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今日は仕事が終わってからたつの市御津町苅屋の嫁さんの実家の秋祭り見物に出掛けた。
富島神社の氏子は苅屋村・濱田村西・濱田村高津・黒崎村・釜屋村西・釜屋村東があるようだ。
毎年のように行っている祭りであるが、去年苅屋の神輿資料を偶然見た時にあれと感じた事があるので、子供の提灯行列から参加させて頂き何か見つけるものがあればと思ったが残念ながらおみやげはなかった。
そのふと感じた事とは、神輿の掛け声だ。
苅屋村の資料に「掛け声はヨイヨイヨイヨイ ウエー」とあったのだ。
興ちゃんは平成16年の興浜神輿新造から19年まで、新造披露式を含めると5回ご奉仕させて頂いた。いろいろな祭りの神輿を調べながら、自分なりにいろいろ考えた事があるがそれは置いといて、興浜自治会が平成7年に『興浜神輿手引』なる神輿マニュアルを作成している。聞くところによるとその頃祭典委員長になられた方が神輿の飾り付けや当日の運行の際非常に困ったので、有識者を集めて後々までの為にマニュアルを作成したと聞いている。神輿奉仕者になると当日の運行の部分を頂くのだが、興ちゃんが神輿奉仕をさせて頂いた時に驚いた事がひとつあった。マニュアルに書いてある掛け声を出していないのだ。3年前から去年まで世話役をさせて頂く機会に恵まれたので昔の掛け声を復活したのが、何と「ヨーイ ヨーイ ヨーイ ヨーイ ウエヘー」、神輿を止める時は神輿止めが「ヨーサジャー ヨーサジャー」の掛け声を出して止めるのだ。
この事は苅屋は興浜と同じく丸亀藩であった事が同じような不思議な掛け声の理由であろうが、これも何も文献がないので丸亀藩好きな興ちゃんの想像に過ぎない。
苅屋子供会が18時苅屋屋台蔵前集合という事だったので甥子を連れて集合
濱田子供会の提灯神輿が通過
苅屋子供会の提灯行列に参加
苅屋村若中の提灯練りの様子
魚吹八幡神社と富島神社の提灯行列を比較した時、興ちゃんが感じた事を記す
1.魚吹八幡神社の提灯行列は七ケ村が順番に宮入するが、富島神社の宮入方法はそれぞれの子供会が宮入したあと若中の提灯が宮入するという事。
この事は平成に入ったくらいから大人のお旅を行うようになったためだと理解しているが、確かな事ではない。
2.魚吹八幡神社の場合、高張り提灯から高張り提灯までが村のクイキリとして大名行列の如くその他の村のものが横切ったりするような事があれば排除されるが、富島神社の場合、道中はおろか宮の中においても誰もが好きなように歩いているという事。
おらが村が一番、おらが祭りが一番である事には間違いはない。
御旅の時は、好き勝手に通行してるとありますが、
知らない人が勝手に通っているだけですよ。
屋台や壇尻の運行の時には、網干より厳しく守られていますよ。
特に、急用で通過しなければならないときには、幟や高張りの人に「どこそこのものです。~~のために通らせてください。」ときちんとご挨拶してますもの。
それから、道路のお掃除も若中がしてます。
あれは、良い伝統だと思うわ!!
魚吹八幡神社においてはお旅提灯の残骸清掃を七ケ村が宮入後すぐにお旅村の若い衆が行っています。
23日朝から境内の清掃を朝日中学校の生徒が行っています。各村若衆も加勢しています。
ことらもブログにアップできればと考えています。