サーモンピンクのガーベラ

徒然に、気まぐれに、日々の出来事をちょろちょろっと書いてみます。
主に食いしん坊日記🍴

戯言

2016年01月13日 19時14分01秒 | Weblog


今日はいろんなことがあった。

ので、戯言を。


自分にないものを持っている人が羨ましくなるのは当たり前のこと?

それとも自分の心が未熟だから?

羨ましいと感じること自体は否定しないけど、そう思うことから解放されたいなぁ。

私には具体的な夢も野心もない。

だから誰にも取り入ろうとも思わない。

可愛がられる後輩、部下でもないし、頼れる同僚でもないし、頼もしい先輩、上司でもない。

それを自分で選んでそうしているのに、時々周囲を見ていてグラグラすることがある。

仕事が沢山でいっぱいいっぱいになってくると余計にそういうことになりやすい。

仕事って、働くって一体なんなんだろうね。

生活するため?お金を得て好きなことをする、安心を手に入れるため?自分の価値を見いだすため?世のため、人のため?

どうして私は仕事をするのだろう。

これからも今の立場で、今の仕事を本当にしていたいのかな?

どこで、誰と、どういう風に暮らしていく?

自分の人生一度きりだから、ちゃんとデザインしなきゃね。

夢も野心もないけれど、ちゃんと生きたいと思う。

今日お世話になった方の最期のお見送りをして、やっぱり問われているなぁと感じた。

後悔しないように生きろよ、今の人生で悔いはないか?って。

ありがとう、出逢えて幸せでした。

戯言おわり。

ぼやき

2016年01月03日 00時05分38秒 | Weblog

2016年、明けましておめでとうございます。

年末年始は仕事でした。

大晦日の夜勤中に意外と忙しくて慌ててご飯を食べたら舌を噛んで、そこが大きな口内炎になり、何食べてもしみてしみて、かばって食べてたら反対側も噛んじゃって、口のなかが大惨事の数日です。

それに加えて正月に働きづめなんてくっそー!って毎年のことなんだけどね、とか思って飲んだくれてたもんだからもう全然口内炎が治らない。

年始早々いやーな無限ループにはまってます。



まあ、そんなことはさておき、今日はなんだか色々なことを感じる1日でした。

年末から体調の不安定なお客様がいらしたのですが、小康状態かと思いきや、今日また体調を崩し、横になっていました。

ただ、高齢なのでなにがどうよくないのか説明をすることができません。

熱が出て、うーうーと唸るばかり。

家族は心配そうに付き添っていました。

ちょこちょことこちらも様子を見に行き、お世話をしようとすると、うまく伝えられない何かを抱えているようで大声を出して抵抗し、嫌がって叩きます。

私たち介護士は高齢者の防衛反応でそういうことがあることは知っていますし、正直叩かれたりつねられたりはよくあることなので慣れています。
(こういうことを書くと介護という仕事は大変だとマイナスイメージがつきやすいかもしれませんがどういう仕事にも大変な側面はあるでしょうからあえて書きます)

そうやって叩いたり大声を出したことに家族は驚いたようで、どうしてそんなことするの、叩いたらだめでしょ、と手を押さえて親御さんをいさめていました。

大方の方は叱ったり、抵抗するとそれはさらに激しくなる傾向があります。
なのであえて抵抗はしません。うまくかわしたり、時間をあけてみたり、防衛反応が出ないようにその方の特徴に合わせて痛いことや怖いことはしないよというサインを伝えたりしてなるべく双方に害のないように済ませるようにしています。

しかし今日は今までにない体調不良のようで、訴えられないから体で抵抗をされていました。
こちらも今までにあまりなかったので、かわしながらも叩かれるがままに叩かれました。



そんなことがあって、ふいに思い出した介護の仕事を始めた10年前のこと。

新米の私は在宅介護の仕事をしていました。

重度の認知症の方のところへのケアに一人で入るようになって2回目位の時、トイレにすわってもらい、汚れた下衣を取り替えようとその方の前にしゃがんだところ、突然頬を平手で思いっきりビンタされました。

あまりに突然で、なにが起きたのかわからなかったけど、叩かれたんだ、と分かった瞬間にわけがわからなくなってその方の前で「なんで叩くのー!」と号泣しました。

悲しくて、悔しくて、わけがわかんなくて涙が止まらなかった。
けど、ふとその方の方を見たら、とても暗い顔をしてうなだれている。

なにかいけないことをしたということは多分わかっていたんだと思います。
しゅんとして、何も言わず、おとなーしくしている。

それまではトイレに行くのが嫌だと歩くのを嫌がっていて、なんとか歩行介助をしてトイレに座ったところだったのです。

きっと嫌だと思うことをされたという嫌だという思いから私を叩いたんだろうとその時感じました。

そうしたら、その人のことが理解できたような気がしました。

こっちも嫌なことしてごめんねって。
トイレ行くの嫌だったんだよね、嫌なことしてごめんねってまた泣きました。



あれから10年。
未だに手が出るシチュエーションに遭遇するとあのときのことを鮮明に思い出します。

認知症であっても、言葉を発することができなくても、うまく思いを伝えられなくても、その方の発しているサインがある。

それを察知し、なるべくお互いにwin-winの状況を創造し続けること、それが介護だと思います。

叩かれることや、痛いこと自体は嫌だけれど、そこに隠されているサインから読み取れることがたくさんある。

私は子育てしたことがないですが、赤ちゃんと高齢者を一緒にしてはいけないけれど、「子供が夜寝なくて」とか「だっこから下に下ろすと目覚めて泣く」とか聞いてると、うーん、わかる、わかるよーとか勝手に心の中でうなずいてる。

布団に横になると寝ないからリクライニング車イスにのってもらって一緒に巡視回ったりしてるうちに寝るから、布団に戻すとすぐ起きちゃうことを繰り返すばーさんに仮眠を削って添い寝したり、
夜せん妄になっていつ転んでもおかしくない状態でうろうろする方に付き添ったり、子育ての大変さってこんな感じかいねって思うことが色々あります。

赤ちゃんは身を削って授乳したりするからもっと大変なのかもしれないけれど、なんか色々話を聞いているとかなり似ているんだろうなぁって。

10年それを体験したからもういっかーってしょっちゅう思う。素晴らしい仕事だし、楽しいこともたくさん、毎日ミラクルなことが起きたり、チャーミングな方々もたくさんいて癒されます。

けど、なんかもういいかなって思います。
人の世話をするっていうステージはそろそろ卒業かな。

たった10年でなにいっとんじゃーい、バッキャローって言われそうですけど。

実際職場には10年以上この世界に身をおいていて、今も勉強を積極的に続けている先輩もいます。
そのモチベーションはどこからやってくるのだろう。不思議。



とまぁ、色々なことが重なってぼやくに至った新年二日目。

とにかく、今年度は種蒔き。

来年度しっかり刈り取れるように今を大事に、自分の心がワクワクすることをやってくぞー!!!


HAPPYで実り多き一年になりますように。感謝。