ってみる。どうやら、キナ臭い感じがするの!私に任せて!」「おねがいします」Kはただ頭を下げた。「時間です」警護の看守が言って来た。「ともかく、調べ直してみるわ!」R女史はそう言って接見室を出た。刑務所からの帰り、R女史は携帯で連絡を取った。「先生、お久しぶりです。実は、ご相談したい事がありまして、ええ、人権侵害の恐れのある事案です。手を貸してはいただけませんか?」彼女は知り合いの弁護士に応援を要請した。会社の顧問弁護士とも面識のある人物だった。

「今、何と言った?X、事は重大だ!会社の威信に関わるぞ!“DBを探して救出せよ”だと?本当に浮かび上がったんだな。この事は誰かに話したか?そうか、まだお前だけなんだな。それは良かった。1つ間違えばまた地獄へ真っ逆さまだったぞ!葉書はお前以外誰も見てないんだな。そうか。とにかく事は急を要する。直ぐに葉書を持って俺の家へ来い!構わん!気にするな。1分1秒が事を左右しかねん状況だ。ああ、ともかく直ぐに来い!」I氏は電話を切ると、直ぐに携帯を操作した。Y副社長への緊急打電だ。“KがDBの救出をXに指示。至急連絡を請う”後は待つだけだった。3分後に返信が来た。“Kの国選弁護人に不穏な動き有り、本件と関わりあるものと推察。明日、午後1時に電話会議の設定をせよ。ミスターJに至急連絡されたし”「やはり、不穏な動きがあるのか。ようやく落ち着いたと言うのに、Kのヤツは懲りないらしいな!弁護士が動いているとなると厄介な事になる。ミスターJでも阻止できるか微妙だな・・・」I氏はXの到着を待つ傍ら、ミスターJにも緊急打電を送った。「どこまで守れるか?それ如何によっては“彼”の運命も左右しかねん。明日の動きで間に合えばいいが・・・」I氏は言いようのない不安に駆られていた。

「あぎゃー・・・!、痛ててて・・・、うぉー・・・!」DBは腹の痛みと切れ痔に耐えかねて、呻いていた。「どう・・・なって・・・るんだ・・・この腹は・・・、あぎゃー!」“ドクター”が特別処理を施した「アメーバ赤痢」は、1日に十数回以上もピーピードンドンと下り続けるのだ。尻は切れて出血も酷い事になっていた。「警告、用ガスミ次第ベッドヘ戻レ。サモナクバ攻撃ヲ開始スル」合成ボイスによる警告が来た。だが、DBは便座から動く事は出来そうも無かった。「待ってくれ!腹が・・・言う事を・・・聞かないんだ・・・あぎゃー!」猛烈な痛みと共に腹は下り続けた。「警告、30秒ゴニレーザー攻撃ヲ開始スル。照準セット完了」DBのシャツは既に焼け焦げて穴だらけになり、衣服の原型を留めてはいない。脂汗を滴らせ必死になって下痢に耐えている身に、容赦なくレーザーは襲い掛かるだろう。DBはズボンを盾にして身構えた。そこへ三方からレーザーが襲い掛かる。ズボンには3ヵ所穴が開き、焼け焦げた匂いが漂った。腕には火傷を負った。「警告、レーザー出力50%アップ。直ちに退避セヨ」合成ボイスは、更に容赦なく攻撃を続ける意思を伝えて来た。DBはともかくベッドへと退避した。足はフラフラになり、腰は今にも抜けようとしていた。「何なんだ?下痢とレーザーで追い詰めるとは・・・、おい!目的は何だ!俺をどうするつもりだ?答えろ!」何とか声を振り絞るが、答えは無い。逆に声を出したことで、腹はグルグル、キューキューと音を発し始めた。「ヤバイ!」DBは便座へ座り込んだ。次の瞬間、遠雷の轟きとも、せせらぎの音ともとれる異様な音を発して、腹が下った。「あぎゃー・・・!、痛ててて・・・、うぉー・・・!」DBは絶叫して痛みに耐えた。その様子は、事業所長室奥のモニタールームでも観察出来た。「死ぬようなことはないでしょうね?」事業所長は真顔で聞いた。「心配ない。下痢で体がへたばるだけだ。水分は多めに提供してますよね?」秘書課長は平然と言う。「ええ、固形物より多めに入れています」「DBの体重は・・・、5kg減か。あと10kgは絞る必要があるな。そうしないと食費がかさむ」「しかし、あのボロボロの衣服では見苦しくはありませんか?」「そうだな、あれを差し入れてやれ」秘書課長はダンボール箱を指さした。中身を事業所長が見ると、麻製の作務衣がぎっしりと詰まっていた。「DBがこちらに従わなければ、レーザーで脅すしかない。穴だらけなったら新品をくれてやれ。20着はあるから足りない事はあるまい」「“アメーバ赤痢”の治療薬は、いつになったら投与しますか?」「まあ、2日後が目安かな。もう少し減量に成功したらでいい。体力を奪っておかないと良からぬ事をしでかすだろうから」「つまり、脱走を企てると?」「そうだ。悪知恵だけは働くヤツだ!決して油断はしない様に!金属やプラスチックの類は与えてはならん!」「はい」「そろそろ“挨拶”をするか。ヤツに“身の程”を教えてやらんとな!」そう言うと秘書課長はマイクのスイッチを入れた。「DB!“高級リゾート”へようこそ。居心地はどうかね?」地下空間では電子変声されたノイズ交じり声が響いた。「誰だ?貴様!何が目的だ?!」DBが必死に問いかける。「DB、君は許しがたい犯罪の片棒を担いだ罪人だ!本来ならばクビにする処だが、特別に恩赦が与えられ、この“高級リゾート”で謹慎してもらう事になった」「何を抜かす!レーザーで攻撃するのが、歓迎だとでも言うのか?」「そうだ。君が大人しく我々の命令に従えば、レーザーは威嚇にしか使わない。だが、今の君は我々の命令に違背している。従ってもらえるまでは、レーザー攻撃は続行する」「それなら、時計、カレンダー、ラジオ、電話をよこせ!これは当然の権利だ!」DBは訴えたしかし「君に権利など無い。今、君が並べ立てたモノは絶対に渡さない。我々に服従する事。それが君の使命だ」秘書課長は眉1つ動かす事無く言い切った。「人権侵害だ!訴えてやる!」「どうやって訴えるのかね?悪いがそこから自力で脱出など出来はしない。人権云々を言うのなら、君がKとやろうとした殺人はどう解釈するのだ?他人の人権を踏みにじった者に、自己の人権を云々する資格など無い!身の程をわきまえろ!」秘書課長は青筋を立てて言い放った。「何を抜かす!あれは“正義の鉄槌”だ。言われなき罪で幽閉するなど許されるものか!」DBも負けじと言い返す。「どうやら、まだ分からない様だな。では、間抜けでも分かるようにしてやろうじゃないか」「警告、レーザー出力最大にアップ。1分後ニ無差別攻撃ヲ開始スル。無差別攻撃マデ50秒」合成ボイスが響くと、監視カメラのレーザー発射口が輝きだした。「コケ脅しが通用すると思うな!何が最大出力だ?!」DBは侮った。しかし、発射されたレーザーは、一瞬で椅子を蒸発させた!DBの顔から血の気が失せた。「どうだね?コケ脅しで椅子が蒸発するかね?」「警告、レーザー出力MAXマデ上昇。1点集中デターゲットロックオン」「次は君が蒸発する番だ」DBは震え出し逃げようとした。だが、身体が動かない。「待て!しっ・・・従う!言う事は聞く!そっ・・・その前に用を足させてくれ!」DBは便器へ這い進むと、猛烈な爆音と共に用を足し始めた。「あぎゃー・・・!、痛ててて・・・、うぉー・・・!」DBの絶叫が響いた。「よろしい、一応信用しよう。だが、忘れるな。逆らえばレーザーで攻撃する。君に選択権は無いんだ。では、余生を愉しむがいい」ノイズ交じり声は途絶えた。「これで、少しは言う事を聞く様になるだろう。事業所長、後は頼みましたよ」「はい、状況は逐一、横浜本社へ報告します。DBと相対する場合は、先程の様に高圧的でいいんですね?」「その通り。情状酌量の余地は無い。期限が来るまで決して甘えは許さない様に。では、私はフライトの時間が迫っているので帰国します」秘書課長はトランクを手にモニタールームを出た。「異変があれば直ぐに連絡を入れて下さい。場合によっては、また出張して来ますので」「分かりました。後はお任せください」事業所長の見送りを受けて、秘書課長は帰国の途に就いた。

「女弁護士か・・・、厄介至極だなこれは」「しかし、人である事に変わりはありません。どこかに隙があるはず。それを探して突けば、手を引かせる事も不可能ではありませんよ」苦り切った表情のI氏にミスターJは言った。「希望的観測で事を片付ける訳にはいかんだろう。今回は相手が悪すぎる。“法を盾に”取られたら、明らかにこっちに勝ち目は出て来ない!」午後12時45分。Y副社長との電話会議まで、まだ15分ある。その時、1通のファックスが届いた。「これは・・・、ミスターJ、経歴の様だが・・・」「私の仲間にも弁護士は居ます。彼女の経歴を調べさせたんですよ。ふむ、親の跡を継いだのか。1人娘。両親共に既に他界。親が設立した事務所を引継いで現在に至る。大手に勤務した事は無し。基本的に“一匹狼”の様ですな」「そうらしいな。だが、これが何になる?」「彼女は結構な“ワーカーホリック”の様で仕事に“嗜癖”していると思われるんですよ。“仕事依存症”とでも言って置きましょう。そうなると、健康診断とかは割と軽視している可能性がある。どうやら、そこに“盲点”がありそうですよ!」「どういう事だ?」「体に変調が現れない、現れにくい疾患に掛かっていてもおかしくは無い。人間ドックへ送り込めば、病院に一定期間“釘付け”に出来る可能性があります」ミスターJが静かに言う。「確かにすい臓とかは、予兆も無く症状が進行する様だが、その手の疾患に関係しているとしたら、入院は免れないな。そこでどうする?」「彼女の仕事を代行する振りをして、間違った情報を植え付けられれば、“法の盾”を打ち破ることになりませんか?」「それはそうだが」「彼女の掛かりつけ病院、□病院となっていますが、ここは例の“Z病院”から医師の派遣を受けています。重症もしくは難症状となれば、自動的に“Z病院”へ搬送されるんですよ」「そうか!“Z病院”なら手が回るな!その隙に・・・」「手を回して、事を収めてしまえばいいんです。弁護士に法を以て対抗するには無理がありますが、弁護士も医師の指示には逆らえません。医師の力で封じ込めれば、逆転の目も浮かぶでしょう」「それならば、まずは彼女の身辺調査からか?」「ええ、Y副社長の許可が降りれば、直ぐにもかかります。先遣隊の派遣準備は指令してありますから、私からのGOサインで直ちに出発できますよ」「どのくらいの期間が必要になる?」「1週間もあれば裏も取れるでしょう」「となると、10日前後は持ちこたえる必要があるって訳か。横浜にそれだけの余裕があればいいが・・・」「経歴を調べた弁護士からの情報では、事はまだ水面下で浮上の手掛かりの入手もまだ様ですから、顧問弁護団が頑張れば時間は稼げるでしょう。いずれにしても、Y副社長の見解次第ですな」ミスターJはカレンダーを見て残り時間を確認しつつ言った。「失礼します」神妙な顔つきでXがやって来た。「危うく“クレバス”に堕ちる寸前だったな、良く踏みとどまったなXよ」I氏が肩を叩く。「もう、闇に堕ちるのはコリゴリですから」Xはため息交じりに言う。「さて、回線を繋ぐぞ。協議の時間だ」I氏がコンソールを叩く。「皆、ご苦労。早速、協議に入ろう。事は火急を要する重大事だ!」Y副社長の声が響いた。難しい事案を前に一同は、身を引き締めていた。

New Mr DB ①

2018年11月28日 12時23分01秒 | 日記
プロローグ ~ 全てを失った男

「主文、被告人を禁固15年の刑に処する」
地裁の裁判長が重々しく判決文を読み上げ始めた。Kは目を閉じて身じろぎもせずに、被告人席で聞いていた。“Z病院襲撃計画”に端を発した一連の事件は、一応の決着を見る事となった。だが、Kの国選弁護人は苦り切った表情で判決を聴いていた。「これは明らかに“重過ぎよ”控訴すべきだわ!」美貌の弁護人は、歯ぎしりをして悔やんでいた。Kは、これまでに3人の弁護人を「解雇」していた。理由は特になく単に「気にくわなかった」からだ。4人目の国選弁護人が、解雇を免れたのは「女性で、しかも“飛び切りの美人”」だったからに他ならない。取り調べや接見で“完全黙秘”を貫いたKが、唯一まともに口を開いたのが彼女だった。罪人となり全てを失っても“エロ親父”の悪癖だけは治らなかったのだ。美貌の弁護人に入れあげたKは、何でも素直に言う事を聞いた。謝罪文の提出、検察官とのやり取り等に積極的に答える様になった。これも全て「罪状を軽くするため」に他ならなかった。だが、県警での取り調べに対して“完全黙秘”を貫いた事が仇となり、検察側は「禁固18年」を求刑したのだ。美貌の弁護人は「全て未遂に終わっており、刑は重すぎる。情状酌量の余地はある」と必死に反論した。そうした努力は多少の減刑には働いたが、それでも「禁固15年」が言い渡されたのだ。弁護人としては、到底受け入れがたい刑の重さだった。翌日、美貌の弁護人はKに接見して「控訴しましょう!到底受け入れられる刑ではありません!重すぎます!」と訴えた。しかし、Kは「いや、これ以上無駄な抵抗はしない。受け入れる」と控訴断念を告げた。「何故です?!懲役刑にしなくては、道理が通りません!検察の言いなりになるべきでは無いのです!全ては“未遂”に終わっているのに禁固刑なんて、普通ありえません。もう一度戦って減刑を主張すべきです!」弁護人は何としても控訴すべきだと言い放った。だが、Kの目に力は無く「弁護士さん、俺は全てを失ったんだ。帰るべき家も家族も、地位や金もな。俺の時代は終わったのだ。刑務所で静かに余生を送りたいんだ。少なくとも15年は、食うには困らずに済む。これ以上何を望むと言うのか?」と言い視線を逸らした。「俺は負けた。絶対に勝てると信じていたのに、気付いた時には外堀は埋め尽くされ丸裸同然だった。もう、勝ち負けを云々するのはコリゴリなんだ。今日まで、ありがとう。これで俺も安らかな生活を送れる。もう、充分だ!」そう言うと、Kは深々と一礼して接見室から出て行った。「彼にもっと早く巡り逢っていたら、結果は違ったかも知れない。家族にも見放される事はなかったでしょう。全てが遅すぎた。私の力を持ってすれば懲役刑にする事は出来たはずよ。そうすれば、仮釈放で刑期も短縮出来る可能性もあった。悔やまれる案件だわ!」拘置所から去っていく弁護人はそう呟いていた。事務所に戻った弁護人は、Kの“元家族”へ連絡を入れようとした。だが、電話には誰も出ない。「仕方ないわね」彼女は電話を切ってそう呟いた。Kが逮捕されて以降、自宅の家族には“思いもしなかった災厄”が一斉に降りかかった。警察の家宅捜索、取り調べ、近所からの視線、Kの孫達への“イジメ”等々、ありとあらゆる災厄が息つく間もなく続いたのだ。Kは“男の子”に恵まれず、家は次女が婿養子を取って継いでいた。その時に、多額の金をつぎ込んで自宅を「二世帯住宅」へ大改造し、孫にも恵まれていた。池には金魚の大群が泳ぎ、悠々自適な老後を迎えるはずだった。最初に歯車が狂ったのは、会社を辞めた時だった。だが、致命傷にはならずに済んだ。Kは“企業コンサルタント”として収入を得ることが出来たからだ。だが、その僅か半年後、家族は路頭に迷う事になった。家を継いだ次女の怒りは凄まじく、Kと内儀の離婚手続きを強引に推し進めた。また、婿養子の旦那の実家と掛け合い、戸籍を変える事に躍起になった。彼女にしてみれば、Kの家を継いだ意味が無くなったのだから、仕方なかった。子供に対するイジメや冷淡な仕打ち、近所の好奇の視線は耐え難いモノでしかなかった。自宅は土地諸共売りに出し、婿養子の旦那のツテを頼って県外へと引っ越した。苗字も変えて再起を賭けるしか道は無かった。Kの残した金銭と自宅を売り払った代金で、ローンはどうにか消し止めたが、問題は親父が舞い戻って来る事だった。「もう、あのクソジジイとは関係ありません!誰が接見なんかに出向くもんですか!上申書の提出?!そんな義務あるんですか?こっちは、もう別の苗字に変わっているんです!Kの家は、あのクソジジイでお終いにしたいんです!生みの親でも何でもない、犯罪者に協力する意思は一切ありません!」次女はそう言って弁護人の電話を叩き切った。以後、何度かけても応答は無い。長女の方も同様だった。残る手は、DBの協力を取り付ける事だったが、DBは煙の様に消え失せていた。起訴猶予となり、釈放されてからのDBの足取りは様として掴めなかった。自宅にも会社にもDBが居る痕跡すら残っていなかった。「上の命令で“無期限の謹慎処分”に入っておりまして、私も子細は知らないんですよ」会社の総務部長もDBの居場所を把握していなかった。社長に面会を申し込んでも「海外出張」を理由に断られた。Kは文字通り“孤立無援”に置かれ、世間から抹殺されようとしていた。弁護人は刑務所へ移送され前に何度も接見を申し入れたが、Kは全て拒否して来た。やがて控訴の期限が切れ、Kは刑務所に収監された。だが、美貌の弁護人はKを見放す事はしなかった。手紙を書き、繋がりを続けようとした。彼女を駆り立てたのは「刑期満了後のKの身の振り方」だった。厳しくはあったが、刑期は勤め上げやがては釈放されるだろう。その時に、衣食住に困らない様にする事を彼女は気にかけた。「時が経てば、状況は変わる」彼女はそこに賭けた。Kは、刑務所で剃髪を願い出て、頭を丸めると日々経を唱え、仏典を読み込んだ。謀略に智謀を注ぎ込んだ姿は、もう無かった。独房にはKの唱える経が静かに響いているだけだった。

ハノイ国際空港へ着陸した旅客機から降ろされた車椅子は、あらかじめ用意されていたバンの荷台に固定された。現地には夕闇が迫っていた。「よし、出発だ」Y副社長付きの秘書課長は静かに命を下した。4人の男達は、ベトナムにある現地工場を目指してひた走った。睡眠薬によってDBの意識は無い。だが、万が一を考えて手足は縛られ、アイマスクとヘッドフォンが装着されている。ヘッドフォンからは大音量の演歌が流れていた。やがてバンは、現地工場の正門を通過すると密かに裏手に回った。正門からは仕事を終えた現地社員が帰宅していく真っ最中だ。工場の裏手、設備搬入口付近にバンは横付けされ、車椅子を降ろす作業が始まった。DBが乗った車椅子は酷く重く、4人は汗だくになりながら車椅子をバンから引きずり下ろした。直ぐに車椅子は作業用エレベーターへ移され、地下空間へ降ろされた。地下2階に設えられた“高級リゾートルーム”に車椅子は運び込まれた。4人はDBを車椅子からベッドへ移し替えたが、食用蛙さながらの巨体を運ぶのには、またまた汗だくにならなければいけなかった。アイマスクとヘッドフォンが外され、DBは無造作にベッドに寝かされた。シーツをかける前にベルトやボタンが緩められ、不意に動いても問題が出ない様に細工がなされる。その間、秘書課長は何かを水に混ぜていた。「何ですか?」社員の1人が聞くと「赤痢アメーバの乾燥嚢子体だ。コイツに感染すると必ず切れ痔になる。少しはダイエットしてもらわんと、食事代がかさむ」秘書課長はDBの口元へチューブを入れ、少しづつ液体を口に入れた。渇きを感じているらしくDBは無意識に飲み始めた。「潜伏期間はどれくらいですか?」「4~5日だ。睡眠薬が切れてから直ぐに発症するだろう」「死にませんよね?」「大丈夫、下痢で体がへたばるだけだ。治療薬はこれだ。今の内に渡して置く」秘書課長は青いビニール袋を差し出した。「一応、設備の点検をして置いてくれ。金属の類は手の届く範囲には置いてないだろうな!」「はい、どうしても必要な物品は全て溶接してあります。ベッドや机や椅子はダンボール製ですし、テープも金属も使わない組み立て式になってます。最も近い金属類は天井のエアコンですが、高さが4mあります。壁を伝って登ろうにも、手掛かりになる凹みや突起物はありません。我々も試しましたが、とても届く所までは登れません」「シャワーとトイレは?」「シャワーは遠隔操作でしか水が出ません。室内にカランなどはありません。トイレの便座は陶磁器製のものです。こちらも自動で流れる様になっています」「用を足すには紙がいるが、対策は?」「ポケットティシュを用意しました。水に流れるタイプです。トイレットペーパーの芯を与えないためには、これしかありません。不足分は天井の穴から落とします。穴の開閉も遠隔操作です」「食事を出し入れする場所は?」「それも遠隔操作で開閉する扉がここに付いています」場所は唯一の出入口である1面のパーテンションの壁の隅だった。「強引に開けようとすれば、天井からレーザーで撃たれます。火傷程度のダメージですが、充分な恐怖心は植え付けられるかと」「パーテンションと扉はどうなっている?」「内側はCFRP製で引きちぎる事は無理です。その内側は厚さ20cmの鋼鉄です。扉も同様になっています。鍵はレーザーと電子振動の併用式の電磁キーで、外側にしか鍵穴はありません。開閉はスライド式ですが、内側からこじ開けようとしても気圧を抜かないと開かない仕組みになっています」「レーザーは?」「勿論、撃たれます。監視カメラと一体で360度どこからでも攻撃できます。天井に全部で6台。死角はありません」「監視カメラのモニターは?」「事業所長室の奥に設えました。マイクで会話も可能ですが、こちらの正体を見破られない様に電子変声が自動でかかる仕組みです」「今、テストはできるか?」「少々お待ち下さい」そう言うと社員は、外へ出て行った。「マイクテスト、マイクテスト課長ご苦労様です」ノイズ紛いの声が響いた。「聞こえますよ所長。OKです!」「こちらも明瞭に聞こえます。では後程」奇妙な声は途絶えた。「聞こえましたか?」社員が駆け込んで来た。「ああ、ばっちりだ。君はどこへ行ってたんだ?」「内線が設置されているのが、裏の動力室の壁際なんです。そこまで走ってました」「そこまでどの位だ?」「150mぐらいですかね。その間に2か所壁があるので走っても時間がかかります」「外の鉄格子は二重か?」「いえ、三重です。真ん中には200Vの電圧がかかります」「ガスの噴射口は?」「全て天井のエアコンの中です。DBからは見えません。酸素の他に亜酸化窒素も用意してあります」「笑気ガスもか?何のためだ?」「メンテナンスをするには、DBに寝ててもらわなくてなりません。意識を喪失させるには必要でしょう?」「そうだな。さて、そろそろ飲み終わったな。部屋を密閉してモニター室へ案内してもらおうか」「分かりました。おい、密閉だ!」4人は室内から順次出て行く。秘書課長は、DBのネクタイピンとベルトのバックルを切り取ると最後に部屋を出た。「ロックしろ!」微かな機械音が聴こえ入り口が密閉された。鉄格子がスライドして真ん中の鉄格子に電圧がかけられた。“高級リゾートルーム”にはDBだけが残された。4人は地下から出て工場の表側の建屋へ向かった。

「宴たけなわの所、恐縮ですが、ここでみなさんにお知らせがあります!」F坊がマイクを手に叫ぶ。「なんだ?」「早くしろ!」メンバーからはブーイングが飛んでくる。「本日、Kの判決が確定しました!禁固15年の刑であります。みなさん盛大なる拍手をお送り下さい!」「ウォー!!」場は一気に盛り上がった。みんなハイタッチやビールを一気飲みして歓声を上げる。「懲役でなく禁固刑になった事に意味がある。これでヤツが娑婆に出られる日は無くなったな!」ミスターJはウイスキーをロックで飲んでいる。「でも、DBはどうするの?結局、起訴猶予になったんでしょ?」ミセスAは心配顔だ。「大丈夫ですよ、DBは“高級リゾートルーム”に幽閉されてます。あっちも当分は日本に戻れませんよ!」N坊がジョッキを片手に言う。「そうだな、今頃ちょうど“入居”して1ヶ月。刑務所より酷い仕打ちをうけとるだろう」ミスターJは鼻先で笑った。今日は、ミスターJ達の「打ち上げパーティー」が開かれていた。各部隊のメンバーやリーダーやN坊とF坊達はみんな“平素の職業”を持っている。仕事の都合をやりくりして集まるには、1ヶ月を要したのである。「勝つべくして勝った。しかも県警に恩を売っての大勝利だ!」ミスターJの一声で始まった宴は最高潮に盛り上がっていた。青竜会を叩き潰し、Kは刑務所へ、DBは“高級リゾートルーム”へ移送され日本には居ない。またしてもミスターJの作戦は成功したのだ。「これで“彼”の安全度も上がりましたね。ミセスA、“彼”の容態は?」“スナイパー”が聞いて来た。「そっちは順調そのもの。このまま経過が順調なら、桜と共に退院ってとこかしら?」「変な気を起こしませんよね?」「なにを?」「ミセスAお得意の“あれ”ですよ!」「野暮な事はしないわ!“彼”の周りは常に女の子輪で鉄壁のガードが出来てるわ!」「スゲェ!」F坊が目を丸くする。「ともかく、私の管理下にあるんだから、もう危険はないわ!」ミセスAは断言した。「当面、“彼”を外部から脅かす存在は消えた。だが、正念場はこれからかも知れない」ミスターJはポツリと言った。「KとDB以外に誰が居るんです?」リーダーが不審そうに聞く。「1度は投降したが、まだ“彼”を付け狙った連中は社内に健在だ。油断はできない」ミスターJは静かに答えた。「Xを始めとする1派は“完全に平定されていない”まだまだ、山あり谷ありだよ」「でも、最大の禍根は除去しました。後はモグラたたきでいいんじゃないですか?」「私の考えすぎだといいが、可能性はゼロではない。これからも注意深く見守っていくしかあるまい」ミスターJはグラスを傾けた。「さて、みなさん。今次作戦のMVPを発表したいと思います!」N坊がマイクを取っていた。「俺だー」「いや、お前じゃねーの?」会場は益々盛り上がっていた。嵐の前の静けさの中ミスターJ達は今宵ばかりは気を抜いていた。だが、確実に次なる危機は迫っていた。それは遠く南米で起こった津波の様なものだった。やがては海を越えて日本へ激突する。今は数メートルに過ぎないが、海底の地形によっては大きな脅威となる。予兆は既に起こっていたが、まだ気づく者は居ない。アリの開けた穴から堤が崩れる様に、また大嵐が襲って来るとは誰も予想していなかった。

DB 外伝 マイちゃんの記憶 ⑩ エピローグ+α

2018年11月27日 12時08分12秒 | 日記
その日は朝から騒がしかった。洗面台の前でヒゲを剃っていると「○ッシー!大変!、直ぐに来て!」とメンバーの女の子がぶっ飛んで来た。「何事だい?」と言うと「SKのヤツが¨指定席¨を占拠してるのよ!」と知らせに来たのだ。朝食を済ませたばかりなので「まあ、そう目くじらを立てる程でもないだろう?検温が終われば¨数の論理¨でこっちが優位になる」となだめに掛かろうとするが、彼女は「SKが男とベッタリ張り付いて座り込んでるの!何かやーな予感がするのよ!」と言い出したのだ。「なに?男を連れ込んでるのかい?!」私も嫌な予感にかられて背筋が冷たくなった。「とにかく、確かめに来て!」彼女は強引に私の腕をつかむと、ホールへ引きずって行く。「ほら、あそこ」彼女の指差す方向には、SKさんと見慣れぬ男性が¨仲良く¨座り込みタバコを吹かしている姿があった。彼女は、私の右腕にしがみつきながら「どうする?○ッシー?、排除する?」と聞いて来る。「いや、しばらく様子を見よう。どの道、検温がある。それに2人共まだパジャマのままだ。いずれ動くだろう。それより、Aさんに状況を伝えて僕が呼んでいると言って来てくれないかな?確認したい事があるんだ!」「分かった!」彼女はAさんを呼びに走った。私は遠巻きに移動しながら、2人の様子を伺いつつ、テレビの前のソファーへ座った。もし、私の¨勘¨が当たりならば、危険度は下がり安全性は向上するはずだ。Aさんは直ぐにやって来た。「どうしたの○ッシー?」私は顎で喫煙所の¨光景¨を見る様に促した。「あれ?あれ?どう言う風の吹き回し?あの男の子誰なの?」Aさんが怖いモノを見る様に問う。「3日前に入った新患だよ。部屋は違うけど。パッと見てどう思う?」「新たな方向にターゲットを変えたのかしら?だとしたら・・・」「危険度は格段に下がる事にならない?」「そうなると、随分楽になるけど、本気なのかな?」Aは懐疑的だ。「その見極めが難しい。SKさんの性格からして、新たなターゲットが出来たとしたら、どう動くと思う?」「脇目も振らずに、まっしぐらに落としにかかるはずよ。○ッシー!どうやら・・・」「目先が逸れたと考えていい。そうかな?」「現状を見る限りはね。でも、まだデータ不足だわ。判断材料が少なすぎない?」「いや、僕は、逸れたと考えていいと思う。証拠が無い訳じゃない!」「何を根拠に?」Aさんは、早く理由を聞きたそうだ。「検温が終わったら説明するよ。一応、メンバーに招集をかけておいてくれないかな?」「それはいいけど、みんなが納得する説明は出来るの?」「それらしき“兆候”は既に察知してるよ。今だって、ほら、それが見えてる。SKさん、4本目のタバコに火を点けてるじゃない。今までの彼女なら“あり得ない”事だ!」「えっ!4本目って本当?!それなら、既にロックオンしてるわ!あの男の子、もう逃げられない“ドロ沼”へ落ちてるって事じゃない」「そう言う事になるね。僕らの為にも、ズブズブとハマって欲しいよ。知らぬは、デレデレの当人だけだ」「○ッシー、みんなにちゃんと説明して。これは画期的な局面よ!」「ああ、とにかく後でちゃんと話すよ」私とAさんが見つめる中、渦中の2人はラブラブだった。

人は基本的に表裏一体である。知られたくない事は誰にでもあるはずだ。病棟の患者達は特にその傾向が強く。深い傷を追っている事も珍しくは無い。本日のお題、SKさんの場合は、表裏では説明出来ない“多重人格”と言ってもいい、複雑な人格形成がなされている女の子だった。“普通の二十歳の顔”、“園児の様な幼稚な顔”、そして“男性に依存する悪魔の顔”と幾つもの顔が見え隠れする“危険な女”であった。私は、マイちゃんから彼女の“危険な顔”について事前にレクチャーを受けていた事もあり、必要最小限の付き合いに留まる事ができたし、女性陣の盾となって対峙する立場に回った事で、被害を被ることは無かった。だが、病棟の“問題児”である事は変わりがなく、彼女に振り回される側であるのは事実だった。さて、今回の“重要な変化”は私達にどう影響するのか?読み解いた事実を説明して、今後の対応を決めねばならない。

検温が終わり、メンバー全員が顔を揃えた時、SKさんと男が手を繋いで病棟を出て行くのに遭遇した。念の入った事に彼女は化粧をしていた。「なにあれ?凄く不気味」「お手て繋いで行ったよ。気味が悪い」女性陣から驚きの声が上がる。「〇ッシー、そろそろ聞かせてよ!SKさん具体的にどーなってる訳?」Aさんが口火を切った。「今のでハッキリと断言出来るが、SKさんは“新たなターゲット”を見つけて鞍替えをした様だな。これで、彼女に振り回される確率は、ほぼ皆無になったと言っていい」私は静かに話し始めた。「これまで、彼女は僕らの仲間に入り込むために、あらゆる手を繰り出してきた。見境なく騒動を起こす。定刻になるとタバコを吸いに来る。買い物に付きまとう。だが、こちらもその都度、鉄壁のガードで対抗して来た。最近では、こちらの偽りの情報に振り回されて、全てが“後手に回る”と言うジレンマに陥っていた。それでも、彼女は折れなかったよね?」「それは認める」「確かに」「相変わらずだった」反応はそこそこ返って来た。「彼女にとって“ここのメンバー”になるのは悲願だったはずだ。でも、それには相応の“理由”が必要だった。“タバコを吸うから”って事でね。彼女は必死になってタバコを吸い続けざるを得なかった。そうしなければ、“ここに来る言い訳”が立たなかったからだ」「それって、SKさんは“嫌いなタバコをわざと吸ってた”って事?」Aさんが小首をかしげる。「嫌いじゃないけど、“愛煙家”じゃなかったのさ。その証拠に彼女には“指定銘柄”が無かった。今日は見栄を張ったのか“パーラメント”だったが、その前は“ラーク”、更に前は“キャビン”と“ピース”、半月くらい前は“セブンスター”だったはずだ。つまり、フェイクだったのさ!タバコは、僕らに接近するための道具だったんだよ!」「えー!偽ってまでして潜り込もうとしてたの?!どう言う神経してる訳?」Oちゃんが驚愕する。「やっばりそうだったんだ!あたしも違和感あったもの!」Aさんが頷く。「コロコロとタバコを替えてる理由が“潜り込むため”とは!〇ッシー、よく見破ったね」「意識的に見てれば、直ぐに分かるさ。彼女、口紅だけは必ず付けてたから、吸い殻に色が付くからね。後、消費量が少ないのも引っかかってたから」「そうね、彼女、2本ぐらいしか吸って行かないじゃない。派手なたばこ入れ持ってる割に、喫煙量が少ないのは“あれ?”って思ってたのよ。そう言う魂胆だったのね」Aさん目が怒りに燃える。「それと彼女には、もう1つ狙いがあったはずよ!〇ッシーも意のままにしたかったはず!〇ッシー、誰にでも分け隔てなく優しいから、独占を狙っててもおかしくないわ!」マイちゃんが断言する。「有り得る」「それが究極の目的か!」「マイちゃんとOちゃんの地位も狙ってたのね」「あたし達も意のままにされてたかも知れない」女性陣も同調する。「けれど、2日前のある“事件”をきっかけに、さっきの男と急接近し始めた。そして、今日の朝からの“ラブラブモード”に突入した」Aさんが言う。「そう、ちょっとしたトラブルだったが、その後、ヘコんでるSKさんに声をかけたのが、さっきの男だ。僕は“後始末”で手を取られて、詳細な事までは確認してはいないが、誰かその辺の事を目撃してないかな?」私の問いには直ぐに反応があった。「給茶機の前でグズってた彼女を親身になって慰めてたわよ」「メルアド交換とか、速攻だった」「その日の消灯後から、ずっとメールのやり取りをしてるわ。毎晩1時間はやってるよ」「もうズブズブと引き込まれていると言ってもいいくらい」壁に耳あり障子に目あり。女性陣は次々と報告を上げてくれた。「なるほど、ここまでは順調の様だね。問題は“ここから先”の展開だ。過去にも同じように、進展はあったけれど“医局に潰された”ケースが2件ある。あの男の主治医が誰なのか?これによって展開は変わる可能性がある。次はそこを・・・」と私が言いかけると「〇ッシー、私達を甘く見ないで欲しいな!もう、確証は掴んであるよ!」Aさんが得意げに言う。「あの男の主治医は〇ッシーと同じ。担当医はU先生よ。SKさんの担当医と一緒。以前とは状況が違うから、今回は“行きつく所まで進展する”可能性は大よ!」「それと、SKさんの携帯のメールの内容から分かった事だけど、あの2人は、既に外泊時にデートの約束を交わしてるわ!その時に一気に襲い掛かる魂胆でしょうね」どうやって調べ上げたんだ?と思う事まで女性陣は知っていた。その手口を聞くと「SKさん、午前11時には決まってシャワーを浴びるでしょ。その時にちょっと携帯を拝借したまでよ。同室の私達なら気付かれっこないわ!」「メールの内容を調べたら、出て来たんだから、間違いはないよ。男の子には悪いけど“落ちるとこまで落ちて”もらうのが私達のため。勿論、SKさんはまったく気づいてないからご安心を!」「誰だい?そんな危ない橋を渡らせたのは?」私が問うと「誰とかじゃないよ、みんな自主的に動いて情報を集めただけ。いつも〇ッシーにばかり頼ってじゃいけないでしょ!“私達の平和な生活”がかかってるんだから!」Aさんが代表して返してきた。マイちゃんがおもむろに「○ッシー、これからどうするつもりなの?」と言った。「うーん、そこが難しいし、悩ましい所だよ。何もしなければ、過去の様に潰されるだろう。かと言って、代わりの手を繰り出すにしても¨王手¨でなくては意味が無い。男に手を繰り出すには、データが足りない。時間もさほど残されてる訳でもない。正直な話、¨読みきれない¨状態だよ。データを入れ替えて計算し直したい!」事実、SKさんには、厳重な¨監視網¨が張り巡らされている。あまり男性と接近するのは、好ましく無い事象としてナースステーションから常に¨監視¨されているのだ。今朝の¨ベッタリ¨にしても、先程の化粧にしても医局へ¨通報¨されていてもおかしくない。考えるにしても持ち時間は、さして残されてはいないのだ。「どうしたの?みんな揃って¨お通夜の席¨になるなんて。ひょっとしてSKがらみ?」外泊から帰ったメンバーの子が、不思議そうに聞いた。「売店で、SKが化粧して男とベタベタしてたから、その事で¨緊急会議¨ってとこかな?」さすがに鋭い。「悪い事は良く当たる。正にそれだよ」私が呻く様に言うと「ちょっと待ってて、荷物置いてくるから。あたしも混ぜて!」と言って病室へ荷物を放り込むと、直ぐに議論へ加わった。彼女は¨参謀格¨の知恵者でもあった。私も一目置いている存在だ。今朝からの一連の事を説明して、事情を呑み込んだ彼女はしばらく目を閉じて考えを巡らせている。私も¨読み¨を入れ直して考えていた。喫煙所は、珍しく静寂に包まれた。¨SKさんの所へ爆弾を送り込めば勝機はある。だが、どうやって送り込めばいい?¨「○ッシー、SKが焦って事を強引に進めれば、勝てるんじゃない?」彼女が小首を傾げて言った。「僕も、爆弾を送り込めば勝機はあると思う。だが・・・」「手立てが無い!ってとこかな?」「ああ、かと言って危ない橋は渡れない」「あたしに任せてくれれば手はあるよ!勿論、みんなに危険が及ばない方法が」「それはどんな手なのかな?」「それは後程、披露するわ。まずは、買い出しに行かない?みんなが静まり返ってるのが、逆に不審に思われそうだし、気分を変えようよ!」確かに一理ある。「みんな、お出かけしよう!煮詰まってちゃいかんな」私は率先して腰を上げた。「そうそう!さあ、支度しようよ!」彼女の一言でみんなが動き出した。さて、彼女は何を考え付いたのか?それは¨盲点¨を突いた奇策だった。

「じゃあ、説明するね」¨参謀格¨のEちゃんが話始めたのは、午後イチだった。「○ッシー、先週退院したI子とも話して捻り出した作戦なんだけど、SKの携帯へ¨ウイルスメール¨を送り込んで、尻に火を点けるのはどう?」「それが出来れば最善だが、誰の携帯から送り込むんだ?」「I子が全面的に協力してくれるとしたらどう?」「ふむ、彼女なら問題はないが、メルアドとかの細工はどうするの?」「I子、携帯を買い換える予定があるし、メルアドも変えようって話になってるの。その前に、SKに一泡吹かせたいのよ!あたしもI子もSKには¨因縁¨があるし、○ッシーにも¨帰さなきゃならない恩¨がある。今回はあたし達に任せてくれない?」Eちゃんは、必死に訴えかける。「○ッシー、今回はEちゃんとIちゃんに賭けてみない?」マイちゃん達も同意を求めている。「もう一手、先回り出来れば完璧なんだが・・・」確かにEちゃん達の策は魅力的だった。だが、もう一手間かけられれば、¨確実な優位¨に立てる。「分かった!○ッシーは¨男の尻¨にも火を点けたいんでしょ!」Eちゃんが笑って言う。「そう、双方を焦らせて事を一気に片付けたい。医局に介入される前にね」「それなら、尚更あたし達の出番じゃない!」Eちゃんが胸を張る。私は苦笑しつつ「7色の筆跡を駆使出来るのは、Eちゃんしか居ない。分かった!今回は任せる!みんな、それでいいね?」「異議なし!」全員が合唱した。「男にはどんな手紙を書けばいいの?」「¨SKさんを狙ってるのは貴方だけじゃない!¨って煽ればいい。¨とにかく早く自分のモノにしろ!¨ってね。ヤツは入院したばかりで周囲が見えて居ないし、こちらの組織力も知らない。そこに付け入る隙がある。SKさんも今回はかなり焦ってる。今のところは¨膝¨だろうが、早晩¨上半身¨までズブズブにはめたいはずだ。医局だって、いつまでも黙っては居ないだろうから、今週中が勝負の分かれ目になるだろう。Iちゃんの方は直ぐにかかれるのかな?」「あたしがメールすれば、速攻でかかれる。I子も退屈しのぎにマジでやるらしいから、SKもうかうかしてられなくなるよ!」「メールをみんなに配信できる?」「勿論、出来るけど、どうするの?」「より効果を上げるには、全員で¨添削¨した方が良くない?」「なるほど、それもありだわ。分かった。まず、I子に“原稿”を作る様にメールしとくね」Eちゃんは、素早くメールを作成するとIちゃんへ送信した。「次は、男への手紙だね。何通作るの?」「3通あれば充分だ。これから1通を放り込む。残りは状況を見て判断する」「OK、誰か適当な紙ある?」Eちゃんが周囲に聞くと「これでどう?」と手帳のメモ欄が手渡された。ミシン目が入っている切り取れるタイプだ。「上等!後は、字体を変えて油を注げば、男も焦って動き出すわ!」Eちゃんがたちまち3通の手紙を書き上げた。字体は見事なまでにバラバラだった。みんなに“回覧”して落ちが無いかを確認してもらう。その間にIちゃんからの“原稿”が着信した。「みんなに転送するね」Eちゃんは直ぐにメールを配信した。Iちゃんからの“原稿”は、SKさんを焦らせるには充分な威力が備わっていた。「メールも手紙も無修正でいけるんじゃない?」Aさんが頷きながら言う。「ああ、これだけ“煽って”やれば、2人とも疑心暗鬼に陥るだろう。必然的に事を急ぐはずだ!」私も同意した。「じゃあ、“作戦開始”でいい?」Eちゃんが聞くので「始めよう」と私は静かにGOサインを出した。EちゃんはIちゃんにメールで指示を送った。「さて、僕は男の部屋へ・・・」と言いかけると「もう、放り込んで来たよ!」と別の子達が言う。「残りを放り込む指示だけ出して!」「ああ、気付かれてないよな?」「そんなドジは踏みません!」彼女達は得意げに言う。「みんな、自分達の行く末がかかっているから、〇ッシー達に言われなくても行動するよ。これが私達の強み!」Eちゃんが言った。「I子が言ってた“SKに辱められたあたし達を、マイちゃんと〇ッシー達が助けてくれた。真剣に話も聞いてくれたし、仲間に入れて守ってもくれた。もし、SKのせいでみんなが苦しんでいるなら、あたしも黙ってはいられない。手助けは何があってもするし、駆け付ける”って。今がその時よ。チャンスは確実にモノにして、SKに思知らせてやればいいの。“塗られたドロは、マイちゃんと〇ッシー達が拭ってくれた”みんなが自主的に動くのはSKへの恨みつらみもあるけど、何より“自分達の誇り”をかけてるからよ!SKから虫けら同然の扱いを受けた子は特にね!」Eちゃんの言葉が荒くなった。「だが、これは復讐であってはならない!みんなの手を汚す価値がSKさんにあるのか?恩讐は乗り越えて前に進むべきだよ。そうでなくては果てしないドロ試合になりかねない。仮にそうなったとしたら、僕らの仲間達の存在意義を問われかねない。確かにSKさんはやり過ぎた。それは認める。けれど、僕らは“性を越えた友情”で結ばれた連帯だ。それだけは忘れないでくれ!」私は静かにEちゃんを見つめて言った。「〇ッシーらしい意見だけど、今回は別。あたしはEちゃんに賛同する。女として許せる一線をSKさんは踏みにじった!これは女の戦いよ!あたし達を怒らせた報いは受けてもらうわ!」マイちゃんが珍しく怒りに燃えている。「抜け出せない所へ落ちてもらう!〇ッシー、今回は目をつぶってくれないかな?」私は思わず聡明な彼女の気迫に押された。「賛成!」周囲からも賛意が上がる。これは、男の出る幕ではなさそうだ。「分かった。けど、こちらからは一線は超えないでくれよ。逃げられない穴へ落とせばいいんだから」「そこら辺の加減は、あたし達も心得てるわ!〇ッシー、いい機会だから“女の子の怖さ”をよーく見ておくといいわ!」Aさんが不敵な笑みを浮かべて言う。Oちゃんも腹を括っている様だ。表情が引き締まっている。「存分にしていいよ。みんなのお手並み拝見します」私は引き下がるしかなかった。

IちゃんのメールとEちゃん手紙の効果は直ぐに現れた。SKさんと男は、2階のデイ・ルームに居を移して急速に接近度を高めて行った。翌日の朝、2通目の手紙を放り込むと男は果然本気になり、SKさんを落とす事に全力を注ぎこんだ。気付いた頃には、男は首までズブズブにはまり込み、SKさんの“毒牙”の餌食となっていた。その間、私達はもっぱら傍観していたに過ぎない。陰では、要所で手を打って誘導はしたが・・・。実際、メールによるSKさんへの“煽り”は5日間で終了させたし、3通目の手紙は、放り込む必要すらなかった。その結果、SKさんは脇目も降らなくなり、男は底なし沼に沈められた。そして、2人は外泊の際、“関係”を持ってしまっていた。この頃になると、ようやく医局側が異変を察知して動き出したが、後の祭りに過ぎなかった。2人を引き離そうと医局側が全力を尽くしたが、既にあらゆるデーターを手中に納めたSKさんは、メールを駆使して男を離すことは無かった。身も心も疲れ果てた男がU先生に助けを求めた時には、SKさんによって完全に食い尽くされ、侵された後だった。医局側は2人を隔離する以外になかった。男は病棟北側の個室へ引っ越すと同時に“面会謝絶”となり、携帯はナースステーションで保管される事になり、電源は断たれた。SKさんには“閉門”(鍵付き個室への入居)が命じられ、携帯も没収されデーターは全て初期化された。鎮静剤の投与、精神安定剤の増量などの処置が採られ、外出も入浴も止められた。意識はあるものの、クスリによって常に朦朧した状態に置かれた。そうする以外、SKさんを止める手立ては残されていなかったのだ。

2人の隔離から丸1日。私が喫煙所で考え事に沈んでいると「〇ッシー、ちょっといい?」マイちゃん、Oちゃん、Eちゃん、Aさんが揃っている。「どうしたの?」心なしか、みんな表情が冴えない。「まあ、座りなよ」一同を着席させると、私は、タバコに火を点けた。「〇ッシー、前に言ってたよね。“恩讐は乗り越えて前に進むべきだ”って。“僕らは、性を越えた友情で結ばれた連帯だ”とも。SKが落とした男の子、北側の病室へ隔離されたんでしょう?SKの“閉門”は当然だけど、何か、後味が悪くって。あたし達のした事は正しかったのかな?」Eちゃんが代表して私に問いかけた。「それは、分からない。でも、経緯はどうあれ“作戦開始”を指示したのは僕だ。後味が悪いのは、僕も同じ。正しかったのか?否か?考えているけど、答えは出ていないよ。ただ、これだけは言える。“あの時点で、何もしなければ何も変わらず、SKさんに振り回されていた”と言う事だよ。SKさんも“閉門”だろう?しばらくは、外に出る事も制限されるはず。結果だけ見れば“勝ちを得た”と言えるが、使った手の良否を考えると“正着だったのか?”と疑問符が消せないでいるんだ。並行して“医局を動かす手”もあったかも知れない。それに、男1人に全てを押し付けて良かったのか?良心の呵責ってヤツが頭から消えない。消化しきれないんだ」私は心の中に渦巻いている事を正直に話した。「〇ッシーもそうなんだね。何か安心した。あたし達だけじゃなかった。そう思うと少しホッとした」マイちゃんは、そう言うと私の左手を握りしめ、太ももの上に置いた。「でもね、今言ったのは“一般論”での事だ。病棟には“病棟の論理”ってヤツがある」「“病棟の論理”ってどう言う意味?」Aさんが聞く。「病棟では“一般論”がそのまま通用する訳じゃない。例えて言うなら、ここは“コップの中”だ。コップの中で“嵐が吹き荒れても”世間一般に影響が出る訳じゃないし、コップの中のルールによって収まりを付けるしかない。そこに着目して考えると、僕らは“正着を以て事を収めた”事になるんだ」「それって、正しかったって事?」Eちゃんがすがる様に聞く。「まず、落ち着いて今回の一件を振返って見て欲しい。男は“自らの意思”でSKさんを選んだ。個人の好みもあるだろうが、SKさんにすり寄って行ったのは“彼の意思”だ。僕にとっては“選考基準外”でしかないけど、彼には別のモノが見えていたのは間違いあるまい。それに“並行して医局を動かす手もあったかも知れない”と言ったけど、もしその手を選択していたら、今、こうして静かに話していられたか?甚だ疑問だ。SKさんの性格からして“魔女狩り”紛いの事は平気でしていただろう。僕らも傷だらけになり、血で血を洗う抗争になっていた可能性は否定できない。病棟そのものが深刻な傷を負っていたと思う。そうした“最悪の事態”を回避するには、今回の選択は“最善手”だったと言えると思うんだ。結果的に最小限の被害で食い止められた。そう考えれば、僕らの選択は正しかったと言えないかな?」「男の子は自身で“破滅”を選んだ。SKの暴挙を抑えるには“他に道は無かった”。確かにそう考えれば、あたし達は正しかった」Eちゃんがポツリと言う。「そう、あの日あの選択をしていなかったら、こうして平穏に居られた筈が無い」「確かに、SKさんの事をよく考えれば、最悪の場合あたし達も無傷で居られたか分からない。見境なく踏みにじられていたかもね」Aさんが身を震わせて言う。「後味は悪い。それは誰しも同じだ。けれどSKさんの被害に遭った彼も、ちゃんと治療を受けてる。SKさんは“閉門”。コップの中は平和になり、僕らもその恩恵を受けてる。全ては結果オーライだが、嵐を収めたのは僕らの力が関わっている。消化不良になるのは仕方ないよ。でも、これで良かったんじゃないかな?そう、思わなくては前には進めない。終わった事をあれこれ悔やんでも、結果は変わらない。乗り越えていくしかないと思うんだがどう?」「過ぎたことを悔やむより、前を明日を見よう!そう言うこと?」マイちゃんが聞く。「ああ、振り返るより、前を目指す事の方が大切な事!そう考えなきゃ、いつまでも下を向いて落ち込むばかりでいい事は無いよ。過去を乗り越えた先に光はあるんじゃない?」「そうかも知れないね。いい悪いじゃなくて、これからをどうするか?そっちを考えた方が道は開ける。そう言う事?」Eちゃんが聞く。「そう、僕らは前を向いて歩くしか無い。そうする事が治療なんだから」自分に言い聞かせる様に私は言った。4人の目に輝きが戻りつつあった。「“そう思わなくては、みんな前に進めない。自分もみんなも同じ思いで苦しんでいる。みんなで乗り越えれば必ず光は見える”そう思う以外に道は無い。何が“善”で何が“悪”なのか?それは、考えても答えは出ない。結果がどうであれ、最悪の事態だけは回避できた。それで充分じゃないか!」「そうだね。そうしなきゃいけないね!」マイちゃんが言い、他の3人も頷いた。「嵐は過ぎ去り、後始末も付いた。これ以上何を望む?さあ、もうこの話は終わりにしよう!Eちゃん、Iちゃんにお礼を言って置いてくれないか?メールで悪いが」「I子なら、午後には来るはずよ!直接、〇ッシーからお礼してあげなよ!」「何をすればいい?」「ハグしてあげれば?I子はそれが楽しみで来るんだから!」Eちゃんが笑う。「〇ッシー、あくまで“例外措置”だからね!」マイちゃんとOちゃんがダメを押す。「Eちゃん、I子来るって本当?!」他の子達も話を聞きつけて集まり始めた。いつもの風景が戻った。何ものにも変えられない“一瞬の瞬き”なのかも知れないが、自身の手で守り通した場所は、確かに輝いていた。その中心には、常にマイちゃんが居る。彼女は、みんなの“向日葵”だった。

「もう直ぐ“ヴァルハラ”は動く。我は“ヴァルハラ”と共に蘇る。恐れを知らぬ者達は、事如く滅びるであろう」朦朧とした意識下でSKが呟いていた。「“ヴァルハラ”って何なの?」点滴を交換していた看護師さん達が首を捻る。「うわごとの様に言ってるけど、大した事じゃないわ。無意識に言ってるだけよ」「だけど何か意味があるのかしら?」彼女達は気にも留めなかったが、SKの中では暗黒の渦が作り上げられようとしていた。「“ヴァルハラ”は無敵。我を阻む者は、全て呑み込んでくれよう」閉じ込められたSKの心に生まれた暗黒の渦。不気味な渦は部屋中に満ち溢れ、出口を伺っていた。新たな災厄の種は既に生まれ、私達の知らない所でうごめいていた。それが何を引き起こすのか?私達はまったく気づいていなかった。「“ヴァルハラ”は無敵」SKは呟いていた。

第一章 完

DB 外伝 マイちゃんの記憶 ⑨

2018年11月21日 14時09分57秒 | 日記
「マズイ!どう考えても無理!悪いけどバケツ直行!」次々とバケツに残飯が溜まって行く。病院食はどこでもそうだが、基本的に“マズイ”ものだ。得体の知れない魚の切り身や味のしない煮物、焼き物などが来る日も来る日出て来るのだ。掲示板の献立表を見る度に、みんなため息を付いて売店へ走るのが日常の光景だった。そんな中、私は「出されたモノは極力食べる」事をモットーとしていた。さすがに、納豆は無理だったが“もっと酷い目”を経験していたからだ。「良く食べれるわねー!こんなの食事じゃないのに!」Aさんが目を丸くして言う。「それ、食べないなら引き受けるよ。味はともかく、食べられるだけマシだからね!」今日も私は“しっかり食べていた”。「納豆がダメなのは知ってるけど、基本的に〇ッシーは残さないよね?」「家では、余程マズイ料理食べてるのかしら?」マイちゃんもOちゃんも首を捻る。「いや、母親の料理は数段どころか、かなり上を行ってるよ。まあ、“あの半年”が無かったら、僕も平気で残飯にしてるだろうけどね!」「“あの半年”ってなによ?」Aさんが突っ込んで来る。「会社で、半年間も“鹿児島に釘付け”にされた事だよ」片付けを始めつつ返すと「鹿児島なんて“美味いものだけ”じゃない!なんでそれが関係する訳?」と不思議そうに言う。「確かに、黒豚・豚骨・魚なんかは美味かったよ。それは否定しない。でもね、調味料と水がダメだったんだよ。素材は良くてもベースがマズイと美味さは感じなくない?」私がそう返すと「なにか、深い訳がありそう。〇ッシー、話してくれない?」Oちゃんからオーダーが入った。「あたしも興味が湧いて来た!今日のお題はそれにしない?」マイちゃんも聞きたそうだ。「“鹿児島配流事件”か?もう、かれこれ10年は経つな。そろそろ“時効”も成立してるだろうし、話してもいいよ」「なにか深刻なウラがありそうね。検温が終わったら集まるから聞かせてよ!」「ああ、分かった。久しぶりに思い出して見るか!」こうして本日のお題は“鹿児島配流事件”に決まった。あの頃出逢った“薩摩おごじょ”達は元気だろうか?そんな思いをふと巡らせて、検温を待った。

私の“鹿児島配流事件”の背景には“αショック”が深く関わっている。業界初の「AF1眼レフ、ミノルタα7000」は、メーカーも驚く大ヒット商品となり、MF一眼レフしか持っていなかった我社は大打撃を被った。当然、追随する商品の企画、設計は急ピッチで進められたが、どんなに急いでも半年はかかる事が明らかになり、工場として「余剰人員をどうするか?」が喫緊の課題となった。その時、鹿児島の国分工場は、深刻な人手不足に悩まされていた。そこで両工場の思惑が一致して、150名が南の果てへ派遣される事が決まったのだ。50名づつ3隊の“遠征軍”が編成され、私は2隊目として4月から鹿児島へ従軍する事になった。現地での仕事は「セラミックICパケージ」を生産する「サーディップ事業部」に決まった。愛知県の小牧から鹿児島まで飛行機で1時間。南国での生活と仕事は困難の連続だった。「まず、言われたのが“水を飲むな”と言う事だった。年間の平均気温が10℃以上高い訳だから、とにかく暑いし喉が渇く。でも、そこに最初の“悲劇”の種が待ち受けていたのさ!」「どうして水がダメなの?」Oちゃんが聞いた。「鹿児島の大地は“火山灰”が積もって出来た土地だ。雨水は当然大地に染み込んでから、川になり浄水されるよね?こっちは、山からの雪解け水が水源だけど、水質が全然違うんだよ。どうしても酸性よりになってしまう。それをガブ飲みしてしまうから、当然お腹を壊す。それで、みんな最初の2週間はそれで散々な目に遭うんだ!」「つまり“下り続ける”って事?」Aさんが聞く。「ああ、水に体が順応するまでは“急降下爆撃”の連続だったね」「〇ッシー痩せたんじゃない?」マイちゃんも聞く。「当り。ベルトの穴1つ分は直ぐに減ったね。使うエネルギーは増えて、摂れる食事は多くない訳だから当然そうなる」「なんかすごくかわいそう」Oちゃんが消え入りそうな声で言う。「だけど、悲劇はまだまだ続く。次は“味噌”だ。こっちは、大豆に米麹だけど、鹿児島は大豆に麦麹を使った白味噌が普通だ。これがまた独特でマズイ!とても、キュウリに付けて食べられるモノじゃない!」「ええ!麦を使うの?!有り得ない!」Aさんが絶叫する。「米が普通に採れない鹿児島では、麦を使うしかなかった。米は採れても年貢で納めなきゃならないからね」「味はどうだったの?」マイちゃんが聞く。「長野の味噌に慣れている人には、とても耐えられる味じゃないよ。一口含んだら直ぐに分かる。速攻でバケツ行きさ!」「じゃあ、普通にご飯食べようとしても・・・」「ああ、まともには食べられない。醤油も甘ったるいし、塩気が足りないから、かけても意味が無い。おのずと貧相な食卓になる訳」マイちゃんが顔をしかめて「醤油が甘いなんて、あたし耐えられない!お魚が新鮮でも美味しさ半減じゃない?」「その通り。けれど調味料は、みんなそんな感じだから塩をかけて凌ぐしかない。お米も水が違うから味はここより落ちる」「病院食以下って事!そんな世界でよく耐えたわね!」Aさんが呆れつつ言う。「逃げる場所が無いから、耐えるしかないさ!任期が来て帰れる日がどれだけ待ち遠しかったか・・・」「コンビニで済ませる事はしなかったの?」Oちゃんが心配そうに聞くが「“あれば”当然逃げ込んでるさ!だが、ここでも悲劇に見舞われたのは“コンビニが無い”って言う絶望的な事実だ!」「信じられない!マジ!」3人が合唱する。「無いものは無いの!今でも思い出すと恐ろしい話だけど、どの系列も店舗が無かったんだよ!こちらの感覚が、まったく通用しないんだから受け入れるしかないでしょ」「それは受け入れられない事だわ!“夜中にちょっとそこまで”が出来ないなんて、とても無理!」マイちゃんが断言する。「しかも、工場は辺境に建ってるから、市街地までは歩いて20分はかかった。車も無い、チャリも無い、無い無い尽くしを極めているんだから、休みに出歩く気力も失せる」「ここはまだ恵まれてるって事なのね。便利さを全て失って半年間かー、帰って来た時は、ホッとしたでしょ?」マイちゃんが、私の左手を握って太ももの上の置く。「正直、ホッとした。更に悪い事に“派遣延長”の嘆願が出てたからね」「じゃあ、それが通って居たら、〇ッシーはここには・・・」Oちゃんが大慌てで、私の右手を握って太ももの上に置く。逃げられると勘違いした様だ。「居なかったかも知れない。その可能性はあった。だが、社則に阻まれて助かった。こっちに戻ったら、早速新機種の量産試作に駆り出されて、“再派遣要請”も断れたし。けれど、いい事もあった。お金を使う当てが無かったから、自然と貯金ができた。それで新車を買えたんだ」「唯一の慰めだね。なんか泣けてくるよー・・・」Oちゃんが涙目になっていた。マイちゃんも目頭を押さえている。「そんな話を聞くと、色々な偶然が重なって今があるのねって思う。〇ッシーの居ない病棟は考えられない!もうどこにも行かないよね?」マイちゃんが聞く。「今の所、退院の許可は出てませんから、どこにも行けません。みんなと一緒だよ」私は静かに言い、両手をしっかりと握りしめた。「Aさん!なにかネタない?2人も泣かせちゃったから、話題を変えたいよ!」私は場の雰囲気を変えたかった。「そうねー・・・、〇ッシーの女性の好み!あたし、ある“法則”を発見したんだ!マイちゃんとOちゃんは、その“法則”をクリアしているよね?」「なにそれ?なにを根拠とするか?説明して」私は新たな話題に食らい付いた。「スラッとしてて、髪はロングかセミロング、茶髪はあまり興味なし!明るい性格か、若干陰のある子。どう?思い当たる節は無い?」「まあ・・・、そうだな。否定はしないよ。でも、根拠はなに?」私はAさんに尋ねる。「〇ッシーが好きな歌手が、みんなそうだからよ。CDのジャケットの写真、みんなそうじゃない?!」Aさんがいたずらっぽく言う。「偶然だ!偶然!確かに女性シンガーしか聴かないけど、たまたまそうなっただけだ!」「たまたまだとしても、人間は無意識に選んでることが多いの。〇ッシーも無意識に選んでるクチだと、あたしは感じてるの。〇ッシーの選考基準から“明らかに外れてる”人も知ってるよ。看護師ならKさんとか、SKさんとか」Aさんは次々と手を繰り出してくる。「SKさんは“論外”だ!みんな苦手じゃん!」「Kさん、結構な美人なのに〇ッシー苦手意識丸出しじゃない。それって意識的に除外しようとしてるとしか思えないなー!〇ッシー意外とそういう面は“はっきり出る”タイプだし分かりやすいよ!」「そこまで言うか?!」「肯定も否定もしないと言う事は、当たっているのね!」Aさんが決めつけに掛かる。マイちゃんとOちゃんは、黙って聞いている。反応が無いのが不気味だ。「まあ・・・、仮にそうだとしよう。どうやって見破ったの?」「両手を塞がれても、平然とあたしに反論するのが何よりの証拠じゃなくてなんなの?普通ならそんな事してられないはずよ!」Aさんがダメを押す。マイちゃんとOちゃんは目を合わせて笑っている。何も撃沈しなくたっていいじゃないか!彼女に頼ったのが間違いだった。「マイちゃんもOちゃんも、〇ッシーの選考基準に合致してるから安心して!そろそろ〇ッシーに一服させてあげてもいいんじゃない?なんだかあたし達が拷問にかけてる感じになっちゃってるよ」「そうだね。〇ッシー、どこにも行かないでね!」「置いて行かれるのは嫌よ!」2人は口々に言うとようやく手を放してくれた。「分かった。ともかく一服させて」私はタバコに火を点けた。深々と吸い込み煙を吐き出す。何はともあれ、今は“これでいい”と思った。病院内ではあるが、こんな話で気兼ねなく話せる、聞いてくれる子達が居てくれる。これはこれで“幸せな事”だ。「ねえ、〇ッシー。ちょっと聞いてくれる?」メンバーの女の子達が、顔を出した。「なに?」私と3人が顔を向けると「SKさんがね、早々とシャワー室の前にお道具一式を置いて、1番を取ろうとしてるはいつもの事なんだけど、掃除の人とひと悶着起こしてるのよ!手貸してくれない?」耳を澄ませると女性同士でやり合う声が聞こえる。状況はヤバイ雰囲気だ。「また、例のヤツか。SKさんをなだめればいいんだよね?」「そう、お願いできる?」「分かった。直ぐに行くよ」私は小競合いの仲裁に乗り出した。原因は、SKさんのお道具一式を掃除の人が蹴散らした事が原因だった。掃除の人に頭を下げて、むくれているSKさんをなだめにかかる。「悪気があってやった訳じゃないんだ。ちょっと早かったかな?誰も1番を横取りなんてしないじゃん。SKさんの事を邪魔した訳じゃないんだから、そこは分かって。明日からは、もう5~10分待ってから順番捕りすれば、充分に間に合うじゃない!あー、それはマズイ。喧嘩ふっかけるのだけはダメ。向こうも仕事でやってるんだから、無理強いは出来ない。僕の担当看護師さんに言って置くよ。“直すぐらいはやって”って言ってもらう。それならいいでしょ!ああ、必ず伝える。だから今日は、僕に免じて許してくれない?ありがとう。あんまりカリカリしてるのは可愛くないぞ」私は拳骨を彼女の頭にちょっと乗せてダメを押した。どうにかご機嫌取りには成功した様だ。壁際から様子を伺っている女の子達に拳を見せて“任務完了”を合図する。“指定席”へ舞い戻ると「〇ッシー、ありがとうごぜぇますだ!」と女の子達がホッとした顔で言う。「彼女の主治医の先生誰だっけ?」「確かU先生じゃない?」マイちゃんが教えてくれた。「うーん、ちょっと問題だな。主治医がU先生じゃ、彼女に注意するのは無理がある。やはり、Mさんを通じて看護師さんから、一言釘を刺して置くのが最善だな。甘やかされて育ってるから、並みの事じゃ言う事は聞かないだろう」「あたしもU先生が主治医だから、言って置いた方がいいかな?」女の子の一人が言い出したが「それはマズイ。矛先がそっちに向かうのは避けなきゃならない。無用のトラブルに巻き込まれるだけだよ」と私は制止した。「彼女は保育園児と変わらない。園児と喧嘩すれば親が出て来る。そうなったら混乱は必至だ。今は、まだ僕で収まりが付けられる。みんなは、なるべく関りを持つのを避けた方がいい」「でも、〇ッシーが矢面に立ち続けたら、彼女益々付きまとって来るわよ!それもマズイんじゃない?」Aさんが心配して指摘する。「確かにそうなるね。でも、誰かが盾にならなければ、彼女はターゲットを別の子にしかねない。そっちの方が余程危険だ!着かず離れずに適度な距離感を取って、彼女をかわすとしたら他に誰が出来る?難しいけれど僕が引き受けるしかないんじゃないか?」「うーん、他に手が無いなら〇ッシーの言う通りにするしかないね。でも、あたし達も、ただ黙って見てるだけじゃダメだわ。あたし達なりに出来る手は繰り出さないと!」Aさんが言うとみんなも頷いた。「SKさんに不穏な動きがあったら、直ぐに〇ッシーに相談して封じ込める。今みたいに。これしかないわ!みんな、いいわね?」「うん!」女の子達が合唱して答えた。「〇ッシーには悪いけど、盾になって防いでくれる?」Aさんが覗き込むように聞く。「他に誰がやれる?言われなくてもやるしかあるまい。みんなに頼まれたなら、それ以外に道は無いよ」私は決然と言うと「いいの?」「〇ッシーの負担が増えるのは忍びないけど?」「他に誰か頼れないかなー?」「先生から注意してもらうのはダメ?」と様々な声が上がった。「はい、はい、はい!ちょっと待って。みんなに手伝って欲しいの事がある。SKさんに出来るだけ“間違った情報”を流してくれない?例えば、売店に行ってるのを“デイ・ルームに行った”とか、“疲れて休んでる”とかでいい。SKさんの行動を抑える事が出来れば、リスクは下がる。彼女を出来る限り撹乱させれば、疲れて病室に引きこもる事にもなるだろう?ちょっとだけ嘘をついてくれれば僕も楽になる。どうかな?」「あからさまじゃなくて、ありそうな嘘を流せばいいの?」「そう、それだけでも彼女をかわすのに充分な余裕が生まれる。余裕があれば負担も減る。これなら、みんなで対処出来るはずだ。どう?やれそうかな?」「それなら、みんなで出来るよ。ちょっとだけ細工すればいいんでしょう?それなら協力できるよ!みんなやってくれるよね?」マイちゃんが同意を求めた。「分かった、やろう!」みんなが同意してくれた。「さりげなくでいいから、頼んだよ!」「了解!」女の子達が合唱して答えた。「〇ッシー、本当にそれでいいの?」Aさんは懐疑的だった。「真正面から来られたらひとたまりもないけど、タイミングを外せればさっきみたいに事は小さくて済む。極力かわす事が彼女を封じる最善策だよ」私は諭すように答えた。様は“ストライク”を投げなければいいのだ。勝負に応じなければ相手も迂闊に手は出せないし、凡打を打ってくれれば、なおの事いい。そうすれば致命傷を負う事も無い。SKさんと向き合うにはそれしかないのだ。「〇ッシーも苦労が絶えないね。でも、彼女とまともに話せるのは〇ッシーしか居ない。悪いけど頼むね!」マイちゃんが言う。Oちゃんも頷く。「あたしも出来る限り手は考えてみるし、監視は続けるわ」Aさんも言う。困ったお子ちゃまの“取扱い”は、こうして決着した。「さて、そろそろ買い物に行きませんか?根が生える前に」私は時計を見ながら言った。「そうだね。もう10時半か。行こうよ!」マイちゃんが明るく言う。「財布持って来なきゃ」Oちゃんも席を立った。「タバコの補充に行こう。後、デザートも」Aさんがそそくさと立ち上がる。3人の女性陣を引き連れて、私は売店へ向かった。

「〇ッシー、夜って“魔の時間”だよね?」Aさんが同意を求める様に聞く。「うーん、確かに夜になると“想定外のトラブル”に見舞われた事は多いね。トラブルが起きる時間帯も大体決まってな。午前0時とか2~3時くらい。電圧の変化が起きる時間とリンクしてな」「あたしも看護師やってたから、分かる。患者さんの容態が急変するのも、今〇ッシーが言った時間と大体被ってる。夜は意外に気が抜けないよね?」「意外どころか、要注意の連続だよ。人手は無いし、決断は自分達でしなくちゃならない。重要な場面でどうするか?そのために、どれだけ昼間の勤務で“勉強”するかが決め手だったよ。Aさんだって分かるでしょ?自分の腕でどこまで切り抜けられるか?それが勝負の分かれ目だって」「ええ、瞬時の判断が生を左右する。若い頃は何とでもなるけど、30代を過ぎると体力的にもキツくなるし、責任も重くなる!将来の事とか考えたら続ける気も保てなくなるの」「女性は特にそうでしょ!家庭と育児の両立とかもあるし、僕の場合は企画・開発に関与する様になってから、不規則な勤務の繰り返しだったからなー。基本は、看護師さん達と同じだけど、試作が始まると3~4ヶ月は夜勤専属になった。生理的に睡眠が狂いやすくなるから、休日はもっぱら寝て置かないと、身体が続かなかった」「故に、女性との付き合いも無くなる?」Aさんが突っ込む。「そう、時間が無いんだ。会社にも気になる女性が居なかった訳じゃないよ。けれど、時間が完全に逆転してるから、付き合う事すら無理があった」「でも、〇ッシーには、厳格な“選考基準”があるから、それに合致しなければ見向きもしない。相手に“その気”があったとしても、まず気付かなかったはずよ!」Aさんが勝ち誇るかのように言う。「〇ッシーは女の子達の間では、それなりに“気になる存在”だったはずよ。でも如何せん“堅物の〇ッシー”。陰で何人泣かせたのかしら?」Aさんは完全に“からかい”に入っている。マイちゃんとOちゃんはクスクス笑いながら、勝ち誇った顔で見ている。おもむろに両手がつかまれ、左右の太ももの上にロックされた。「逃がさないわよ!」マイちゃんが言うと「あたしも!」とOちゃんも応じる。「あたしからも逃がさないわ!こんな話の分かる男の子、そうは居ないから」Aさんも鋭く目を光らせる。「うーん」逃げられない状況に居る事を改めて悟った私は唸るしかなかった。

DB 外伝 マイちゃんの記憶 ⑧

2018年11月20日 10時35分31秒 | 日記
朝がやって来た。午前6時。「うーん、珍しく寝坊か・・・、だがギリで“許容範囲”に起きられたのは、幸いだな」私は、急いで洗面台へ向かった。顔を洗い、ヒゲを剃っていると「〇ッシー、おはよう!“例の件”考えてくれた?」マイちゃんが笑顔でやって来た。「ああ、あらゆる角度から考えたよ。詳しい事は朝食の時に話すよ」小声で言うと「OK!じゃあ一緒に食べようね!」と彼女は目を輝かせて言った。「かなりの“難題”だ。一筋縄ではクリア出来る訳じゃないよ!」と言うと「分かってる。でも、それを上回る手を用意してるんでしょ!」「追い詰められた僕らには、まだ“奥の手”が残ってるだろう?って言うから捻り出したまで。“上手くいったらご喝采”だよ」私はため息交じりに言う。「そう来なくっちゃ!〇ッシーの“本領発揮”愉しみに聞かせてもらう!」マイちゃんは既にノリノリだった。

事の発端は、前夜の“グチ”から始まった。「何で売店に“新商品”が無いの?仕入れがマンネリ化してると思わない?」Aさんが切り出した。「そうね、半月遅れるのは当たり前だね。でも、こればっかりは仕方なしだよ!」マイちゃんが、なだめにかかる。「旦那に言っても“俺に言われても分からん”って言うし、何か手はないの?〇ッシー?!」Aさんが諦めきれずに無茶を振る。「こればっかりは、打つ手なし!逆立ちしても無理は無理です!」私も諦めさせる方向へ向かせようと、断固拒絶する。「ねえねえ、その話、本当に無理なの?」「あたしも“禁断症状”になっちゃいそう。マイちゃん!〇ッシー!横綱格の2人なら、何か思いつかない?」女性陣がわらわらと集まって、私とマイちゃんにすがり付いてくる。「そう言われてもねー、これだけ警戒が厳重だと“脱走”も難しいなー」マイちゃんが、つい口を滑らせてしまった。「“脱走”ってどういう意味?抜け出してコンビニへ行ってたって事なの?」女性陣の目に希望の光らしきモノが宿る。「うん、前は結構“脱走”とか出来たのは事実。でも、今は相当難しい技だよ!〇ッシーをお供に連れて何度も決行したのは、初夏の頃までかな?〇ッシーそうだったよね?」「ああ、この“腕輪”が導入される前は、まだ“それなりの手”はあったし、マイちゃんと何度も行ったのは確かだ」私は左手首の“腕輪”を指して答えた。ビニール製の“腕輪”には、患者番号のバーコードとカタカナで氏名が印刷されている。患者と見舞に来る人々とを区別したり、専用の機械にバーコードを読み込ませると、X線や各種検査が優先的に受けられる仕組みになっているヤツだ。8月から導入されており、ハサミで切る以外、外す手は無い。「ねえ、何とか“脱走”する手はないの?マイちゃんと〇ッシーなら何とかならないかな?!」「神様、おねげぇしますだ!私達にお慈悲を!」「お代官様!どうかよしなに御取り計らいを!」女性陣は必死にすがり付きだした。拝む子も出始めた。だが、厳重な警戒網をどうやって誤魔化せと言うのだろう。「〇ッシー、本当に無理かな?“奥の手”は浮かばない?」マイちゃんが遂に根負けした。「うーむ」私は考えを巡らせた。天井を見据え可能性を探る。“追い詰められた俺達には、奥の手があるだろう。ここは、1つ代官署名物の引っ掛けをお見舞いするか!”テレビドラマのセリフが無意識に流れた。だが、それには“役者”と“小道具”と“段取り”が欠かせない。1つでも欠ければ、事は失敗に終わりかねないし、師長さんのカミナリが炸裂するだろう。「ひとつ確認だけど、みんな協力してくれるよね?“役者”と“小道具”と“段取り”が揃えば、何とかなるかも知れない。危険を承知で決行するからには、みんなの手と協力が必要だ。やってくれるかい?」私は女性陣を見渡して行った。「やる!」「協力は惜しまないよ!」「分かった。やろうよ!」みんなが目を輝かせて言ってくれた。「〇ッシー、何か浮かんだの?」マイちゃんも前のめりで言う。「ああ、ある程度まではね。細かい事は、今夜考えて置く。1つ1つクリアして行けば、道は開けると思う。とにかく時間をくれ!明日か明後日には決行できる様に考えてみる!」「〇ッシー、“代官署名物の引っ掛け”でしょ!“俺達には、まだ奥の手が残っているだろう”って言うヤツ!」「それだよ、ともかく今晩は寝よう。明日、みんなに話せる様に努力する」そう言って私が事を引き取ったのだ。

朝食の時刻、マイちゃんが目立たない場所を確保して待っていてくれた。差し向いに座ると、AさんとOちゃんもやって来た。4人がテーブルを囲んで落ち着いたのを見計らってから話は始まった。「まず、“脱走”して買い物に出るのは、僕とマイちゃんの2人だ。僕達なら“脱走”に慣れてるし、どこが重点警戒ポイントか?も熟知している。抜け出すとしたら、2人で行くしかない!」「えー!あたしも連れてってくれるんじゃないの?なんでー?!」Aさんがムクレるが「団体行動は、始めから無理なの!最小限の人数にしなきゃバレバレだろう?それにAさんには“やってもらわなくてはならない事”が山の様にあるの!共同戦線を張らないと元も子もないんだよ!」と言って黙らせる。「行くのは、南にあるセブン。距離があるのと時間がかかるのが難点だけど、確実に“新商品”をゲットしなくちゃならないから、敢えて目をつぶって行く。マイちゃん!Kさんのシフト、今週はどこ?」「準夜勤だよ。あっ、そうか!Kさんに尻尾を掴まれたらマズイもんね」「そう、彼女には“見破られた”苦い経験があるからね!そうすると、看護師さん達を誤魔化すのはクリア出来るな!」「〇ッシー、行くのは今日?明日?」Aさんがじれて聞いた。「行くのは明日だ!時間は午前10時20分から、11時20分までの1時間以内。2班に分かれて行動する。Aさんには“居残り班”を指揮してもらう。“居残り班”には色々と工作を手伝ってもらうから、覚悟しといて!」「どうして明日なの?今日はどうしてダメな訳?」Aさんが更にじれて言うが「後で説明するつもりだったけど、SKさんを忘れないでくれ!彼女をここに“釘付け”にしとかないと、厄介な事になる。彼女のお母さん達が来るのは、1日おきだろう?昨日は来たから今日は来ない日。明日になれば、自然と病室に留まるはずだろう?それに、彼女のクセで午前11時にはシャワーを浴びるはず。そうなれば、病棟で監視していれば、彼女は封印出来るって寸法なんだけど」「そうか!そこまで計算してたのね。確かに、今日はSKさんが“漏れなく着いて来る日”だわ。〇ッシー、よく観察してるのね」「些細な事も見逃さないのが鉄則だからね。時間を区切ったのにも理由はあるんだぜ!Aさん、“深夜勤”の看護師さんの帰宅時刻は?」逆に問いかけると「遅くて午前9時台の前半から30分までの間位かな?あー!そこを避けてるんだ!」「その通り。帰り際に見つかりましたじゃ笑うに笑えない。お帰りを見送ってから出る。Aさんが指揮する“居残り班”が先に出て、僕とマイちゃんは5分遅れで病棟を出る。Aさんがまず、帰り間際の彼女達が居ないかを確認して、僕らに通報をする。携帯を鳴らすのがいいと思う。3回コールしたら切って!それを確かめてから、僕とマイちゃんが外来棟の南玄関から“脱走”を開始する。Aさん達は、いつも通りに売店で買い物をして、先に病棟へ戻ってもらう。その際に僕らの“外出先マグネット”を2階のデイ・ルームに張り替えておいて欲しい。そして、いつもの如く話を盛大におっぱじめて居て欲しいんだ。さも、僕らが居る様にしてね」「デイ・ルームに張り替えるのはなぜ?」「突っ込まれた時の逃げ道だよ。Aさんの誕生日、来週だったよね?そのお祝いの打ち合わせって事で、“隠れて相談してます”って誰かに答えてもらうのさ!当り障りのない理由として」「〇ッシー、よく覚えてるね。あたしも忘れてた!誕生日もう来週かー、猫の手も使うってか?!」「使える手は多いに越したことは無い。それで切り抜けられれば文句ないだろう?無事にセブンから戻ったら、僕らも合流する。ただ、不測の事態が起こった場合は、携帯を鳴らすから必ず出て欲しい。対策はその時に考える。だから、Aさんには携帯を手放さないで持っててもらう必要がある」「不測の事態ってどんな事が考えられる?」「マイちゃんが“足をねん挫”とかね。実際にあった事だけど」「思い出した!確か〇ッシーに背負われて、えーと、誰だっけ、もう1人の子に袋持ってもらって、ダッシュして帰って来たヤツだよね?」マイちゃんが記憶をたどる。「そう、梅雨の晴れ間だったかな?実際にそう言う事も有り得るからね。後は出たとこ勝負になるから、その都度対処するしかない。ザックリと説明したけど、計画はこんな感じ。検温が終わったら、みんなを集めてもう1度確認しながら話すよ」私は、3人に昨夜考えた計画を話し終えた。「うーん、さすが〇ッシー!久々に外の空気が吸えそうでワクワクするなー!」マイちゃんは、既に心ここにあらずの様だ。「本当によく思い付くものだわ!この手の図り事は〇ッシーに敵わない」Aさんも納得した様だ。「Oちゃん、悪いけどこの話内緒にしてくれるかな?」私は一応確認をする。「うん、分かった。あたしも協力する」と彼女は頷いてくれた。「下見もしなきゃならないし、みんなの意見も聞かなきゃならない。検温が終わり次第、集合する様に言っておいて!」「了解!」私達は片付けを済ませると、各部屋へ散って行った。

検温が終わり、私は“支度”にかかった。今回の為に取って置いた無地のレジ袋を3枚、細かく折り畳みズホンのポケットへ入れる。薄手の上着を羽織り、財布の中身を確認する。昨日の内にATMから現金を引き出してあるので、足りない事はなさそうだ。時計の校正も確認した。今回は、1秒のズレも事に影響しかねない。「一応は、これでOKか」一通りの準備を終えて、病室から出ようとすると、いきなり思いっ切り腕を掴まれランドリーの陰に連れ込まれた。倒れ掛かりそうになるのを堪えて見ると、マイちゃんが深刻な顔で下を向いている。「どうしたの?」私が言うと「マズイ事になったわ、〇ッシー」といつになく深刻な声でマイちゃんが言う。「実は、OちゃんとAさんが“一緒に行く”って言いだしたの。あたしは“危険だから任せて欲しい”って言って止めたんだけと、2人とも“〇ッシーにお願いしてくれ”って言って聞かないのよ。“あたし達も協力したい。足手まといにならないから”って言うんだけど、どうする?〇ッシー?あたしではもう手に負えないのよ!」「言い出したのはOちゃんで、援護してるのがAさんだろう?」「そう、Oちゃんは是が非でも〇ッシーに着いて行くつもりよ!」「他の子達に招集はかけちゃったかい?」「それはまだよ。まず、〇ッシーに聞いてからと思って連絡は回してないわ」マイちゃんの表情から事の深刻さはひしひしと伝わって来た。緻密に組み上げた計画を変更するのは、容易ではない。僕とマイちゃんが組む事が、今回の計画の“前提”なのだ。その“前提”が崩れた以上、計画を実行するにはリスクが大き過ぎる。5分5分が3分7分になったと言う事は、1から計画を修正するしかない。すなわち、データーを入れ替えて計算し直す必要があるのだ。「やむを得ない。今回の計画は一旦棚上げだ!計画を中止する!」私は断を下した。「やっばり、無理だものね。私も賛成。〇ッシー、もう1度計画を組み直すのにどれくらいかかりそう?」「明日の決行を取り消すんだから、3~4日はかかるよ。ナースステーションの顔ぶれとSKさんの動向、天気も加味するから簡単には決められない。とにかく明日の計画は“白紙撤回”にする。1から考え直すから時間をくれ!」「分かった。残念だけど仕方ないわね。あたしから2人に“〇ッシーが白紙撤回にする”って宣言した事を言って置くわ!」マイちゃんも心なしか悔しそうだ。「マイちゃん、何を言われても“作戦中止”で押し切ってくれ!そうしないと・・・、」「みんなに迷惑がかかる。そうよね!あたしと〇ッシーだけならまだしも、メンバー全員を外出禁止には出来ないわ」マイちゃんも腹を括った様だった。「クソ!俺はアメーバーじゃないんだ。1人で女の子3人を助けるのは不可能だ。それがなぜ分からん!」私は壁を叩いてやり場のない怒りをぶつけた。「〇ッシーのせいじゃないよ!仕方ないじゃない!」マイちゃんが肩に手を触れて、なだめにかかるが「無い知恵絞った挙句がこれじゃ、やり切れない!まあ、また考えるしかないか・・・、俺は2階のデイ・ルームに行く。静かに考えをまとめ直したいんだ。後でいいから来てくれ」そう言うと私は歩き出した。「2階のデイ・ルームね?こっそり抜け出して後から行くわ。〇ッシー、あんまり怒らないでね。OちゃんもAさんも悪気があって言ってるんじゃないんだから」「そうなら、なぜ分かってくれない?!ともかく考え直しだ!」私は憤然としながらデイ・ルームへ向かった。マイちゃんが心配そうに見送っているのも気付かなかった。「手損の上に駒損か。どうやって逆転に持っていくんだよ?新手でも見つけない限り不可能だ!」盤上に並んだ将棋の駒を思い出しつつ、私は階段を下りて行った。

何とか理由を付けて2階の¨デイ・ルーム¨へ移動した私は、ポケットの中身を確認して、マイちゃんを待った。「どうも、味方の女性まで¨騙す¨のは、さすがに気が引けるな。だが、リスクを考えればやむを得ない」必要なモノは漏れなく持ち出して来れた様だ。後は、マイちゃんが来れば、作戦開始である。「ごめん!待った?」マイちゃんが聞く。「跡を付けられて無いよね?」「うん!OちゃんとAさん、ショボンとして、¨○ッシーを何とか連れ戻して¨って言うから¨時間はかかるけど、説得して来る。だから、悲観しないで¨って言って釘付けにして置いた。SKさんは大丈夫なの?」「もう直ぐ、お母さん達が来るはずだよ。昨日、電話してるの聞いてるから間違いない」「じゃあ、○ッシー!そろそろ出かけ様か?」「ああ、準備は整った。買い物リストは?」「リクエストはこれよ!」マイちゃんがポケットから折り畳んだメモを引っ張り出す。「はい、よし、よし、よし!かなりかさ張るが、想定の範囲内ってヤツだな。じゃあ、財布を渡しておくよ。では、行きますか?」私達は¨デイ・ルーム¨静かにを抜け出して外来棟の階段を目指した。実は、朝食時の話は¨フェイク¨で、OちゃんとAさんを病棟に釘付けにする¨理由¨を作るための¨計略¨だったのである。実は、マイちゃんと僕は5日前くらいから¨脱走¨を密かに計画していたのだ。その課程で一番懸念したのが、OちゃんとAさんの¨無茶振り¨だった。¨連れて行って!¨とせがまれるのは、明らかであり「いかにして病棟へ残して行くか?」が最大の課題だったのだ。そこで、考えたのが¨2通りの筋書き¨を用意する¨フェイク作戦¨だった。「○ッシーは、1人しか居ない。Oちゃんには悪いけど、安全面を考えたら、あたし達で行くのが最善だと思う」「何よりも、即断即決!これが出来るのは、僕ら2人しか居ない。大げさなマネは、ほころびがでやすい。みんなからの¨期待¨を反故にしないためには、やむを得ないな」毎晩、ランドリーの陰でこっそり話し合いを続け、検討を重ねた結果が¨全員を騙しにかかる¨と言う掟やぶりの策だった。各所で¨工事中¨の院内は、隙が多い。そこを突いて行けば¨脱走¨は不可能ではない。だが、瞬時に判断を下して行動するには¨慣れ¨は欠かせない。僕とマイちゃんなら¨阿吽の呼吸¨で目を見れば分かる。実際問題、抜け出すタイミングにしても、感覚が頼りであり、それを¨言葉で説明しろ¨と言われてもどだい無理な事だった。まず、私が携帯で電話をする振りをして、外へ出て素早く周囲を伺いマイちゃんに合図を送る。彼女は一気に前進して建物の陰をたどりながら、物陰へ潜む。私も周囲を伺い素早く後を追う。人目を避け、車をやり過ごしながら植え込みをまたいで、院外へ出ると少し間隔を取って歩く。五感を研ぎ澄ましてひたすら前へ進んで、目的地のコンビニへ急ぐ。今回は、川1本隔てた場所を選んだ。2日前に事前に¨偵察¨は済ませてあるから、新商品のストックは充分にある事も分かっている。コンビニへ入ると、素早く品物をピックアップしてレジへ進む。会計はマイちゃんが行い、私は外を伺う。行き交う人や通過する車に全神経を使う。しばらく間を置いて、コンビニを出ると今度は早足で病棟を目指す。スピードが事を左右するのだ。抜け出した場所から少し離れた場所の植え込みをまたいで、敷地内へ入り込み物陰へ身を寄せ合う。「袋を隠そう」コンビニの袋から、無地のレジ袋へ素早く品物を詰め替える。コンビニのレジ袋は畳んでズボンのポケットへ押し込んだ。人目が無い事を確認すると、一気に病棟の入り口まで小走りで駆け抜ける。その間僅かに25分!“脱走”は無事に成功した。2人共、何食わぬ顔をして病棟へ入ると、売店へ雪崩れ込む。「ふー!危なかったね」マイちゃんが笑って言う。「ああ!“お供”が居たらこんな短時間での往復は不可能だよ。やっばり僕らにしか出来ない芸当だ!」私も冷や汗を拭って答えた。「さて、通常の買い物も済ませるか。でないと怪しまれちまう」「でも、あたし財布持ってないよ?」マイちゃんが小首をかしげる。「財布なら持ってるだろう?まとめて買っちゃえばいいんだよ」「それって“オゴリ”でいいって事?」「まあね、そうしないと小銭がもらえないし、二度手間になるだろう?言い訳にも困るし」「ヤッター!じゃあまずは、あたしから。〇ッシー、荷物持って」マイちゃんは浮かれながら買い物を済ませた。私も必需品を買い込むとそれなりに小銭がたまった。「これでおつりが用意できた。まずは、デイ・ルームへ戻って現品とリストを突き合せよう。それから“配達”だ。100円未満は切り捨てでお金を集めていいよ!325円なら300円で構わない。そうしないとおつりが無くなりそうだ」「〇ッシー、太っ腹だね!みんなも喜ぶよ!」「だが、2人には怒られるだろうな・・・」「大丈夫!みんながカバーしてくれるよ!」マイちゃんが笑って言った。

「ズルイ!ズルイわよ絶対に!」Aさんがごねる。Oちゃんは何も言ってはいないが、目が笑っていない。その証拠に右側にぴったりと寄り添って座り、私の右手をガッチリと自身の太ももに押し付けて離さない。「だましにかかるとしたら身内から、危うい事は最小限の人数で行う。これが“負けない戦い”の鉄則!危うい橋を集団で渡るマネが出来ますかいな!」私は必死になって言い訳に努める。「マイちゃんもどうして話してくれなかったの?」Aさんは攻める方向を変えた。「実績よ!実績。〇ッシーとは、10回以上組んだもの。今居るメンバーの中では、唯一の大駒だし、攻防の両方に使えるのは〇ッシーだけだもの。手段としては最善の選択だったのよ!」「それに、関係者全員が“外出禁止”になったら、それこそ一大事だろう?みんなの意に答えつつ、危険は最小限に抑える。そう考えれば、答えは1つしかない!“抜け駆け”にはなるが、意表を突く事でリスクも減らせる。チャンスは月に数回しかない中で、今日を逃す訳には行かなかった。SKさんも上手く引っ掛かってくれたし・・・」「みんながハッピーになれるなら、多少の事は目をつぶって欲しいな!Aさんだって、Oちゃんだって目的のお菓子を手に入れられたんだから、勘弁して!」マイちゃんと2人で何とかごねるAさんを黙らせにかかる。そこへ「マイちゃん、〇ッシー、ありがとうごぜぇますだ!」「さすが横綱!はい!みんな、拍手して!」女の子達が次々とお礼に駆け付けてくれた。「AさんもOちゃんも、そんな怖い顔しないで!こんな離れ業が出来るのは、この2人を除いて誰が居るの?!美容に悪いわよ」「そうそう、折角の好意を無駄にしてたらバチが当たるよ」と援護のオマケも付いて来た。「そうねー、今回だけは許してあげよう!次回からは“抜け駆け”はダメだからね。Oちゃんもそれでいい?」Aさんが聞くとOちゃんも頷いた。ただ、私の右手を思いっ切り握りしめて“今回だけよ!”と意思を示す事は忘れなかった。「おっと、肝心な事を言い忘れてた!お菓子のパッケージを捨てるのは、分からない様に始末してくれ!そこから足が付いたら事だから」私が慌てて注意すると「了解!」とみんなが一斉に返して、直ぐに交換会を始めた。私の前にも“おすそ分け”の山が積みあがった。左手で上着のポケットへ詰め込んで一先ず隠すと、その手をマイちゃんが握って自身の太ももに押し付けた。「ちょい待ち!これだと身動きできないんですけど」と言うと「いいじゃん!」と言って左側へピッタリと寄り添って来る。Oちゃんに対抗してマイちゃんも同じ構えを取る。“〇ッシーはあたしが認めた唯一の人。貸しはするけど、所有権は手放さないよ!”マイちゃんも無言でそう言っている。「〇ッシー、食べないの?どんどん山になって行くよ」女の子達が言うが、私は身動きが出来ない。それを説明するのは、さすがにはばかられる。おいしそうなお菓子を前に、ただ座って居るしかない現実は「拷問」さながらだった。「あーあ、3つ目の策も考えて置くべきだった。けれど、これはこれで良かったと思うしかあるまい」みんなの目がキラキラしているのを見て心底そう思う様に心掛けた。