スー・ミンユエは、中国本土の家庭教会の伝道師です。神を信じるだけで義と見なされ、お恵みによって救われると常に信じて疑いませんでした。私たちは未だに常に罪を犯していますが、その罪は主によって赦されていて、主がお戻りになられたら、私たちの姿は一瞬にして変わり、聖なるものになり天国に行けると信じていました。しかし同労者から話しを聞いて、その考えに疑いを持つようになりました。いまだに嘘をつき頻繁に罪も犯しているのに、本当に天国に行けるのか?スー・ミンユエは困惑してしまいます。全能神教会の証人と議論し話し合った結果、スー・ミンユエは最後に神の国に入る唯一の道を見つけるのです。全能神は主イエスの再臨であると確信しました。
深化の方法が分からず、また真理やいのちの道の追求の仕方を理解していない。あなたがたは、奥義やビジョンの話、神がこれまでどのような働きを行ったか、ペテロの経験、イエスの磔刑の背景など、新奇な事柄を受けることだけしか理解していない。あなたがたは、そうした事柄の話を聴くことだけを望み、そうした話を聴けば聴くほど活力を得る。あなたがたはそうした話を聴くのは悲しみや退屈さを追い払うためである。あなたがたの生活はまるごと、そうした新奇な物事により維持されている。今日まで生き長らえてきたのは自分の信仰のおかげだと思っているのだろうか。それが、あなたがたのわずかな、情けない霊的背丈ではなかろうか。あなたがたの誠意はどこにあるのか。人間性はどこにあるのか。あなたがたは人生をもっているのか。あなたがたは完全にされるための要素をいくつ備えているのだろうか。わたしが述べてる事は事実ではないのか。わたしはこのように語り、働きを行うが、あなたがたは依然として全く気にかけることがない。あなたがたは付き従うと同時に、見ている。あなたがたは常に無関心な様子であり、また付き従うのも常に受動的である。あなたがたは皆、そのようにして続行してきた。あなたがたを現在まで導いてきたのは、刑罰と試練、懲らしめのみである。いのちに入ることについて説教が幾つかでもあったなら、それだけであなたがたは皆とっくの昔に脱落していたのではなかろうか。あなたがたは皆、自分の隣にいる者よりも気位が高い。実際、あなたがたは極めて癪に障る存在でしかない。奥義を幾つかと、人間がこれまで知らなかった事を幾つか理解しているので、現在までなんとか続いてきただけである。あなたがたには従わない理由がないので、何とか流れに乗ることに決めただけである。それはまさにわたしの言葉により実現した結果であって、あなたがたの功績ではないのは確かである。あなたがたが自慢できることはひとつもない。ゆえに、この働きの段階において、あなたがたは専らわたしの言葉によって現在まで導かれて来た。そうでなかったとしたら、これらの人々の中の誰が従うことが出来たであろうか。誰が現在まで続けて来られたであろうか。初期の段階から、あなたがたは最初にそうする機会が生まれたときから去って行きたかったが、勇気がなかったので立ち去らなかった。現在に至るまで、あなたがたは中途半端な気持ちで付き従って来た。
40年間にわたり主を信じてきたチーショウ牧師は、「主の御言葉と働きはすべて聖書の中にある」、「主への信仰は聖書から外れてはならない」とし、聖書を信じることが主を信じることであるという考えをこれまでずっと保持してきた。自分の娘が終わりの日における神の働きを受け入れたことを知り、妻と共に阻止するための計画を練る。この日、娘が帰宅し、主の再臨について証をするのだが、何とも面白おかしく、また真剣で白熱した議論に展開してゆく。 [東方閃電]全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、終わりの日の全能神の働きを受け入れ、神の言葉によって征服され救われるすべての人々によって成り立っています。当教会は、全能神ご自身によって全てを創られ、全能神ご自身によって導かれ牧養されています。決して人によって創られたものではありません。キリストは道であり、真理であり、いのちなのです。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。
人間が現在理解していることは、全て教義であると言える。なぜなら、人間が理解している事は、人間が経験した事の全てではないからである。現在まであなたが継続出来たのは、すべて新たな光の主導のおかげである。あなたの背丈が一定水準に達したのではなく、この日まであなたを導いてきたのはわたしの言葉である。あなたに大いなる信仰があるのではなく、わたしの言葉の知恵のために、あなたは現在まで付き従わずにはいられなかったのである。今、わたしが語らず、声を出さなかったとしたら、あなたがたは継続できず、直ちに前進を止めるであろう。それがあなたがたの真の背丈ではないのであろうか。あなたがたは、自分がどの側面から入っていくべきなのか、自分に欠落している事の埋め合わせをどの側面においてするすべきかを全く知らない。あなたがたは有意義な人間の生活を生き抜く方法や、神の愛に報いる方法、強く明白な証しに立つ方法を理解していない。あなたがたはこれらを全く達成できない。あなたがたは怠け者であり、かつ愚か者である。あなたがたは何かに依存することしか出来ず、あなたがたが依存しているのは新たな光であり、あなたがたを先導する存在である。あなたが現在まで続けてこられたのは、新たな光と最新の言葉に完全に依存してきたからである。あなたがたは、真理の道の追求に熟達していたペテロや、ヤーウェを敬虔に礼拝し、ヤーウェからどのように試されても、恵みを授けるか如何を問わずヤーウェが神であると信じることが出来たヨブに遠く及ばない。あなたにはそうすることが出来るであろうか。あなたがたはどのように征服されたのであろうか。ひとつの側面は裁き、刑罰、そして呪いであり、もう一つの側面は、あなたがたを征服する奥義である。あなたがたは皆、ロバのようである。わたしが述べる事が十分に高尚でなく、全く奥義がなかったとしたら、あなたがたは征服され得ない。仮に、ある人がある期間、常に同じ事柄について説教したとしたら、あなたがたは誰も二年経たないうちに逃げ出し、それ以上続けられないであろう。
Ⅰ
神の怒りは向けられる
正しくないものが人間を虐げ
闇と悪の存在や
真理を追いやり
善に逆らうものがある事に
神の怒りは象徴する 全ての悪いものの終りを
更にまた神の聖さを
神の喜びは 義と光が世界を訪れ
闇と悪の崩壊
神の喜びは 人間に光と美しい 生活をもたらす
神の喜びは 義である それは良いもの全ての象徴
幸運の象徴 幸運の象徴
Ⅱ
神は悲しむ 望みである人間が闇の中にいて
人間への業が神の意志にそぐわず
愛する全ての人間が光の中で生きられぬ事に
神は悲しむ
罪無く誠実なのに盲目な者たちを
善良なのに確信が持てない者たちを
神の悲しみは 神の善と憐みと
美と慈愛の象徴
神の喜びは 義と光が世界を訪れ
闇と悪の崩壊
神の喜びは 人間に光と美しい 生活をもたらす
神の喜びは 義である それは良いもの全ての象徴
幸運の象徴 幸運の象徴
Ⅲ
神は幸せに思う 敵を打ち人間の真心が勝ち
敵の勢力が退き消える事
人類が平穏な生活を送る事を
神の幸せは 人が思う幸福とは違い
幸福にまさる実を刈り入れる味わい
神の幸せは もうこれ以上
人類が苦しむ事がない事
神の幸せは 人類が光の世界に 入ることの象徴
神の喜びは 義と光が世界を訪れ
闇と悪の崩壊
神の喜びは 人間に光と美しい 生活をもたらす
神の喜びは 義である それは良いもの全ての象徴
幸運の象徴 幸運の象徴
『言葉は肉において現れる』より
現時点において、あなたがたにとって状況はどうであろうか。現在、このようにわたしはあなたを導いており、あなたはこれは素晴らしいと思っている。この状況ではあなたに降りかかる周辺環境や試練はないが、実際にあなたの霊的背丈がどのようなものか、あなたが本当に真理を追求する者かどうかを確認することは出来ない。あなたは自らの本質を理解したと口で言うものの、それは空虚な言葉である。後に、事実があなたに示されて初めて、あなたの認識は確認されるであろう。現在、あなたには「私の肉は極めて堕落していること、人間の肉の本質は神に反逆し、反抗することであることを理解している。神の裁きと刑罰を受けることが出来るのは、全て神による引き上げである。今そうだと分かって、神の愛に報いたい」といった認識があり、そう言うのは簡単だが、後に苦難や試練、困難が起きると、それらを経験するのは簡単ではないであろう。あなたがたは、毎日このような付き従い方をしているが、未だに自らの経験を続けられない。わたしがあなたがたを見捨て、あなたがたに配慮しなかったとしたら、状況は更に悪化するであろう。殆どの人間が倒れ、恥の象徴である塩の柱となるであろう。これらはどれも有り得る事である。このことを懸念したり不安に思ったりしていないのであろうか。ペテロはそうした環境を経験し、そうした苦難を経験したが、依然として揺るぎなく立っていた。そうした環境があなたにもたらされたとしたら、揺るぎなく立っていられるであろうか。イエスが地上にいる時に言った事や行った働きはペテロに基礎を授け、ペテロはその基礎を起点として、その後の道を歩んだ。あなたがたは、それほどの段階に達することが出来るだろうか。これまでに歩んだ道と、理解した真理は、あなたが今後揺るぎなく立つための基礎となり得るであろうか。それらはあなたが今後揺るぎなく立つためのビジョンとなり得るであろうか。あなたがたに真理を伝えよう。