上のタイトル写真は、三木毅俊氏より提供して頂いた写真である。
武神祭での一連の行事が終了し、檀尻が帰路につく魚吹八幡神社参道前の写真であるが、この写真の右上の部分を注目してもらいたい。
楼門の部分に足場が組まれているのがわかるだろうか。
この年の秋に行われる1650年秋季大祭に間に合うように楼門の改修工事中である。
魚吹八幡神社楼門
構造形式:三間一戸楼門 本瓦葺き
建築年代:鬼瓦と丸瓦銘によって、貞享三年(1868)であることが確認できる。 『姫路市史 第15巻下』より
万治元年(1658)5月2日に京極高和、網干興浜村に郡代・奉行を置く。
万治元年(1658)5月3日に京極高和、播州龍野を出発し網干より乗船する。『旧丸亀藩事蹟』より
京極高和が、龍野藩より丸亀藩に移り、飛び地である興浜に陣屋を置いてから10年後の建築である事がわかる。
つづく