前回の投稿で、「変わっていくこと」を含めて「自然」と考えるべきではないかと言いました。この「自然」の解釈が人により違っていることは、普段、意識することは無いと思います。学生の頃ですから、随分と昔の話ですが、生物学の授業がつまらなくて(ほとんどの科目がつまらないと思っていましたが)、教科書をひたすら読んでいました。授業では取り上げなかった「生態学」の項が特に興味を引きました。そこから山登りも囓っていたので、「登山者のための生態学」という単行本も購入して読みふけりました。そこから又断片的な話になり恐縮ですが、少し意見を述べます。
「自然」の風景といったとき、皆さんはどんな風景を思い起こすでしょうか。私などは里山の景色が思い起こされます。都会の人の中には、田園風景を見ても自然だと思うかも知れません。しかし、見方によっては、田畑は人間が作り出したものなので自然とは呼べないと考える人も少なくないでしょう。またある人は山間を走る道路を囲む白樺林を連想するかも知れません。しかし、白樺は基本的に日当たりの良いところでないと生育しませんので、その美しい白樺林を維持するには人の手で下草を刈り、他の樹木が伸びてこないように手を入れないと維持出来ません。どこまで人が関わった物を「自然」と呼んだらいいのでしょう?
数年前、NHKテレビの知床の世界自然遺産についてのドキュメンタリー番組で、世界自然遺産を認定する委員達が、地元の漁師達が漁のために作った番屋と、そこにいくための道路(特に橋)を、世界自然遺産として好ましくない。撤去するべきだと主張していることが紹介されていました。この意見に対して、漁師達は自分たちも含めて自然なのだと言っていたのが非常に印象的でした。
結局、人の手が加わっても、人が関わらないように放置しておいても、すべての物は変化していく物であり、やはり変化も叉「自然」なのだと考えるべきだと思うのですがどうでしょう?