明日は金刀比羅神社の夏祭りだ。
明日7日は宵宮で夕方より境内で盆踊りがあり、興浜各種団体が模擬店を出す。興ちゃんは所属する興壮会でたこ焼きを焼きながらの盆踊りとなる。
明後日の本宮は夕方に子供会の奉納相撲大会が行われる。
御鎮座150年、いつの頃から始まったのか長老達に聞いてもわからない、夏の金刀比羅神社の風物詩は例年より暑い中行われる。
さて、タイトル写真についてである。
興浜興伸会の会長をさせて頂いた一年目に、興浜の村起こしと言えば大げさであるが、皆が『おきのはま』と染め抜かれたゆかたで盆踊りを踊るのもいいではないかと考え、下記の案内を出したところ、興浜協議員17名・興浜興壮会15名・興浜興伸会16名・興浜青年団5名の方の賛同を得て、無事にタイトル写真のゆかたを製作するに到った。
案内文の65名には到らなかったが、それ以降の注文の可能性も視野に入れて100着を満寿屋さんに注文した。現在は残り少ないと聞いている。
哀しいかな少しお安いものなので洗うと縮む為、最初につくった方は8年目の夏祭りを迎える今年、そろそろ着る方も減るように思い、記録として残すべく急いで記事にして次第である。
『興ゆかた』のご案内 平成15年6月18日 興興伸会 会長 興ちゃん
平素は興伸会活動にご協力、ご理解賜り心から御礼申し上げます。
さてこの度、金刀比羅神社夏祭りを盛り上げる一助として『興ゆかた』を作ればという意見があり、満寿屋様に問い合わせたところ、帯付きでゆかた全体に『興』の文字が入った物が壱万円で製作可能との回答がありました。しかしながら別注になるため65着以上との条件があり、ご案内を兼ね有志を募る次第です。
高価な買い物になり、また本年度の大覚寺のゆかた祭りには間に合いませんが、村興しを思慮した企画でもあり、申し込みにご協力願たくご案内申し上げます。
急な事ですが、締め切りは6月30日とさせて頂きます。
代金はゆかたと引き換えとさせて頂きます。尚、締め切り日までに65名の有志が集まらない場合この企画は残念ながら中止となりますので、よろしくご協力お願いいたします。
今年もあと少しとなったが、今月の20日に魚吹八幡神社で壮青年会が行った大掃除での興浜興伸会の皆さんの写真と苦瓜本道について書いて今年の最後の記事とする。
当日は小雨の降る中での作業となった。
興浜は楼門の掃除を担当している。
毎年していると慣れて来て、梯子を掛けて楼門の上に登りハトの糞と格闘する。ハトの糞が多いのでマスクを着用しての作業だ。
楼門下まわりも雑巾掛けを行うが、こちらは来年から短い梯子を持参した方がよさそうだ。
楼門のしめ縄張りを終えて、拝殿のしめ縄としめ柱のしめ縄を張ったが、ここでしめ縄の向きが違うという事になり、去年通りにしておいたのだが、細い部分が左側にくるようだ。御幣も付け直して一件落着。
楼門の清掃のあと、楼門のしめ縄張りと拝殿のしめ縄張りの様子。
しめ柱のしめ縄は千灯祭、秋祭り、正月と3回付け替えていうようだ。
御幣も雨に強い和紙を使用している。
慶長始め頃興ノ浜住人苦瓜助五郎(にがうりすけごろう)なるもの(苦瓜は本道の後なり)社(やしろ)を舊地(きゅうち)に再興せんと欲して未だ果さざりしに寛永9年壬申正月16日領主京極刑部少輔當時の社地を寄附して本社再興のことを・・・とある。『揖保郡誌』
又、『網干町史』にも同じような事が書かれている。116歳まで生きられたとの事である。
丁度現在、渡邊鼎氏の偉人傳を掲載中であるが、渡邊家古文書の中に「苦瓜氏略譜」というのがある。鼎氏の聴き取り中にちょうどこの古文書があり写真を撮らせてもらっていた。鼎氏独特の文字でわからない文字のオンパレードだ。その中に苦瓜本道は116歳という記述がある。鼎さんがどのような資料をもとにこれを書かれたのかは謎であるが、本当に苦瓜さんは116歳の長寿を全うされたのだろうか。
2枚ある「苦瓜氏略譜」
鉦檀尻(かねだんじり)とは何ぞや。
興浜が魚吹八幡神社秋季例祭において檀尻を曳き出した時の、流し行列のスピーカー台車と言えばいいでしょうか。
平成12年までの流し行列のスピーカー台車はすでに解体されありません。
真ん中が平成12年までの流し行列のスピーカー台車。
左側が巫女行列のアンプとスピーカーを搭載していた花車。
花車も現在は右側の華檀尻(はなだんじり)になっています。
鉦檀尻は平成12年より秋祭りの宵宮提灯行列にも若衆と共に宮入りします。
鉦と太鼓を積んで、若衆の音頭に色を添えています。
檀尻蔵にある興浜鉦檀尻寄附者芳名板(平成12年製作)
檀尻蔵にある興浜華檀尻寄附者芳名板(平成7年製作)
鉦檀尻は秋祭り檀尻運行時は流し行列の最後部に位置する
※ 興ちゃんは興浜鐘檀尻を鉦檀尻と表現させて頂いています。
「興伸会(おきのはまこうしんかい) 鉦ツアー 平成4年11月23日」の記事の写真を整理していたら、平成12年に鉦檀尻の鉦をつくった時の図面のコピーが出てきたのでいい機会なので掲載します。
興浜の鉦を製作して頂いた、京都の「岩澤の梵鐘株式会社」のカタログも掲載します。「興伸会(おきのはまこうしんかい) 鉦ツアー」の時は祭日で休みという事だったが、会長さんと社長さんが案内と説明をして頂いた事を覚えています。
小さな鉦に、はるばる網干から沢山の見学者が来てびっくりされていた事を記憶します。
興浜鉦檀尻の製作図面
※ 興ちゃんは「興浜鐘檀尻」を「鉦檀尻」と表現させて頂いています。
まぎらわしくて申し訳ございません。
興浜興伸会という団体に所属させて頂いていた時の思い出を、少しずつであるが残していけたらと思い整理中である。
檀尻を愛してやまない興浜興伸会の有志が、平成2年に新造した檀尻の鉦(かね)をつくる事になり、京都まで大型バスをしたてて工場見学に行った。
今から思えば先輩達の発想と行動力に感服だ。
日頃していない家族サービスを兼ねて太秦映画村と清水寺、嵐山も観光して帰ってきた。
長澤守さんが会長だったと記憶する。
いい思い出をありがとう。