
興浜が前回当番であった平成13年度の武神祭は無常の雨の為、献納行列は中止され場所を網干西小学校体育館に移しての献納行列披露と相成った。
タイトル写真は、昭和53年の時の金刀比羅神社での出立ち前の風景である。
興ちゃんその時中学2年生。大覚寺南側の関町に住んでいた。その関町の献納行列が赤穂四十七士の義士行列であったと覚えている。
その行列に父が参加していた。赤穂義士が好きな父は近松勘六役であった。近松勘六34歳、赤穂藩馬廻役250石取。
流し太鼓の衣装が自前の着物であったのがこの時かその前くらいから村持ちの着物に変わった。
現在調査中。
つづく
昔見ていた「日本昔話」の青鬼の色を思い出そうとしましたが、思い出せませんでした。
私が生まれた年だ~。
英ちゃんはこの年の6年後に某屋台村で武神祭に参加しています。
3枚目の後ろに移っているのはまる万でしょうか?変わってませんね。
確かに青鬼は緑色が定番のようです。
諸説あるようですが、もうひとつ謎の世界です。
英ちゃん
バックは勿論「まる万」です。
ちなみに太鼓の真ん中はまる万に姉ちゃんです。