今日も何となく気分がすぐれず、何もする気が起きない一日だった。それでは体力が落ちるので、何とか布団から出て散歩とスーパーでの買い物をした。最低限の日課である。
そういえば以前書いた発症後の振り返りが中途だったので、続きを書いてみようと思う。
去年9月に通院して数週間黄連解毒湯を処方され飲み続けることで体調のよい日が続き、このまま治癒するかと思っていた矢先であった。母が原因不明の発熱で入院したという連絡を受けたのだ。新型コロナのせいで面会制限があり、一週間前の予約制ですぐには会うことが出来なかった。やっと面会が出来て目にしたのは、チューブにつながれ、現状を理解出来ずチューブを抜こうとするために両手を拘束された母の姿だった。もともと母は軽い痴呆があったが、これが悪化したのだった。
これはきつかった。どんなに苦しい思いをしているだろう。どんなに恐ろしい思いをしているだろう。そして自分が何も出来なかったという後悔。そんなものが頭をぐるぐる巡り続けた。片道5時間くらいかけ2週間連続で面会に行ったが、それが限界であった。自身の症状が急激に悪化した。マイナスなことを考えてはいけない、考えてはいけない、そう思っても押さえ込むことは出来なかった。怯え症状と緊張症状がランダムに発生して、黄連解毒湯を飲んでも効果は全く無くなってしまった。
それでも苦しいながらも仕事は何とか休み時間をとりながら続けることが出来た。気が紛れるからなのだろうか。辛いのは仕事を終えて家に帰ってからで、症状がどんどんひどくなる。無理矢理夕食を食べた後は少しでも症状を和らげるために膝を抱えて丸くなって、落語を流すという毎日だった。食事もゴミを食べているようで、しかし食べないわけにもいかないので水分の多いものを何とか口に押し込んだ。それでも平日はまだましで、通院以外やることの無い土日はもっと調子が悪くなった。
日曜は通院日であったが、とりわけ自分の番が来るまでの「待つ」という行為が苦しかった。また、今までどんなに調子が悪いときでも朝目が覚めたあとの数時間は気分が良かったのだが、それも無くなり目が覚めた途端に緊張や怯えが始まるようになった。そんなときに見かねた会社のカウンセラーが、当時通っていたクリニックの週替わりの臨時医師枠(それ以外枠が空いていなかった)ではなく担当医がつく別のクリニックの精神科を紹介して下さり、そちらに通うことになった。(カウンセラーというのは勤務していた会社の所属で、月一日メンタル的に不調な社員がカウンセリングを受けることが出来る制度があった。担当のカウンセラーはとても気のよさそうな人であったが、私の説明が悪いせいか自身の考える方向に原因を持って行こうとする傾向があった。そのためかあまり効果があったとは言えないが、親身になって頂いたことに感謝している。)
新しい医師はこちらの話によく耳を傾けた上に状況をよく理解して下さる方で、黄蓮解毒湯の代わりに半夏厚朴湯を処方して下さった。半夏厚朴湯を飲むようになってからは緊張モードはあまり起こらなくなったが、怯えモードが無くならない。恐怖のとき頬が引きつると同じような症状と心臓部分の不快感が特に気持ち悪かった。仕事を何とかこなす以外、まっとうな生活を送ることは出来ないままであった。数週間通った後、漢方薬ではあまり効果が得られないなら鬱病の可能性もあるために薬治療しようという話になった。
このままこの医師に治療して頂いたら、もしかしてよくなるのではと思えるようになってきた頃であった。しかし残念ながらそうはならなかった。この後とんでもなく苦しい思いをして、結局元のクリニックに転がり込むように受診することになるのだ。長くなるのでこの続きはまた後日記すことにする。