燈籠 その1
興浜に鎮座する金刀比羅神社は安政七年(1860)四月八日に勧請されたと、魚吹八幡神社が氏子の神社を明治時代から記録している神社明細帳にある。
金刀比羅神社に存在するものの中で最も古いと思われるのが、南側より鳥居をくぐり御社地に入ってすぐ両側にある高さ約3.3mの2基の燈籠です。
この燈籠は2基が対になり建立されたものと思い込んでいたが、よく見るとそれぞれ建立された年代が違う事がよくわかる。
下の写真のように並べてみるとよくわかるが、2基の【常夜燈】の文字をくらべると明らかに違うという事がわかる。西側の常夜燈に【文政七甲申天】・東側の常夜燈に【天保十四年癸卯九月】の文字が証明している。
西側 東側
西側の常夜燈 【文政七甲申天】
【佐々木大神宮】は京極家始祖の京極高次が近江佐々木氏一族であった為であろう。
網干町史に『金刀比羅祭 三月十日 金刀比羅神社が陣屋の中から現地に移されたのは、幕末の安政七年であるから、この祭が盛んに行われたのは新しいことである。夏と秋にも祭はあるが、春が最も盛んである。』とある。上の三月十一日の文字が表している事は、安政七年より35年前から陣屋内にて春祭りがあった証ではないだろうかと考えている。
東側の常夜燈に【天保十四年癸卯九月】
天保14年に対になるようにもう一基燈籠がつくられたのだろう。
※ □は解読不明の文字 つづく
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