従七位 渡邊 鼎
任大阪府南区長
大阪府大書記官従六位遠藤達奉
明治18年5月1日
渡邊鼎直筆の履歴書には(青字は履歴書から)
明治18年5月1日 任大阪府長 と記されている
この頃、鼎さんは大阪において明治大洪水を経験されている。
明治大洪水を調べてみると、明治18年6月上旬より続いた降雨に加え、6月15日には北朝鮮北部に現れた低気圧が、相次いで大阪付近を襲った。2度にわたる低気圧で降り続いた雨は15日夜半から豪雨となり、17日夜半までに淀川で183.3mmに達する雨量となった。さらに雨は6月25日頃から再び降り始め、29日から本格的となり、7月1日には暴風も加わって、淀川の水位上昇に追い打ちをかけるかたちとなった。その激しさはあたかも大阪の古代を再現するような状況であったという事だ。
鼎さんはこの大阪での経験を教訓として、明治42年に興浜に帰って来た時、現在住まわれている場所を地上げしたあと1年後の明治43年に現在の家を普請した。
現当主である静子さんが伝え聞かれた事のようで、その話を聞いた時に大正6年に行われた興浜金刀比羅神社の地上げの仕掛け人であると確信した。
その話は金刀比羅神社その7をご覧下さい。
渡邊家は興浜本町通りで一段高くなっている。
つづく
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