1960年代生まれの音楽のメモ。

あの時観た映像や好きな音楽をクリップしておくブログ。

無人島でも俳句作る?

2021-06-20 15:22:33 | その他
無人島でも俳句作る?

フルーツポンチの村上健志さん
作家の川上弘美さん


川上:私あの、聞いてみたかったんですけど、もし人前でやらないとしたら、お笑いのネタとか考えますか? もう誰にも、どこにも発表するあてがないとして。
村上:それはやらないですね。やっぱり人に見せることが前提ですね、お笑いは。
川上:ですよね。例えば無人島に漂着して一人だったとしたら、そこでお笑いはやる? やらない?
村上:お笑いはやらないと思いますね(笑)。でも、例えばヤシの実が落ちたら「このヤシの実の割れ方がこうだったらちょっとウケるな」とかは、仕事としてじゃなくても、そう考える脳にはもうなっちゃってますね。
川上:脳ね(笑)。それ、おもしろい。確かに俳句も私、句会とか毎月の投句とかがなければ作らないな、って。村上さんの本を読んで、ますますそう思ったんです。読んでくれる人がいないと作らないような気がする。でもね、小説はたぶん、無人島に行って生活が整ったとして、ちょっと時間ができたら書くような気がするんです。
村上:へー!

川上:紙がなかったら頭の中で書く、みたいな。お話を作るとか言葉で何か文章を組み立てるってこと自体が快楽、というところがあって、それだけで充足しちゃうんですよね。日記を書くのと同じかも。日記って、書いただけでなんかうれしいし、デトックス効果がある。だけど俳句はそうじゃなくて、読んでくれる人がいないと。お笑いと俳句はそれで繋がるのかな、とちょっと思ったり。
村上:確かにお笑いって、1回お客さんの前に出して、どんどん直せるといえば直していけるんですよ。俳句もみんな、句会に出したのをあーだこーだ言われて、そこを修正してから他のところに投句したり、賞に出したりする人が多いと思うんですけど。そういう意味では、俳句とお笑いはどんどん出していった方が上手になるし、一つの作品を完成させるのが早いなと思います。
川上:そうそう。小説だと、校閲の人が文章を直してくるとするじゃない。もちろん、 事実関係とか前後関係とか文字が間違ってるという指摘はすごくありがたいんだけど、もしも内容に踏み込んできたり、「この表現は違う表現の方がいいんじゃないですか」とか言ってきたとしたら、すごいカッとすると思うんですよね。
村上:(笑)
川上:ところが俳句って私、いくら添削されても全然平気なんです。なんかそこに、自我と表現形式の関わり方があるのかな、と思ったり。


なるほど、なるほどなあ。
自分にとってのこのブログは、じゃあ川上さんにとっての小説みたいなものだな。元々はメモなんですけどね。自分はインスタグラムはやらないのだけれど、インスタはお笑いみたいなものかな。ものなんだろうな。(゜-゜)


コメントを投稿