サーモンピンクのガーベラ

徒然に、気まぐれに、日々の出来事をちょろちょろっと書いてみます。
主に食いしん坊日記🍴

発酵

2016年03月13日 21時11分36秒 | Weblog
発酵の里神崎に行ってきました。

目的は大好きな寺田本家のお祭り「お蔵フェスタ」に参加するため。

今年で10年を迎えるという1年に1度の祭典。

ここ数年で食への興味がふつふつしてからというもの、食に興味をもったならば必ず辿り着くであろう発酵にまんまとはまり、その課程で寺田本家と出逢いました。

寺田本家の発芽玄米酒「むすひ」は酸味の強い微発泡酒で、どぶろくなどに近い味わい。

私は元々日本酒はそんなに好きではありませんでしたが、「むすひ」は特別。

初めて飲んだときからその奥深さと美味しさに心酔し、今では養命酒のように体の為に一日にちょこっと飲むことを続けています。

ちょこっとのつもりがいっぱい、になっちゃうときもありますけど。だって、美味しいんだもん。

宅配でいつもそんな風にして寺田本家の商品にはお世話になっていましたが、やっぱりどういうところで、どんな風に作られているのか気になってくるわけで。

定期的に酒蔵見学をやっているのは知っていましたが、3月に酒蔵のお祭りがあって、そこでも見学ができると知り、これは行くしかない、と。
まあ、そうなっちゃいますよねぇ。

バスに揺られること約二時間。

ここでそんなお祭りが開かれているのー?
というような、取り立てて何があるわけでもなさそうな町の内部に入っていくとやたら賑わっている。

というかむしろ身動きできないくらいの人人人。

まずはどぶろくをひっかけつつ、外にずらーっと並ぶ、無添加、無農薬などの素材にこだわったオーガニックな出店で買い物しながら食べ歩きます。

すぐ近くにある鍋店神崎酒造の酒蔵まつりも覗いて、酒蔵の見学を。
日本酒の試飲もあります。

機械しぼりと吊るししぼりの違いを利き酒したり。

あちこちふらついてまた寺田本家に戻ると、朝到着したときよりも少しすいてきたので、いよいよ酒蔵見学に。



昔ながらのやり方で作っているということはホームページなどの情報で知ってはいましたが、実際に中を見せてもらって、こういう道具でこういうことをしています、と具体的に説明してもらうと、そのこだわりがよーーーく分かりました。

お米を洗うのは大きな桶。機械は一切使わない。

お米を炊いたあとに次の工程に移す時も機械を使わない。

お米を炊くための木桶の「たが」はこの桶の為に竹を栽培して作っている。

麹は自分達のところで作ったお米についたカビから採取して作る。

工場内に空調機器は特に設置をしていないので、戸を開けたり閉めたりで調整する。

等々、本当に自然のままに、自然と共存したやりかたで作っているそうで。

もちろん化学的にどういった成分が含まれているかという解析はしているけれども、そういった根拠に基づいた目に見えるものもやりつつも、目に見えないものもたいせつにしているので、お酒に話しかけたり、仕込みのときに仕込み唄を唄って酒に聞かせるのだと。
子供を育てるような感じでやっています、と。

そういう説明を蔵の中を見ながら聞いていたら、本当に感心して、この文化を守らなくては、と心から思ったのです。
なくしてはならない日本の宝。

この文化を守り、私も安心して口にできる体に優しいものを享受し続けたい。そしてまだこういうものを知らない人には知ってもらいたいと思う。

大切に守り続けたいからこれからも私は寺田本家を応援します。

2016年03月09日 19時53分22秒 | Weblog

てなわけで、呂敏。

やっぱり素敵ー!

眺めていて飽きないよねー

二度目シリーズにけっこうこれから出るのかなぁ

台湾編楽しみだ!

まめに情報をチェックしなきゃ♪

その美しい造形に見惚れたり、美しいかと思えばやんちゃな面もあったりはしゃいでいたりして、最早こちとらお母さん目線である。

息子よ、大きく羽ばたけ~!

未来へつなぐ

2016年03月09日 11時54分31秒 | Weblog

今朝テレビで栃木の原木椎茸農家さんの苦悩や取り組みについての特集をちらっと見た。

震災から五年、放射性物質の影響を受けやすいキノコ類は出荷制限をかけられ、生活が出来なくなった農家の方々は廃業するしかなかった。

それでもあらゆる手法で粘り続け、放射性物質を限界基準値未満までにしている方々がいる。
風評被害にもさらされながらも、数十年後にはまた地元で栽培した汚染されていない原木を使って栽培が可能になるようにと森を育てている。

「この木が使えるようになるには20年くらいかかる。これが育てば次の世代が使える。自分だけよければいいというんではだめです」


というような内容の話をされているのを聞いて、心を打たれた。

自分には直接実益はないかも知れない、けれど未来につなぐためにこれをやるんだ、というその美しき精神にいたく感動した。

仕事ってそういうものだよね。

自分の生活のためでもあるけど、それだけじゃない。

つなぐためだよね。

私たちの作ったものがよりよい形で次の世代に伝えられて、発展してみなが幸せになるため。

そう思ったら、仕事に対する取り組みかた、考え直そうと思った。

そして原木椎茸食べたくなった。

発酵男子

2016年03月06日 20時44分41秒 | Weblog

表参道は「かぐれ」での発酵男子のCOZY TALKに参加してきました。

昨年から謎の発酵食品ブームが自分に巻き起こり、気づけば家には仕込み中の味噌、醤油が鎮座し、その他にもコンブチャ、糠床、塩麹を講座に行って習っては作って料理に使うという発酵三昧な日々を過ごしてきました。

そんなわけで、発酵男子のCOZY TALKなんてタイトルを聞いたら、四の五の言わずに、即効で申し込みしたわけです。

空前の発酵ブームが巻き起こってから発酵アンテナを張っていたので、気づいたらたどり着いていた発酵デザイナーの小倉ヒラク氏が聞き手、語り部は山梨の五味醤油の五味仁さん、同じく山梨の戸塚醸造店の戸塚治夫さん。
そして、わたくし大大大ファンの発芽玄米酒「むすひ」を作っている千葉の寺田本家の寺田優さん。
「五人娘」のほうがピンとくる方が多いのでしょうかね。
そしてこのイベントにおつまみを提供してくださるは、吉祥寺タイヒバンの森本桃世さん。

まあ、なんとそうそうたる顔ぶれなんでしょうか。

寺田本家のお酒や甘酒を飲み飲み、桃世さんが語り部の方々の作る食品を使用して作ったおつまみに舌鼓を打ちながら、トークが進んでいきます。



トークはそれぞれが作っている発酵食品についての説明に始まり、どうしてこの道に入ったのかなんていう話にもなったり、業界の裏話が色々と聞けたりして、とにかく面白い。

利益を追求して安く仕入れた原料で、機械をどんどん入れて短い時間で大量生産して流通にのせていくやり方ではなく、昔ながらのやり方で、材料にこだわり、なるべく人の手で時間をきちんとかけてこだわって手間ひまかけて作ることを大切にしている方々。

そして、考えていた以上に丁寧にこだわって作っているその技術は並大抵の努力では獲得できないでしょう。

日々勉強、研究し、汗水たらして培ってきたものがあるからこそできることであって、ここまで作り込まれた作品は心から欲しいし、食べてみたい!って思うし、そして口にしてみたらとても美味しかったのです。

その技術を守りたいと思うし、だからこそ、ちゃんと作り手の顔が見えて、こだわりの感じられるものにお金を支払いたいと思いました。

特に今回のメインテーマだった「お酢」は、もともと苦手なほうだったのであまり今までは使わなかったのだけれど、嫌な酸味や臭みが一切なくて、おいしい!と感じたので購入。

戸塚醸造店のお酢は作るのに必要な水を結構な距離があるのに富士山まで汲みに行っているとか、
濾過するのに濾過剤使うと余計な成分が入ってしまうから使わず、自然にもともとの成分が沈殿するのを待ってから上澄みを充填してますと、だからこのご時世早ければ3日で出来てしまうお酢を、自然なやり方で作っているから一年半はかかる、
とか聞いてしまうと、もう四の五の言わずに買います!ってなるでしょ。

そしてやっぱり美味しい。
香りがね、飛びにくいんですって。
だからお掃除にはむかないって。

ということは、むしぱんを膨らす為に入れるのも天然醸造じゃないほうがいいのかしら…

と、そんなこんなで、あっという間に過ぎた2時間。

改めて消費者がきちんと選ばなきゃって思いました。
そして、よいものを人にも教えたい。

スーパーに並んでいる大量生産の品物を惰性で買ってしまうのはあまりにももったいない。

お金を使うなら、きちんと自分で情報を仕入れて、これがいい!と思えるものに使おう。

食べ物だけでなくて、お金を使うすべての消費活動にいえること。

そのものに対してお金を払いたいと思うか、思わないか、という感覚を磨きたい。

そして、地方で頑張っている生産者さん達にきちんと届いてほしいなぁと願います。



そんなことを考えさせられたCOZY TALKなのでした。

味噌♪

2016年03月03日 01時07分15秒 | Weblog

chai cafe×山口物産×越路屋豆腐プレゼンツみんなで味噌作り♪

今期個人的には2回目の味噌作り。

前回のものはまだ熟成中。

家にどんどん発酵途中の食品が増えていってる。

幸せだなぁー

できたらみんなでシェアして食べよう♪

記録用・戯言

2016年03月03日 00時37分40秒 | Weblog
心はとても穏やかで落ち着いている気がするのだけど、もやもや、もやもやする。

泣きたいのに泣けない。



ここには思い出がありすぎる。

引っ越してきた日の夜にガスが開通していなかったから、近くに発見した銭湯に行ったこと。

一人であることを家に帰ってきてから突きつけられて涙した夜。
その日の朝までは「ふたり」だったのに。

寂しくて辛くて孤独だった。

あの日から6年。

彼とは一度も会っていない。

数年は時々思い出して連絡して飲みに誘ったりしていたけれど、結局実現はしなかった。

そして今はもう連絡先もわからなくなった。

きっと、もう死ぬまで会うことはないのだろう。

今こうやって幸せだった当時のこと、辛すぎて一緒にいることが苦痛でしかなかったあの頃を懐かしむことしかできない。

そして、この感情はただ単にセンチメンタルになっている時期だから訪れるものだということもわかってる。

一生忘れないことだけど、もう過去のことだ。
戻りたいって思いがよぎることもあるけれど、今の自分が一番好きだから、人に依存してひとりで生きていく覚悟すらなかったあの頃の自分には戻りたくない。

すべては過ぎ去ったこと。

寂しいだけなんだ。過去は美化される。

いつになったら自分を赦すことができるのかな。

過ちを犯した過去の自分に罰を与えているみたいだ。

誰にも言えない秘密とか、後ろめたい過去が心を重くする。

全部全部吐き出してしまえば楽になれるのかなぁ。

おかしな育ちかたをしてしまった子供時代とか、生きていくことに何の夢も希望も持てなかった思春期とか、親のせいにして今の自分がこうなったのはあんなことがあったからだと思っちゃっていたこととか、家族の溝だとか、結局両親ともにちょっとおかしいこととか、仲良くできないこととか、本当は年に1度でもみんなで集まってワイワイしたいのに不和のせいでできないこととか、親と仲の悪い兄弟の間をとりもとうなんてお節介をやこうとすること自体が、当事者からしたら余計なお世話で私の仲良くしたいとかいう想いが人を苦しめていたとか、片想いが過ぎて人のことが考えられなくなったりとか、プライドもないとか、でも結局は諦めるとか、何事にも区切りをつけたがるとか、ずっと続いていくものに実は魅力を感じていないとか、人との関係においても違うと感じたらばっつり切っちゃうこととか、だから友達いないとか、友達といても心を開くことができないとか、人と話が合わないとか、空気や表情読みすぎるとか、もう、本当に本当にどうでもいい些細なことなんだけど、色々なことがありすぎる。




はーーーーーーーーーーーーーーー。吐き出したーーーーーーーーーーー。




考える余地残すと、やらない理由を探して、行動できなくなるから、余白残さずに、やろうと思ったら、やろう。

とにかく、一歩を踏み出そう。