陸上始めて、今週の火曜日で一年になりました。ちょうど、関西インカレが終わった後の次の練習でした。その時の練習はジョギングで、大仙古墳まで行った事を覚えています。高校は帰宅で、かつ浪人を経験した体でいきなり12kmも走るものだから、ふくらはぎにピリピリした痛みがありました。その痛みはその後1ヶ月、グランドの練習では消え、ロードでのジョギングでは起こりました。次の練習は2000m×3の3'40/kmペースで、2本目でやられました。陸上の長距離のレベルを思い知らされました。正直、もって1ヶ月の命かと思いました。その後の4'00/kmペースランニングも三木に引いてもらうも、6km以降で沈没。 そもそも、 駅伝の戦力にもならない 初心者が メニューを完璧にこなすなんて まず考えられない話、 この一年は育成期間として着実に成長していこうと考えていましたし、考えられていました。しかし、入って2周目で4'00/kmペースランニングは完遂、12000mのウェーブ走がこなせたことで、3'50/kmのペースランニングに挑戦。みんなの支えもあって、一回で完遂。3週間で急成長しました。
ところで、自分が前パート長に設定されていた目標は5000mを17'30で一年後に走れるようになることでした。同期もそれくらいと言ってたはず。10000mは未知数でした。初めての記録会が入って1ヶ月後だったので、しかも10000mだったので目標がはっきりしませんでした。ちなみに、自分の10000の年内目標が36分代だったので、まぁ38分が関の山と思ってました。しかし、当日の記録会は気温と天候に恵まれて? コンディションがよかったということ、また、集団走ということもあってどうやって走ればいいかは分かりました。3'30/kmのペースランニングを前パート長に引いてもらい、途中離脱寸前のところを声をかけてもらいながら何とか耐えるのでした。結果は35'27という周りからは予想外と捉えられ、実は今の2回では2番目のタイムでもう少しで、現男子パート長を捉えられたくらいです。これが、駅伝の申請記録に入るとは思ってもいなかったのですが、入ってしまいました。
しかし、この結果が悲惨な怪我への幕開けとは思っていませんでした。それはこのブログで何回も出てきたワード!シンスプリントです。初回の記録会の前に既に発症していて、記録会の前日は走れませんでした。強いメンタルなど微塵もない自分がなぜ走り続けたのかというと、駅伝の出場が危機的状況であり、かつ記録申請に入っていたので、休むと周りの練習についていけないという恐怖感が原因でした。9月にドクターストップをかけられるも、駅伝出場に貢献し、その後3ヶ月も続け、疲労骨折寸前までいきました。結果、足に負担を掛けないはずのバイクも2週間禁止といい、3ヶ月まともに走れませんでした。ロードでのジョギングは半年間ご無沙汰です。今もそう。この間久々に長居までの光景を見ました。そういえば、シンスプリント発症して、一周年! 一応、今でも完治ギリギリのところですか…。
一周年なんて冗談じゃない!今の一回で怪我をしている人は完治を優先にしましょう!
とはいいながら、最近の練習はグレードが上がり、それに何とかついていく状態です。ロードも恐怖感を捨て、何とか怪我を悪化させずにこなしております。その結果、急速に体力を回復させることができました。そうさせたのも先程挙げた恐怖感でした。その原因が10000mの記録会が来週以降であるのが9月以降ということでした。ここで、記録出しておかないと、いよいよ、駅伝出場の危機です。何とかしないといけません。関西インカレのときはメンタルなど微塵も無いので、走るのが面倒でしか無かったです。しかし、スタジアムの周りで一日13km走ったっけ?という状態です。メンタルと体が相関していません! なんせ陸上で強くなりたいとは、思っていませんからね。そもそもそれが目的で入った訳ではないですから。でも恐怖感はそうはさせてくれないです。とりあえず、一回も去年の自分以上に走れてますし、来週の記録会で自分も結果出せば、危機も薄れるんではないかと…。
一回? そうでしたね、そろそろ自己紹介の季節ですね。と言う訳で、長距離パートで指揮を執り、看板となって引っ張ってくれている浅野パート長に自己紹介と長距離の紹介?をしていただきます。宜しくお願い致します。
ところで、自分が前パート長に設定されていた目標は5000mを17'30で一年後に走れるようになることでした。同期もそれくらいと言ってたはず。10000mは未知数でした。初めての記録会が入って1ヶ月後だったので、しかも10000mだったので目標がはっきりしませんでした。ちなみに、自分の10000の年内目標が36分代だったので、まぁ38分が関の山と思ってました。しかし、当日の記録会は気温と天候に恵まれて? コンディションがよかったということ、また、集団走ということもあってどうやって走ればいいかは分かりました。3'30/kmのペースランニングを前パート長に引いてもらい、途中離脱寸前のところを声をかけてもらいながら何とか耐えるのでした。結果は35'27という周りからは予想外と捉えられ、実は今の2回では2番目のタイムでもう少しで、現男子パート長を捉えられたくらいです。これが、駅伝の申請記録に入るとは思ってもいなかったのですが、入ってしまいました。
しかし、この結果が悲惨な怪我への幕開けとは思っていませんでした。それはこのブログで何回も出てきたワード!シンスプリントです。初回の記録会の前に既に発症していて、記録会の前日は走れませんでした。強いメンタルなど微塵もない自分がなぜ走り続けたのかというと、駅伝の出場が危機的状況であり、かつ記録申請に入っていたので、休むと周りの練習についていけないという恐怖感が原因でした。9月にドクターストップをかけられるも、駅伝出場に貢献し、その後3ヶ月も続け、疲労骨折寸前までいきました。結果、足に負担を掛けないはずのバイクも2週間禁止といい、3ヶ月まともに走れませんでした。ロードでのジョギングは半年間ご無沙汰です。今もそう。この間久々に長居までの光景を見ました。そういえば、シンスプリント発症して、一周年! 一応、今でも完治ギリギリのところですか…。
一周年なんて冗談じゃない!今の一回で怪我をしている人は完治を優先にしましょう!
とはいいながら、最近の練習はグレードが上がり、それに何とかついていく状態です。ロードも恐怖感を捨て、何とか怪我を悪化させずにこなしております。その結果、急速に体力を回復させることができました。そうさせたのも先程挙げた恐怖感でした。その原因が10000mの記録会が来週以降であるのが9月以降ということでした。ここで、記録出しておかないと、いよいよ、駅伝出場の危機です。何とかしないといけません。関西インカレのときはメンタルなど微塵も無いので、走るのが面倒でしか無かったです。しかし、スタジアムの周りで一日13km走ったっけ?という状態です。メンタルと体が相関していません! なんせ陸上で強くなりたいとは、思っていませんからね。そもそもそれが目的で入った訳ではないですから。でも恐怖感はそうはさせてくれないです。とりあえず、一回も去年の自分以上に走れてますし、来週の記録会で自分も結果出せば、危機も薄れるんではないかと…。
一回? そうでしたね、そろそろ自己紹介の季節ですね。と言う訳で、長距離パートで指揮を執り、看板となって引っ張ってくれている浅野パート長に自己紹介と長距離の紹介?をしていただきます。宜しくお願い致します。