放生池の北側に、大覚寺境内の石畳を今榮儀八郎氏が寄附された石碑がある。石碑の文字から放生池ができてから2年後の大正4年9月完成で、当時100円であった事がわかる。
この石畳を寄附された今榮氏の子孫である方から聞くところによると、儀八郎氏が寄附された石畳は東門から本堂への50mではないかという事である。
そう言われると、境内の石畳の板石は2種類ある。
大覚寺の境内の石畳は東門から本堂への50mと、総門から鐘楼北側までの約50mあるが、この二本の石畳は下の写真や小川さんが書かれた案内板の絵でもわかるのだが、東門から本堂へは正方形の板石の組合せになっているが、総門から鐘楼北側の石は長方形の板石が横に並んだ形になっている。
今榮氏は東門からお参りされたであろうから、石畳は東門から本堂まででよかったのかもしれない。
東門から本堂を望む
鐘楼堂より北側の門である総門を望む
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