全能神は真理です

全能神―主イエスの再臨

全能神の発表「神の業と人間の実践」抜粋 5

2018-09-16 16:25:02 | 全能神の発表

 

 人間が真に経営の業の結晶となるのであれば、腐敗した人間の反抗を完全に駆逐する必要がある。それには、人間が様々な場合に適した実践を行い、それに対応する業を神が人間に対して行う必要がある。こうして初めて、最終的に、経営の業の結晶たる人々の集団を得ることが出来る。神の人間に対する業は、それだけでは、神自身の証しに立つことが出来ない。そうした証を実現するためには、生きていて、神の業に適した人間も必要である。神は、まずそうした人々に対して業を行い、そうした人々により、神の業が表現される。そのようにして、創造物に対して、そうした神の心の証しがなされる。そして、この点において、神は業の目的を達成されたことになる。神は独自に業を行ってサタンを倒すことが無い。なぜなら、神はあらゆる創造物に対して、直接的に自身の証しに立つことが出来ないからである。もし神がそうしたならば、人間を完全に確信させることは不可能であり、したがって神は、人間を征服するために、人間に対して業を行う必要があり、そうして初めて神は全ての創造物の証を得ることが出来るようになる。神が単独で業を行い、人間の協力が無いとすれば、あるいは人間が協力することを要求されていないとすれば、人間は決して神の性情を知ることができず、神の心に永遠に気付かないであろう。このような場合、それを神の経営の業とは呼べないであろう。もし人間だけが懸命に努力して求め、しかし人間が神の業を理解しなかったとしたら、人間は悪ふざけをしているようなものであろう。聖霊の業が無ければ、人間の業はサタンのものであり、人間は反抗的であり邪悪を行う者である。腐敗した人間が行う事全てにサタンが示され、神の味方となる事は一切無く、全てサタンの表れとなる。述べられた物事全てのうち、ビジョンと実践が含まれていない物事は一切無い。人間は、自らの観念を捨てて従来備えて居なかった物事を得ることが出来るように、ビジョンの基礎の上に実践を確立し、また服従の道を確立する。神は、人間が神に協力すること、人間が神の要求に完全に服従することを求め、人間は神自身が行う業を目の当たりにすること、神の全能の力を経験し、神の性情を知ることを求める。概括すると、これが神の経営である。神の人間との同盟が経営であり、最大の経営である。