トラックバック練習板のお題。今回はおすすめの本。
加藤 聖文『満鉄全史―「国策会社」の全貌』という本を紹介する。
満鉄とは南満州鉄道のこと。満州と言うと、どうしても「歴史」として捉える
日本人が多い。
歴史という語も英語のhistoryにしても、どうしても過去という感が拭えない。
具体的には理想郷としての把握や引き揚げ、等等。
しかし、中国にとっては「現在」である。中国が経済発展を遂げる中で、中国東北
の歴史が省みられてきたのである。
その現在神経質な地を舞台に活躍したのが「日本の国策会社」南満州鉄道
であった。
満鉄は日露戦後、ポーツマス条約によって引き渡されたロシア経営の東清鉄道
南部支線を継承して1906年に設立された。一応は株式会社であったが政府の影響下
に置かれた「国策会社」であった。
満鉄は非常に歴史上重要な人物が往来している。満鉄株に投資し利益を上げた堤康
次郎、西武グループを率いた実業家、初代総裁後藤新平、東京市長、逓信大臣、
原敬、政友会幹事長山本条太郎、鉄道大臣仙石貢、松岡洋右と、そうそうたる顔ぶれである。多分一人くらいは皆様が御存知であろう。
満鉄は一応鉄道会社であるが、当初からそうではなく、後藤は「陽に鉄道経営の
仮面を装い、陰に百般の施設を実行する」ことを考えていた。実際当初は沿線の
治安の権限も与えられていたし、鉱業にも手を出した。しかし、時には政党の弊害
によって混乱させられ、また一方で時代が十五年戦争へ向かうにつれ、権限は縮小
されて、最終的にソ連の侵攻で破綻する。満鉄の歴史は国策という名の無策の歴史
でもある。
尚、触れなかった名前で面白い人物がいる。岸信介と十河信二である。岸は「満州
国」において官僚として働き、十河は満鉄の理事として満州事変の時代に活躍した
のである。十河は国鉄総裁として新幹線建設に取り組み、新幹線の父と称される。
岸が総理の時、満鉄は「国策会社」を否定され、株式会社として記憶されることと
なる。
これは政治史としての満鉄の通史を知るのに有用な書である。
トラックバック練習板
http://blog.goo.ne.jp/themesalon
加藤 聖文『満鉄全史―「国策会社」の全貌』という本を紹介する。
満鉄とは南満州鉄道のこと。満州と言うと、どうしても「歴史」として捉える
日本人が多い。
歴史という語も英語のhistoryにしても、どうしても過去という感が拭えない。
具体的には理想郷としての把握や引き揚げ、等等。
しかし、中国にとっては「現在」である。中国が経済発展を遂げる中で、中国東北
の歴史が省みられてきたのである。
その現在神経質な地を舞台に活躍したのが「日本の国策会社」南満州鉄道
であった。
満鉄は日露戦後、ポーツマス条約によって引き渡されたロシア経営の東清鉄道
南部支線を継承して1906年に設立された。一応は株式会社であったが政府の影響下
に置かれた「国策会社」であった。
満鉄は非常に歴史上重要な人物が往来している。満鉄株に投資し利益を上げた堤康
次郎、西武グループを率いた実業家、初代総裁後藤新平、東京市長、逓信大臣、
原敬、政友会幹事長山本条太郎、鉄道大臣仙石貢、松岡洋右と、そうそうたる顔ぶれである。多分一人くらいは皆様が御存知であろう。
満鉄は一応鉄道会社であるが、当初からそうではなく、後藤は「陽に鉄道経営の
仮面を装い、陰に百般の施設を実行する」ことを考えていた。実際当初は沿線の
治安の権限も与えられていたし、鉱業にも手を出した。しかし、時には政党の弊害
によって混乱させられ、また一方で時代が十五年戦争へ向かうにつれ、権限は縮小
されて、最終的にソ連の侵攻で破綻する。満鉄の歴史は国策という名の無策の歴史
でもある。
尚、触れなかった名前で面白い人物がいる。岸信介と十河信二である。岸は「満州
国」において官僚として働き、十河は満鉄の理事として満州事変の時代に活躍した
のである。十河は国鉄総裁として新幹線建設に取り組み、新幹線の父と称される。
岸が総理の時、満鉄は「国策会社」を否定され、株式会社として記憶されることと
なる。
これは政治史としての満鉄の通史を知るのに有用な書である。
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